ふくちゃんの絵日記

バイク等での旅行記や、日常生活で感じたことを、絵(写真)に描けるものは描き(添付)絵日記風にしたいと思います。

☆犬くんと・・・!

2014年04月30日 | 日記
 犬くんの病気(極度の貧血)が判って、一ヶ月を迎えようとしている。
 通院し、注射による薬液の投与が無くなり、朝夕の食事時に薬を与えると言う治療を継続している。
 寝ている様子をみて、凄く不安になったり、力強く食事をする様子をみて”大丈夫!元気にな(ってくれ)る”と思ったりして、今もって、気が休まらない。
 診察を当面、受けていない事から、どの(改善の有無)様な状態なのか分らない。
 しかし、口の中が今もってしても”白い”のである。
 舌の色も”赤に近い濃いピンク”ではなく”薄いピンク”色である。
 好くなっているとは思えない。
 在宅中は何時も”鳴っていた音楽”も、犬くんの病気を知ってからは、苛立たしく思えて疎遠となっていた。
 何をするにしても”ヤル気”が起こらない。
 通院していた時は病院に行くこと、食料品を買いに行くこと等、必須な事は出来ていても、創意・工夫を伴うモノ等への取り組みは気力が失せていた。
 一ヶ月近く経過した現在、子供達が様子を視に来たり、他県に住まう妹が見舞ってくれたりして、この様な環境にも少しずつではあるが、順応出来るように成っている事を感じている。
 ”騒音”の様に感じていた音楽も、楽曲を選択しながらではあるが、今日も聴いた。
 加えて”謝礼のため”と始めたランプ(電気スタンド)造りを、再開しようと(通販で)部品を発注した。
 不安な気持ちは払拭出来ないが、発症前の生活スタイルに戻さなければ!と、思うのである。
 酒の量は、あれ以降、増えたままである。
 今夜も・・・!
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☆今日も・犬くんと・・!

2014年04月28日 | 日記
 今日は4月28日
 2014年(平成26年)となって、4月も残り少なくなってきた。
 我家の”犬”くんは、改善の兆しも無く、今日をむかえている。
 26日に診察をうけたが「(状態は厳しいが)通院のストレスを無くすため注射をやめて、薬の投与のみにしましょう」と一週間分の薬を処方された。
 その時までは、朝の診察開始を待って、注射(診察)を受け、夕食時に薬を飲ますというローテーションであった。
 26日以降、朝夕の食事と伴に、処方された薬を服用させ、獣医師からの”カロリーの高い食品”を与える様に!”と言う指示に基づき、幼犬用の餌(缶詰)を与えている。
 今日、体重測定すると7.4Kgであった。
 今まで(健康体時)は、7Kgを維持してきていた。
 (動物)病院での計測では6.4Kg~6.8Kgであったことから、所謂「間食」を与えていた。
 明日から(私の差配で)控えさせなければと思っている。
 食べる量か?薬のせいか?分らないが、水をよく飲むようになった。
 この事によるものなのか、(排出する)量が多くなったことと、回数が多くなった。
 ”便所”となるシートは、犬くんが健康な時に買ったもので、廉価品である。
 吸収する度合いを超える状態であるから「2~3回OK」と銘打った商品を買ってきた。
 獣医師が言った「通院でなく薬の投与のみにしましょう!」は、最悪への暗示では無いと信じている。
 そして、今日も犬くんと過ごしている。
 息遣いは違っていても、私を見つめるマナコ(眼)は何時もと変らず「何か頂戴!」と言っている様であり、”病んでいるの!?”かと、思わせる眼差し・表情である。
 元気にさせてやりたい。
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☆慌てふためく・・!

2014年04月26日 | 日記
 25日・朝、犬くんを病院に連れて行く時刻となって準備を始めた。
 鍵が無い。
 何処を探しても見当たらない。
 昨日着ていたジャンパーのポケット? 無い。
 買い物した食料品と一緒に冷蔵庫に仕舞った? 見当たらない。
 玄関ドアにさしたまま? 行ってみるがささっていない。
 昨日、犬くんが好んで食べる”缶詰”を買いに行った。
 自動車の中? 探しても見当たらない。
 最悪の事が過ぎった、玄関にささった鍵を誰かが持ち去ったのでは・・・!
 鍵が無ければ自動車も動かせない。
 家の戸締りも出来ない。
 動けないではないか。
 今日は鍵を扱っていないか?
 朝、起きて鍵は必要しなかったことから扱っていない。
 なら、昨日は自動車にも乗り、買い物にも出掛けている。
 昨日の記憶をたどった。
 急いで帰宅し、便所を使った事を思い出した。”そうだ!便所だ!・・”ありました。
 思い起こせば、犬くんの缶詰を買って帰る途中で、下腹部に違和感を覚え、急ぎ帰宅し、トイレに駆け込んだ。
 手にしていた買い物品などは廊下に投げ捨てた状態で・・・
 用足しを済ませ”ほっと”したことで、鍵を置いた記憶が消え去った様である。
 しかし、今もって鍵を窓枠に置いた記憶が無いのである。
 それだけ切羽詰った状態であったのであろう。
 またしても、森山 良子さんの歌う”Ale Ale Ale”の世界にはまってしまっていた。
 見つかって、ホットするともに、後は笑うしかなかった。
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☆犬くんの病魔との闘い <闘病の記録>

