教科書が教えない 北朝鮮:拉致問題 NO1
(1)大韓航空機爆破事件の点と線 なぜ日本人を…
産経新聞:編集局次長・社会部長 中村将
大韓航空機爆破事件で逮捕され、
韓国・金甫空港に移送された金賢姫元工作員。(1987年12月)。
メインスタジアムには色とりどりの国旗がはためいていた。
祝祭の始まりを告げる開会式は異様な盛り上がりを見せた。
第二次世界大戦後に建国されたアジアの新興国で初めて開催される夏季五輪は特別だった。
1980年のソ連・モスクワ大会は、前年のソ連によるアフガニスタン侵攻を理由に、
米国や西ドイツなどがボイコットし、日本も同調した。
1984年の米ロサンゼルス大会はソ連を中心とした社会主義諸国などが参加せず、
報復に打って出た。
だから、米ソ両国をはじめ、
東西の主要国が一堂に会する198年のソウル(韓国)五輪は世界の注目を浴びた。
そうした背景もあり、
当初は東西冷戦や分断の象徴であったソウルと平壌(北朝鮮)での共催も取り沙汰されたが、
北朝鮮側は開会式と閉会式などをソウルと平壌で別々に実施することにこだわった。
五輪開催権はあくまで韓国側にあるというのが国際オリンピック委員会の見解で、
結局、共催が実現することはなかった。
北朝鮮はソウル五輪の前年の1987年11月、大韓航空機爆破事件を起こす。
恐怖をあおり、ソウル五輪への各国の参加申請を妨害する狙いがあったとされる。
後に分かることだが、この大韓機爆破事件が北朝鮮による日本人拉致事件と密接に関係し、
なぜ北朝鮮工作員が日本人を拉致したのかを示唆していたのだ。
大韓機爆破事件の実行犯は、北朝鮮工作員の男女。
男は当時59歳、女は25歳で、日本人親子を装った。
バグダッド(イラク)発アブダビ(アラブ首長国連邦)、
バンコク(タイ)経由ソウル行きの機内の棚に時限爆弾を置いた2人はアブダビで降機した。
その後、爆破事件が発覚し、
アブダビを出国しようとして2人は身柄を押さえられたが、
男はその場で服毒自殺した。
「金勝一(キム・スンイル)」と名乗り、
「蜂谷真一(はちや・しんいち)」名義の日本の偽造旅券を所持していた。
蜂谷さんは実在の人物で、日本に密入国した北朝鮮工作員に勧められ、
旅券を取得し、
その旅券を一時的に預けていたことが日本の公安当局の捜査で判明。
「蜂谷真一」名義の旅券は北朝鮮で偽造されていた。
蜂谷さんが、日本国内のスパイ網に取り込まれていた疑いも浮上した。
国際的に信用度が高いとされていた日本人に成りすました典型的な事件だ。
北朝鮮工作員が各国に潜入しスパイ活動を展開するため、
日本人に成りすますことこそが、日本人拉致の目的のひとつだったのだ。
大阪市の中華料理店員、原敕晁さん=拉致当時(43)は、
昭和55年6月、「新しい仕事を紹介する」と持ちかけられ、
北朝鮮工作員や在日朝鮮人団体幹部らにだまされて拉致された。
実行犯は北の工作員、辛光洙容疑者=国外移送目的略取容疑などで国際手配中。
生存していれば92歳になる。
辛容疑者は北朝鮮から工作母船、工作子船、ゴムボートを乗り継いで
日本に密入国、出国を繰り返していた。
国内の補助工作員の協力を得て、拉致対象者を原さんに決め、
就職斡旋を偽って宮崎・青島海岸に連れ出した。
前祝いと称して原さんに大量の酒を飲ませて泥酔させ、
工作船に乗せて北朝鮮に拉致していった。
その後、日本に舞い戻り、原さんに成りすまして旅券や運転免許証を取得。
「原敕晁」としてスパイ活動を始めた。
背乗り。身分を盗用し別人に成りすます行為を公安捜査員たちはそう呼んだ。
辛容疑者と日本で同居していた在日朝鮮人女性はかつて産経新聞の取材に
「(辛容疑者は)以前は『坂本』と名乗っていたのに、
しばらくして再会すると、免許証の名前が『原』になっていた」と証言した。
辛容疑者の背乗りの前と後を知るこの女性は
「(辛容疑者は)夜になると部屋に閉じ籠もり、
