今日は、7月31日。 明日から8月である。
暑い! 今日も暑い!と云うべきでしょう。
此処暫くは、雨も無く、暑い日が続くようである。
暑い日の一日の所用(遣るべき事)が終わった後の楽しみは、火照った身体を冷やす一杯の冷えた”水分”である。
この水分に仕掛けがあって、500mlのペットボトルに、3%程(*1)(1~4%=体調と相談)の濃度の焼酎を冷蔵庫で冷やしおくのである。
冷蔵庫を開け「頂きます!」と、一気飲みの様に飲み干す・・・実態は、3度程に分割はしている。
身体が一気に冷えていく感覚があって、飲み干した後、暫くすると、ほんのりと”酔った”感触が味わえるのである。
冷えたビールも、盛夏の日には良いが、ビール程の濃度(約7%)でないのが、私は好きである。
以前に日記(日記「朋あり、遠方より来る。亦た楽しからずや(2015.03.23)」)にした”H君も楽しんでいる様で、話しが盛りあった事を思い出された。
H君・曰く、家族が「冷蔵庫を開けて”水”と思って飲んだ」
「偉いこと怒られた!」と、笑っていた。
その後は、識別出来る様に、家族で申し合わせている、との事であった。
お勧めは、前夜に仕込んでおくことである。
”明日が楽しみやぁ!”と、二重三重の楽しみとなる様に期待を込める。
先ずは、ペットボトルに(水割りを)造って「美味しく(冷えてくれ)成れよ!」と冷蔵庫に入れる。(第一の楽しみ)
朝・起きて、冷蔵庫に鎮座するペットボトル君に、「待っとれよ!美味しく呑んでやるからな!身体を温めるなよ!」と御挨拶(二回目の楽しみ)
機会があれば、その存在を確認する。・・・・ここでニヤッとするな! 味が落ちてはいけないから、辛抱する。(三回目から飲むまでの無限の楽しみ・・)
この様なプロセスを踏まえ(火照った身体の要求にも応え)美味しく頂くのである。
一度、お試しあれ!! 御家族さまと、誤飲防止のルールを決めておくことをお忘れなく・・・老婆心ながら・・・
(*1):参考までに! 私は、25度の焼酎を10倍に薄め、約3%としている。息子は「水みたいな”酒”」と言うが、夏はキンキンに冷えた此れが良い!
暑い! 今日も暑い!と云うべきでしょう。
此処暫くは、雨も無く、暑い日が続くようである。
暑い日の一日の所用(遣るべき事)が終わった後の楽しみは、火照った身体を冷やす一杯の冷えた”水分”である。
この水分に仕掛けがあって、500mlのペットボトルに、3%程(*1)(1~4%=体調と相談)の濃度の焼酎を冷蔵庫で冷やしおくのである。
冷蔵庫を開け「頂きます!」と、一気飲みの様に飲み干す・・・実態は、3度程に分割はしている。
身体が一気に冷えていく感覚があって、飲み干した後、暫くすると、ほんのりと”酔った”感触が味わえるのである。
冷えたビールも、盛夏の日には良いが、ビール程の濃度(約7%)でないのが、私は好きである。
以前に日記(日記「朋あり、遠方より来る。亦た楽しからずや(2015.03.23)」)にした”H君も楽しんでいる様で、話しが盛りあった事を思い出された。
H君・曰く、家族が「冷蔵庫を開けて”水”と思って飲んだ」
「偉いこと怒られた!」と、笑っていた。
その後は、識別出来る様に、家族で申し合わせている、との事であった。
お勧めは、前夜に仕込んでおくことである。
”明日が楽しみやぁ!”と、二重三重の楽しみとなる様に期待を込める。
先ずは、ペットボトルに(水割りを)造って「美味しく(冷えてくれ)成れよ!」と冷蔵庫に入れる。(第一の楽しみ)
朝・起きて、冷蔵庫に鎮座するペットボトル君に、「待っとれよ!美味しく呑んでやるからな!身体を温めるなよ!」と御挨拶(二回目の楽しみ)
機会があれば、その存在を確認する。・・・・ここでニヤッとするな! 味が落ちてはいけないから、辛抱する。(三回目から飲むまでの無限の楽しみ・・)
この様なプロセスを踏まえ(火照った身体の要求にも応え)美味しく頂くのである。
一度、お試しあれ!! 御家族さまと、誤飲防止のルールを決めておくことをお忘れなく・・・老婆心ながら・・・
(*1):参考までに! 私は、25度の焼酎を10倍に薄め、約3%としている。息子は「水みたいな”酒”」と言うが、夏はキンキンに冷えた此れが良い!
