ふくちゃんの絵日記

バイク等での旅行記や、日常生活で感じたことを、絵(写真)に描けるものは描き(添付)絵日記風にしたいと思います。

☆思い込み

2013年01月31日 | 日記
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 今日の絵日記の絵(写真)は、二枚である。
 先ず、絵(写真)の説明からする。
 左は佐渡島で観た”夕日”そして、右は、伊豆・伊東の宿泊ホテルからの”朝日”である。
 バイクで旅行した記録や写真・映像をスライドショーとして、整理している。
 昨年の「佐渡島・伊豆地方」に行ったものをスライドショーに整理していて、順番が大切なことから、カメラの時刻(不確実=機種(NとS)によって異なっていた)等を頼りに並べた。
 そして、出来た!と思い、見直してみた。
 しかし、右の写真(伊豆・伊東市)を夕食の前に並べていたが、違和感がある。
 太平洋に沈む太陽(夕日)の方向が変だと気付いた。
 そして、記憶も呼び起こして、朝食の前に整理して「一件落着」となった。
 気付くまでは、先に整理した佐渡島の印象が強かったのか、右の写真も「夕日」と思い込んでいたようである。
 夕日は朝日より”赤く”見えると聞きますし、私自身も朝日より夕日の方が赤く見えると思っていますが、諸説(人の感性を含め)あるようです。
 今回は、写真を整理しながら、独り笑いした”夕日と朝日”の絵(写真)としました。
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☆残すところ、あと九都府県

2013年01月27日 | 日記
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 バイクで全国を周遊する目標を持っているが、今までに行った処の写真や記録を基に周遊の”証”を整理してみた。
 バイクの販売店をまわる「ディラースタンプコレクション」というのがあって、登録された年月日を根拠に「周遊した」という"私的なルール"を造った。
 そして”紙芝居(スライドショー)”にまとめてみた。
 この作業の中で、全国をバイクで!を達成を証明するための”私的ルール”に問題も出てきた。
 と、云うのは、例えば、山形県の花笠おどりを見物に行ったが、その際に訪問したバイク販売店が休みで「ディラースタンプ」がもらえていない。
 花笠踊りや旧山形県庁舎の写真があることから「行った=周遊した」として”暫定的”に整理することにした。
 実質的に行った県域で未収なディラー・スタンプは、またの機会に収集したいと思っている。
 この様に整理してみた結果、バイクによる全国周遊の夢の実現まで、残すところ九都府県となった。
 残るは、難題の首都圏や大阪である。
 バイクで行く目的地(場所)を決めて、観光したり、見物する場合は、バイクは預けて公共交通機関を使う等によって対処しようと思っている。
 今回の絵日記の”絵(写真)”は整理中に印象深かった風景なりを”絵”としました。
 写真左から、北海道・美幌峠(標高499m)・神戸・ルミナリエ・青森県五所川原市・立佞武多・山口県の角島に架かる角島大橋
 印象に残る思い出深い処は他にもあるが”絵”が無かったり”絵”に描ききれてないために、登載することをやめた。
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☆古き善き幼き時の友

