ふくちゃんの絵日記

バイク等での旅行記や、日常生活で感じたことを、絵(写真)に描けるものは描き(添付)絵日記風にしたいと思います。

☆季節を感じる

2012年08月31日 | 日記
 我家に”こうろぎ”が飛び込んできた。
 先週の木曜日(23日)だったと記憶しているが、何時ものとおり、窓を開放して涼ととっていると”虫”の鳴く声を聴いた。
 あぁ!虫(の声)だと気が付き、昨日と異なる爽やかな秋風を感じていた。
 しかし、その翌日は、虫の声も聞こえず、熱帯夜となった。
 まだまだ、だと思い知らされた。
 それから約一週間、我家を訪れたコウロギをみて、もう秋なんだと思った。
 日本は広い。 西日本では降雨によって、土砂崩れ等の被害がある反面、東日本では雨不足で農作物に被害が出ている。
 天は、何で遍く必要な季節の贈り物を”プレゼント”してくれないのだろうかと思う。
 しかし、この様な思いとは別に、我家を訪れてくれた”秋の使者”をみて、着実に季節は変わりつつあると体感させられる。
 この様な節目を重ね”年輪”を積んでいくのであるが、私は「竹内 まりあの人生の扉で年代を感じ、森山 良子のAle.Ale.Aleで現実を知る」とよく口にする。
 これに加え、最近、レンタルショップで借りた「中島 みゆき 百九番目の除夜の鐘」を聴いてそうなったらどうしようと、何度も聞き返したが回答は出て来ていない。
 理解出来るまでには、もう少し時間がかかると思うので、今しばらく現世に留めて置いて頂く事をお願いしたいと思います。

コメント

☆聞いて下さい

2012年08月30日 | 日記
 どうでも良い様な話です。
 先に、育苗中のアボカドが風で落下し、駄目のなった事は日記にした。
 この事件があった時、普段なら私が帰宅すると出迎える”犬くん”が何の気配も無いまま、アボカドの始末をした。
 アボカドの始末も一段落した頃、普段でない雰囲気を感じた。
 犬くんの気配が無いのである。
 そして、我家の大方の生活は二階である。
 この日、雷がなり、荒れた天候であったため、雷の嫌いな我家の犬くんは普段に無い行動をしたのではないか?と考え、階下も探したが居ない。
 必死になって、数少ない部屋を何度も、探した。
 娘が留守中に来て、私が居ない事、荒天である事から連れて帰ったのではないか?とも考え娘にメールした。
 この時は”娘が連れ帰った!”と信じたかった。
 返事のメールは「No」である。
 我家には、物置(一坪弱)を改装したような、私の”部屋”があって、私はパソコン部屋として使っている。
 この部屋の机の下も目視したが、居ない。
 大声で、犬の名前を呼び続けた。
 ”どうなっているの?”と思案していると、何事も無かったように”犬くん”が現れた。
 思い切り抱きしめた。
 今日(30日)夜、犬が粗相しているの見付けた。
 叱ろうとしたが居ない。
 パソコン部屋の照明を点けて観てみると、叱られる事を恐れて隠れている。
 前回は、昼間で照明を点けても照度が上がらず気付かなかった。
 犬の隠れ家を見付けた様な気分である。
 
 犬が此処に隠れ、私の行動を観ていたとすれば、遊ばれているようで、腹立たしいが、今日確認(現認)したことで、犬の行動を知ることが出来た。
 窮屈であっても、安心出来る場所なのでしょう・・・!
コメント

☆挑戦中 (糠漬け編)

2012年08月25日 | 日記
 古漬けが好きです。
 好きが講じて、自分で漬けることにしました。
 漬け始めて四日目の胡瓜です。
 私にはまだ”浅漬け”状態と思えるが、試食してみました。
 もう少し軟らかい方が好きである。
 もう少し漬け込みたい。
 この中には、茄子と胡瓜が漬け込まれている。
 茄子は赤みが出て、あと二三日後ぐらいが私の好みとなると期待している。
 生き物である(と、言われる)漬物樽を維持管理する行為は”糠みそ臭い女”=所帯じみた女に、つながる無くてはならない「生活的行為」であったとの思いである。
 私の幼少期の記憶では、糠樽は各家庭にあった。
 私は、母(父好みだった?)の漬ける漬物が好きであった。
 母の造ったものしか、口にしていないから当然である。
 食事の時に出される漬物は、所謂”古漬け”である。
 茄子の漬物などは真っ黒になるまで漬け込まれたものであった。
 私は、単身赴任した15年ほど前に、初めて漬物造りに挑戦した。
 販売される漬物は”浅漬け”に属するもので、私の求める漬物ではなかったためであった。
 手始めに茄子を1~2個漬け込む容器から始めた。
 毎日、掻き混ぜることに徹した。
 蓋をとると水気が溜まっていた。
 万遍に掻き混ぜ、表面を平らにして美味しく食べられる時を楽しみ待った。
 この行為が”糠みそ臭い女”と云われる所作なのかと思った。
 再挑戦のきっかけは、古漬けが食べたいと言う思いと、娘の嫁ぎ先から頂いた”茄子と胡瓜”が、私の思いに”火”を点けた。
 自分が好み食するものを自分流に造り出す、それは、手間隙惜しまず生成することでは無いだろうか?
コメント