先ほど(29日)、友人から連絡があった。
その連絡というのは「今日、九州北部と山口県の梅雨が明けたと言っているよ!」であった。
先の日記で「中国地方も”山口県”を残した時期もあった」と記述している。
日記にした7月21日時点では、山口県は梅雨明けしているとの、認識であった。
NETのニュース(天気予報)で得た知識であったが、勘違い(*)していた様である。
本日時点で、東北地方を残し、梅雨明けしたとのことで”山口県”の梅雨明けの記述を訂正させて頂きます。
追記:上記(*)印の「勘違い」について
気象庁のホームページで、気になる情報を得た。
天気予報上の”地域”の規定があって、九州地方と中国地方は、九州南部・九州北部(山口県を含む)・中国(除・山口県)との区分けされていた。
端から、気象上では”山口県は九州北部に区分けされていたので、私の認識不足による誤りでありました。
その連絡というのは「今日、九州北部と山口県の梅雨が明けたと言っているよ!」であった。
先の日記で「中国地方も”山口県”を残した時期もあった」と記述している。
日記にした7月21日時点では、山口県は梅雨明けしているとの、認識であった。
NETのニュース(天気予報)で得た知識であったが、勘違い(*)していた様である。
本日時点で、東北地方を残し、梅雨明けしたとのことで”山口県”の梅雨明けの記述を訂正させて頂きます。
追記:上記(*)印の「勘違い」について
気象庁のホームページで、気になる情報を得た。
天気予報上の”地域”の規定があって、九州地方と中国地方は、九州南部・九州北部(山口県を含む)・中国(除・山口県)との区分けされていた。
端から、気象上では”山口県は九州北部に区分けされていたので、私の認識不足による誤りでありました。
夏の季語は沢山されど、私の夏は”花火”と”蝉”である。
朝・目覚めれば、蝉の泣き声で夏を感じ、近くの海岸でロケット花火の破裂音で、夏の夜を感じる。
三年程前までは、午前3~4時頃まで「パァーン!」という炸裂音が聞こえていた。
その後、施設が出来た。
その事で、車両で海岸の近くまで進入が出来なくなったことから、最近では暑苦しい夜の睡眠を妨げられる事は希になった。
花火師が揚げる花火も、手持ち花火も、夏の風物詩と思う。
7月26日(日)、晩酌をしていると、打上花火が勢い良く揚がった。
「えぇ! 今日かい?」と、頭脳が回った。
昨年は、子供達と伴に観たものであった。
後日「すまん!花火 終わったわ!」と断りの電話を入れた。
今日の絵日記の絵(写真)は、約1Km(注)隔てた我家のベランダから観る「2015年(地域の)夏祭りでの花火」である。
今年は、撮影に三脚を準備する余裕がなく手摺に手で固定しての撮影である事をお断りしておきたい。
そして、画面に、青く薄い線が見えるのは架空線である。
写真をクリックして頂ければ、より良く観えると思います。
(注)実測ではない。 光と音の時間差が約2秒である事から、800m程であると思う。
朝・目覚めれば、蝉の泣き声で夏を感じ、近くの海岸でロケット花火の破裂音で、夏の夜を感じる。
三年程前までは、午前3~4時頃まで「パァーン!」という炸裂音が聞こえていた。
その後、施設が出来た。
その事で、車両で海岸の近くまで進入が出来なくなったことから、最近では暑苦しい夜の睡眠を妨げられる事は希になった。
花火師が揚げる花火も、手持ち花火も、夏の風物詩と思う。
7月26日(日)、晩酌をしていると、打上花火が勢い良く揚がった。
「えぇ! 今日かい?」と、頭脳が回った。
昨年は、子供達と伴に観たものであった。
後日「すまん!花火 終わったわ!」と断りの電話を入れた。
今日の絵日記の絵(写真)は、約1Km(注)隔てた我家のベランダから観る「2015年(地域の)夏祭りでの花火」である。
今年は、撮影に三脚を準備する余裕がなく手摺に手で固定しての撮影である事をお断りしておきたい。
そして、画面に、青く薄い線が見えるのは架空線である。
写真をクリックして頂ければ、より良く観えると思います。
(注)実測ではない。 光と音の時間差が約2秒である事から、800m程であると思う。
道端で、昔・懐かしい光景が目にとまった。
「アブラゼミ」の羽化した名残りと思われる。
アブラゼミは、幼虫の時代を地中で6年程、過ごすらしい。
そして、地中から出て、羽化し成虫となる。
成虫での寿命は1~2週間という。
”儚い命”と思うが、昆虫の中では”長寿命”らしい。
昆虫の世界にあっては、幼虫期も含め、6年の寿命は永いと云う事の様である。
我家の周辺には、大きな木立や樹木が生茂るという光景はない。
以前は、砂防林があって風情ある風景を醸しだしていたが、今はない。
個建ての家の庭にある”庭木”くらいである。
毎年、夏になると遠くの山の木々を観るだけで、樹木による清涼感も無く、余計に暑さを感じさせられている。
しかし、この様な環境にあっても「夏だよ!熱いだろう!」と忙せなげに泣いている・・・但し、午前中だけ
今朝、6時過ぎであったと思うが”クマゼミ”と思しき鳴き声で、眼が覚めた。
私を目覚めさせたかと思ったら、居なくなった。
小さな木の木陰では”熱中症”になる危険性があるとでも思ったのでしょうか?
