ふくちゃんの絵日記

バイク等での旅行記や、日常生活で感じたことを、絵(写真)に描けるものは描き(添付)絵日記風にしたいと思います。

愛着あれど・・・

2016年01月31日 | 日記
 現役を退いて、十年程になろうか・・?
 何時かは処分をしなければ成らないと思いつつ、忍びがたくて、処分が出来なかったモノ。
 それは、雨の日も・風の日も、寒い日も・暑い日にも着ていた”背広”である。
 娘が、未整理のまま残置していたものを整理しに帰ってきた。
 私も、意を決し、二着程を残し、廃棄することとした。
 若かりし頃”ステイタス”であり”誇り”と思っていた背広の内側に、刺繍された”名”の扱いに困った。
 カミソリで剥がそうとしたが、そう容易くは取りきる事が出来ない。
 二着程・頑張ったが「えぇっ!もう良い!」とあきらめた。
 リサイクル・ショップに、持ち込む程でもない。
 食品スーパーが、サービスとして実施している「古着回収Box」のお世話に成ろうと思う。
 先日、両親の遺品を整理するため帰省したが”残されても困る”ことを実感している。
 しかし、生活=生存している間の楽しみである・オーディオであったり、工作する工具・道具類を如何にするか、見極めが非常に困難である。
 お迎えが来ることを、只・待つだけでは、悲しいし・寂しいと思うのである。
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プロとは?

2016年01月30日 | 日記
 息子から「コーヒー講座に行ってきた」と云う話しがあった。
 喫茶店の開業準備を進めている、Ho氏(50数年来の友人)のご子息に同伴して参加したとの事であった。
 コーヒーを点てる、即ち、個体から液体化する事は、誰もがした経験のあることである。
 息子に質問した「プロ(バリスタ)とは!」
 息子・曰く「味を変えないこと!」と答えた。
 すごく当たり前の様な答えではあったが、何故が説得力のある回答であった。
 バリスタ(対価を得てコーヒーを提供する者)の役割を、改めて知らされた事であった。
 誰にでも出来そうな事を、不変的に継続させる”技”を有する者を”プロ”と云うのでしょう。
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何故か知ら!

2016年01月29日 | 日記
 天皇陛下のフィリピンを訪問したニュースを観て、何故か目頭が熱くなって、涙がこぼれた。
 何なんだろう?
 私を、此れほどまでに熱くするのは・・・
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実現は・・・・?

2016年01月28日 | 日記
 往復・約150Kmを自転車で走破するにあたっての感想である。
 広島県尾道市と愛媛県今治市を結ぶ”しまなみ海道”を、自転車で走ろう!と思っている。
 二度目となる挑戦である。
 平成11年5月30日に開催された「ツール・ド・しまなみ99」に参加し、完走(完走証を授与)している。
 しかし、この時は、今治市側から、尾道市までの片道であった。
 今度は、今治市側にあるサイクル・センターに、車両を置き”しまなみ海道サイクル・ロード(片道・約75Km)”を走行し、尾道市・若しくは、向島で宿泊し、折り返す計画である。
 実施の時期については、暖かくなった近日中に実行したいと思っている。
 しかし、不安な事もある。
 体力である。
 スポーツ・ジムでのトレーニングも、徒歩からバイクに移行させた。
 なだらかな坂道を想定した負荷をかけ、30分間・ペダルを踏む。
 示す・走行距離は(30分で)約7Km
 これを実践に置き換えれば、ペダルを踏み続けて、5時間⁺を要する距離である。
 ジムでペダルを踏みながら”大丈夫!?”と思ってしまう。
 ”案ずるより産むが易し”
 三才から乗り続けた自転車という自負もある。
 しかし、ロードでの実走など、トレーニングを重ね、完遂させたい。
 宿泊先での、祝杯を楽しみにして・・・・・
 
