
昨夜、ライブ映像を観ている時に、娘が久し振りに帰ってきた。
「(音が)大きい!」と云う。
まぁ、久し振りであり、話しもあることからVR(音量)を下げた。
満足出来る音量で聴いている時は、時間帯や気象状況で自宅外に漏れる音量を確認している。
健康診断や自己の症状から”耳が遠くなった”とは感じていない。
音量は、適度が良いのであって、屋外で明瞭に聞き取れる過度はいけない。
適度とは”臨場感”と云うか、身体に響き渡る感じと云うものが欲しいと思うのである。
ベースの音が身体にズシッと風圧を感じる時や、今井 美樹や柴崎 コウ・TRFの女性ボーカルの美しい高音が再現出来た時などは何とも云えない満足感を味わうのである。
”オーディオは魔物”と云う。
だんだん深みにはまって、抜け出せなくなるという。
友人(元 仕事仲間)の、K氏曰く「他人の”音”に接すると自分のものの欠点が目(耳)につく。
しかし、自宅で暫く聞いていると馴染んできて”良いじゃん!”と思う様になる」と云う。
このあたりが”魔物”という所以であろうか・・・・??
私は、現有のシステムに満足している、と云わなければならない環境下ですが・・・
真空管のアンプの時代はハム音(雑音)が気になっていたが、いま使っているアンプ(自作)はこの嫌なハム音(交流電源の”ブーン”と言う不快な低い音)が無く心地よく聞いている。
音源は、数少ないDVDやCDのコレクションに加え、レコードをディジタル化し、パソコンに記録したものを聞いている。
大切に扱ってきたレコード盤はディジタル化しても楽しめて聞くことが出来るレベルと、私は思っている。
200枚に余るLPレコードの音源はパソコンに記録した。
圧巻(私が思う)は、義兄から譲り受けた40年~50年代の「EP盤」(45回転シングル・レコード盤)60枚余り(120曲以上)をディジタル化したものであると思う。
レコード盤をディジタル化したものを聞いていると、レコードならではの”プッツ!プッツ!”音がはいることでアナログ感覚を味わうことが出来る。
即ち、レコード・プレイヤーで聴いている感覚である。
くわえて、BGM的に聞いているとき等は、裏返す面倒な操作の必要もなく、連続的に聴くことができ快適である。
今日の絵日記の絵(写真)は、久し振りに帰宅した娘が「あれ!スピーカーが新しくなっている」と、指摘したスピーカーユニットとします。
このスピーカーは友人(バイク仲間)K氏から頂いたスピーカー・ユニットの高音用(日記「愉しみ(2013.02.19)」)に木材を切り抜き積層にして造ったケースに収めたものである。
唐突であるが、美味しい”親子丼”が食べたくてレシピを調べ挑戦している。
既成の出汁でなく出汁づくりからの始まりであった。
具材も干し椎茸や三つ葉を加えるもので、以前からのすき焼に”毛”が生えた様なものでなく、私にとって本格的と云えるものである。
何度か挑戦するうちに「旨い!」と感じるまでに完成度が向上してきた。
しかし、最後の卵を加える工程が上手くいかない。
”フワッと”した出来上がりにならないのである。
鍋が悪い!との思いがつのり「親子鍋」なるもを購入した。
さぁ、今度は上手くいく!と意気込んで造ってみた。
鍋の性ではないことに気付かされた。
此れからも精進して完成度を揚げたいと思う買い物であった。
既成の出汁でなく出汁づくりからの始まりであった。
具材も干し椎茸や三つ葉を加えるもので、以前からのすき焼に”毛”が生えた様なものでなく、私にとって本格的と云えるものである。
何度か挑戦するうちに「旨い!」と感じるまでに完成度が向上してきた。
しかし、最後の卵を加える工程が上手くいかない。
”フワッと”した出来上がりにならないのである。
鍋が悪い!との思いがつのり「親子鍋」なるもを購入した。
さぁ、今度は上手くいく!と意気込んで造ってみた。
鍋の性ではないことに気付かされた。
此れからも精進して完成度を揚げたいと思う買い物であった。

先週、日曜日(21日)に60名程のバイク仲間でツーリングを行った
前日までの降雨確率50%に反し、当日は薄日が射す天候となった。
この薄日の性か”鼻”の先が日焼けしている事を帰宅して洗顔中に発見した。
