ふくちゃんの絵日記

バイク等での旅行記や、日常生活で感じたことを、絵(写真)に描けるものは描き(添付)絵日記風にしたいと思います。

☆LPレコードを聴きながら・・

2014年01月29日 | 日記
  
 就職し、最初の転勤があり、独身者寮に入寮した。
 六畳間に”男二人”が寝起きを共にするのである。
 私は、同じ職場の一年後輩K君と同室になった。
 K君は、音楽に造けいがあり、特にクラッシク音楽をFM放送で聴いていた。
 私は、学生時代に自作した真空管(終段6BM8)アンプで、昭和50年代と云われる楽曲を好んで聴いていた。
 ある時、K君が「ジャズも良いよ!」という。
 K君のFMラジオで定時放送の”ジャズ”なるものを聴かせてもらった。
 今も鮮明に覚えているが、Horace SilverのSong for My Fatherであった。
 ピアノは明るく軽快に、ドラム・ベースは心地よくリズムを刻み、奏でる”音楽”に魅力を感じた。
 それ以降、事あるごとに”JAZZ”という音楽に聞き入った。
 レコード店で教えられたJAZZを聴かせる喫茶店に通うようになった。
 そして、この喫茶店でJAZZと云う音楽を聴くキッカケとなったレコードの全曲を聴くことが出来た。
 ”欲しい!”と思ったが、輸入盤ということで入手が困難な時代であった。
 ある時、ヤマハの直営店?がある地方都市に出張になった。
 そして「輸入盤セール」なる看板があったので入店した。
 捜し求めていたモノ(レコード盤)があるではあるではないか!
 少し値は高価と思ったが購入した。
 あれから何年になるのだろう・・・
 半世紀近く経過している。
 レコードを聴きながら当時の事を思い出しているのである。
 今日の絵日記の”絵(写真)”はレコードのジャケットとします。
 左は、私がJAZZを聴くキッカケとなった、Horace SilverのSong for My Father
 右は、80歳でなお元気に現役を続ける渡辺 貞夫さんの1980年7月東京・武道館でのライブ録音のレコードです。
 昨年、現役60年記念ライブ映像を観る機会があって、年齢を感じさせない演奏を聴いた。
 まだまだ、年齢を感じる歳でない、何事にも取り組んでいかなければと勇気付けられる。
コメント

☆実に良い!

2014年01月27日 | 日記
 プリ・アンプに「10Hzhカット」なる機能がある。
 ONにすることで”低域”がスッキリした感じで改善された様に思う。
 結果、私自身が驚くほどに良くなったと感じている。
   ・・・・手前味噌???・・・・
 聴感的に低域・広域が延びと喜んでいる。
 多くの音域を「中音のスピーカー」に委ねる音域配分となっている。
 無音の時の雑音(ハム)も極端に低減させることが出来て、心地よい音色を聴かせてもらっている。
 I氏から借用した(CDの)女性JAZZボーカルが実に良く”鳴っている”(我家の音響装置も)捨てたモノでない。
 この満足感も、再度 I氏宅を訪問し、聴かせて頂くまでの”切ないもの”であろうか・・・・??
コメント

☆無手勝流 自然に任せて

2014年01月24日 | 日記
 NETのニュースをみた。
 東京都小笠原村の「西之(ノを訂正)島」の洋上で火山噴火があって「新島誕生」と期待する出来事(自然界の)があった。
 そして、喜ばしい事に西之島が大きくなったという。
 成長が続き(海底火山の噴火)西之島とつながり、実質的に西之島が大きくなった。
 この事で「排他的経済水域(EEZ)」が拡大することになるのではないかという。
 国土(47都道府県)的な広さの順位して、世界的ランク62位である”我が日本”であるが,排他的経済水域を含めると一気に9位の広さを有する”国”となるという。
 頼もしいかな!!!
 この様なニュースに接しながら、今夜も”チビチビやりながら”聞こえてくるのは哀愁を帯びた”ちあき・なおみ”の歌唱である。
コメント

☆冬眠中の様な過ごし方・・?