大きな木の大きな木陰を求めて飛び立ったと思われる。
今は、時々・通る車両の音と、扇風機の羽音が聞こえる程度で、静寂の中に居る。
しかし、熱い・暑いです。
昨日「救急蘇生法の指針2010」に基づく、モーターサイクリストに対する「リスク・マネージメント」講習会が開催された。
過去において、ファーストエイド(心肺蘇生(胸骨圧迫)法であったり、AED(自動体外式除細動器)の操作)に関する講習は何度か受講している。
主催者(バイクショップ)の「より実践的な、ファーストエイド講習にする」との呼掛けで、参加した。
臨場感を得る為、実際にバイクを走らせ、バイクの転倒事故による受傷者を発見することからの学習であった。
受講者12名は、4人が1組となり、3グループを構成する。
1組が2ステージ(6場面)で学習した。
当然、各場面は異なるものであった。
走行中の視角に事故車を発見し、停止動作から、救援・救助(ファーストエイド)に至る手順を確認したり、座学で得た知識を実践する。
受講しての最大の問題点?は、身体と知識(座学など得たファーストエイドの知識)が、合体しないのである。
座学なり、実習で得た知識は、何処に行ってしまった!と体たらくな状態となってしまうのである。
”実体験する事が無い”という事は、私達の周囲には、事故者が居ない・良い環境と云える。
そして、私自身が”受傷者”にならない運転に心掛けなければならないと思うのである。
今回の受講で、事故発見から受傷者接触に至るプロセスを13の行程(*1)によりマニュアル化されている事を知った。
そして、受傷者接触で、先ず成すべき行為は「頭部確保」であること等、重く記憶に残るものであった。
今日の絵日記の絵(写真)の説明(写真・左より写真:1から写真:6とする)
写真:1 心肺停止を確認から”胸骨圧迫による救急蘇生法の学習
写真:2 AEDの操作に関する学習
写真:3 受傷者のヘルメットを外す手順を学習する。頭部確保をしながら、二名の連携で達成させられる。
写真:4 実際にバイクを走らせ、走行中に転倒車両(バイク)と受傷者を発見、停止操作から救助へのプロセス(*1)を学習。
写真:5 受傷者の状況確認(意識の確認等)から、119番・AEDの手配、交通整理など”チーム・レスキュー”を学習。
写真:6 この様な”演出”も・・! バイクから飛ばされた運転者と、バイクの近くに負傷したパッセンジャー。
2名の救助手順を、体験的に学習。
毎回、体験学習した者(4名)と、見学者の感想なり意見交換を実施し、手順の確認・問題点の検証を図った。
*1印は「救急の13ステップ」である。
①事故発見⇒②減速⇒③ウインカー・左⇒④後方確認⇒⑤安全な路側へ停車⇒⑥「ハザード」点灯⇒⑦サイドスタンド⇒⑧降車⇒⑨後続車に合図⇒⑩周囲の安全確認⇒⑪感染防御⇒⑫接近⇒⑬頭部確保
運転操作における日常的な行動である、工程の②から⑧までも、緊急時の対処策として、標準(マニュアル)化されていた。
自己防衛の観点からも、動作確認(発声よる確認等)を、運転操作の常態においても求められている様に思われた。
尚、⑨後続車に合図は、発炎筒や緊急停止機材(三角表示板)の提示であり、⑪の感染防御とは、受傷者の出血に触れるリスクを予想し、手袋(ビニル)を装着することである。
蛇足ながら、写真をクリックすると拡大し、観易く成ります。お試しあれ!
過去において、ファーストエイド(心肺蘇生(胸骨圧迫)法であったり、AED(自動体外式除細動器)の操作)に関する講習は何度か受講している。
主催者(バイクショップ)の「より実践的な、ファーストエイド講習にする」との呼掛けで、参加した。
臨場感を得る為、実際にバイクを走らせ、バイクの転倒事故による受傷者を発見することからの学習であった。
受講者12名は、4人が1組となり、3グループを構成する。
1組が2ステージ(6場面)で学習した。
当然、各場面は異なるものであった。
走行中の視角に事故車を発見し、停止動作から、救援・救助(ファーストエイド)に至る手順を確認したり、座学で得た知識を実践する。
受講しての最大の問題点?は、身体と知識(座学など得たファーストエイドの知識)が、合体しないのである。
座学なり、実習で得た知識は、何処に行ってしまった!と体たらくな状態となってしまうのである。
”実体験する事が無い”という事は、私達の周囲には、事故者が居ない・良い環境と云える。
そして、私自身が”受傷者”にならない運転に心掛けなければならないと思うのである。
今回の受講で、事故発見から受傷者接触に至るプロセスを13の行程(*1)によりマニュアル化されている事を知った。
そして、受傷者接触で、先ず成すべき行為は「頭部確保」であること等、重く記憶に残るものであった。
今日の絵日記の絵(写真)の説明(写真・左より写真:1から写真:6とする)
写真:1 心肺停止を確認から”胸骨圧迫による救急蘇生法の学習
写真:2 AEDの操作に関する学習
写真:3 受傷者のヘルメットを外す手順を学習する。頭部確保をしながら、二名の連携で達成させられる。
写真:4 実際にバイクを走らせ、走行中に転倒車両(バイク)と受傷者を発見、停止操作から救助へのプロセス(*1)を学習。
写真:5 受傷者の状況確認(意識の確認等)から、119番・AEDの手配、交通整理など”チーム・レスキュー”を学習。
写真:6 この様な”演出”も・・! バイクから飛ばされた運転者と、バイクの近くに負傷したパッセンジャー。
2名の救助手順を、体験的に学習。
毎回、体験学習した者(4名)と、見学者の感想なり意見交換を実施し、手順の確認・問題点の検証を図った。
*1印は「救急の13ステップ」である。
①事故発見⇒②減速⇒③ウインカー・左⇒④後方確認⇒⑤安全な路側へ停車⇒⑥「ハザード」点灯⇒⑦サイドスタンド⇒⑧降車⇒⑨後続車に合図⇒⑩周囲の安全確認⇒⑪感染防御⇒⑫接近⇒⑬頭部確保
運転操作における日常的な行動である、工程の②から⑧までも、緊急時の対処策として、標準(マニュアル)化されていた。
自己防衛の観点からも、動作確認(発声よる確認等)を、運転操作の常態においても求められている様に思われた。
尚、⑨後続車に合図は、発炎筒や緊急停止機材(三角表示板)の提示であり、⑪の感染防御とは、受傷者の出血に触れるリスクを予想し、手袋(ビニル)を装着することである。
蛇足ながら、写真をクリックすると拡大し、観易く成ります。お試しあれ!
