石牟礼道子(熊本県水俣出身)さんが死去されました。(yahooニュース)。
石牟礼道子さんのご冥福をお祈りいたします。(合掌)
石牟礼道子さんは、
1969年(昭和44年)に発売された『苦海浄土 ・わが水俣病』の著者です。
衝撃を受けた本でした。
『苦海浄土 ・わが水俣病』が発売される1年前の1968年(昭和43年)9月26日に、
厚生大臣故園田直氏(熊本県天草出身)が、水俣病を公害病と初めて認定しました。
水俣病は、チッソ水俣工場のメチル水銀化合物が原因である、と認定したのです。
患者正式発見から12年、原因発見から9年後のことでした。
水俣病に関する年表です。
1946年(昭和21年):日本窒素がアセトアルデヒド、酢酸工場の排水を無処理で水俣湾へ排出。
1949年(昭和24年)頃:水俣湾でタイ、エビ、イワシ、タコなどが獲れなくなる。
1952年(昭和27年):熊本県水俣で最も早期の認定胎児性患者が出生。ただし認定は20年後。
1953年(昭和28年):熊本県水俣湾で魚が浮上し、ネコの狂死が相次ぐ。
1954年(昭和29年):8月1日付 熊本日日新聞で、ネコの狂死を初報道。
1956年(昭和31年)5月1日:水俣病正式発見。
※ 新日本窒素肥料水俣工場附属病院長の細川一は、
新奇な疾患が多発していることに気付き、1956年5月1日、
「原因不明の中枢神経疾患」として5例の患者を水俣保健所に報告した。
この日が水俣病正式発見の日とされる。
1956年(昭和31年)5月1日:水俣病正式発見。
1956年5月1日の水俣病正式発見の日から、実に、
12年5ヶ月後に、水俣病はチッソ水俣工場のメチル水銀化合物が原因である。
と政府が認定したのです。公害病とされるまで、12年もかかりました。
そんな中、1年後に石牟礼道子さんの『苦海浄土 ・わが水俣病』が発売されました。
1968年(昭和43年)9月26日:水俣病を公害病と政府が認定する。
1969年(昭和44年):苦海浄土(石牟礼道子・著)発行。
石牟礼道子さんのご冥福をお祈り致します。合掌。
石牟礼道子・著 苦海浄土=わが水俣病=
人間の尊厳とは何か。
”魂”の声が書かせた『いのちの文学』 苦海浄土。
超お勧めの本です。