2014年01月20日 | 日記
 今日は”大寒”
 寒いです。
 高騰した灯油を焚き暖房すると”頭暖足冷”で居心地が悪い。
 毛布を足に巻いて、電気アンカで脚部を暖めると、寒さ知らずであるが行動が制約される。
 しかし、この体勢で静かに音楽を聴いているのが一番居心地が良い。
 我家の”音”に耳も慣れ、I 氏宅で聴かせてもらった音は今は(記憶に)無く、飽きずに聴いている。
 I 氏宅から受けた刺激で、あれからレコードも聴くようになって「こんな(レコード)もあったなぁ!」と懐かしさを感じている。
 何か行動を起こさなければ「日記」の題材が見付からない。
 今年は、毎年10日前後の日曜日にバイクで”初詣”に行くのが恒例であるが、体調不良者やバイクを手放した仲間がいて、いまだ初詣に行かずである。
コメント

☆やはり”財産”? 訂正

2014年01月15日 | 日記
 先の日記で「当然、生産されていないので「未使用品」はあったとしても「新品」は無い。」と記述しましたが、I 氏の御指摘がありました。
 世界的規模で言うと「新品」の購入は可能と云うことでした。
 イタリア等では、生産・販売しているようです。
 I 氏は、実際に購入したようで、為替価格の変動によって異なりますが、LP一枚日本円で7000円程のようです。
 LPからCDへの移行は必要なかったと言う意見はありましたが、何者かに”ノセラレタ”感は否めさせん。
 イタリア等は”ノセラレなかった”のでしょうか・・・・
コメント

☆やはり”財産”?

2014年01月15日 | 日記
 去る13日、会社仲間であった I 氏宅にお招き頂いた。
 再訪問させて頂いたのは、少なくても2年は、経過していると思う。
 I氏宅には、憧れても到底、真似する事が出来ない「オーディオ装置」がある。
 久し振りに聴かせて頂く事が出来た。
 閑静な住宅地に居を構えられていて、防音対策も然る事ながら、周囲からの騒音も無い環境である。
 何時もながら良くチューニングされていて、音源の入力が無い状態では”雑音”というものが感じられなく、全くの無音状態である。
 電気機器であるから、交流の残留雑音や誘導雑音・熱雑音は”あるもの”と(半ば諦め)これ等の”雑音”と付き合ってきた。
 しかし、対策を講じれば取り除けることを再認識させられた。
 I 氏のシステムは、所謂「マルチ・チャンネル」式で、5チャンネル(片方)で構成されている。
 当初、CD音源の音楽を聴いていたが、話が「レコード」の話しになった。
  私 :「(収納場所をとる)レコードを処分しては!」と云う者が居る。レコードはA/D変換して、パソコンに保存した。
 I 氏:レコードはいま、1500~1300円(一般的な新品価格1800円のレコード)で中古品として売買されていて、静かなブームとなっている。
 業者に手放しても、程度の良いもので一枚当たり、2~300円でしょう。
 と、I 氏は言うのである。
 当然、生産されていないので「未使用品」はあったとしても「新品」は無い。
 I 氏は、ソースをレコードに代えて聴かせた。
 そして、BGM的に聴くには長時間演奏が可能なパソコンやCDは良いが、集中して聴ける時間は、LPレコード片面の15分程度が限度ではなかろうか? 音源として忠実に記録しているのはレコードではないだろうか?と、云うのである。
 確かに、ディジタル化すると言う事は”加工”する事であり、原音そのものではない。
 レコードは、私たちの”耳”で聴ける音の振動(振幅)を、そのままレコード盤の刻み込んだものであり、忠実性という観点からするとレコード音源に軍配が揚がるのでしょう。
最近のディジタル音源は、サンプリング数も多くなっていて格段に良くはなっていると言われる。
 でも!加工しているでしょう?と言われると、レコードの様に音源である音波を記録したものでは無いと言わざるを得ない。
 I 氏宅から帰って、改めてレコードに針を落とし、聴いてみた。
 何年ぶりだろう。
 新鮮な印象を受けた。
 そして、概念的に思い込んでいた、レコード特有の”クリック音”も保存状態の良いレコードには無くて心地よく聴くことが出来た。
 捨て難いものがあると感じさせられたのである。
 レコードだけでは聴けない。
 ピックアップ・カートリッジ、アナログ・プレイヤー、RIAAカーブを有する入力のあるアンプがあって成り立つのである。
 これ等は、音楽を聴くという”価値”を生み出す”財産”と云えるのでは?と感じさせられた。
 そしてレコード音源について、再認識させらた訪問であった。
コメント

