しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
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朝の露 <哀悼の意>

2025-01-28 | Ⅱサムエル記
「彼らは、サウルのため、その子ヨナタンのため、また主の民のため、イスラエルの家のために悼み悲しんで泣き、夕方まで断食した。サウルらが剣に倒れたからである。」(Ⅱサムエル1:12新改訳)

自分をあれほど苦しめ、いのちをねらい続けたサウルが戦死した。ふつうなら快哉(かいさい)を叫んでも良いはずなのに、ダビデはそうしないで悲しみ泣き、夕方まで断食した。彼の敬虔な信仰姿勢が本章によくあらわれている。▼ペリシテ人は自分たちの大勝利に有頂天になり、イスラエルは王一家を失った衝撃(しょうげき)とこれからの不安な運命を予想し、意気消沈(いきしょうちん)してしまった。しかし、ダビデの復活とともに新しい時代が始まろうとしていた。▼この世の王国と異(こと)なり、イスラエルは祭司の国であり、その支配者は誰にもまさってあつい信仰者であることが求められた。ダビデは主を愛する愛に燃え、その臨在を慕い求めながら生涯を送った人である。つまり王なる祭司として理想的な資質(ししつ)を神から与えられていた。この稀有(けう)な人物のもとで、イスラエルは真の発展を遂げることになる。▼ダビデの資質は私たちキリスト者の資質でなければならない。なぜなら、私たちは信仰により「ダビデの子」イエスにつながったからである。罪がゆるされ、主の聖霊を宿すことにより、キリスト者は来たるべき永遠の国において王なる祭司となることが定められた。サムエル書によってダビデの生涯を味わい、詩篇に没入することによって、彼の魂の世界、限りなく深い預言の世界を心行くまで味わうものとなろう。そのとき、私たちのうちに、知らず知らずのうちにキリストのはなよめの霊性が形造られていくだろうから。