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音楽というもの

2016年01月27日 | 日記
 ”音楽”について調べてみた。
 Goo辞書によると。
 音楽とは、音による芸術。音の長短・高低・強弱・音色などを組み合わせて肉声や楽器で演奏すること。
 演奏とは、音楽を奏すること。
 と、定義されている。
 何で今になって!と思われるかも知れない。
 先の・JAZZライブで「音楽って何?」と考えさせられた。
 私の、音楽に関する”拙い”知識・理解は、メトロノームの様にリズムが刻まれ、旋律が乗っかると云う形態であると、理解している。
 聞く方は、心地良く刻まれるリズムに合わせ”首を振る”仕草が自然発生的に起きる。
 恰好良く”首を振る”ために練習までするのである。 頭ではなく、首である。 難しいよ!!
 スイング感であったり、リズム感があって、ワクワクさせる。
 その様な、初歩的な音楽(JAZZ)に対する思いは、音楽的評価が高かったことから購入した、ジョン・コルトレーン(至上の愛)によって様相が変わった。
 前衛JAZZ・フリーJAZZと云うモノに初めて接したのである。
 正直・楽しくはなかった。
 その後、山下 洋輔のコンサートがあり、聞きに行った。
 眼前で繰り広げられる、私の常識を打ち砕く”演奏手法”に圧倒された。
 しかし”首を振る”楽しさは、此処にもなかった。
 生演奏で、只々・圧倒されていた記憶が残っている。
 ”私には難解!”と疎遠になっていた。
 時間の経過があって、先日の「藤井 郷子」のJAZZライブに続くのである。
 演奏が始まって、お恥ずかしい事であるが「あれぇ!聞いたことあるよ!」と、思った。
 そうです。同じライブ会場での、藤井 郷子(P)田村 夏樹(Tp)は、二度目であった。
 今回は、このお二方に、トランペットとドラムが加わった”カルテット”である。
 演奏手法が多種多様で”この様な(音での)表現方法もあるんだぁ!と、意表を突かれた思いであった。
 シンバルを回転させる・もう一枚のシンバルを当てると、摩擦音が起きる。
 回転速度であったり、回転するシンバルの内外周で、音調が変化する。
 小さな物体をピアノの弦に置くと、弦が振動によって発音する。
 また、ピアノの弦に”糸”を通し、弦楽器の弓引きと同様な手法によって”物語”を表現しようする。
 一般的ではない手法で!である。 少なくても私の知識では・・・・
 トランペットの奏者も、吹き口に、ゴム・チューブな様なものを装着し、チューブを伸ばしたり・縮めたり、はたまた、チューブを指先で触れる位置を変えて、旋律を造る。
 挙句に、伸ばしたチューブをギターの弦を爪弾く様な仕草で”表現”するのである。
 私の音楽と云う理解には、ほど遠いものがあるが”音楽”と云う事になるのでしょう!
 藤井 郷子さんに関するCDは、二枚となった。
 一枚は、自らが購入したもの。
 一枚は、贈呈を受けたものである。
 折にふれ、聞いてみようと思う。
 何故か、北島 三郎の「風雪ながれ旅」(二番の歌詞)が思い出されたのである。
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意匠的に気に召さず

2016年01月26日 | 日記
  
 今も、飽くことなく造り続けている「電気スタンド」である。
 ストックしておいた・洋酒の瓶(760ml)のデザインが気に入って、シェードを造ってみた。
 しかし、ネックの部分が長く、強調したい、シェードに織り込んだ”押花”にスポットを当てようとすると、裾の部分が”殺風景”と成ってしまうのである(写真:左)。
 如何にも、気にいらないことから、造り替えた(台座となる瓶の部分)のが、右である。
 この瓶(720ml)は寸胴で、ネックの部分が短いので、自然と裾の部分も収まっていると、思うのである。
 洋酒より焼酎が、お好みであるという、身ヒイキからではない。
 あくまでも、意匠的に考えた結果である。

 蛇足:光源は、100v用のLED電球であるが、初期のタイプで、この形状から云うと、光束が上部に集中してしまう。
    最近では、一般の電球の様に、全方位型もあるが、高価で買えない。
    そこで、シェードのトップの径が、DVDと同径であったことから、反射材として使わなくなったDVD(盤)を装着している。
    上部から漏れる光量も、適度に制限されている。
    LEDは、発熱も少なく、手造りのシェードにピッタリである。

 
 
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どうせい(どの様にしなさい)!と云うの・・

2016年01月25日 | 日記
 パソコンの外部記憶媒体(ハード・ディスク)に溜め込んだ楽曲の事である。
 Windows7から10に移行させ、理解不足で不便を感じつつも、使っている。
 一番の問題は「貴方には、アクセスする権限がありません」的なメッセージが出て、楽曲が再生出来ない事である。
 セキュリティーが強化され、そのことが影響していると、教えてくれる人も居る。
 ならば、外部にアクセスしない機器を”準備すれば”&”準備しなければ”採り貯めた・収集した楽曲が聞けないのか・・・?
 やはり、アナログ人間は”円盤”によるコレクションが良いのかなぁ!と思ってしまう。
 しかし、現状では、円盤に移行させることも出来ない異常事態である。
 レコードをディジタル化したものは聞くことが出来ることから、何らかのガードが働いている?程度の理解しか持ち合せていない。
 今しばらくは、苦悩は続くのでしょう・・・・
 何時まで経っても、悩み多きことである。
 ”ワクワク・ドキドキ!”する様な、青春の悩み事であった昔が懐かしい。
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寒さのせい?