「やはり顔のパーツの中で鼻が高いのか!?」と再発見し、思わず苦笑した。
この日、防寒対策をしていないライダーも居た。
寒かったのではなかったかと思う。
私は、帰宅途中の16時頃、指先が冷たくなっていることからクリップ・ヒータをONにした。
これで指先は改善されたが、30分程、走行したところで身体に寒さを感じ、準備してきた下着を着込んだ。
この時期、暑くもなく・寒過ぎることもない良いツーリングの季節であるが、厚着で出掛ける方が無難であると思う。
暑ければ脱げば体温の調整は可能である。
出掛けの「寒くては!」と、判断できた余裕が、良かったと思えるツーリングであった。
その日の気分で聴く楽曲は異なる。
今は、幾度と無く聴いている「ザ・ピーナッツ」のアルバムである。
姉妹・二人のハーモニーが好きで、今も聴いている。
聴きながらNETのニュースで、俳優・三国 連太郎が死去したことを知った。
芸能人(俳優)という仕事は大変だなぁ!と三国 連太郎 訃報を知って思った。
役(物語の)イコールその人なりではないことを改めて思ったのである。
私の中では”印象の悪い俳優”という思いがあった。
しかし「釣りバカ日誌」で演じる”スーさん”は愛嬌のある老経営者として好感が持てて、私の持っていた”三国 連太郎という俳優の印象を新たにするものであった。
役者としての役造りの連続性は必要で、ある時は”善人”またあるときは”悪人”ではダメなのでしょう。
近年、幼少期よりTVの普及で知った著名人(芸人や役者さん等)の訃報が目に付くようになった。
何年程前からか?と問われると困るが、最近では著名人の訃報をニュース等で知ると「えぇ!死んだんか」と云う、感慨深い思いが付くようになった。
今より若かりし頃には、この様な感情はうまれて来なかった様に思う。
中学生頃からTVが普及し始めて「ダイラケびっくり捕り物帳」や「時間ですよ」等で知った森 光子.
「てなもんや三度笠」の藤田 まこと、「事件記者」の山田 吾一、「北の国から」大滝 秀治・地井 武男、歌手の尾崎 紀世彦 等々、何だか格好付けるようであるが”(私の)時代とともに生きてきた”というか、映像や楽曲と通じて永く親しんできた(私からの一方的)ことによって「えぇ!あの人が・・死んだか!」と感慨深い気持ちを抱かせるのであろうか?
ザ・ピーナッツの双子の姉妹である「伊藤 エミ」が死去したことは、やはりNETで知った。
芸能活動から離れていたことからか、極めて静かな雰囲気のなかで知ったように思う。
恥ずかしながら、私はザ・ピーナッツにファン・レターを書いたこともあった。
最初で最後の、経験であった。
高校生になって、オーディオに興味を持って、バイト代を注ぎ込み、AMPを組み立て、数少ないレコードのラテン音楽やザ・ピーナッツの楽曲を聴く毎日であった。
伊藤 エミさん(ザ・ピーナッツ 双子の姉)の訃報を知った時、結婚をし、離婚したこと、そして晩年はどの様であったのかと要らぬ気遣いをした日も一年になろうとしている。
今は、幾度と無く聴いている「ザ・ピーナッツ」のアルバムである。
姉妹・二人のハーモニーが好きで、今も聴いている。
聴きながらNETのニュースで、俳優・三国 連太郎が死去したことを知った。
芸能人(俳優)という仕事は大変だなぁ!と三国 連太郎 訃報を知って思った。
役(物語の)イコールその人なりではないことを改めて思ったのである。
私の中では”印象の悪い俳優”という思いがあった。
しかし「釣りバカ日誌」で演じる”スーさん”は愛嬌のある老経営者として好感が持てて、私の持っていた”三国 連太郎という俳優の印象を新たにするものであった。
役者としての役造りの連続性は必要で、ある時は”善人”またあるときは”悪人”ではダメなのでしょう。
近年、幼少期よりTVの普及で知った著名人(芸人や役者さん等)の訃報が目に付くようになった。
何年程前からか?と問われると困るが、最近では著名人の訃報をニュース等で知ると「えぇ!死んだんか」と云う、感慨深い思いが付くようになった。
今より若かりし頃には、この様な感情はうまれて来なかった様に思う。
中学生頃からTVが普及し始めて「ダイラケびっくり捕り物帳」や「時間ですよ」等で知った森 光子.