退職を機に立志した”バイクで全国周遊を!”も、大詰めを迎えた感がある。
全国周遊の”証”として、全国に点在し、概ね県庁所在地に所在する”バイク・ショップを訪問すると言う、目標を設定している。
そのバイク・ショップ訪問は、一種のスタンプ・ラリーである。
スタンプは、ショップの所在する地域の特徴なり特質を表現していて、味わいのあるものとなっている。
大阪・広島・愛媛の、3府県を残すまでになった今年は、大阪府・市と愛媛県のショップ訪問を終えた。
大阪のショップ訪問の様子については、先に日記(「2015年7月13日の事」(2015.7.17)他 )としている。
愛媛県のショップは、松山自動車道・松山ICから、国道33号線で3Km程・高知県方向にある、愛媛県唯一(プログラム適用)の「ブルー・パンサー」である。
今年6月、訪問を果たしたところ、7月に至って「バッグ」が贈られてきた。
「ディラー・スタンプ」と言うプログラムの、100店舗目の訪問で、贈呈される記念の品物であった。
この「ブルー・パンサー」が丁度・100店舗目であった様である。
何か歴史になる証が欲しいと、図々しくも”サイン”をお願いした。
当たって砕けろ! 駄目で元々!の気持ちであった。
しかし、私の願いを、快く良く、叶えて頂いた。
そして、本日(7月26日)・受領させて頂いた。
今日の絵日記の絵(写真)は、ショップ(ディラー)訪問プログラムのエンブレムと、記念のバッグ、そして、頂いた「サイン」である。
ディラー・スタンプ・プログラムで、100店舗目の訪問を果たした記念品に、その証と成る記念のサインが加わった”記念品”となった。
全国周遊の”証”として、全国に点在し、概ね県庁所在地に所在する”バイク・ショップを訪問すると言う、目標を設定している。
そのバイク・ショップ訪問は、一種のスタンプ・ラリーである。
スタンプは、ショップの所在する地域の特徴なり特質を表現していて、味わいのあるものとなっている。
大阪・広島・愛媛の、3府県を残すまでになった今年は、大阪府・市と愛媛県のショップ訪問を終えた。
大阪のショップ訪問の様子については、先に日記(「2015年7月13日の事」(2015.7.17)他 )としている。
愛媛県のショップは、松山自動車道・松山ICから、国道33号線で3Km程・高知県方向にある、愛媛県唯一(プログラム適用)の「ブルー・パンサー」である。
今年6月、訪問を果たしたところ、7月に至って「バッグ」が贈られてきた。
「ディラー・スタンプ」と言うプログラムの、100店舗目の訪問で、贈呈される記念の品物であった。
この「ブルー・パンサー」が丁度・100店舗目であった様である。
何か歴史になる証が欲しいと、図々しくも”サイン”をお願いした。
当たって砕けろ! 駄目で元々!の気持ちであった。
しかし、私の願いを、快く良く、叶えて頂いた。
そして、本日(7月26日)・受領させて頂いた。
今日の絵日記の絵(写真)は、ショップ(ディラー)訪問プログラムのエンブレムと、記念のバッグ、そして、頂いた「サイン」である。
ディラー・スタンプ・プログラムで、100店舗目の訪問を果たした記念品に、その証と成る記念のサインが加わった”記念品”となった。
2015年7月12日、兵庫県神戸市において”中学校入学60周年同窓会”が開催された。
約200名・居た同窓生の多くは、地元での就職組である。
就職、若しくは結婚等により、関西圏等に在住者も居る。
先の”古希を祝う同窓会”で「次回(中学校入学60周年)の同窓会は関西で!」と、地元に継ぐ”勢力”を有する関西圏の意向もあり、衆議し,決めていた。
そして、関西圏に在住する人たちの、お世話役で開催されたのが、今次の同窓会であった。
私は、同窓会が始まる前に、チェックインし、入浴を済ませ、準備を整えた。
時間的には、余裕は無かった。
記念写真を撮るという指定された場所に行くと、バスをチャーターして駆けつけた、所謂・地元(中学校所在の)組も揃っていた。
しかし、炎天下、宿泊組の一名を待つ事暫し。
よく見かける学校等の集合写真の様に「後で、撮影し、丸い写真を点けておけ!」と言う野次もあった。
本人が現れ、懐かしさや・冷やかしの気持ちでの”悪口・雑言”の中、写真に納まっていた。
宴会場に移動し、幹事役の挨拶や乾杯のセレモニーがあり、開宴となった。
その後、司会者の”独断と偏見”で、指名されたモノが、近況を話す場面となった。
この中で、特に記憶に残った話しは
70歳を過ぎて、今も”国語講師”をしている者。
関西圏の銀行の支店長を経歴した後に退職し、奥さんを”留学(妻子はアメリカ)”させているいうツワモノ。
イチゴ栽培を改良し(1箱・幾らではなく)一粒単位での販売とまでなった、苦労・努力の話し。
海外への単身赴任で”白髪”となった話し(日記「玉置浩二・コンサート(2015.07.19)」)
であろうか!
「それで・君(ふくちゃん)はなにしたの!」ですか?
事あれば対応すべし!と、手持ちのCD(中村 美津子・ちあき なおみ)を聞いて、練習した”遭いたかったぜ”を二次会で、唄ったよ!
聞いていた人はどうかは知らないが、気分よく唄えたので、私は満足でした。
今日の絵日記の絵(写真)は、炎天下で集合写真を撮った場所と、バージョン・アップされた(日記「古き善き幼き時の友(2013.01.22)」の初演?に比して=この項・加筆)”演技”で、手品ショーを披露する様子とします。
絵描きが下手でスミマセン。雰囲気だけでも感じて頂ければと思います。
蛇足:より話しの時系列を正す為に、補完しておきたい。
I 君の”白髪”の話しは、受付で引いた席順のグループが同じで、隣合せとなった。
3年前の、古希を祝う同窓会でも再会していたが、(白髪に関して)聞き出す勇気がなかった。
そして、今回・同席する機会を得て聞く事が出来た。
その後、司会者からの指名で登壇すると「(髪は)染めたのか?」との野次に応えた事であった。
約200名・居た同窓生の多くは、地元での就職組である。
就職、若しくは結婚等により、関西圏等に在住者も居る。
先の”古希を祝う同窓会”で「次回(中学校入学60周年)の同窓会は関西で!」と、地元に継ぐ”勢力”を有する関西圏の意向もあり、衆議し,決めていた。
そして、関西圏に在住する人たちの、お世話役で開催されたのが、今次の同窓会であった。
私は、同窓会が始まる前に、チェックインし、入浴を済ませ、準備を整えた。
時間的には、余裕は無かった。
記念写真を撮るという指定された場所に行くと、バスをチャーターして駆けつけた、所謂・地元(中学校所在の)組も揃っていた。
しかし、炎天下、宿泊組の一名を待つ事暫し。
よく見かける学校等の集合写真の様に「後で、撮影し、丸い写真を点けておけ!」と言う野次もあった。
本人が現れ、懐かしさや・冷やかしの気持ちでの”悪口・雑言”の中、写真に納まっていた。
宴会場に移動し、幹事役の挨拶や乾杯のセレモニーがあり、開宴となった。
その後、司会者の”独断と偏見”で、指名されたモノが、近況を話す場面となった。
この中で、特に記憶に残った話しは
70歳を過ぎて、今も”国語講師”をしている者。
関西圏の銀行の支店長を経歴した後に退職し、奥さんを”留学(妻子はアメリカ)”させているいうツワモノ。
イチゴ栽培を改良し(1箱・幾らではなく)一粒単位での販売とまでなった、苦労・努力の話し。
海外への単身赴任で”白髪”となった話し(日記「玉置浩二・コンサート(2015.07.19)」)
であろうか!
