マシュマロ’sエンディングノート

~At the end of a marshmallow-like life~

母の食事は用意しません(ボイコット宣言)

2020-02-15 | 母のこと
母と少々衝突しました。
その勢いで、母へのフォローのひとつであった食事の用意をボイコットすることにしました。

きっかけは私のストレス
私は、料理があまり得意ではありません。
かといって、不得意かというと、標準的な料理は作れますし、料理を不味いと言われた経験はないので、そこそこの味は出せているのでしょう。
それでも、やはり料理の支度は面倒だと感じているし、できることなら外注で済ませたいです。

母が貧血で入院し、胃のポリープが見つかったので切除治療をしてもらい、退院してからは、なにかと食事にだけは気を付けてきました。
なるべく鉄分の多い食材を使い、筋力が衰えているので、たんぱく質を補うよう意識し、高血圧の薬も飲んでいるので、塩分量をかなり気にしながら、食事を作ってきました。
加えて、母の偏食ぶりはかなりひどく、本人は食べられるという食材や料理でも、結局は好きなモノしか食べない人なので、それを何とか食べさせるように、かなり頭を悩ませながら、メニューを絞り出してきました。

料理が得意とは言えない私が、ここまで料理のことで頭を悩ませて、ストレスが溜まらない訳がありません(苦笑)
そのストレスが、溜まりに溜まっていたのでしょうね。
とうとう、感情が爆発してしまいました。

ストレスが爆発した経緯
2日前、私が健康診断を受けに行った日、帰りが遅くなってしまったので、夕飯の支度が遅くなるな、とは思いながら帰路につきました。
帰宅すると、母が何やら鍋で煮ていました。
見ると、冷凍していたごはんを2杯分、たっぷりの醤油で煮ています。

その瞬間に、私の中で、自分が努力してきた塩分調整を台無しにされたと感じたこと、加えて、食べられもしない量のごはんを使ってしまっていたことに、とてつもなく腹が立ってきました。

客観的に見たら、それくらいのことで、と思うところなのですが、こういったことがずっと繰り返されてきた結果が、糖尿病や他の病気を引き寄せているわけですから、本気で病気の改善をしようとしてない母に対し、怒りが蓄積していました。

私の帰りが遅くなったことが、母の行動のきっかけでもあるのですが、そもそも母は17時前から夕飯を食べようとします。
私が帰宅したのは、17時を少し過ぎたころ。
普通は、17時に夕飯を食べることすら早いですし、そんなに早く食事をすると、結局夜遅くにおなかが空いて、また何か食べようとしてしまうので(母は間食の回数や量も多いです)、それを避けるためにも、夕飯は遅い方がいいのです。
そのことは、毎日のように言っていたのですが、その時は「はいはい」と返事をしても、結局は自分勝手に何かを食べようとします。

一応、言っておきますが、これは母に認知症状が出ているからではありません。
母のでたらめな食習慣は、昔からなのです。
だから、糖尿病になったのだろうと、私は思っています。

母の食習慣のでたらめさに、私はずっと今まで、イライラしていたような気がします。
それでも、本人が勝手にやっていることと、見て見ぬふりをしてきました。
しかし、母の体力が衰えて、長時間の料理ができなくなったので、どうしても私が食事の用意をしなければならない状態になりました。
正直、母の食事の用意は、私以外の人でもきっと苦労します。
好き嫌いが多いだけではなく、食べない日と食べる日の差も激しく、入院している最中は、看護師の方から食が細いと心配されましたが、おそらく病院の食事に、自分の好きなモノが出ていなかったから食べなかっただけだと思います。

そういう母なので、とうとう私も母の行動(たっぷりの醤油でごはんを煮ていたこと。本人は、ぞうすいを作っていると言っていました)に、怒り爆発です。
声を荒げて、もう二度とあなた(母)の食事は作らない、と宣言してしまいました。

一夜明けて冷静になって考えたこと
昨日、怒りの感情も少し落ち着き、冷静になって考えてみました。

私の帰りが遅いからと、母は簡単なモノとはいえ、自分で食事を作っていました。
ということは、私がわざわざ、イライラしながら母の食事の用意をする必要は、すでになくなっていたのではないか、と。
そもそも、貧血の症状がぶり返すかもしれないという懸念から、調理により長時間立たせることが不安でもあったので、今回のことで、少しくらいの料理は、母自身でできるではないか、と。

そういうことであれば、買い物だけは私がするとして、母の食事は母自身が用意すれば、私は自分の食事の用意だけをすればよくなります。
そうすることで、間違いなくストレスも軽減されるはずですので、これからは母の食事の用意はせずに、他の部分だけフォローを続け、そのスタイルが定着したら、私は仕事を探すことに本腰を入れようと、考えています。

母が、食事の用意だけでも、自分でするようになったら、少しは認知症状の進行を防げるのではないか、とも考えています。
よく耳にするのは、何もしなくなると、認知症状が進むという話です。
もし、母の物忘れのひどさと、生活スタイルがリンクしているのなら、元の生活に少しでも近づけたら、症状が改善する可能性はあります。
それは、時間をかけて判断しなければならないので、ゆっくり見守りながら考えていこうと思います。


今回のこと(母に対する怒りと食事の用意のボイコット)は、私の大人げなさから起こったことです。
そして、前回のブログ内容で触れた「承認欲求」が強かったことも、自分自身で自覚しています。
考えてみれば、母が何を食べようと、それで体を壊そうと、どうでもいいのです。
母には健康でいてほしい、というのは、私の勝手な感情です。
それに応える義務は、母にはありません。
好きなモノだけを食べて、それで病気になって辛い思いをするのは、本人の勝手です。
それに対して、私が努力するのは、私の自己満足でしか無いのです。
そう思ったら、私も母のために割いていた時間(食事の用意)を自分のために使おう、という気持ちになりました。
もし、これで少しでもストレスが減るのであれば、お互いが心穏やかに生活できます。
同居している実の母娘でも、結局は他人と同じ。
これからは、母の世話をする、という気持ちではなく、ひとりの老女とシェアハウスで同居している気持ちでいようと、心に決めました。