「てなもんや三度笠」の藤田 まこと、「事件記者」の山田 吾一、「北の国から」大滝 秀治・地井 武男、歌手の尾崎 紀世彦 等々、何だか格好付けるようであるが”(私の)時代とともに生きてきた”というか、映像や楽曲と通じて永く親しんできた(私からの一方的)ことによって「えぇ!あの人が・・死んだか!」と感慨深い気持ちを抱かせるのであろうか?
ザ・ピーナッツの双子の姉妹である「伊藤 エミ」が死去したことは、やはりNETで知った。
芸能活動から離れていたことからか、極めて静かな雰囲気のなかで知ったように思う。
恥ずかしながら、私はザ・ピーナッツにファン・レターを書いたこともあった。
最初で最後の、経験であった。
高校生になって、オーディオに興味を持って、バイト代を注ぎ込み、AMPを組み立て、数少ないレコードのラテン音楽やザ・ピーナッツの楽曲を聴く毎日であった。
伊藤 エミさん(ザ・ピーナッツ 双子の姉)の訃報を知った時、結婚をし、離婚したこと、そして晩年はどの様であったのかと要らぬ気遣いをした日も一年になろうとしている。
近年、ナビゲーションシステム(ナビ)を設置しているバイク仲間を多く見かける様になった。
ナビが無かった頃は、目的地までの道順を地図をみながら学習(シュミレーション)し、途中で不安になれば、停車し地図で再確認する。
走行中は、ドライバーの”五感”に頼るものであった。
情報量の多いナビであると、電話番号を入力すると屋号(会社名や名称)やホテルの場合だと、料金も表示され、目的地として設定してやれば、案内してくれる。
便利な道具(システム)である。
便利なものであるが、問題もある。
複数台でツーリングしていて、先頭車がガイドを務めるが、交差点等でナビの指示で、例えば「右折」しようと方向指示器を出す。
後続車から無線で「左に行けと云っとるで!」と連絡が入る。
目的地(若しくは経由地)までの行程は、メーカー(ナビシステムのソフト)によって異なることからよくある話し(トラブル)である。
2010年に、新潟県に7台で行った時のことであるが、宿泊ホテルまでの間に寄り道(経由地)を決めて、出発した。
一つ目の経由地を済ませ、次に進もうとした。
しかし、先導車が進もうとするICの方向が「変だ!」と思い、停車した。
同じ思いの数台も停車したが、後続の2台は走行して行った。
Uターン可能な状態であったのでUターンし、近くにあった「道の駅」で隊列が分裂したことなどを相談した。
宿泊ホテルで合流すること(が出来るとの思い)にまとまり、我々は出発し、宿泊ホテルに到着した。
暫くして、無事に7台は、合流できたが「東京へ行きよった!」とのこと、原因は経由地の設定誤りであったとのことであった。
やはり”カン(五感)”も大切で(養う必要が)あると感じた旅行(ツーリング)であった。
ナビなるものが世に出始めた頃にあった(社会風刺)川柳を想い出していた。
「カーナビを使える頃には道覚え」
「カーナビで道に迷って地図をみる」
この様な経験もある。
カーナビの指示(音声ガイド)に、従っておればを、遠回りする羽目になる事も・・!ある。
ナビが無かった頃は、目的地までの道順を地図をみながら学習(シュミレーション)し、途中で不安になれば、停車し地図で再確認する。