「それで・君(ふくちゃん)はなにしたの!」ですか?
事あれば対応すべし!と、手持ちのCD(中村 美津子・ちあき なおみ)を聞いて、練習した”遭いたかったぜ”を二次会で、唄ったよ!
聞いていた人はどうかは知らないが、気分よく唄えたので、私は満足でした。
今日の絵日記の絵(写真)は、炎天下で集合写真を撮った場所と、バージョン・アップされた(日記「古き善き幼き時の友(2013.01.22)」の初演?に比して=この項・加筆)”演技”で、手品ショーを披露する様子とします。
絵描きが下手でスミマセン。雰囲気だけでも感じて頂ければと思います。
蛇足:より話しの時系列を正す為に、補完しておきたい。
I 君の”白髪”の話しは、受付で引いた席順のグループが同じで、隣合せとなった。
3年前の、古希を祝う同窓会でも再会していたが、(白髪に関して)聞き出す勇気がなかった。
そして、今回・同席する機会を得て聞く事が出来た。
その後、司会者からの指名で登壇すると「(髪は)染めたのか?」との野次に応えた事であった。
九州北部と東北地方を除いて”梅雨明け”したとの報道(気象庁発表)があった。
九州北部は、隣接する中国・四国地方が梅雨明けしたにも関わらず、取り残された感がある。
台風が過ぎ去ると、一気に”梅雨明け”なるのでしょう。
そして、交わす言葉は「熱いねぇ!」「たまらんなぁ!」の、一色に成るのでしょうね!
メキシコ・ペルー沖の海水温度が低く、冷夏になるとの、当初の予想が、大いに狂った事になる。
真夏日&熱帯夜が、暫くは続くという、今後の予報に、気分的にも”熱気”を感じるし、戦々恐々としている。。
クーラーの無い我が家において、クーラーが欲しい!と熱望する日数が、如何程(続く)か?
”喉もと過ぎれば・・・・・”と、例年の様に凌げれば(良いのになぁ!)、と思う。
しかし、此れからが”夏・本番”である。
気合をいれて、今夏の暑さを乗り切るぞぉ!!
九州北部は、隣接する中国・四国地方が梅雨明けしたにも関わらず、取り残された感がある。
台風が過ぎ去ると、一気に”梅雨明け”なるのでしょう。
そして、交わす言葉は「熱いねぇ!」「たまらんなぁ!」の、一色に成るのでしょうね!
メキシコ・ペルー沖の海水温度が低く、冷夏になるとの、当初の予想が、大いに狂った事になる。
真夏日&熱帯夜が、暫くは続くという、今後の予報に、気分的にも”熱気”を感じるし、戦々恐々としている。。
クーラーの無い我が家において、クーラーが欲しい!と熱望する日数が、如何程(続く)か?
”喉もと過ぎれば・・・・・”と、例年の様に凌げれば(良いのになぁ!)、と思う。
しかし、此れからが”夏・本番”である。
気合をいれて、今夏の暑さを乗り切るぞぉ!!