2016年01月24日 | 日記
   
 今日の絵日記の絵(写真)は、我が家の”犬くん”三態である。
 寒さのせいか、椅子に座って寛いでいると”お邪魔しますよ!”とばかり、私のお腹に乗っかってくるのである。
 以前にも日記にしたが、体重が7Kg+ある。
 乗っかって来る時には、思わず”うぅっ!”と衝撃を受ける。
 暫くすると、犬くんは、寝息を立てて、お休みタイムにはいる。
 犬くんは、寛いでいるが、時間の経過とともに、私への負担は増幅してくる。
 犬くんも心得たもの、私が何かをしようとする気配に気付き、そそくさと退散する。
 トイレに行ったり、お茶の用意を済ませると”用は済んだか?”と、お腹に又しても乗っかって来るのである。
 この様な”あ・うん”の呼吸が心地良く、日常的な・当り前のような生活時間である。
 やがて、春ともなれば、舌を出し、体温調整が必要となる季節になれば、この様な形態も変わるのでしょう。
 季節が変われば、我々の生活形態も変わる。
 これもまた”四季折々”と云ったところでしょうか?
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往年のライダー

2016年01月22日 | 日記
  
 今日の絵日記の絵(写真)は、六十数年前と思われる写真である。
 先日の帰省は、父母の遺品を整理する目的もあった。
 写真であるとか、神社仏閣に参拝した時の品などは、容易く捨てられるものでない。
 義姉から、妹と私に、整理を任された。
 神仏に関わるモノについては、焼却(個人での)が出来ない(地域の)定めから、近くのお寺さんにお願いし”お祓い”をしてもらった。
 そして「何でも引き取ります」という”お店”に持ち込むモノと、ゴミとして出せるモノに分別した。
 私に関するモノで、兄の子供や孫が、必要ないと思われる一部の写真と、寺院への参拝用の白装束(母の手造り品)をもらって帰った。
 私が、小学校の低学年(3年生くらい?)の時であっただろうか?
 父が語ったツーリングの話を聞いた記憶が蘇る、数枚の写真を見付けた。
 写真撮影された場所は、実家の裏門に続く、小学校の運動場である。
 何時の時代でも”モノ好き”は居るものである。
 当時は、舗装道路で無く、路面が乾くと先行車の土ぼこりが舞い上がり、先が見通せない状態になること。
 雨が降れば、雨溜りが出来て、凹部の規模が判らず、転倒事故を起こす危険もあったこと。
 胃下垂に成らないために、腹部ガードルが必須であること。
 等と、語っていた父の姿が思い出された。
 往年の名車が”どうだぁ!”と、見得を張る当時の様子が窺える。
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日が迫ってきて・・・

2016年01月21日 | 日記
 23日(土)JAZZライブの御案内を、I氏から頂いている。
 今日は21日である。
 喉が痛く、咳も酷いものである。
 風邪の終焉の症状として、猛烈な”汗”を掻き、何度も下着や寝間着を着替えなければならいものと、未だに思っている。
 まだ、そこまで至っていないのである。
 と・云う事は、本復は、まだ先なのでしょう・・・か?
 せめても、金曜日には、スポーツ・ジムに行って、入浴を果たしたいと思うのである。
 発汗の症状が無いなら、晩酌で現状把握(わが身の在り様)をしてやろうか!とも考える。
 体調が好ければ・元気なら”晩酌”が美味しいのである。
 それに、体内に不法侵入して”悪さする菌”を、消毒する効果を期待し、飲酒もアリとも考える。
 その昔、怪我したり、手術する場面で、焼酎を口に含み「プッ」と患部に吹き付ける場面をよく観る。
 ”先人の知恵”なら効果あり・・・?
 勝手な、都合の良い解釈をするのである。
 これって、改善している証?? なのでしょうか?
 日が迫っている、本復を望むばかりである。
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チーンと云わない電子レンジ (加筆)

