うち、毎日新聞をとってます。 その13日付け夕刊の記事の一つです。
『しあわせのトンボ』というコーナーで、専門編集委員の近藤勝重さんの書いてらしたもの。
前半を割愛させていただきますが・・・読み終えて、涙が出てしまいました。
命は気力とともに
・・・・・・藤沢周平氏は97年1月26日夜に息を引き取った。ちょうどその1ヵ月前の96年12月26日は、氏の69歳の誕生日であった。病室で家族全員で誕生日を祝ったが、その時奥さんの和子さんは、来月が結婚記念日だから元気になってね、と伝えたそうだ。
その後のことは、娘の展子さんが「かまくら春秋」(07年6月号)に記しているので、引用させていただく。
<亡くなる数日前から父の意識は殆どない状態でしたが、一月二十六日のその日までがんばってくれました。当日は父の好きだった薔薇の花束を用意し、家族で最後の結婚記念日を祝いました。 それから数時間後、父は静かに逝ってしまいました。母の願いを最期に聞いてくれた、そのことが最大のプレゼントになったと今、母は語ってくれます>
「藤沢周平のすべて」に収められた年譜によると、「一月二十六日、病状悪化。肝機能、腎機能低下し、血圧も四十台に下がる」とある。
それでもなお、残る命を支えていたのは、妻の願いを何としても、と思う氏の気力をおいて他には考えにくい。
・・・・というものです。 私、この手のもの読むと絶対にぼろぼろ泣きます。
最後は夫婦なんやで・・・と、歳をとってもあんまり夫婦仲のよくなかった知人に、彼らの先輩が言った言葉があります。
そうかもしれないです。 不思議だね、夫婦って。 他人だったのに。
『しあわせのトンボ』というコーナーで、専門編集委員の近藤勝重さんの書いてらしたもの。
前半を割愛させていただきますが・・・読み終えて、涙が出てしまいました。
命は気力とともに
・・・・・・藤沢周平氏は97年1月26日夜に息を引き取った。ちょうどその1ヵ月前の96年12月26日は、氏の69歳の誕生日であった。病室で家族全員で誕生日を祝ったが、その時奥さんの和子さんは、来月が結婚記念日だから元気になってね、と伝えたそうだ。
その後のことは、娘の展子さんが「かまくら春秋」(07年6月号)に記しているので、引用させていただく。
<亡くなる数日前から父の意識は殆どない状態でしたが、一月二十六日のその日までがんばってくれました。当日は父の好きだった薔薇の花束を用意し、家族で最後の結婚記念日を祝いました。 それから数時間後、父は静かに逝ってしまいました。母の願いを最期に聞いてくれた、そのことが最大のプレゼントになったと今、母は語ってくれます>
「藤沢周平のすべて」に収められた年譜によると、「一月二十六日、病状悪化。肝機能、腎機能低下し、血圧も四十台に下がる」とある。
それでもなお、残る命を支えていたのは、妻の願いを何としても、と思う氏の気力をおいて他には考えにくい。
・・・・というものです。 私、この手のもの読むと絶対にぼろぼろ泣きます。
最後は夫婦なんやで・・・と、歳をとってもあんまり夫婦仲のよくなかった知人に、彼らの先輩が言った言葉があります。
そうかもしれないです。 不思議だね、夫婦って。 他人だったのに。
いうんで携帯から投稿してくれたぷっさん、方法を教えてあげたみぃさん、いろんな事、丸投げした姫(爆)感謝しま~す。
そしてぷっさん、
携帯投稿デビューおめでとうございます♪
これでパソコン退院まで、
気軽に記事のチェックできますね♪
みなさん、これからも楽しくて素敵な友情を(*^^)v
夫婦って何なんでしょうか。
生まれも育ちも性格も違う他人の男女が何十年も一緒に暮らしていく。
>最後は夫婦なんやで・・
そうなんですか。
母の晩年を見ていて、精神的な支えになるのは、
お互いに連れ合いだと思いましたが、娘の目からすれば、+信頼のおける同性の友達、というのも
大切だと思いました。
人類愛が今の生活を支えているようにも思う