南北に長い、日本列島。
今年の梅雨の明け方が変である。
一般的に、南から北に向け、順番の様に思っていた。
九州の北部と四国の梅雨明けは未だの様で、関東甲信越は「梅雨が明けた模様!」と、過日・発表があった。
中国地方も”山口県”を残した時期もあった。
今年の、入梅の時期を調べてみた。
沖縄から順次、東北地方へと入梅していた様であった。
入梅と梅雨明けに、関連性は無いと思うが、自然の差配なのでしょう。
まだまだ、未知なることの多い自然界である。
今年の梅雨の明け方が変である。
一般的に、南から北に向け、順番の様に思っていた。
九州の北部と四国の梅雨明けは未だの様で、関東甲信越は「梅雨が明けた模様!」と、過日・発表があった。
中国地方も”山口県”を残した時期もあった。
今年の、入梅の時期を調べてみた。
沖縄から順次、東北地方へと入梅していた様であった。
入梅と梅雨明けに、関連性は無いと思うが、自然の差配なのでしょう。
まだまだ、未知なることの多い自然界である。
先に、玉置浩二のコンサートに行った事は、日記にした。
このコンサートで、表題の「I LOVE YOU」が唄われた。
その時、尾崎 豊ではなく、玉置浩二(安全地帯)の楽曲だったんだ!?と思った。
しかし、今日に至って、何故か釈然としない。
歌詞の中に”きしむベッドの上で二人は・・”と言う強烈なフレーズがある。
私が、始めてこの楽曲を知ったのは「北の国から」である。
何時の”北の国から”かについては、記憶は無かった。
世は便利になったモノである。
「きしむベッドで二人は」で検索する。
尾崎 豊の楽曲で「I LOVE YOU」であることが分った。
そして、今度は「北の国から・I LOVE YOU」で検索する。
北の国から・1987年”初恋”で使われた楽曲である事が分った。
ドラマ(北の国から)と、ライブでの歌唱の”差”は感じていた。
それは、(玉置浩二が歌っていたとしても)歌唱方法の熟練度によるもの!と、一途に思った。
だって、30年程、経っているから・・・
誰の楽曲であったのかについての迷いは有ったが、尾崎 豊 の楽曲であったことも理解した。
そして、どの場面で使われたか、最後の気掛かりを解消する為、再視聴してみようと思う。
黒板 純 君の初恋の人・大里 れいちゃんも、印象的であった事が思い出される。
斯くいう私は、放映された当時・40歳代前半の”若者”でした。
このコンサートで、表題の「I LOVE YOU」が唄われた。
その時、尾崎 豊ではなく、玉置浩二(安全地帯)の楽曲だったんだ!?と思った。
しかし、今日に至って、何故か釈然としない。
歌詞の中に”きしむベッドの上で二人は・・”と言う強烈なフレーズがある。
私が、始めてこの楽曲を知ったのは「北の国から」である。
何時の”北の国から”かについては、記憶は無かった。
世は便利になったモノである。
「きしむベッドで二人は」で検索する。
尾崎 豊の楽曲で「I LOVE YOU」であることが分った。
そして、今度は「北の国から・I LOVE YOU」で検索する。
北の国から・1987年”初恋”で使われた楽曲である事が分った。
ドラマ(北の国から)と、ライブでの歌唱の”差”は感じていた。
それは、(玉置浩二が歌っていたとしても)歌唱方法の熟練度によるもの!と、一途に思った。
だって、30年程、経っているから・・・
誰の楽曲であったのかについての迷いは有ったが、尾崎 豊 の楽曲であったことも理解した。
そして、どの場面で使われたか、最後の気掛かりを解消する為、再視聴してみようと思う。
黒板 純 君の初恋の人・大里 れいちゃんも、印象的であった事が思い出される。
斯くいう私は、放映された当時・40歳代前半の”若者”でした。
子供から「玉置浩二コンサート」のチケットを贈られた。
グループ「安全地帯」を含め、音源(レコード・CD等)の所有はない。
それ程の関心は無かったと言う事になる。
コンサートが始まって、観衆(聴衆)と一体となった・エキサイティングなライブに圧倒された。
安全地帯と言うグループなり、玉置浩二に、関心を持った事は、確かである。
パフォーマンスを繰り広げる玉置浩二の頭髪を観て、先の同窓会で親しく語り合った友・I 君を、思い出していた。
I 君は、体育も学習も両立出来た、一種・憧れの学友であった。
高校は、所謂・強電を専修する工業高校であった。
此処までは、私にも記憶はある。
卒業後、鉱山会社に入社し、家族が出来た時代に海外赴任となったとのこと。
家族を、社宅に置いての単身赴任であったらしい。
生活習慣や生活環境、言語の違いによる会話不足がストレスとなり、黒毛が一気に白髪となった、と言う。
「I よ!(白髪が綺麗だが)染めているの?」と、聞いた返事であった。
「現地人達と、蛇(日本では考えられない大きさ)やサソリと云った毒虫のいる環境での生活は、過酷を極めた」と語ってくれた。
私も、成れない仕事から、脱毛に看まわれ事がある。
私の場合は、二年間という就業期間に助けられ、致命的に進行する事は、なかったのである。
ストレスで”白髪になるか””脱毛するか”は、個人によって異なるでしょう。
玉置浩二の頭髪が、如何(自然&染め)なるものかは知らない。
しかし、I 君の話しを思い出させた”綺麗な白髪”と思った”玉置浩二”の頭髪であった。
グループ「安全地帯」を含め、音源(レコード・CD等)の所有はない。
それ程の関心は無かったと言う事になる。
コンサートが始まって、観衆(聴衆)と一体となった・エキサイティングなライブに圧倒された。
安全地帯と言うグループなり、玉置浩二に、関心を持った事は、確かである。