☆思う事・・

2014年01月11日 | 日記
 今日(10日)、目覚めると、薄っすらと雪で一面白一色であった。
 そして、細かな雪が降り続いていた。
 雪化粧を見るのは何年ぶりだろうか・・?
 天気予報では、午後から雪は止むとのことである。
 昨夜は、月例の懇親会があり出席した。
 帰りの電車で、この懇親会に誘ってくれた一人であるK氏と一緒になった。
 K氏の自宅の隣に”犬”がいて、何時とも無く散歩に連れて行く関係になった様である。
 隣家の人も散歩に連れ出すことを、了承していた様で、断り無く散歩に連れ出していた様であった。
 その犬も、K氏と散歩に行くことを嬉しがっていたという。
 その”犬”が死んだそうである。
 辛かったと、感情を込めて打ち明けられた。
 思い起こせば、私が小学校六年生の時、父の許しが出て、犬を飼ったことがある。
 飼いだして、数ヶ月後(?)に居なくなった。
 授業が終わるのを待ちかねて探した。
 居なくなって五日程経過していたと思うが「田圃(畑)に犬が居る」と教えてくれる人がいた。
 行ってみると、蹲って動かない。
 友人が「家に連れて行こう!」と云う。
 この友人の父親と兄が、獣医であった。
 当時、原因が分らなかった「フィラリア」であった。
 友人の兄が「これを治せばノーベル賞もの!」と云っていた事を今も鮮明に覚えている。
 高価と思う(友人から後日聞いた)注射薬やら投薬を施してもらったが、駄目であった。
 見付けた翌日、授業もそこそこに友人宅に行ったが、やがて死んだ。
 その時のショックがあって、それ以降”犬”を飼う事を止めた。
 社宅生活を卒業し、この家に住むようになって、想いが蘇ったのが”犬”を飼うことであった。
 飼うことになった当初「私が逝くのが早いか、犬が早いかだ!」と考え、飼うことを決断した。
 そして、昨夜、K氏の話を聴いて、小学生の時に死なせた”犬との別れ”から、いま居る”犬くん”の事を思った。
 隣家の犬の死で、K氏の抱く感情がこれほどのものなら”家族となった犬”はどうなるのだろうか、と考えた。
 辛いと思う別れの感情を、抱くのは私なのか?犬くんなのか?
 人間の寿命と、犬の寿命を、私に当てはめると、何方が先に逝ってもおかしくない年齢と成るのである。
 それは”天”のみぞ知るである。
 この日記を書いている間にも、我家の犬くん、私の膝に乗っかって、微かな寝息をたてている。
コメント

☆彼方を立てれば此方が立たぬ

2014年01月07日 | 日記
 Dsc04020 Dsc04022
 昨年末に、新たに取り付けた「カーナビ」と伴に、玉造温泉や高知県へのツーリングを行った。
 その時に感じたことは、ナビの画面が小さくなったことによる”見難さ”であった。
 ナビを付けたバイク仲間には、部品メーカー製で燃料蓋にナビをセットするタイプのものを取り付けた者がいた。
 「これ、どこの製品?」
 「〇〇製だけど、視界から外れて見難い!」と、メーカー名と感想を聞いた。
 走行時、前方注視が重要であり、ナビを確認するために目線を逸らしていては安全運転にならない。
 当分の間、走らせることがないので、ナビの取付け位置を変更することとした。
 写真が出来上がった状態である。
 通常は、タコメーターを犠牲にして、中央部分に配置(写真:左)し、慣れた道でナビを必要としない場合は、タコメーターが見える位置(写真:右)に移動させられる機能とした。
 なお、この場合は電圧計が確認出来ないと言う制約がある。
 通常とする中央部に配した場合、前方視界に重要な計器類(速度計・油圧計・充電状態を知る電圧計・方向指示器)は確認出来る。
 しかし、実働状態での確認が出来ていないので変更後の感想等は後日とする。
 限られたスペースの中で、新たに機能や機構を追加するとなると、何かが犠牲にならなければならないのでしょうね!・・・・
コメント

