「翌日、ペリシテ人が、刺し殺された者たちからはぎ取ろうとしてやって来たとき、サウルと三人の息子たちがギルボア山で倒れているのを見つけた。」(Ⅰサムエル31:8新改訳)
当時、武具は貴重品であり、戦勝軍は敗北した敵軍の武具や軍服をはいで戦利品とした。ペリシテ人たちは、長年の仇敵(きゅうてき)サウル一族の死体を見て、装具を奪(うば)っただけでなく、その首を切り取り、胴体はベテ・シャンの城壁(じょうへき)に親子ともどもさらしものにした。じつに残忍(ざんにん)な仕打(しう)ちであった。▼ただ、考えてみると、このような結果になったのは、サウルが神のお心に従わず、あくまでも王位にしがみつき、神の選んだダビデの生命を狙(ねら)い続けたことにあった。もし彼が、へりくだって生前から王位をダビデに明け渡し、自分はその部下としての地位に甘んじていれば、一族の繁栄(はんえい)は長く続いたであろう。▼悪魔の本性=高ぶりを宿してしまった人間にとり、頂上に登るよりもはるかにむずかしいのは、そこから下ることである。それができるのは、弟子たちの足を喜んで洗った主イエスの心を宿す以外にはない。「イエスは、父が万物をご自分の手に委ねてくださったこと、またご自分が神から出て、神に帰ろうとしていることを知っておられた。イエスは夕食の席から立ち上がって、上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。それから、たらいに水を入れて、弟子たちの足を洗い、腰にまとっていた手ぬぐいでふき始められた。」(ヨハネ13:3~5同)