2013年01月22日 | 日記
 

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 先週、私が55年ほど前に卒業した中学校の同窓会があった。
 一学級約45人で、4クラスの小さな中学校である。
 当時の中学校は、戦時中に炭鉱の建屋として使われていたものを移築し、校舎(写真 右)としたと聞いていた。
 通学していた当時は、雨が降ると雨漏りがするような校舎であった。
 三方を小高い山に囲まれ、雛壇のように校舎が並び、校舎と校舎は渡り廊下で結ばれ、屋根があっても、風雨の時は傘を挿さなくては濡れる有様であった。
 それでも南にひらけた校舎は、冬は陽だまりが出来て、休憩時間等は陽だまりで他愛も無い話に夢中になった記憶がある。
 この日、50人程が七人程のお世話役の計らいで参集した。
 また、このお世話役は、5年の周期で同窓会の開催を継続してもらっている。
 従って、5年に一度の再会であるが、都合によって参加出来なかったと云う者も居ることから、10年・15年前に再会して以来と云う事もある。
 還暦の時には「赤いタオル」が受付時に渡され、全員が首に巻いて記念写真に納まった時には、お世話役の配慮に感歎した。
 卒業してから一度も会っていないという者もいるが、今回の同窓会には、私が千葉県柏市し転勤した折に逢って以来、約25年ぶりと云う者も居た。
 何年かぶりの再会で16時から始まった懇親(同窓)会も22時まで、あっと云う間の出来事のように経過した。
 青春の心に秘めた思いを胸に、面映さも交差させながらの語らいは、年齢を重ねて出来ることなのでしょうか・・・?
 今日の絵日記の絵(写真)は同窓会の一コマとします。
 尚、写真中央は、同窓生が演じる「マジックショー」です。
 彼女は、ボランティアで施設などを慰問している様で、堂々とした仕草に驚き、大いに拍手しました。
 次回も更なる”業”を披露して頂けるものと期待している。
 
 すみませんが「コメント」の受付を中止しました。

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☆不明な一日

2013年01月16日 | 日記
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 空白の一日が埋まらない。
 全国をバイクで周遊する目標を立て、実行しているが、行ったという”証”を整理している。
 2007年7月下旬から8月上旬にかけ「東北五大祭り」を観にいった。
 この時の一日の記憶が無く、空白の一日となっている。
 岩手県盛岡市に宿泊し「さんさ踊り」や「石割桜」などを観て周り、青森県五所川原市の「ねぶたまつり(立佞武多)」への移動途中で青森県の岩木山に行った。
 ここでアクシデントが起きた。
 バイクの駆動ベルトが切れて、走行不能となった。(詳しくは「バイク旅行の出来事 そのⅡ」を観て頂きたい)
 青森市内の修理工場に修理を依頼し、代車によってツーリングは継続しバイクの修理完了、受け取りの前夜は山形市の「花笠踊り」を見物して、翌朝(バイク受取の当日の朝)青森に向け北上した。
 13時頃、修理工場に到着出来た様に思う。
 修理の処理や、雨天時に使う手袋を購入後から、青森(記憶上の)~長野の間で家族に安全上「長野で一泊する」旨の連絡を入れ、長野市での宿泊記憶や記録が無い。
 JR山形駅近くのホテルから、青森市の修理工場を経由し、JR長野駅近くのホテルまでの距離は1240Km(高速道路利用)である。
 山形のホテルでは、朝食を頂き余裕をもって出発している。
 記憶の到着地・長野市へは”日の明るい時間”に到着しチェックイン(バイクの駐車をホテルの指示で、市営の立体駐車場に駐車)している。
 夏の日中が長いといっても、ホテルのチェックアウトから記憶のチェックインまで約10時間である。
 青森市の修理工場での処理で一時間としても、140Km/時で九時間走行したことになる。
 青森市あたりで宿泊していなければ、私は”異次元”にいて存在していなのでないかと思われる空白の一日である。
 地図を眺めたり、写真を見返したりしているが、記憶と現実に整合性がなく、記憶が定まらないのである。
 今日の絵日記の絵(写真)は、この様な事を思い出させた「ねぶた祭り」としました。
 左:五所川原立佞武多 中央:青森ねぶた 右:弘前ねぶた
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☆知らなかった

2013年01月16日 | 日記
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 先週末、バイク仲間で「新年会」をした。
 まずは、生ビールで乾杯し、自分好みの”お酒”を注文した。
 仲間のうちの二人が、なにやらハイカラな”お酒”を注文していた。
 昔、今より少しだけ若かりし頃、ストローで酒を飲むと悪酔いするとの言い伝え?があり、仕事仲間と、ふざけあって飲んだことはあった。
 そのことで悪酔いしたのかは記憶にない。
 注文をし、出された飲み物にストローがあるので酒類でないと思っていた。
 「どうした!酒を頼まなかったの?」と聞くと「酒だけど!」と答えが帰って来た。
 まだまだ世間は広い。途方も無いくらい広い。
 そして、知らないことも多々ある。
 今回の場合、私には馴染まないもので知らなくても良い様なものであるが、驚かなくても良いので知っていても”損”にはならない。
 今日の絵日記の絵(写真)は、私の知らない一つを教えてもらった居酒屋で出された”お酒”としました。
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☆冬眠中

