↓の続きも意識しつつ・・・今日はちょっと真面目に書いてみようかな。
父の死と、それに続く母の認知症は、私にさまざまな事を教えてくれました。
誰でも一度は?死ぬものだし、歳をとるのは避けられないし、歳をとればあちこち悪いところも出てくる、というのは分かっているのに、まだそういう真理が自分の事として身についていなかった若き日の私。
父が最初に脳梗塞で倒れた時も・・・何の後遺症もなく治ったものだから・・・まだ、どこかで他人事、みたいにしか感じられていなかった。
でも、その後の癌との長い闘いは、徐々に私に考える時間を与えてくれたようです。 老いるとは、死ぬとは・・・あらまほしき?老後とは。
前にチラッと書いたけれど、母は自分の親や義母をほとんど看ることもなく送り出した人です。元気な親がある日突然歳をとって亡くなった。 途中が抜けているのよ。 多分・・・それで『老い』を学習しなかったのだと思います。
私はその点では、10年にわたる入退院や、認知症までの姿を私に見せてくれた両親に感謝しなくてはなりません。 最後の??人格形成の大きなテキストになってくれたからです。
あれ以来かな、あんまりいろんな事を我慢しないで好きに生きたい、と思い出したのは。 私はこれでなかなかに頭の硬い人間で、『~してはならない』とか『~せねばならぬ』とかいうものに束縛されていました。
人様に後ろ指は指されないように、人目に立たないように、なんて生きていました。
でも、はじけちゃったな、そういうのも。
勿論、そうは言いつつ根が小心者だし大したことはできないけれど、『いつまでも有りと思うな、親と金』じゃないけれど、『いつまでも有りと思うな、若さと健康』なんてのに思い至ってしまって。 元気なうちにあれこれできる範囲でしよう!なんて思いました。
後悔なんて・・・自慢じゃないけど、ずっとしてきた。私の人生暗かった~♪というくらい、後悔とはお友達だった。
何かしても後悔、しなくても後悔。 だったら、しちゃお!なんて。
父は天下った?会社を退職したらいろんなところに行きたいと思っていたようだ。
母も、父と一緒に旅することを望んでいたんじゃないかな。 その夢を持っていた頃、人生設計の中に『病臥』なんてシーンはなかったと思う。
私は両親の晩年を鮮やかに記憶している。 だから・・・明日に延ばしたくない。
今したいこと、今できることはなるべく実行したいと思っている。
例え父のように病に伏しても、母のように自分が分からなくなっても、そこにたどり着く?までの過ごし方で、きっと私は自分が好きでいられそうに思う。
幕が下りるのは誰しもいつかは分からない。でも、幸せな結末に近づけることは
できそうな・・・気が・・・してる。
父の死と、それに続く母の認知症は、私にさまざまな事を教えてくれました。
誰でも一度は?死ぬものだし、歳をとるのは避けられないし、歳をとればあちこち悪いところも出てくる、というのは分かっているのに、まだそういう真理が自分の事として身についていなかった若き日の私。
父が最初に脳梗塞で倒れた時も・・・何の後遺症もなく治ったものだから・・・まだ、どこかで他人事、みたいにしか感じられていなかった。
でも、その後の癌との長い闘いは、徐々に私に考える時間を与えてくれたようです。 老いるとは、死ぬとは・・・あらまほしき?老後とは。
前にチラッと書いたけれど、母は自分の親や義母をほとんど看ることもなく送り出した人です。元気な親がある日突然歳をとって亡くなった。 途中が抜けているのよ。 多分・・・それで『老い』を学習しなかったのだと思います。
私はその点では、10年にわたる入退院や、認知症までの姿を私に見せてくれた両親に感謝しなくてはなりません。 最後の??人格形成の大きなテキストになってくれたからです。
あれ以来かな、あんまりいろんな事を我慢しないで好きに生きたい、と思い出したのは。 私はこれでなかなかに頭の硬い人間で、『~してはならない』とか『~せねばならぬ』とかいうものに束縛されていました。