2014年04月25日 | 日記
 我家の犬くんの”病気”が判明したのは、4月8日であった。
 久し振りに、散歩に連れ出した。
 海岸の砂浜に到って、歩こうとしないのである。
 歩くことを催促しても、しゃがみ込み、歩こうとしなかった。
 抱き上げて、帰宅を余儀なくされた。
 この様子が”変”と感じて(動物病院で)受診した。
 その後、薬液の投与や輸血を施しながら病気を克服すべく取り組んでいる。
 犬くんの発症(病気と判明した時)から、今日までに、受けた治療等について整理してみた。
 「極度の貧血」であると診断されたのが、前記の4月8日であった。
 診察の結果として、以下の様な説明があった。
 貧血となる原因としては
 ⓵内臓に疾患があって、出血により排尿や排便と伴に失われる。
 ⓶血液を造りだす臓器の疾患で血液が造れない。
 ⓷壊す因子が血中にあって、血液を造る量に対し、壊す量が多い。
 等が、原因であると言う説明であった。
 獣医師の診断や、私に対する問診から「⓷による発症」ではないだろうか?との診断結果であった。
 根拠して、エコー検査の結果、内臓に”癌”などの病巣が認められないため、⓶による発症と考えられないこと。
 また、私への問診で、排尿や排便に血液の混入が認められないことから、⓵とは考えられないこと。
 従って、⓷によって血液が消失しているのではないだろうか?との診断結果であった。
 貧血となる詳細な原因を調べるために「検査機関」での、検査を行ってもらうこととした。
 そして、この検査機関での検査結果は、4月11日に判明した。
 初診時、D動物病院での血液検査で「獣医師の間で”10を下回る”と立って(生きて)いられないとする検査数値が”8.9”」であることが判明した。
 この”10”を下回ると、生命に係わると云う数値ついては、説明された時点で理解出来なかったが、数度に渡る数値の開示から血液の密度=HCT値(注)であると確信した。
 そして、D病院の獣医から示された診療方針は、病気の原因が判明してから、診療方針を建てるのが定法ではあるが、検査結果を待つ間に、何が起きるか分らない為「治療をしながら検査機関の検査結果を待つ」と言う事であった。
 私には、異論はない。
 そして、検査結果を待つ間の治療とは「体力を付ける”点滴”の投与、そして増血を促す注射を施す」と云うものであった。
 この治療が4月11日まで続いた。
 そして、4月11日、再度(8日に続き)血液検査を行った。
 結果は、HCT値が、受診開始の”8.9”から”4.4”に半減した状態であった。
 医師はこの検査結果をみて、又しても「生きているの不思議なくらい・・・」と言う。
 「対処策は?」との私の質問に「血管からの点滴の投与し体力を附ける(があるのみ)」との回答があった。
 加えて、輸血と言う手段もあるが、輸血をしても一時的なもので”完治”には至らないこと、そして、適合する血液の手配が困難であるとの説明があった。
 残された選択肢は、医師が提示した”点滴”の一点しかなかった。
 しかし、それは”死が間近”という暗示・通告でもあった。
 この日(11日)、犬くんを点滴を受ける間、動物病院に預けた。
 娘から”セカンド・オピニオン”の提案があった。
 娘が紹介する動物病院に相談するも、現状の治療方針を是認する意見であった。
 覚悟を決めた。
 点滴が終わる時を待って、娘が迎えに行った。
 この時に、受取った検査機関での所見は「赤血球が障害を受けて溶血する貧血」と云うものであった。
 この夜、子供達が集まった。
 そして、娘から、トリマーさんからの情報として「K病院を受診し、貧血から立直った」と言う事例を知らされた。
 転院させることが、総意となった。
 転院の準備を整えた。
 翌日(12日)に、K動物病院に転院し、診察を受ける。
 診察の結果、危機的状態であり、輸血をする事を提案された。
 その提案を受け入れ、輸血した結果、危機的状態から脱出する事が出来た。
 今まで(D病院)の、治療法について、私は説明した。
 K病院の医師は「血液が少ないなかで、点滴をして血液を薄める事を助長する様な治療方法はどうだろう?」との所見を示した。
 「なるほど!」と思っても、それが”是か非か”私には、判断出来ない。
 医者も夫々!と思った。
 此処に至れば、この(K病院の)獣医を信頼し、以後の治療について、委ねる事とした。
 12日に輸血を受け、”犬くん”は元気を取り戻した。
 娘の話によると、アメリカでは「献血用の犬を飼育していて、即応する動物病院が多くある」ということであった。
 このK動物病院は、即応出来る体制が整っている事に感心した。
 13日、HCT値が「14」から「19」に上昇していた。
 良い結果であると医師から告げられた。
 しかし、それ以降、13日をピークとして、16日まで下降し続けた。
 15日、薬が処方された。
 通院の都合で「午前中に注射をした場合は夕食時に、夕刻に注射を受ける場合は朝食時に薬を与える様に!」と言う指示があった。
 16日、血液検査の結果、HCT値の数値が下がり続けているため、薬を2錠から3錠に増やすように指示された。
 17日には、(改善が認められないことから)検査のための少量の血液であっても、採取するのは止めた。
 HCT値の測定(採血)は止めて、通院での注射と、家で薬の投与となった。
 21日、娘が様子をみに来た。
 この時、娘から「血液の量(HCT値)が正常値に戻るのに3年(だったか5年であったか忘れたが時間)を要する加療が必要」との、同種な犬の貧血に関する情報(経験談)を聞かされた。
 翌・22日、この情報(正常値に戻るのに数年を要すること)を担当獣医に確認した。
 担当獣医からの回答は「(今の)治療による効果は一週間程度」で判明するとのこと!
 そして、良し悪しは別として「一ヶ月程で結果は出る」とのことであった。
 要するに、遅くても一ヶ月も経てば、生死の程が判るという事である。
 24日の担当獣医が”院長”であった。
 好転しない状況と、先日、担当獣医の”一ヶ月説”を質問した。
 それに対し「3ヶ月後に良い結果となった」事例を紹介された。
 そして「この注射を止めれば駄目(死)になる」との所見を述べた。
 24日、(院長診察)「血管が見えているな!輸血前は見えなかった。
 あの時は、輸血しかなかった」と回想していた。
 貧血という”病気”が判明し、20日が経過しようとしている。
 未だに”改善”の兆候は見えてこないが、(犬くんは)病魔と闘っている。
 この様な状況にあって、食欲は旺盛である。
 私とって、せめてもの慰みであり、気分的・精神的に随分と助かっている。
 食べ物を口にせず、ただグッタリされると辛い・・・
 犬くんは、健気にも・元気(食欲)をアッピールし、病気と闘っている。
 私は、それを受止め、支えて遣る事を誓う!!
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☆今日も治療を受けて・・