数字を羅列する朝鮮語のラジオを聞いていた」とも話した。
平壌からの暗号放送。スパイ活動の指示にほかならない。
辛容疑者は原さん名義の旅券を使って3回、海外渡航し、
東南アジアの工作拠点を埋設した。
そして、任務の本丸である対南(韓国)工作のために韓国に初めて入国した際、
韓国内の協力者から情報が漏れて逮捕された。
その後の韓国当局の調べで、原さん拉致の詳細が明らかになっていった。
原さんのほかにも、
昭和52年9月に拉致された東京都三鷹市のガードマン、久米裕(52)は、
北朝鮮から指示を受けた在日朝鮮人の工作員にもうけ話を持ちかけられ、
拉致されたが、その時点で戸籍謄本は工作員が持っていた。
そそのかされて謄本を渡していたとみられる。
昭和53年6月にオーストリア・ウィーン経由で拉致された兵庫県のラーメン店員、
田中実さん(28)も、失跡直前、周囲に「戸籍を売ると金になる」と話していた。
いずれも、背乗り目的でターゲットにされた可能性が強い。
話を大韓機爆破事件に戻す。自殺した「金勝一」の娘として、
「蜂谷真由美」名義の旅券を所持して捕まった金賢姫(キム・ヒョンヒ)元工作員は、
韓国当局の取り調べに、
「日本人に成りすますために、平壌で日本人化教育を受けた。
教官は日本から拉致されてきた女性で『李恩恵(イ・ウネ)』と名乗っていた」などと供述。
大韓機爆破事件で、日本人拉致がクローズアップされた。
平壌郊外の東北里(トンプンニ)地区。
金賢姫元工作員と「李恩恵」がともに生活しながら、
日本人化教育が行われた招待所は、大きな農業貯水池沿いにあり、
風の音と虫の鳴く声だけが聞こえる静かな場所にあった。
金賢姫元工作員はここで、日本語だけでなく、
日本人女性の振る舞いや化粧、食事の仕方などを習得した。
そのすべてを教え込まさせられた「李恩恵」は、
昭和53年6月に拉致された田口八重子さん(22)だったのだ。
田口さんを言葉巧みに誘い出したのは、
勤務先の飲食店に頻繁に顔を出していた常連客の男とみられる。
「李京雨(イ・ギョンウ)」という名の在日工作員。
日本名は「宮本明」と名乗った。
蜂谷さんの手帳に「宮本明」の連絡先が記されるなど浅からぬ関係にあったのも、
今になってみれば偶然ではなかった。
金賢姫元工作員の同僚の金淑姫(キム・スクヒ)工作員に一時期、
日本語を教えさせられていたのが、横田めぐみさん(13)だった。
2002年(平成14年)10月に帰国した拉致被害者の証言で判明し、
金賢姫元工作員も追認している。
日本人拉致のもうひとつの目的に、
工作員に日本語教育や日本人化教育を施す人材が必要だったことが挙げられる。
田口さんや久米さん、原さん、田中さんのように対象を絞った形の拉致がある一方、
横田めぐみさんのように北朝鮮からの指令と合致する対象だった可能性がある拉致など、
パターンはさまざまだ。
その点については、拉致被害者と家族の支援組織「救う会」が分析しており、
今後、検証を試みる。
◆ 拉致被害者の奪還はいまだかなわず、問題の風化さえ懸念されている。
拉致事件を知らない世代も増える昨今、
改めて事件の背景や問題の本質を解き明かしてみたい。
日本社会がこの問題を忘れることがないように。
◆【用語解説】大韓航空機爆破事件
1987年(昭和62年)11月29日、
バグダッド発ソウル行きの大韓航空機858便がビルマ(現ミャンマー)のアンダマン海上空で爆発し、
乗客・乗員計115人が死亡した。
捜査当局は時限爆弾による爆破事件と断定。
同便の経由地のアブダビで降りた「蜂谷真一」
「蜂谷真由美」名義の日本人旅券を所持した北朝鮮工作員の男女が身柄を拘束され、
男はその場で服毒自殺。女も自殺を図ったが、一命を取りとめた。
女は犯行を認め、日本人拉致被害者から日本人化教育を受けたことなどを供述した。
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