☆「ちあき なおみ」を聴きながら

2014年01月05日 | 日記
 2014年が明けた。
 正月、二日に子供達が訪ねてくれて、2014年が良い年であることを伴に寿ぐことができた。
 嬉しい事ではないか。
 大晦日から新年にかけて、これ等のことがあり、今日に至っているが、今日は早、5日である。
 今日も、正月気分でいる。
 頂いた”お酒(泡盛・鹿児島焼酎)”を飲みながら思いに耽っている。
 そして、「ちあき なおみ」の楽曲を聞いている。
 私は「ちあき なおみ」が唄う「ルイ」や「帰れなんだよ」等々は哀愁が感じられてお気に入りである。
 「ルイ」は物語をそのまま”唄”にした様に構成されている。
 主題とするこの”詩”の前置きがあって、第一幕:主人公「ルイ」が若き画家に恋をして貢ぐ様を、そして第二幕で、若き画家は「ルイ」を残し、フランスへ留学する。
 残された「ルイ」は、無情さを酒におぼれ、その生涯を閉じる。
 第三幕:帰国した”若き画家”は、「ルイ」の死を知り、画廊を開設する。
 その画廊に「痩せた女のデッサン画」が銀座(東京)を見つめている様に掲げられている。
 と、云うストーリーである。
 また、「帰れないんだよ」は、都会に働きに来て、故郷に帰りたい”望郷の念”がありながら帰ることの出来ない現実を切々と語るように唄っている。
 「帰る汽車賃があれば一ヶ月、生活出来る」と云う表現で、故郷を思う心と現実を哀愁を込めて唄っているのである。
 加えて云うならば、甲高い声で朗々と唄う「矢切の渡し」と違い、その歌詞の内容から”寂しげ”に情感を込めて唄いあげる
 「ちあき なおみ」に私は、軍配を揚げたいと思う。
 情景を想像・思い浮かべながら、お酒と伴に、繰り返し聞いている。
 「ちあき なおみ」さんについては、私が30歳頃であったかTVの歌番組での「喝采」で、私はこの歌手を記憶したと思っている。
 その当時、私は一心にして”jazz”であった。
 Jazzを聞かせる喫茶店で楽曲に合わせ”(格好良く!)首を振る”ことを鍛錬した思い出がある。
 「喝采」から四十年ほど経過しているが、「ちあき なおみ」さん(等)は特段の感情も無く、TVの歌番組でしか接することも無かった私に、何の変化がおきたのだろうか?
 私にも分からないが「ちあき なおみ」さんの楽曲を、酒を飲みながらではあるが!・・・好んで聞いている私がいるのである。
 日日のなかで、気分によって聴ける楽曲のジャンルがあることは幸せな事ではなかろうか?と思う。
 併せて、結婚当時から、今も現役で頑張っているスピーカーシステムがある。
 ”jazzを聴くために買った”と言っても過言でないものである。
 NETで処分(オークションに出展)する事を勧めるモノがいるが、未だに所有している。
 ”捨てがたい(処分出来ない)”のである。  ハードもソフトも・・・
 此れからも”雑多”にあれこれと聴いていければ良いな!と思っている。
コメント

☆2013年から2014年へ

2014年01月03日 | 日記
 2013年の大晦日の午後、娘の主人と、弟さん夫妻の訪問があった。
 弟さんは年末始の休暇で帰省されたとの事であった。
 そして、御実家で「夕食を一緒に食べましょう」とお誘いを受けた。
 弟さん御夫妻が帰省され、一家団欒を邪魔してはと考え、一度はお断りはしたが結果的にはお邪魔することとなった。
 楽しくて、美味しい夕食を頂いた。
 夕食後、トランプをする事になった。
 私は、何年、いや20数年トランプゲームをした記憶がない。
 「ポーカー」というゲームである。
 大晦日から元旦に至る間、ゲームに熱中した。
 美味しく頂いた夕食、年末の特別番組を観ることなく熱中したトランプゲーム、楽しく過ごした時間はあっという間に過ぎ去った。
 そして、気付けば独り負けの状態で、思いもしなかった”お年玉”の出費となったが、それにも勝るものをいただいた気分であった。
 気分の良い、2014年を迎えることが出来ました。
コメント