パフォーマンスを繰り広げる玉置浩二の頭髪を観て、先の同窓会で親しく語り合った友・I 君を、思い出していた。
I 君は、体育も学習も両立出来た、一種・憧れの学友であった。
高校は、所謂・強電を専修する工業高校であった。
此処までは、私にも記憶はある。
卒業後、鉱山会社に入社し、家族が出来た時代に海外赴任となったとのこと。
家族を、社宅に置いての単身赴任であったらしい。
生活習慣や生活環境、言語の違いによる会話不足がストレスとなり、黒毛が一気に白髪となった、と言う。
「I よ!(白髪が綺麗だが)染めているの?」と、聞いた返事であった。
「現地人達と、蛇(日本では考えられない大きさ)やサソリと云った毒虫のいる環境での生活は、過酷を極めた」と語ってくれた。
私も、成れない仕事から、脱毛に看まわれ事がある。
私の場合は、二年間という就業期間に助けられ、致命的に進行する事は、なかったのである。
ストレスで”白髪になるか””脱毛するか”は、個人によって異なるでしょう。
玉置浩二の頭髪が、如何(自然&染め)なるものかは知らない。
しかし、I 君の話しを思い出させた”綺麗な白髪”と思った”玉置浩二”の頭髪であった。
今日は金曜日、スポーツ・ジムに行く。
そして、通常のメニューを消化し、何時もの様に入浴した。
サウナを利用する為、通常通り、大目の水分補給をする事は忘れていない。
運動の汗を流し、浴槽に入る。
腕を風呂の”湯”につけた。
その途端、日焼けした両腕に”異変”が起きた。
無数の小さな衝撃は伝わってきた。
よく観ると、小さな水泡が腕一面に”吹き出た”と言う感覚であった。
お湯に腕を漬ける事も、はばかり、早々に浴槽から出た。
サウナの利用も、今日は止めた。
シャワーの冷水を腕にかけ、冷やす事に、暫く専念した。
水泡が出来た腕の部分を除き、耐えられる冷水で洗身(ソープ)した。
今日の様に、一気にして、微細な衝撃を伴った、水泡が出来たのは、初めての経験であり、驚いた。
水泡の原因は、関西方面へのツーリングに半袖で運転した報いであった。
外気が余りにも熱く、渋滞でエンジンの熱気を直接受けて、タブーと思ったものの、長袖のライディング・ウェアーを脱いでの行程であった。
そして、通常のメニューを消化し、何時もの様に入浴した。
サウナを利用する為、通常通り、大目の水分補給をする事は忘れていない。
運動の汗を流し、浴槽に入る。
腕を風呂の”湯”につけた。
その途端、日焼けした両腕に”異変”が起きた。
無数の小さな衝撃は伝わってきた。
よく観ると、小さな水泡が腕一面に”吹き出た”と言う感覚であった。
お湯に腕を漬ける事も、はばかり、早々に浴槽から出た。
サウナの利用も、今日は止めた。
シャワーの冷水を腕にかけ、冷やす事に、暫く専念した。
水泡が出来た腕の部分を除き、耐えられる冷水で洗身(ソープ)した。
今日の様に、一気にして、微細な衝撃を伴った、水泡が出来たのは、初めての経験であり、驚いた。
水泡の原因は、関西方面へのツーリングに半袖で運転した報いであった。
外気が余りにも熱く、渋滞でエンジンの熱気を直接受けて、タブーと思ったものの、長袖のライディング・ウェアーを脱いでの行程であった。
快い目覚めを、神戸市のホテルで迎えた。
今日、訪問を予定している最初のショップの営業時間は、10時からである。
ホテルを、9時に出発することとした。
朝食の為、食堂?に行く。
昨夜からの泊り組も食事中であった。
8時半となって、チェック・アウトする。
そして、同窓生と「また、お遭いしましょう!」と挨拶を交わした。
「台風の影響で列車が止まりそう!との情報で、急ぎ帰宅すべくシャトル・バス(ホテルとJRの最寄駅間の連絡バス)に乗り込んで行った。
私の、今日の行程は、大阪・心斎橋近隣のホテルまでにショップ訪問を果たすことである。
バイクのナビに「目的地」を設定するため、電話番号を入力したが「未登録」との、つれない返事が返ってきた。
地図の概略を記憶していたことから、地図上に設定しようと試みた。
ホテルの”印”である”〇にH”が無数に現れて(埋め尽くされて)地図が地図でなくなっている。
ホテルの印を消そうとするが、操作方法が分らない。
その昔、聞き覚えに覚えた風刺川柳”カーナビを使える頃は道覚え”が思い出されていた。
太陽は、元気に”今日は暑くしてやるからな!”と顔を出している。
ショップを目的地に設定し、出立する。
各所で渋滞をしている。
停車すれば”ドバッと汗が吹き出る。
「10時前に到着しても、開店を待てば良い!と思っていたが、大阪府の最初のショップに到着したのは、11時を過ぎていた。
訪問ルートのシュミレーションで、大阪府から京都府へ。
そして、滋賀県の残り(彦根市)を回って、京都府から大阪府に戻り、大阪市内を回ってホテルへ・・・と言うルート構成を考えていた。
琵琶湖大橋を経由して、彦根市に向うコースをとった。
やはり、渋滞を繰り返している。
このまま、計画どおり進行すると、ホテル到着は19時を過ぎると判断した。
滋賀県彦根市は、次回にした。
次に訪問した(京都府の二番目)ショップで椅子と机を借用する。
ホテルに電話をして、住所を確認した。
そして、今日の最終目的地(ホテル)の設定を、住所検索で設定を行った。
中止した彦根市と、明日・訪問予定の大阪府の一店舗を除き、予定していた訪問を果たす事が出来た。
ホテルまでの途中、大阪城・大阪府庁舎を訪れ、カメラに映像を収めた。
住所検索で設定した目的地に近づき「到着しました。音声案内を終了します」と、冷たく言い放すではないか・・・!
