3552 無事、皆さんをスカルノハッタ空港で見送った。慌ただしい数日だったが、過ぎてしまえば、あっというまだった。肩の荷が軽くなった。
昨日と同じように、朝、8時にアストンからスタート、先ず、キンタマニへ向かった。昼食後、そこから、時間を見ながら南にむかって、途中、プラ、ヒンドゥー寺院に寄るという、スケジュールだった。しかし、早く着きすぎてしまうので、途中、ゴア ガジャにより、それでも、早いので、ティルタエンプルにもよった。鯉の池や水浴びの場所があるところだ。
11:30にそこから、キンタマニに向かい、12;00にレストランに入った。バツールの北側から、赤い炎が上がっていた。野焼きかと聞いたら、自然発火だという。いわゆる山火事だ。火の粉が偶に舞って来るという。
かなり激しく燃えているが、消火作業をしないで放っておくらしい。手前に焼け跡が広がっている。
食事後、キンタマニでも、もっと上のダナウ バトゥール寺院に寄ってみる。以前、行ったことがあって、印象が良かった場所だった。熱心に説明をする人が付いてきて、マークの意味とか、カルデラ湖の縁にあった寺院は、噴火で埋まってしまったので、この場所に、1935年に再建したとか、ヒンドゥー年は、一年420日だと、一か月は35日だとか説明してくれた。
皆さんがホテルに帰る途中、ライステラスに寄った。この世界遺産の棚田、何故なったのか理解できない。インドネシアには他に、持った大規模な棚田は一杯ある、それも、バリの棚田に比べれば,100倍以上の規模だ。私にしてみれば、かなり上位のがっかり世界遺産だ。それでも、観光客で賑わっている、登録されて二三年後には、もとの、がら空きに戻るどこかと違って、不思議に賑わいが増している。
私は、空港で降ろしてもらい、皆さんがホテルに戻り、バッグを持って空港に来るのを待った。18;30頃、チェックイン、時間があるからと、ゆっくり食事をしていたが、皆さんと私の便が違っていて、私は皆さんより一時間早い出発になってしまっていたことに気が付いて、あわてて、私だけ、ゲートの場所を探しに行ってしまった。慌ただしい、分かれになってしまった。
私は、24時を回って、工場に到着した。
5,000 hilang di dua kawasan Paluプラの二か所の地帯で5000人が見付かっていない。
Semasa Balaroa, Petobo alami insiden tanah jerlus
見送り キンタマニ 分かれ
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