1955年1月17日・早朝、大きな揺れで真覚めた。
単身赴任中の私は、家族に問題が起きていないか?と、連絡をとった。
「お父さん、其方こそ大丈夫・・?」
私の住まう処が、震源地に近い事を知った。
停電しておりTVで確認する事が出来なかった。
早々に準備を整え、出社する。
兵庫県(神戸や淡路)が、甚大な被害が出ている事が判った。
災害復旧の為、社員を派遣する事となった。
被災地への派遣である。
指名するのではなく、名乗り出てもらった。
多くの社員から、派遣を受け入れる意思が示された。
当面・要請される業種の担当者・1名を派遣する。
その後、災害復旧の進展と伴に、増員されていった。
被災地の状況も落ち着いた頃、私も・被災地(神戸市)を訪れる機会を得た。
現実をみて、震災の恐ろしさを知った。
27年前を思い出した今朝の、目覚めであった。