「それは、私たちがいつも敬虔で品位を保ち、平安で落ち着いた生活を送るためです。そのような祈りは、私たちの救い主である神の御前において良いことであり、喜ばれることです。」(Ⅱテモテ2:2,3新改訳)
テモテをエペソに残して来たパウロであったが、そこで二人が味わったのはきびしい迫害と騒乱(そうらん)であり、生命の危険にも及ぶものだった。偶像礼拝者たちは劇場に集まり、使徒たちを血祭(ちまつり)にあげようとくわだてたからだ(使徒19章)。▼しかし不思議にもそれを静めたのは、キリスト者ではなく、町の書記官であった。彼はパウロたちがいかに立派で紳士的(しんしてき)であり、品位ある人物かを論証し、群衆を冷静にさせた。その背景にあったのは、ふだんからパウロが聖書をもとに正義と節制を説き、誰からも非難されない正しい生活をしていたからである。▼「パウロの友人でアジア州の高官であった人たちも、パウロに使いを送り、劇場に入って行かないようにと懇願(こんがん)した」(使徒19:31同)とあることを見ても、宣教チームの評判がどんなに良いものであったかが知られる。