2014年04月23日 | 日記
 今朝(23日)5時半頃に目が覚めた。
 隣に寝かせた”犬くん”の口の中を観察する。
 舌はピンクで綺麗であるが歯茎は白でなく・ピンクでもない。
 然したる改善は、されていない様である。
 7時過ぎまで、寝床でウトウトとしていた。 
 そして、動物病院に行くため、起き出した。
 何時もの様に、病院で処方された薬(朝のサプリメント)と食事を与えた。
 8時過ぎとなって病院へ行く時刻が近づいてきている。
 犬くんをみると、グッタリとしていて、息も浅い様に感じられた。
 脳裏に最悪の状態が浮かんだ。
 子供たちに連絡しなければ・・!
 (犬くんに、これ以上)痛い目に合わすのは止めようか・・!
 いやいや!獣医に診せて、最善を尽くすべき・・!
 成立しない(混乱状態で)自問自答を続けた。
 せめて、食べられる間に”美味しい(と思われる)モノを食べさせてやりたいと思った。
 何時もの様に声掛けをした。
 「食べるか」と・・
 その言葉に反応して、何時もの様に頭を擡げた。
 ホッとした。
 後で判明したことであるが、犬には犬の都合があったようである。
 じゃぁ!(病院に)行くか! 
 話しを二日程前(21日)に戻して、その日、娘が様子をみに来た。
 娘の仕事上、街を挙げての、二日間のイベントが前日に終わり、勤務明けの帰宅であった。
 この時、娘から「血液の量(HCT値)が正常値に戻るのに3年(だったか5年であったか忘れたが時間)を要する加療が必要」との、犬の貧血に関する情報(経験談)を聞かされた。
 遅々として進まない状況に、苛立ちや不安を感じていたのである。
 しかし、娘からのこの情報で”焦ってはいけないのだぁ!”と思った。
 そして「高タンパク質の食べ物を与えた」と言う体験談から、通常のドッグ・フードに加え、納豆や豆乳・きな粉を与えてやることにした。
 今日も診察開始時間前に行き、診察時間となって受診し、今朝の犬の状態を聞いた。
 「食事をする事によって体力をつかう事、加えて血液が少なく酸素が足らないために疲れたのでないか」と言う説明であった。
 犬の今おかれている状態から、とっていた態度であった!と、理解した。
 しかし、油断は禁物であることに変りはない。
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☆うつろからうつろいに・・

