2012年9月、奇しくもアメリカをバイクで走る機会を得た。
娘夫婦が誘ってくれて実現した”物語”である。
「バイク(アメリカ製)乗るなら、セブンマイルブリッジを走る夢を実現しない?」と、娘から幾度か呼掛けがあった。
しかし、異国での会話が成立しない私にとって”ストレス”の何者でもないことから”(儘ならない)夢”として胸に閉まっていた。
でも、実現したのである。
先ず、レンタルするバイクの手配である。
行きつけのバイク店(BP)で、スタッフも利用すると言う、レンタル・バイク店を紹介された。
NETで検索し、メールを送ってみた。
日本語で返信があった。
日本人の現地スタッフが居て、対応してくれた。
日本語でのやり取りで、レンタルするショップと車種を決め、保険のグレード等を決めることにストレスは無かった。
予約は完了した。
そして、2012年9月23日9時過ぎには、現地でのレンタル処理が完了し、生れて初めて”異国”でバイクを走らす!事となった。
フロリダ州オーランド(近郊?のレンタルショップ)から「ケネディー・スペース・センター(NASA)」に向かった。
NASAを見学後、セブンマイルブリッジに向け走行する。
高速道路を”行けども・行けども”目的地に到着しない。
半島(フロリダ半島)といっても広い!!
24時前、宿泊地・パーム・ビーチに到着。 明日は4時・出発と決め、就寝した。
バイクの返却が出来なければ帰国できないというタイトなスケジュールである。
24日、4時半過ぎに、ホテルを出発しセブンマイルブリッジに向ってひた走りに走った。
フロリダ半島を離れ「キーラーゴ島」付近で左の空が明け始めた。
そして、セブンマイルブリッジを走り終え「バイーヤ・ホンダ州立公園」でUターンし、オーランドのレンタルショップへと帰ってきた。
時間内に返却する事が出来て、予定通りに、帰国する事が出来た。

前置きが永くなったが「いま、改めて思う事!」
それは、23日・24日の二日間、私は孤独であった!と、改めて思った。
娘夫婦達は自動車での移動で、写真撮影等は娘達にお願いしていた。
最近になって”動画”を見直した。
車内の会話が鮮明に記録されている。
その時、私はただ附いて行くだけで、変化する風景と、運転操作を楽しんでいた。
しかし、動画を見直す事によって”NASAに行き、セブンマイルブリッジを走った”と言う単純な思い出から、何処を走り、どの様にして
帰ってきたかという情報を改めて得る事ができた。
マイアミ付近?に「ヤマト・ロード」なるものがある。
バイクで走ったロード(フリーウェイ)である。 その時は、ヤマト・ロードなること等知る由もなく!である。
会話の内容からNETで調べた。
先人達の歴史である事が分り感銘を受けた。
また、フロリダ半島から橋で渡った島は「キーラーゴ島」で、フロリダ州モンロー郡珊瑚礁列島・最大の島であることも判明した。
セブンマイルブリッジの旧道は、20世紀の初頭に建設された鉄橋であったとの記述を見つけたが、定かではない。
そして、パトカーの追尾を受けていた事も、記録された動画で分った。
”両サイドが海”何ていう景色は、山口県の角島大橋や、沖縄県の浜比嘉大橋・等しか知らない。
11Kmにも及ぶ景色が”海”だけなんていう経験はない。
”キョロキョロ!”とした運転操作に不審を抱いたのであろうか? 追尾されただけで事は起きなかった。
折り返した地点も、車内の会話などから「バイーヤ・ホンダ州立公園」であったことも判明した。
帰路の途中で、車線変更したために、娘達の乗る車両を追い越す羽目になった。
車列の流れで、離れてしまった。
不安になって娘等の来るの待った。
30分位してであろうか!合流はできたものの、ものすごく永く感じ、時間の経過と共に不安は増幅していた。
土産物を買うため、立ち寄った様である。
此れも動画を観て分った事である。
もし、間違った道であって、合流できなければどうなっていたか? 空恐ろしい事であった。
記録写真や動画を改めて観て、私がバイクで!と云わなければ、キーウエストまで行けたものを!と、反省もしている。
そして、ハードな行程にも関わらず、達成出来たこと(バイクでセブンマイルブリッジを走る)に、改めて感謝したい。
これ等の情報を基に、改めて「旅行記(スライド・ショー)」を造り直した。
動画も交え、五話仕立て(一日一話)の”旅行記”が出来上がった。
無知であった旅行が、有る程度の情報を持って、二度目の旅行をしてきた様で”得をした”心地である。
しかし、長時間の動画を観ながらの編集は、並大抵の作業では、なかったことを付け加えておきたい。
今日の絵日記の絵(写真)は、フリーウェイとセブンマイルブリッジ(右)を走る様子とします。
娘夫婦が誘ってくれて実現した”物語”である。
「バイク(アメリカ製)乗るなら、セブンマイルブリッジを走る夢を実現しない?」と、娘から幾度か呼掛けがあった。
しかし、異国での会話が成立しない私にとって”ストレス”の何者でもないことから”(儘ならない)夢”として胸に閉まっていた。
でも、実現したのである。
先ず、レンタルするバイクの手配である。
行きつけのバイク店(BP)で、スタッフも利用すると言う、レンタル・バイク店を紹介された。
NETで検索し、メールを送ってみた。
日本語で返信があった。
日本人の現地スタッフが居て、対応してくれた。
日本語でのやり取りで、レンタルするショップと車種を決め、保険のグレード等を決めることにストレスは無かった。
予約は完了した。
そして、2012年9月23日9時過ぎには、現地でのレンタル処理が完了し、生れて初めて”異国”でバイクを走らす!事となった。
フロリダ州オーランド(近郊?のレンタルショップ)から「ケネディー・スペース・センター(NASA)」に向かった。
NASAを見学後、セブンマイルブリッジに向け走行する。
高速道路を”行けども・行けども”目的地に到着しない。
半島(フロリダ半島)といっても広い!!
