富田元治のブログ

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ねむの木

2011年06月14日 | 九州の山歩きと山野草
江津湖の『ねむの木』が、咲き始めました。
『ねむの木の子守唄』は、美智子皇后陛下が高校生の時、作られた歌です。

ねんねの ねむの木 眠りの木
そっとゆすった その枝に
遠い昔の 夜の調べ
ねんねの ねむの木 子守歌

薄紅の花の咲く
ねむの木陰で ふと聞いた
小さなささやき ねむの声
ねんね ねんねと 歌ってた

故里の夜の ねむの木は
今日も歌って いるでしょうか
あの日の夜の ささやきを
ねむの木 ねんねの木 子守歌


ねむの木


ねむの木と江津湖


ねむの木と江津湖


『ねむの木』を初めて見たのは、山歩きを始めてからです。
ねむの木の子守唄で『ねむの木』が在るのは知っていましたが、
この目で見たのは、つい4~5年前でした。

山歩きを始めるまで、草花には全く興味がありませんでした。
失業するまで、お金にも全く興味がありませんでした。
ブログを始めるまで、インターネットが、何なのかも知りませんでした。
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白川大水害記録碑

2011年06月14日 | #あ~人生
昭和28年6月26日 白川大水害が起こった日です。
熊本市を流れる白川が氾濫し、多くの犠牲者が出ました。

 女房は覚えていると言いますが、私は全く記憶にありません。

子飼橋にある白川大水害記録碑



記録碑の部分拡大



昭和28年6月26日水害とは。
昭和28年は雨の多い年で、6月上旬頃から阿蘇地方で、
度々強い雨が降っていました。

この長雨によって阿蘇地方の地盤は高い湿潤状態になり、
そこへ活発化した梅雨前線による未曾有の大雨が
降ったため、白川はまたたく間に増水して
大水害となって沿川一帯に氾濫したのです。

6月26日、11時40分頃より市内低地で浸水がはじまり、
15時5分に国鉄が運行を停止し、17時過ぎに安巳橋及び、
小碩橋が流失、18時過ぎに蓮台寺橋上流及び
薄場橋上流両岸などの堤防は次々に決壊しました。

その後、21時40分に代継橋が流失し、同50分には、
子飼橋左岸が溢れて大江町の130戸が流失し、
200余名が濁流にのみ込まれました。

また豪雨により阿蘇地方各所で山崩れが起き、
火山基層を覆う「ヨナ」が洪水で流されてきて氾濫し、
堆積したため、熊本市内は泥土で埋もれてしまいました。

熊本市をはじめとする白川水系では、この洪水によって、
死者行方不明422名、負傷者1,077名、
流失家屋2,585戸、浸水家屋31,145戸、橋梁流失85橋
などとい大被害を蒙りました。









6月13日(月)の白川 : 大甲橋(電車通り)からの画像です。
 少し水が引いていましたね。普段は川底の砂が見えています。





屋根の上に避難した人々が、そのまま流されて行方不明。
対岸からその光景を目撃した人々がTVで話されていました。
東北地方大震災のTV映像と同じ光景だったそうです。

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