2014年04月21日 | 日記
 「空ろ」からの「移ろい」は何時!!
 空しい・空虚・苛立ち・無力感、幾ら言葉を並べてみても、今ある気持ちをかえることは出来ない。
 理解はしているが”空しい!”
 明るい兆候がみえないので、家に居る時は何時も”鳴っていた音楽”も、今はただ気持ちを苛立たすモノでしかない。
 そして、日記”を書く気力が起こらないのである。
 今日(21日)も、病院に行った。
 何度目だろう!「何が起きても不思議でない」と言う言葉を聴いたのは・・?
 今日も告げられた。
 転院をして、緊急的な「輸血」と言う施術を受けたのは12日(土)であった。


 この時「回復の兆しがみえた」と思ってから、一週間が経過した。
 19日(土)に、改善がみられないことから「最後の手段で点滴による薬の投与をします」と獣医から告げられた。
 この点滴による薬の投与は「血液を壊す因子に対する免疫力をつけるもの」と言う様な説明があった。
 よくは分らないが、医師に任さなければ仕方がない。
 最善と思われることはやって、助けてやりたい一心である。
 朝、9時過ぎに受診し、診療方針(点滴の投与)に同意した。
 点滴の終了までに約8時間程を要することから「18時から19時の間で迎えに来て下さい」と言う事であった。
 犬くんを病院に預け、帰宅し、家族に現状を報告(メール)した。
 この日、私は”役目”を果たさなければならない役割があった。
 17時半頃には家を出なければならない。
 15時頃まで”役目”を誰かにお願いしようか!と、迷った。
 娘夫婦が仕事が終わったら「迎えに行く」というのでお願いした。
 明けて20日(日)、気になるのは、検査結果である。
 良くなっていることを期待し病院へ連れて行く。
 しかし、残念ながら改善の兆しは見えてこなかった。
 「現状の治療を継続し、改善を期待するしかない」と言う。
 そして、今日(21日)何時もの検査(血液の密度=HCT値の測定)はしなかった。
 口腔内を診て「現状か悪くなっている(だろう)から、少しの”血”でも採るのを止めましょう!」と説明された。
 犬くんの意思!と神仏に頼るところまで、追い込まれた感がある。
 しかし、考えてみれば、医学的に手詰まり感があっても、この二つの大きな希望と成る得る”力”がある。
 明日も、明後日も、良くなるまで病院に連れて行きます。
 医療の力と、残された大きな希望を信じて・・・・

 追伸
 日記とは!?と考えた。
 今ある現実なりを記録として認めておくことであって”書く気力もない”は理由にはならないと思われる。
 喜怒哀楽に左右されす、その時の感情なりが未来において振り返り、理解できればと(日記を書かないことを)改めたい。
 そして、音楽を聴ける気力も、持ち合わせる様にして行きたいと思います。
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☆増血度合いの追跡

2014年04月17日 | 日記
 4月12日に輸血という施術で、最悪の状態から脱したと考えたかった。
 しかし、今日(17日)まで、血液検査・注射による投薬と治療を続けているが、今だ改善の兆しがみえてこない。
 血液不足(貧血)を判定する血液検査項目は「ヘマトクリット値(HCT)」であるようだ。
 輸血をして二日目、衰弱した犬くんを息子がサポート(抱っこ)して病院に向った。
 血液検査の結果から、HCT値が改善(上がっていた)されいて、担当獣医は「良かった!下がっていたらどうしょうかと思った」と言う様なことを、私達に言った。
 その言葉を聴いて、嬉しかった。
 その後、増血を促進する(血液を破壊する因子の除去)為の注射を施してもらって帰宅した。
 発症する以前の状態にまで、元気さが戻ったと思われる動作をした。
 それは、水を飲みに行き、自分(犬)の居場所であるソファーに戻るため、ジャンプするのである。
 発症してからは、前足を掛けるが、ジャンプは出来なかったことであったことから、大きな前進と思った。
 此れで、良くなる、と期待も膨らんだ。
 しかし、輸血二日目をピークとして、数値は下がり続けている。
 一昨昨日から薬も処方され、家で投薬もする様になった。
 昨日の検査結果から、薬を増やすように指示があり、昨夕から増量している。
 今日の検査結果からも改善の兆候はみられないままである。
 食欲はあり、力強く食している様子を観て”大丈夫!良くなる!”と信じている。
 そして、明日は、改善しています様に!と、祈るばかりである。
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☆藁にも縋る想い・・!