2013年01月09日 | 日記
 今は、寒さに耐え忍んでいる。
 冬眠状態で”絵”を描く行動が出来ません。
 今しばらく続きそうです。 ゴメンナサイ!!
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☆体調芳しからず

2013年01月06日 | 日記
 例年のように”酒漬け”の正月を過ごしている。
 元旦は御屠蘇を、朝食時から就寝までの間に?合ほど頂きました。
 翌朝に、酒瓶をみて「えぇ!こんなに飲んだの!?」と利かないわが身の”ブレーキ”を嘆きました。
 二日はボーリングで汗をかいた後、ご馳走を頂き、三日は二日酔いで食事も満足にとる事も出来ず、身体の置き場もない状態であった。
 そして、四日は体調も”(飲酒可能な状態に)復活”してきた。
 この様な状況下、友人から「新年会やろうや!」と云う電話があった。
 「やろう!」と即断したことは、予想して頂けると思う。
 私の家ですることになって、食材を求めて買い物に行った。
 私が見たことも、飲んだことも無いような”お酒”を買っていた。
 私は、頂いていた清酒や買い置きの焼酎を何時ものとおりの飲みかたで飲酒を重ね、話も盛り上がった。
 友人は、私の様な飲み方でなく節度ある飲酒である。
 二日酔いの時などは羨ましく思う。
 五日朝、友人と朝食をとって、所要を済ませ、友人が帰宅した後、またしても食事も受け付けない状態となった。
 食事をする意欲が湧かなかったのである。
 今日は六日、体調は戻ってきたが不安がある。
 女性・お産の尊厳を軽んじる訳でないが、20歳代の頃、社会人になって二日酔いの苦しみを知った時、先輩が「お産と二日酔いは止まらん」と言ったことを思い出す。
 二日酔いの苦しみの中では「二度と酒は飲まん」と思っても、喉もと過ぎれば・・・と言うことか、二日酔いの苦しみなど無かったように飲酒が、今日までも続いている。
 今日・今のところは、自重しようと思ってはいるが、夕食時にはどの様な気分となっているのだろうか。 考えると自重しようとする気持ちが負けそうで、不安がある。
 二日酔いを”絵”に描けませんので、絵はおやすみにします。
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☆鷹の爪

2013年01月04日 | 日記
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 正月2日、ボーリング競技をした後、夕食をご馳走になった。
 蟹とシャブ鍋の二種が用意され、ボーリングの出来事も話題になって大いに盛り上がった夕食となった。
 鍋料理の”薬味”に出されたのが「鷹の爪」である。
 生の鷹の爪を火で炙って(写真右)、器の中でほぐして鍋汁を加え、味を調える。
 唇に刺激があって、その刺激が永く続くのである。
 昔、と云っても60年近く昔であるが、井戸と流しが(屋外)あって、そこに真っ赤な”鷹の爪”が置いてあった。
 私には五歳下の妹がいる。
 何も知らない妹に、真っ赤な鷹の爪を見せて「美味しそうだろう! 美味しいぞ!」と云って食するよう勧めた。
 そして「美味しいから、ガチっと噛め・・」とも付け加えた。
 結果は明らかである。
 妹は大声で泣いた。
 妹の泣き声を聞いた父が駆けつけてきた。
 父は妹の口の中にあった鷹の爪の欠片を取り除いていた(ように記憶している)。
 父の印象として、この時より少し歴史を遡ると、兄が姉の顔を傷つけた時、父は庭にあった柳の木に兄を縛りつけた。
 母が懇願したが許さなかった。
 普段、子供達を叱ることの無い父であるが、その時の恐怖がよみがえった。
 私の記憶の中に、父に叱られたのはこの時だけであった様に思う。
 体罰は無かったが、怖かった。
 今日の絵日記の絵(写真)は昔の自分を想い出させた「鷹の爪」とした。
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☆100を切る