2016年01月20日 | 日記
 温めモノに重宝している”電子レンジ”である。
 何でも、導電性の物質に”電波”照射すると、物質の分子レベルでの微振動によって、物質・自らが発熱する。
 ジュール熱(フィラメント=電熱線)よって、外部から加熱するものとは、基本的に異なる。
 先日、犬くんにサツマイモを食べさせようと、水を含ませた紙とサランラップで包み、何時ものように電子レンジで、蒸そうとセットした。
 何時まで経っても、動作が完了した合図の”チーン”が鳴らない。
 壊れた様である。
 毎日使うのではない。
 そして、使ったとしても、長くて7~8分でしょうか?
 待機時間で”寿命が尽きた・・・?
 しかし、20年程・使ったのだから仕方がないのでしょうね!
 あぁ!モノ要りやなぁ!!
 頻繁に使うものではないが、便利さを知ってしまった。
 ”惚れた弱み”でしょうか・・・?
 吟味して、手に入れ(買えかえ)なければならないでしょう。
 厚化粧でなく、到ってシンプルな”お人柄(=温め専用)”にします。
 ”宝の持ち腐れ”と成らない為にも・・・
 
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体調

2016年01月19日 | 日記
 昨日(18日)体調の変化に気付きながら目覚めた。
 風邪をひいた様である。
 食事も億劫になる。
 それでも、体力をつけなければならない。
 今朝も目覚め、シックリしない我が体調である。
 退屈の極みではあるが、体力・温存のため、寝てなければないのでしょう・・・
 人と会って会話は、楽しいものであるが、”逢いたくない”と思う気持ちは何だろう?
 優れない体調による所為でしょうか・・・
 それにしても、寒い!
 そして、時々、家を揺るがす突風が吹く。
 「あれ!地震?」
 この様な状態で(地震で)避難しなければ成らない事を思うと、ゾッとする。
 ”泣きっ面に蜂”と言う事になるのでしょう。
 せめて”泣きっ面”で収まってほしいものである。
 喉が痛く、不快ではあるが、手だけは動かせている。
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おい・おい、夢を壊すなよ!

2016年01月18日 | 日記
 BS放送「時代を飾った作詞者たち」と言う番組を観ての思いである。
 17日の放送であった。
 私が28才で、家族”我が家”を伴っての、転勤・転居を果たした頃であった。
 転勤先は、思想的な重圧に、悩み多き日々であった。
 その様な時に、聞いた楽曲があった。
 心の安らぎを覚え、時に触れ聞くようになっていた。
 そして、レコードを買って、聴くまでになっていた。
 私の思いは、その当時の歌唱力であり・若さであった。
 音楽的な理論は判らない。
 でも、この放送番組を観て、寂しい思いが込みあがってきたのである。
 音楽的なテクニックとか、声楽的な理論で”今が良し”とするのかも知れない。
 人間加齢と供に、声量も音域も低下することは、止むを得ない事である。
 判っていても、当時と同じ”映像”を期待するのである。
 私の感性で・・!
 レコードに残る、往年の彼女の姿に憧れ、これからも”タイム・スリップ”のままで大事にしたいと思った、残念な番組であった。
 
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平安な頃の想い

2016年01月18日 | 日記
 私の支えとなり・当たり前の様に、私の周辺に存在していたモノが、この様な事態になるとは・・・
 今ある・私のパソコンである。
 メールを確認し、心の安らぎを得る”楽曲”を気分によって選曲する。
 社会の出来事(事件・事故を知り、検索によって有様)を知る”ツール”でもあった。
 そのツールを今までは、何の抵抗も無く、これ等の操作を、やり遂げていたものであった。
 パソコンが修復したことから、久し振りに音楽が聞きたいと思った。
 動作しない。
 「何故・観えない・聞こえない」
 ドライバーの機能を付加したか?
 オーディオ装置につながるドライバーと言うモノの機能が、働かなければならない。
 長年に渡って積み重ねてきた”機能”を一度に回復させる事は困難を極めている。
 動作を機能させる作業(ソフトの投入)をする必要がある。
 ”カット&トライ”で、無い知識や知恵をフル投入して、元ある機能の回復に努めているところである。
 場面によっては、誰かの知恵を借りなければ、ならない。
 技術と知識の無さから、葛藤は、今しばらくは続くでしょう!
 一日も早く、元の機能に回復させ、楽しく音楽や映像を見聞きしたいものである。
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如何ともし難い

2016年01月17日 | 日記
 無学な・知識の無い事への思いである。
 今朝、パソコンを修復して頂いた、Ka氏から電話を頂いた。
 「DVDが外付け・内臓は、関係ない。最初に、何を選択するかと言う事である」とのご教示を頂いた。
 今後も、何か問題があれば、Ka氏を頼れば良い!との、安易な気持ちの現れだったのでしょうか?
 (私の脳裏の)詮索は止めにしました。
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