2014年04月17日 | 日記
 先ずもって記述(報告)しなければならないこと、それは、我家の犬くん”一進一退”の状態ではあるが、治療を継続出来ている事である。
 これ以上の加療は辞めて「送ってやろう!」と覚悟を決めたとき、自然に家族が集まったのは、四月十一日であった。
 体力も無くなり、身体を横たえているだけの状態であっても、犬くんが定位置と定めた(就寝する場所)ソファーから降りて、排尿・排便のために、決められた”トイレ(シート)”に行こうとする行為に、胸が熱くなる事を覚えた。
 体力的にも問題がありながら、教えられた・躾けられた事を懸命に実行しようとしているのである。
 この真っ正直さが、愛おしいと思った。
 そして(命を)助けてやりたいと、強く思うのである。
 いま思うに、幸運と思える事があったのである。
 それは、病気が発覚する約一ヶ月前に、予約してあったトリミングである。
 このトリマーさんは、息子が飼っている犬(同じ犬種)が利用していたもので、娘(息子の嫁)の紹介であった。
 「お父さん、キャンセルした」と云うので「まだ!」と答えると「電話してみる」と、娘はトリマーさんに電話をかけた。
 「出ないかな!」と云っていたが、会話が始まった。
 予約をキャンセルすることと、キャンセルの理由を話していた。
 この時、トリマーさんの情報で「貧血と診断され、治療の後、洗髪(出来るまで回復し)に来ている(犬がいる)」と云うのである。
 一すじの光明を観た思いがした。
 息子たちはNETで、トリマーさんと娘との間の意思疎通に行違いがあった様であるが、求める動物病院を探し出した。
 そして、探し求める動物病院は「K病院」で間違いないか、トリマーさんに確認した。
 何か希望を見出したことから、周囲の雰囲気が変ってきたことを、私は感じ取っていた。
 K病院のホーム・ページから「問診表」をダウンロードし、受診の準備を整えた。
 その問診表に、来院の理由を記入する欄があり、私は率直に「藁にも縋る思いで受診した」旨を記述した。
 深夜に至って、明日、娘(MA子)が伴に(付き添って)行ってくれることとなって、皆は帰宅した。
 翌朝(土曜日)、診察開始前に行って、診察開始の9時を待つ体制で準備を始めた。
 娘も到着した。
 そして、犬を娘が抱きかかえる様にして、K病院に向った。
 K病院に到着すると、既に順番を待っている人達がいた。
 診察が始まって、今までの経緯を説明した。
 説明した中で担当獣医師から「血(液)が薄いのに点滴をして血液を薄めるような治療は如何かと思う」的な話があった。
 私としては”最良の治療”を施してもらっていた、と信じていたのに、何が正解か判らなくなった。
 しかし、この医師(病院)に、犬くんの”命”を預けようと”賽”を投げたのである。
 前日に、娘(MA子)が点滴をし終えた犬くんを迎えに行った時、受取った検査機関での検査結果書も提出した。
 担当する獣医師は「先ずは輸血が必要である」との診断結果の説明をした。
 加えて「輸血するにも”一か八かの賭け!!」と言う。
 何故なら、血がないことから血管が見当たらないのである。
 この為、輸血に適合する血液を選択するにも、採血出来ない状態であった。
 また、輸血する為には、輸血用の注射針を血管に装着しなければならない。
 血管が見出せないことから、切開して注射針を装着する”手術”から始まった。
 そして、150ccの血液(犬の体重は約7Kg)を三度に分けて輸血された。
 獣医師から指示を受けた「動物看護士」は、体調の変化(新たな血液が受け入れられるか?)を血圧や体温などから観察していた。
 加えて、注射による薬液の投与も施していた。
 輸血の効果は絶大なものである事を感じた。
 輸血の途中であったが、白かった口の中や舌が赤くなっている。
 乳首さえもピンク色に変っていた。
 その変化に驚き、付き添う娘と目を合わせた。
 良かった!と思った。
 診察を受け初めてから、約六時間後に帰宅出来た。
 グッタリとした状態から、うって変わった状態で・・・・!!
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☆脱力感に苛まれて・・!