24時前、宿泊地・パーム・ビーチに到着。 明日は4時・出発と決め、就寝した。
バイクの返却が出来なければ帰国できないというタイトなスケジュールである。
24日、4時半過ぎに、ホテルを出発しセブンマイルブリッジに向ってひた走りに走った。
フロリダ半島を離れ「キーラーゴ島」付近で左の空が明け始めた。
そして、セブンマイルブリッジを走り終え「バイーヤ・ホンダ州立公園」でUターンし、オーランドのレンタルショップへと帰ってきた。
時間内に返却する事が出来て、予定通りに、帰国する事が出来た。


前置きが永くなったが「いま、改めて思う事!」
それは、23日・24日の二日間、私は孤独であった!と、改めて思った。
娘夫婦達は自動車での移動で、写真撮影等は娘達にお願いしていた。
最近になって”動画”を見直した。
車内の会話が鮮明に記録されている。
その時、私はただ附いて行くだけで、変化する風景と、運転操作を楽しんでいた。
しかし、動画を見直す事によって”NASAに行き、セブンマイルブリッジを走った”と言う単純な思い出から、何処を走り、どの様にして
帰ってきたかという情報を改めて得る事ができた。
マイアミ付近?に「ヤマト・ロード」なるものがある。
バイクで走ったロード(フリーウェイ)である。 その時は、ヤマト・ロードなること等知る由もなく!である。
会話の内容からNETで調べた。
先人達の歴史である事が分り感銘を受けた。
また、フロリダ半島から橋で渡った島は「キーラーゴ島」で、フロリダ州モンロー郡珊瑚礁列島・最大の島であることも判明した。
セブンマイルブリッジの旧道は、20世紀の初頭に建設された鉄橋であったとの記述を見つけたが、定かではない。
そして、パトカーの追尾を受けていた事も、記録された動画で分った。
”両サイドが海”何ていう景色は、山口県の角島大橋や、沖縄県の浜比嘉大橋・等しか知らない。
11Kmにも及ぶ景色が”海”だけなんていう経験はない。
”キョロキョロ!”とした運転操作に不審を抱いたのであろうか? 追尾されただけで事は起きなかった。
折り返した地点も、車内の会話などから「バイーヤ・ホンダ州立公園」であったことも判明した。
帰路の途中で、車線変更したために、娘達の乗る車両を追い越す羽目になった。
車列の流れで、離れてしまった。
不安になって娘等の来るの待った。
30分位してであろうか!合流はできたものの、ものすごく永く感じ、時間の経過と共に不安は増幅していた。
土産物を買うため、立ち寄った様である。
此れも動画を観て分った事である。
もし、間違った道であって、合流できなければどうなっていたか? 空恐ろしい事であった。
記録写真や動画を改めて観て、私がバイクで!と云わなければ、キーウエストまで行けたものを!と、反省もしている。
そして、ハードな行程にも関わらず、達成出来たこと(バイクでセブンマイルブリッジを走る)に、改めて感謝したい。
これ等の情報を基に、改めて「旅行記(スライド・ショー)」を造り直した。
動画も交え、五話仕立て(一日一話)の”旅行記”が出来上がった。
無知であった旅行が、有る程度の情報を持って、二度目の旅行をしてきた様で”得をした”心地である。
しかし、長時間の動画を観ながらの編集は、並大抵の作業では、なかったことを付け加えておきたい。
今日の絵日記の絵(写真)は、フリーウェイとセブンマイルブリッジ(右)を走る様子とします。