☆アボカド育苗記 (始末記)

2012年08月21日 | 日記
 残念な結果に到ってしまった。
 8月19日(日)所要があって家を留守にした。
 突然の雷雨があって、激しく雨が降った。
 家を出るとき、天気予報が気に成ったが、空を見上げて「大丈夫!」と素人判断で、戸締りをしないでいた。
 自宅付近で、路面があまり濡れていないこと、風もそれほど強くないことから「大丈夫!」と信じて帰宅する。
 ブラインドに風を受け、その勢いで「アボカド」の鉢を倒し、窓(出窓)から落下していた。
 仕舞った!!と思っても、後の祭りである。
 肝心な”アボカド”は無残にも、落下の時、根元から3cm位の所で折れていた。
 再度、植木鉢に戻し、添木をして復活してくれる事に期待した。
 翌日に観てみると、折れた枝の葉に力強さが感じられず、思い切って折れている箇所で切り取ってやった。
 根がしっかりしている事から再生してくれることに期待している。
コメント

☆無いのなら造ってしまえ!

2012年08月09日 | 日記

Photo Photo_4
 私は、ツーリングで観た風景を容易く忘れてしまう性質がある。
 写真を観ていても「あれ、此処は何処だった?」と思い出せない事がある。
 走っている中で、記憶に残しておきたいという風景は多々あることから、V社のビデオ・カメラ等を試したがバイクと言う使用環境での操作性に問題があって、利用していない。
 K・S氏の紹介で知った”ビデオ・カメラ”はヘルメットにも装着出来る小型・軽量でGPS情報も記録出来ることから、映像と走行位置が分るもので、佐渡島に行く機会に購入した。
 しかし、この商品も走行中の電源投入等の操作性に慣れが必要で、まだまだ自分の”モノ”に成っていない。
 電源(電池)の充電は、本体に付属のケーブルでパソコン(USB)を充電器として行うようになっている。
 但し、電池パックはオプションで販売されているが充電器の販売はされていない。
 映像等の記録はSDカードにすることになっており、追加することで長時間の記録は可能となるが、電源の保持時間は約二時間である。
 充電器があればオプションで電池パックを購入し、走行中でも充電が可能となる。
 製作に当たって、充電器と電池パックの接点に苦慮したが、小型電子機器に使用されていたスピーカーと基板との接点バネを使って解決した。
 佐渡島ツーリングで甲府から富士への行程で撮った「富士山」は感動ものである。
 これからのツーリングでの動画記録は長時間の撮影が可能となり、編集ソフトで不要な箇所をカットするなどの利用範囲が拡大されることになったと思う。
 もう少し、映像知識と”ブログ”の知識が向上したら、バイク走行中での富士山の映像なども公開したいと思っている。
 今日の絵日記の絵(写真)の左側は造った充電器、そして右側は充電中の様子である。

コメント

☆帰省して思ったこと

2012年08月02日 | 日記

Photo
 7月30日(月)、姉が入院したと云う知らせを受け、見舞いに行った。
 我家から姉の入院している病院まで、三時間弱。
 近くなったものである。
 高速道路が無かった時代には、七時間位を要して帰省していた。
 胆石で激痛がはしり、救急車で搬送された姉の症状も落ち着いており、笑い話が出来る状況になっていた。
 外科手術は必要ということで体力の回復を待って行うようで「まな板の鯉や!」と心境を語っていた。
 手術日が決まったら教えてもらう約束をして病院を後にした。
 帰省すると墓参りをすることが常であることから、両親と祖父母の眠る墓に参り、お守りして頂いている事への感謝と近況報告を行い帰路についた。
 正午を過ぎ、暑い盛りの時間帯である。
 何か懐かしいものを感じた。
 「あれ!何だろう?」と一瞬、時間が止まった。
 「そうだ、入道雲だ」と気付いた。
 ”夏イコール入道雲”と思うのであるが、永いこと、ここで見るような力強い”モコモコ”とした入道雲とは疎遠であったことに気付かされた。
 自宅に帰った翌日(31日)、昨日と同じ時間頃に夏空を見上げたが、帰省して見た、あの”モコモコ”として力強い入道雲は見られなかった。
 今の生活環境に慣れて、見上げている夏空が、むかし見ていた入道雲をみて懐かしいと感じたのだろう。
 今日の”絵日記”の絵は、自宅付近から見た夏空の雲としました。

コメント