周囲を見渡しても看板なりの表示が見当たらない。
「もう少し親切に案内しろよ!・薄情だよね!」と思った。
一方通行や進入禁止が多い、中心地である。
これ以上、案内しないと見放された私としては、バイクを路肩に停め、徒歩で探して回るしかなかった。
結果的には「(ナビよ)お前は偉い!サンキュウ!」と言わしめた。
目の前の路地を右に回って見上げると、探す看板はあったのである。
チェックインを済ませ、指定された部屋に入った。
冷房の設定温度を低めに設定し、充分な水分補給、身体の熱気の除去に勤めた。
今日の絵日記の絵(写真)は、左から、路の上にも路がある大阪の街。 写真・中は、1924年に建設されたという大阪府知事の公邸。そして、大阪城・天守閣である。
今日、訪問を予定している最初のショップの営業時間は、10時からである。
ホテルを、9時に出発することとした。
朝食の為、食堂?に行く。
昨夜からの泊り組も食事中であった。
8時半となって、チェック・アウトする。
そして、同窓生と「また、お遭いしましょう!」と挨拶を交わした。
「台風の影響で列車が止まりそう!との情報で、急ぎ帰宅すべくシャトル・バス(ホテルとJRの最寄駅間の連絡バス)に乗り込んで行った。
私の、今日の行程は、大阪・心斎橋近隣のホテルまでにショップ訪問を果たすことである。
バイクのナビに「目的地」を設定するため、電話番号を入力したが「未登録」との、つれない返事が返ってきた。
地図の概略を記憶していたことから、地図上に設定しようと試みた。
ホテルの”印”である”〇にH”が無数に現れて(埋め尽くされて)地図が地図でなくなっている。
ホテルの印を消そうとするが、操作方法が分らない。
その昔、聞き覚えに覚えた風刺川柳”カーナビを使える頃は道覚え”が思い出されていた。
太陽は、元気に”今日は暑くしてやるからな!”と顔を出している。
ショップを目的地に設定し、出立する。
各所で渋滞をしている。
停車すれば”ドバッと汗が吹き出る。
「10時前に到着しても、開店を待てば良い!と思っていたが、大阪府の最初のショップに到着したのは、11時を過ぎていた。
訪問ルートのシュミレーションで、大阪府から京都府へ。
そして、滋賀県の残り(彦根市)を回って、京都府から大阪府に戻り、大阪市内を回ってホテルへ・・・と言うルート構成を考えていた。
琵琶湖大橋を経由して、彦根市に向うコースをとった。
やはり、渋滞を繰り返している。
このまま、計画どおり進行すると、ホテル到着は19時を過ぎると判断した。
滋賀県彦根市は、次回にした。
次に訪問した(京都府の二番目)ショップで椅子と机を借用する。
ホテルに電話をして、住所を確認した。
そして、今日の最終目的地(ホテル)の設定を、住所検索で設定を行った。
中止した彦根市と、明日・訪問予定の大阪府の一店舗を除き、予定していた訪問を果たす事が出来た。
ホテルまでの途中、大阪城・大阪府庁舎を訪れ、カメラに映像を収めた。
住所検索で設定した目的地に近づき「到着しました。音声案内を終了します」と、冷たく言い放すではないか・・・!
周囲を見渡しても看板なりの表示が見当たらない。
「もう少し親切に案内しろよ!・薄情だよね!」と思った。
一方通行や進入禁止が多い、中心地である。
これ以上、案内しないと見放された私としては、バイクを路肩に停め、徒歩で探して回るしかなかった。
結果的には「(ナビよ)お前は偉い!サンキュウ!」と言わしめた。
目の前の路地を右に回って見上げると、探す看板はあったのである。
チェックインを済ませ、指定された部屋に入った。
冷房の設定温度を低めに設定し、充分な水分補給、身体の熱気の除去に勤めた。
今日の絵日記の絵(写真)は、左から、路の上にも路がある大阪の街。 写真・中は、1924年に建設されたという大阪府知事の公邸。そして、大阪城・天守閣である。
この日は、神戸市垂水区のホテルで開催される「同窓会」に行く日である。
バイクのツアーバックに”背広”を収納し、同窓会出席の準備とする。
10時少し前に自宅を出る。
雨対策をしての出立である。
高速道を走行していると予想していたとおり、降雨となった。
顔に当たる雨粒が痛い。
100kmを走行したあたりから雨はあがった。
昼食時に雨具を脱いだ。
兵庫県で残るショップの訪問も終え、鈴蘭台から垂水区の会場に向った。
途中、衣料スーパーでワイシャツを購入する。
持参したワイシャツに汚れがあったことから”新調”した。
15時過ぎ、会場でもあり、今日・宿泊するホテルに到着する。
受付を済ませる。
「15時50分から記念写真を撮る」との指示を受け、取りあえずシャワーをし、着替えをすませ、指定された場所に集合する。
和気藹々と記念撮影もおわり、宴会場に移動する。
32名(二割弱)が集まり、中学校に入学して60年の節目の”同窓会”が始まった。
参加できなかった同窓生からのメッセージの紹介があった。
”老老介護”や家族介護が理由で参加出来ない現実があった。
二次会は、カラオケ・ルームであった。
残念ながら人数の関係から”全員集合”とはならなかった。
二部屋に分散しての二次会であった。
「お前!音楽の成績(5段階)2だったのに上手いのぉ!」何て云う”冷やかしにも負けじと、唄い続けるツワモノ達である。
やがて、散会の時間となり、宿泊組の5名の見送りをうけ、夫々に帰宅していった。
宿泊組の我々は、就寝には早いと、最上階のラウンジで暫しの語らいを楽しんだ。
”中身の濃い”一日であった。
バイクのツアーバックに”背広”を収納し、同窓会出席の準備とする。
10時少し前に自宅を出る。
雨対策をしての出立である。
高速道を走行していると予想していたとおり、降雨となった。
顔に当たる雨粒が痛い。
100kmを走行したあたりから雨はあがった。
昼食時に雨具を脱いだ。
兵庫県で残るショップの訪問も終え、鈴蘭台から垂水区の会場に向った。
途中、衣料スーパーでワイシャツを購入する。
持参したワイシャツに汚れがあったことから”新調”した。
15時過ぎ、会場でもあり、今日・宿泊するホテルに到着する。
受付を済ませる。
「15時50分から記念写真を撮る」との指示を受け、取りあえずシャワーをし、着替えをすませ、指定された場所に集合する。
和気藹々と記念撮影もおわり、宴会場に移動する。
32名(二割弱)が集まり、中学校に入学して60年の節目の”同窓会”が始まった。
参加できなかった同窓生からのメッセージの紹介があった。
”老老介護”や家族介護が理由で参加出来ない現実があった。
二次会は、カラオケ・ルームであった。
残念ながら人数の関係から”全員集合”とはならなかった。
二部屋に分散しての二次会であった。
「お前!音楽の成績(5段階)2だったのに上手いのぉ!」何て云う”冷やかしにも負けじと、唄い続けるツワモノ達である。
やがて、散会の時間となり、宿泊組の5名の見送りをうけ、夫々に帰宅していった。
宿泊組の我々は、就寝には早いと、最上階のラウンジで暫しの語らいを楽しんだ。
”中身の濃い”一日であった。