2013年01月03日 | 日記
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 ゴルフなら喜ばしいことであるが、ことボーリングとなると話は違ってくる。
 正月2日、久し振りにボーリングをした。
 前回は何時だったのか記憶にない。
 お正月ということもあり家族ずれでプレイをする人達で混雑していた。
 予約なしで「80分待ち」の表示がされていた。
 私達、8人は予め予約を入れてもらっていたので20分程の待ちでプレイすることが出来た。
 2プレイしてペアの合計点で順位を決めるルールを定めて開始した。
 最初のプレイで100点に満たなかったのは”ボールのせい”にしておこう!!
 私の指の関節が太く、指が入らない。
 第一関節位しは入らないのでボールに勢いが無い、加えて方向性も定まらない。
 私としては不本意な100点に届かない成績で1ゲーム目は終わった。
 2ゲーム目は、指は入るが負担のかかる重めのボールで、プレイをした。
 ボールに勢いがないことが気に入らなかった。
 でも、130点台まで回復した。
 私は、孫とペアを組んだが、最下位であった。
 優勝は予想していた娘夫婦であった。
 マイボールだったらと毎回、思うのであるが実現しない。
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☆新年、明けましておめでとうございます

2013年01月02日 | 日記
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 2013年・平成25年は穏やかに明けました。
 朝、八時頃に目覚め、2013年の事始として、御神前に「洗米・お茶・御酒・雑煮」等をお供えし、平安をお願いした。
 頂いた年賀状に目をやりながら、お屠蘇を頂き今年(平成25年)の寿ぎをお祝いした。
 我が家の「雑煮」は、だし汁に白味噌を加えた中にお餅を加え、お餅が柔らかくなるまで煮て、青海苔を振って食する極めてシンプルな雑煮である。
 母親から受け継いだものである。
 昨年、5月・佐渡島旅行.から始めたBlogも、多くの皆さんの励ましにより継続することが出来ました。
 昨年・11月中旬に空ろな気分となった一時期があり、更新がままならない状態がありましたが、今年も、精一杯頑張ってやっていきたいと思っております。
 今年は、東京湾アクアラインを走破し”バイクで全国周遊”を完結させたいと思っております。
 感想なりを報告したいと思いますので、どうか宜しくお願い致します。
 皆様の夢多き、そして実現できる年でありますことをお祈りしたいと思います。
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☆大晦日

2013年01月01日 | 日記

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 12月31日って何だろう?
 今日があって明日がある。
 12月31日も明日になれば日付が代わって1月1日。
 変哲も無い一日の終わりであるが、一年に一度、この日は何時も巡って来る「日付が変わる」ということではないようである。
 「大晦日」が明ければ「元旦」となる。
 12月以外の月末から翌月に代わることと少し異なっている。
 ”盆”と”暮”の支払い・集金は商いの習慣として古くからある、その年に借金したものは、暮(年末)に返済(集金)して、新たな気分で新年を迎えるという生活習慣のようである。
 地球が太陽の周りを一周(公転)して終わる日を”大晦日”、そして新たに出発する日を”元旦”として活動のサイクルを継続している。
 大晦日から元旦へは”真っ白なページ”の始まりとして、夢や希望・願望といったものを成就させたいと思う365(地球の自転回数)日目にして巡って来る日であるのだろう。
 大晦日・元旦の廻りがあって、人間は”目的”なり”夢”をつなげて生きていけるのでしょうか・・・・!
 何はともあれ、一年の締めくくり、即ち”元旦”を迎える準備を例年のとおり行った。
 今日の絵日記の絵(写真)は神前にお供えした「鏡餅」(左)、そして一年間お世話になったバイクと車にしめ縄を施したもの(中央=バイク、右=車両)とした。

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