人様に後ろ指は指されないように、人目に立たないように、なんて生きていました。
でも、はじけちゃったな、そういうのも。
勿論、そうは言いつつ根が小心者だし大したことはできないけれど、『いつまでも有りと思うな、親と金』じゃないけれど、『いつまでも有りと思うな、若さと健康』なんてのに思い至ってしまって。 元気なうちにあれこれできる範囲でしよう!なんて思いました。
後悔なんて・・・自慢じゃないけど、ずっとしてきた。私の人生暗かった~♪というくらい、後悔とはお友達だった。
何かしても後悔、しなくても後悔。 だったら、しちゃお!なんて。
父は天下った?会社を退職したらいろんなところに行きたいと思っていたようだ。
母も、父と一緒に旅することを望んでいたんじゃないかな。 その夢を持っていた頃、人生設計の中に『病臥』なんてシーンはなかったと思う。
私は両親の晩年を鮮やかに記憶している。 だから・・・明日に延ばしたくない。
今したいこと、今できることはなるべく実行したいと思っている。
例え父のように病に伏しても、母のように自分が分からなくなっても、そこにたどり着く?までの過ごし方で、きっと私は自分が好きでいられそうに思う。
幕が下りるのは誰しもいつかは分からない。でも、幸せな結末に近づけることは
できそうな・・・気が・・・してる。
両親とも健在ですが、今から数年前、千葉の実家におふくろの父親(オレのおじい)を鹿児島から呼び、数年後に家で看取りました。
頑固一徹、男尊女卑の九州男児がどんどん赤子帰りしていく様はおふくろの目からしたら『かわいそう』とは映らなかったそうです。
生を授かり、無邪気な幼少から土地柄、そして職人としてのこだわりからひどく意固地な大人になり、その後また無邪気な大きな身体のまま、子へと。。。
心情の奥深いところはさすがに解りませんけど、なにか吹っ切れたような顔になり、ここ数年はなんだかよく分からない楽器を始め、ちいさなコンサートを仲間達とで忙しく飛び回っているようです。
おふくろはそんな自分を看る時間が有ったら自分のために時間を使ってほしいと、、、ホームへ入る貯金をしてると笑ってます。
そのかわり死んでも遺産はまったくないからねー(笑)と。
オレも自分の子にそう、笑って言えるような生き方しないとなーと、思って毎日楽しんでます。
心臓ばっくばくしてるわ~ん(ちびりそうだ)。
早よ、見においで~。
あ・・・かん・・・楽母、舞い上がってる。
思ってたら、すでにコメ増えてた!(笑)
そりゃあ舞い上がって当然さぁ。
大好きな人なんだもの♪
って、本当は私も心臓バクバク(笑)
ただ今休憩中…おにぎり持った手が震えてます(笑)もし家でみてたら、叫んでますな、絶対。
獣犬さ~ん!布袋さんライブ行きますからね~!!って此処で言ってどうする!私!(笑)
有名人来るなんてスゴイです。
前にもね、他の方のブログにもちゃんとコメント
残してはったし、それ見てて、すっごく羨ましかったものよ。 テレビとかもばんばん出てる人なのにね。
見た目・・・怖いんだけどね~・・・いやいや、男前なんだけど、心持ちも男前なんだわ。
早く☆mimi☆さんや、縁さん、kettyさん、ももさんも来てくれないかな。
改めてコメ欄読み返してみましたよ♪
ちゃんとご自分のHPのリンクも貼ってくれてる事に感動(*^。^*)
素敵なお母様がいらっしゃる事も。
でもなんだかよくわからない楽器って何だろ(笑)
私はまだまだ、いつ最期が来てもいい生活、できてないし、
そんな風にできるんだろうか、って思ってる。
毎日をこなす事で精一杯だしね。
でもいつか、そんな風に自分を好きでいられる人生に
近づきたいと、そう思います♪♪
いや~、ダメだ。またバクバクしてきた(笑)
ひづめさん、呼んだら来てくれたコトにも正直ビックリ(笑)