2014年04月15日 | 日記
 我家の「犬くん」に災難がおそった。
 発端は、娘が訪ねてきて「(犬の)口の中が白いよ! 元気もないし・・」と言うことからであった。
 この犬くん、雌で、年に二回、この時期になると、食欲はなくなるし、元気がなくなるので、受け流していた。
 翌日、気分転換に散歩に連れ出した。
 草むらを避けて、海岸の砂地を歩かせるのが常である。
 久し振りの散歩で、喜ぶだろうな!と期待していた。
 しかし、しゃがみこんで歩こうとしないのである。
 「あれ!おかしいなぁ」と思った。
 翌日、動物病院に連れて行った。
 そして「重度の貧血」と診断された。
 血液検査やエコー診断を受けた。
 エコー診断で「貧血なる病巣(癌)はない。血液を造る機能の低下、若しくは血液を壊す因子をもっているのでは?」という。
 血液検査では、その病院で検査出来ないもの(項目)は検査機関に出して”病気(貧血)の原因”を調べる事とした。
 病院での血液検査で非情な結果を聞かされた。
 項目は忘れたが「我々、獣医師では、この項目が10を切ると生存出来ない、と言うのが常識!で、この犬は8.7と低く、この様に立って(生きている)ことが不思議なくらい」と言う。
 そして「何時、何が起きて(死んで)も不思議ではない」とも宣告された。
 当面、どうするか。
 検査機関での検査結果は4~5日後となる。
 検査結果から治療方針を決めるが、この間に何が起きるか分らないことから体力維持の為の点滴と増血剤の投与(注射)をすることにして、その日の施術を受けて帰宅した。
 在宅中の注意点(食事)についても聞いた。
 「好んで食べる、例えば「缶詰」などを与えて体力の維持に努めて!」と言う指導を受けた。
 帰宅し、今ある現実を理解し、受け入れようとして、一気に感情が湧き出てきた。
 少しでも気持ちを落ち着かせようと、息子や娘に連絡した。
 連絡をしている間も、込み上げて来るものを抑えることに必死であった。
 この日から、寝起きを伴にしようと行動した。
 そして、毎日、通院し治療(体力維持の点滴・造血剤の投与)を続けた。
 娘も、心配で毎日、様子を観に見た。
 私が犬が元気な時に好んで食べた食べ物を与えようとすると「無理に与えなくても!」「好きなものを今の(まだ元気な)内に食べさせてやりたい!」「諦めているの!」
 感情の昂りを抑えることが出来ず、目頭が熱くなる事を感じつつ言い争いが続いた。
 犬の今ある現実を知らされて4日目、段々と衰弱していく様をみるのが辛くなってきていた。
 その日(4日目)二度目の血液検査で、生死の境と説明のあった数値が、4.4まで低下していると聞かされた。
 もはや、息だけしている状況で「うてる手は?」との質問に獣医師は「栄養剤(点滴)を血管から投入してやること!」と言う。
 輸血と言う手段もあるが、あくまでも”対処療法(一時的に増血を図る)”で問題の解決(治癒する)にはならない。
 輸血するにしても、血液が適合するかどうか分らない、等と消極的と思える対応で、いま考えられる最良な手段は”点滴”しか無いと判断した。
 そして、点滴に要する時間は4時間ほど、との事で病院に預けて一時帰宅した。
 この事を娘に連絡する。
 暫くして、娘から連絡があった。
 「〇〇が世話になった◇◇病院に相談してみよう!」と言う提案であった。
 〇〇とは娘の嫁ぎ先で飼っている犬の名前である。
 藁にも縋る思いであることから、娘の提案を受け入れ、◇◇動物病院に行った。
 状況を説明すると「いま受けている治療方法しかないのでは!?」と言う返事であった。
 「(打つ手が無いなら)頑張った。もう楽にしてやろう!」と言う娘の言葉は、私も思ったことで、私からから発するもので無く救われたが、やり切れない無情な感情は抑える事が出来なかった。
 娘から「病院から抱いて連れて帰りたい。 私が迎えに行って良い!」との申し出があり、思いを成就させてやることとした。
 私は家で静かに帰宅を待った。
 夕刻、娘夫婦と伴に帰ってきた。
 やがて、息子の家族も駆け付けてくれた。
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☆琵琶湖周遊ツーリング

2014年04月12日 | 日記
 琵琶湖を目的とした”周遊ツーリング”は、明日(12日)に出発する予定であった。
 事情があって、再延期する事になりました。
 天気の状況も芳しくない(当地の降雨確率が高い)事も、一要因となった。
 楽しみにしていたツーリングであったが、昨年に引き続き延期する事に至ったことを報告(日記)します。
 楽しい旅日記が書けると思っていましたが残念です。
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☆神様と言えども常に学習あるのみ・・!