走行中は、ドライバーの”五感”に頼るものであった。
情報量の多いナビであると、電話番号を入力すると屋号(会社名や名称)やホテルの場合だと、料金も表示され、目的地として設定してやれば、案内してくれる。
便利な道具(システム)である。
便利なものであるが、問題もある。
複数台でツーリングしていて、先頭車がガイドを務めるが、交差点等でナビの指示で、例えば「右折」しようと方向指示器を出す。
後続車から無線で「左に行けと云っとるで!」と連絡が入る。
目的地(若しくは経由地)までの行程は、メーカー(ナビシステムのソフト)によって異なることからよくある話し(トラブル)である。
2010年に、新潟県に7台で行った時のことであるが、宿泊ホテルまでの間に寄り道(経由地)を決めて、出発した。
一つ目の経由地を済ませ、次に進もうとした。
しかし、先導車が進もうとするICの方向が「変だ!」と思い、停車した。
同じ思いの数台も停車したが、後続の2台は走行して行った。
Uターン可能な状態であったのでUターンし、近くにあった「道の駅」で隊列が分裂したことなどを相談した。
宿泊ホテルで合流すること(が出来るとの思い)にまとまり、我々は出発し、宿泊ホテルに到着した。
暫くして、無事に7台は、合流できたが「東京へ行きよった!」とのこと、原因は経由地の設定誤りであったとのことであった。
やはり”カン(五感)”も大切で(養う必要が)あると感じた旅行(ツーリング)であった。
ナビなるものが世に出始めた頃にあった(社会風刺)川柳を想い出していた。
「カーナビを使える頃には道覚え」
「カーナビで道に迷って地図をみる」
この様な経験もある。
カーナビの指示(音声ガイド)に、従っておればを、遠回りする羽目になる事も・・!ある。

”バイクひとり旅”で、時(何事かある時)に頼もしい助っ人となってくれる「カーナビ」。
私が「カーナビ」の性能を認識させられたのは、2002年頃(だったと思う)仲間6人で松江市に行った時であった。
松江に着いて、予約していたホテルを探していた。
同行者のナビに情報(この時は電話番号であったと記憶している)を入力すると、ホテルの前まで案内されたとき「凄い!!」と思った。
「バイク旅行で欲しい!」と思った頃(年代)は、所謂、バイク用カーナビは無かった。
仕方なく、車両用のナビを購入し、取り付けたが、雨が降り出すとビニル・カバーをかける等で対処しなければならなかった。
車両用のナビをバイクに取り付ける大きな問題点として、①雨天対策が必要であること。②音声案内が聞き取れないこと。
最近(この数年で)のものは、アンテナが一体化(内臓)し、バッテリー内蔵となり大幅に小型化が進展し、全天候型のものも発売されている。
私のものは、DC電源ユニットやアンテナが外付けでDVD再生ユニットが内臓されていることから分厚く重量もある。
全天候化するためFRPでケースを造って”悪戯防止”のため鍵の掛かる透明カバーを取り付けた。
加えて、製品のメーカー保証が切れた頃に、音声案内がレシーバーで聞けるように改造した。
今では、この様な要求を満たしてくれるナビは出回っているし、私のナビでは地図ソフトが現在にマッチしていないことから更改を!
