ビゼー(1838-1875) と ギロー(1837-1892)
ビゼーは9歳でパリコンセルヴァトアールに入学
20代半ばの若さで作曲家として活躍を始めますが
残念なことに30代後半で早々と亡くなってしまい、
カルメンは最後の作品になりました。
ギローはパリ・コンセルヴァトアールの教授。
ビゼーと同年代。彼もローマ大賞も得ています。
カルメンのレチタティーヴォの補筆をして
グランドオペラとして完成させた功労者です。
さて。
「アルルの女」は予算の関係で
26人編成の条件で作曲されましたが
残念ながら当時はオペラはヒットせず、しかし。
アルルの女から劇音楽が4曲、
ビゼーによって大きな編成に改編され
オケのコンサートで組曲として演奏され大好評となります。
その4曲は現在は第一組曲と呼ばれています。
アルルの女第一組曲はビゼー 自身によるものだけれど
アルルの女第二組曲は事情が違います。
ビゼー 亡き後
ギローが選曲してさらに大編成に編曲したものなのです。
組曲というのはオペラやバレエの「付属の音楽」を
コンサート用に抜粋したものと、理解していましたけれど
抜粋どころの話じゃないのです。
ビゼー は美しきパースの娘というオペラを
1866年28才の時に書いています。
男女が掛け合いで歌っていてその伴奏のオケの中から
フルートがまるでBGMのようにホンワリと聞こえてきます。
採譜、してみました。こんな感じで始まります😃
ピアノではなくハープです
これが現在有名なアルルの女第二組曲のメヌエットの原型みたい。
私たちの知っているアルルの女のメヌエットは、
ギローがビゼーの作品を
原曲以上にフルートに光の当たる芸術に仕立てた
ちなみにアルルはフランスだけれど
パースはスコットランドの観光地です。
ここの ↓ オペラの3幕の半ば(17.DUO)から聴けます。
近年ではパースの娘を上演する時は
幕間に間奏曲としてメヌエットが演奏されると
読んだことがあります。
ちょっとワクワクしませんか?