2014年04月09日 | 日記
 今日、何処であったか?(病院の待合室?)TVで「神社もプリペート式のお賽銭箱を採用する」と言う内容のニュースを観た。
 一昨昨年、アメリカを短期旅行する機会を与えてもらった。
 アメリカ国内の航空機内でのサービスに対する対価支払いは「キャッシュ・レス・カード」(ワイヤレス端末機)で、その先進性に改めて接する事が出来た。
 確かに、私も日常的な買い物においても「キャッシュ・レス・カード」(POS端末機)での清算もある。
 現金支払いでない方法に「キャッシュ・レス・カード」「プリペート・カードや携帯端末機」等が知られている。
 現金を取り扱う「カード」としては銀行が発行する「キャッシュ・カード」がある。
 社会人となっての初め頃の給料の支給は、現金であった。
 その後、給与は銀行振り込みとなって、給与振込み銀行のキャッシュ・カードを手にしたことが「カード」社会への入門であった様に記憶している。
 そして、色々な”誘惑”があり「キャッシュ・レス・カード」を持つ様になった。
 30数年前であろうか・・・?
 ここで、考えたのが、神様は何らかの予行演習(学習)的なものがあって、お賽銭もお賽銭箱で無く、目に見えない”お賽銭箱(NET上の)”にお供えすることも”可としますよ!”と了承されたのでしょうか?
 神社の人が答えていたので”神様”の真意の程は不明である。
 此れからの世代では、カード支払いのお賽銭箱が、従来のお賽銭箱の位置にあって、我々が馴染んでいる”お賽銭箱”は、今日TVで観た、キャッシュ・レス・カード支払機の位置に移動しているのだろうか?
 そして、賽銭箱での”現金取引(即決)”?であったものが、カード会社からの通知によって”御供え額”を知ることになるのでしょうか・・・ねぇ!!
 余計なことながら、通知を受け取った神様は「聞き届けすぎた(安過ぎた)!」てな事にならないのだろうか?
 神様と言えども安閑とはして居られない時代となるのでしょう。
 人々の願いを聞き届けながら、願いを求める人達の都合に合せなければならいという時代の変遷を、有史から次世代へと引き継いでいかなければ成らないのでしょうから・・・・・
 お神様も大変!と思ったTV放送であった。
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☆人の想いは、我が想いにあらず!

2014年04月07日 | 日記
 今日(4月6日)夕刻、娘・夫婦が訪ねてくれた。
 そして、食事を伴にした。
 陶芸に関する私にとって、未知な話を聞きながらの楽しい食事であった。
 食事が終わって、家に戻った。
 そして、造り終えた五つの”ランプ”の評価をしてもらっった。
 ”あぁ!無情”であろうか?
 我が娘ながら”言いたいことを云いやがる!!”と思った。
 しかし、娘であるが故の”遠慮なし”の評価ではある。
 正直、私のなかに”良いね!”と、評価されるとの思いはあった。
 私は、私が思う(イメージした)ものが出来たと思ったことと、評価のギャップに”言いたいことを言いやがる”と言う思いになったのでしょう。
 色づけには難点があり、思い描く”色表現”にあっていない。
 色付けの絵の具が「二色しかなかった」は、言い訳になるのでしょう。
 緊張する作業としては、瓶の下部に穴をあけ、瓶の内部に電気コードを通し為の穴あけ作業である。
 急ぎ過ぎると、割れてしまうし、滑らすとガラス瓶に傷が付く。
 先の日記「製作&創作」で一部、完成品を登載したが、それ以外にも造り終えたので追加している。
 基本的にスタンド部分となるガラス瓶は”お酒”の瓶である。
 銘柄表示を残すことも、アクセント(写真:右)となって良いのでは!と思っている。
      
 写真・左の二つが私の想い描くものに出来上がったかなぁ!と思うものである。
 ガラス瓶のスタンド部分の一部を”ホヤ”として造ってみた。
 シェードは半球状に紙(手漉き)を成型した。
 左の二つは同じものであって、点灯・不点灯の状態である。
 シェードの厚さ・薄さで、光の透過度が異なり、無作為な模様となる。
 スケルトンであるが故に、内部の配線に工夫をした。
 娘に言わせれば「スリガラス化」すれば良いではないかと”一喝”である。
 しかし、聞きいれる価値はある。
 光るホヤ部分から下部は”スリガラス”化すれば、要らぬ小細工であったと反省する。
 ガラス瓶をホヤとしたことから瓶の内部に電球を入れなければならない。
 細長いガラス瓶の栓の部分は、電球を入れるため、カットした。
 そして、光源である電球は、取替えが必要なことから、電線は伸縮しなければならない。
 スパイラル・コードにすれば、見栄えが良いのでは!と考えた。
 そして、この電線が、常に瓶の底、中心部から伸びる様にと”小細工”を施したのである。
 娘の発想した、目隠し(スリガラス化)すれば、小細工を省き、事は単純に成就出来る。
 この後に及んで尚「Simple is Best」と言う言葉に辿り着くのである。
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☆えぇ!如何しよう・・?