とも考えるが、急遽”宿屋”を探さなければならない時など、周辺検索で電話番号や価格等が分かることや、全天候型化や音声案内も聞き取れるように施しており、捨てがたいものを感じている。
旅行記(Blog)でも何度か”泊まる所”の要求が発生したことを記述してきたが、これらの要求を処理してもらっている。
この様に思い出ある”ナビ”であるが製造物である以上、寿命はつきもので10年近く使っていることから、そろそろ、世代交代させなければならないのかなぁ!と感じている。
理由は、⓵地図ソフトが旧式であること ②装備が大げさで、最近式を装備することで前面が、ナビ・ケースが不要となり、スッキリと整理出来ること、等による理由からである。
今日の絵日記の”絵(写真)”は、手造りのケースと、ともに思い出多い、私のカーナビとしました。




平成となる前後数年間、私は千葉県柏市に住んだ。
その時「ホッケ」なる魚料理を知り、それ以降よく食するようになった。
先日も、夕食にと買い求めた。
2006年に二度目となる、北海道ツーリングをした時に、北海道・道の駅「知床・らうす」で買い求め、宅配したホッケが美味しかったことを想い出していた。
2005年の北海道ツーリングは、舞鶴から小樽までフェリーで行ったが、この時(2006年)は、自宅から、日本海側(鳥取県鳥取市~青森県青森市まで)を一般国道で五日間を要し北上した。
青函フェリーで函館市へ。
太平洋側を知床半島の羅臼まで北上し、北海道(地図上)の下半分を周遊する計画であった。
北海道に上陸した最初(2006年7月27日)の野営地は、長万部で野営し、北海道での最初の朝を迎えた。
洞爺湖を周遊し、室蘭市白鳥大橋を渡り、地球岬へ。
天気も良く”地球はまるい”と実感する光景である。
7月28日、苫小牧市で野営し、襟裳岬から根室市へ。
襟裳岬には「風の館」なる施設があり、ここから目を凝らすと、岩場に”黒いもの”が沢山見えて、よくよく見ると動いている。
アザラシとのことであった。
風の館は、風を避ける様な佇まいで、残念ながら写真に収めていない。
ネットで「風の館」を検索してほしい。
襟裳岬から琵琶瀬展望台にバイクを走らせ、琵琶瀬展望台からは、霧多布湿原と太平洋が遠望が出来て、その雄大な景色を楽しんだ。
霧多布から根室市の間に「北の国から」で気になっていた「落石」という地名の場所を訪ねたが、TVドラマの風景には遭遇しなかった。
根室市では、野営が続いたのでホテルを探し宿泊した。
翌、30日に納沙布岬から野付半島・竜神崎灯台を周遊し、知床半島・羅臼へバイクを走らせた。
羅臼で”ホッケ”を買い求め、宅配便で送った。 私が帰宅する前に息子宅に着くのだろう、と思いながら今日の宿泊地・屈斜路湖のキャンプ地へ。
前年と同じく屈斜路湖・和琴半島湖畔キャンプ場で野営する。
7月31日、屈斜路湖から富良野市の手前の美瑛町へ。 美瑛町で野営する。
8月1日、小樽市の市場で”蟹”を買い求め、宅配便で送る。
昨年、買い求めた安心感からか、遠回りではあるが自然と身体が動いた。
この日、札幌市郊外で野営する計画であったが、訪ねたキャンプ場が意に添わず札幌市でホテルを探し宿泊する。
カーナビの情報が威力を発揮した。
結果的には大通り公園での「札幌夏祭り」も体験でき良かったと記憶している。
8月2日、岩内から日本海側を江刺・松前方面に向かい、熊石町青少年旅行村で最後の野営をする。
8月3日、函館港から青森県大間へフェリーで渡り、帰路についた。
そして、八戸自動車道でアクシデントが発生した。
大間から八戸市に到着したのは18時頃であった。
宿泊しようと宿を探したが、東北祭りで、訪ねるホテルは尽く”満室”と断られる。
仕方なく「行ける処まで行け!」と意を定め、八戸自動車道にのった。
20時頃、八戸自動車道・浄法寺ICを過ぎたところで、エンジンが停止した。
再起動を試みるがセルが回らない。
レスキューを手配し、さんさ踊り期間中の盛岡市で、レスキューが手配したホテルに宿泊することとなった。
但し、さんさ踊りの踊り時間を経過していたので見物は出来なかった。
アクシデントの詳細は「バイク旅行中の出来事 その1」を参照して下さい。
8月4日、バイクの修理工場でバイクを受取り、金沢市で一泊後、無事に帰宅することが出来た。
波乱万丈、人生の縮図の様な旅行(ツーリング)となった。
一人旅行では、アクシデントが発生すると心細いが、同行者に迷惑を掛けずに処理出来る事が”良”とするところでしょうか?
今日の絵日記の絵(写真)は、四枚である。右から写真1~写真4とする。
写真1:男鹿半島「北緯40度」のモニュメント
写真2:室蘭市・地球岬
写真3:襟裳岬
写真4:美瑛町の風景
写真を観ていると、再度行きたいとの思いがこみ上げてくる。