2014年04月06日 | 日記
 昨日(4月5日)のこと。
 スーパーマーケットで牛乳 他を購入した。
 硬貨が無かったので1000円で支払った。
 500円硬貨 他の残金が帰ってきた。
 続いて、ホームセンターで、持合わせが無い、3mmの長めのボルト・ナットを購入した。
 製作中のアンプの部品を取付けるボルトが、寸足らずなことから購入したものである。
 そして、先程のスーパーでの残金で支払った。
 支払いを求める”皿(プラ製)”に差し出した硬貨に見覚えが無い。
 「えぇ!此れなに?」と一瞬、慌てた。
 変造貨幣?、外国の貨幣?、先のスーパーで掴まされた?!と、脳裏を駆け巡った。
 つい出た言葉が「これいける(使える)?」
 レジ担当の女性が硬貨を見て「OKですよ。JAPANと書い(刻まれ)てありますよ。記念貨幣ですね!」
 確認ため、返金してもらって見てみると「地方自治」と刻印があり、この刻印に馴染みが無かった事から”慌てふためいた”のであった。
 「記念にもらっておくわ!」と、改めて1000円紙幣で支払いを終えた。
 帰宅して、NETで「記念貨幣」を検索してみた。
 地方自治60周年記念貨幣として、平成20年から毎年、3県(平成21年は4県)の記念貨幣が発行されていることを知った。
 我が県は未発行で、馴染みが無かった事から混乱してしまった事件?であった。
 私が手にした記念硬貨は「福井県」のものであった。
 それにしても”金は天下の回りモノ(?)”と言うことで、広く流通するのだなぁ!と関心している。
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☆1,810円

2014年04月05日 | 日記
 此れは、今朝購入した灯油18?の購入代金である。
 所謂”セルフ”給油である。
 今朝、起きると”寒い”と感じた。
 起きて、何時もの様にNETでのニュースやメールの有無を調べた。
 寒い!! 室温が10℃である。
 昨日までの暖かさとは別世界の様に感じられた。
 急遽、暖房用の灯油を買いに走った。
 そして、昨日何時もの様に、スポーツジムの帰りに食料品を買いにスーパーに行った。
 消費税が値上げされて初めとなる買い物であった。
 消費税分、3%だけが騰がったという感じではない。
 正直、全体が高くなったと、身を持って感じた。
 賃金(収入)のベース・アップと言う喜びもなく、少しの贅沢=(値段が)高いけど、食べてみたい、と言う気持ち=さえも控えなければならないのか、と考えると寂しくなってしまう。
 少しの贅沢とは、昨日、スーパーに行って、苺が求め易い価格になっていて、一度は手にしたが「まあ、良いか!次にしよう!」と戻した、と言う程度のことではあるが・・・・
 色々と理由をつけて”便乗値上げ”もされている様である。
 保険料等も値上がりすることから”財布の紐”をシッカリしていなければ、年に数度の「宿泊してのツーリング」も出来なくなる。
 今日の気温の様に、実にお寒い気持ちとなった四月五日である。
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☆日記「こんなの知ってた!!」のその後

2014年04月05日 | 日記
 私の生きてきた中で、知らないことも多々あるが”蜜柑”という食べもの(果物)の、なかにも知らなかったものがあったことを過去(日記「こんなの知った!!」で)に”告白”している。
 その日記を読んで「文旦」ではないかとのコメントを頂いた。
 知ることが必要と思い、頂いた方に問合せた。
 「晩白柚」と言うものであった。
 今日(4月4日)、触れてみると柔らかくなっている。
 頂いた頃は「今は香りを楽しめ! 食するのは四月になって・・・」と云う事であった事と合致していることから食することとした。
 普段の蜜柑の感覚で、手で果皮を剥ごうとしたが駄目であった。
 ナイフ(包丁)で表面をカットし指(爪)を入れたが深い。
 更にナイフで(深く)切り込みをいれ、果皮を剥いだ。
 何と言う事でしょう!! フカフカで、しかも裂けにくい”真綿の様な衣”に包まれた果実が出て来た。
 果皮と”衣”を合わせると5cm位あっただろうか?
 果実そのものは夏蜜柑位の大きさでしょうか。
 食べ物のレポーターなら食した感覚を、どの様に表現するのだろうか?
 私は”レポーター”に成れないなぁ!と思った。
 それでも、食した感想は、水分はそれ程・多くなく、通常、蜜柑として食している「温州蜜柑」の様な”甘み”はない。
 それでいて、酸っぱくもない。
 当たり前であるが初めて食する”味”であった。
 半分ほど食したが、食べきれず「如何しよう!?」と考えた。
 蜜柑特有の薄皮を剥いで、果実だけとし、ラップをして冷凍することにした。
 明日にでも、冷凍した「晩白柚」を味わってみたいと思います。
 全てが万事、初体験である。
 「晩白柚に関しては」と言うことが一つ付け加わった。
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