郷秋<Gauche>、お茶に親しむ(その三)

 本当は「炭」を使わなければならないのだそうだが、バーベキュー用ではない、茶道用の「炭」は大変高価なのだと云う事で、所謂「電熱器」使用と相成りました。悪しからず。

 

 

 鉄瓶の向こう側、部屋の奥にある木箱は(名前は忘れた(^^;)お茶の道具一切入れることが出来るものとのこと。その時々によって使ったり使わなかったり、いろいろお作法があるらしい。これにすべての茶道具を入れて持ち出すと、所謂「野点」もできると云う事か。

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国旗・国歌なのか、日の丸・君が代なのか

 最高裁第2小法廷(須藤正彦裁判長)は30日、起立を命じた校長の職務命令を合憲と判断し、元教諭側の上告を棄却した。都に賠償を命じた1審判決を取り消し元教諭の逆転敗訴となった2審判決が確定した。元教諭は東京都立高校教諭在職当時、国歌斉唱の際に起立するようにとの校長の指示に従わず、都がこれを理由に退職後に嘱託教員として雇用しなかったのは違法として元教諭が訴えていたもの。

 

合憲との判決は4人の裁判官の全員一致での意見であったが、そのうち3人が補足意見を付け、中でも竹内行夫裁判官は「他国の国旗、国歌に対して敬意をもって接するという国際常識を身に付けるためにも、まず自分の国の国旗、国歌に対する敬意が必要」と云う補足意見を付けたとのこと。

 

当然の判決である。郷秋<Gauche>の考えは竹内行夫裁判官の補足意見とまったく同じ。大阪府では府立学校と府内の市町村立学校の教職員に国歌斉唱時の起立を義務付ける条例制定を目指しているようだが、郷秋<Gauche>に云わせれば国旗掲揚時の起立も必要だし、教職員だけではなく、すべての公務員に義務付けるべきである。

 

ただし問題は、それが国旗・国歌に対するものなのか、日の丸・君が代に対するものなのかである。

 

「他国の国旗、国歌に対して敬意をもって接するという国際常識を身に付けるためにも、まず自分の国の国旗、国歌に対する敬意が必要」であり、それを教える立場の教員が、教務員が自ら範垂れるのは当然である。このことについて異議を唱える人は多くないのではないかと郷秋<Gauche>は思うぞ。問題は、今の日本の国歌・国旗が「日の丸・君が代」であることだ。「日の丸・君が代」が先の戦争終結までの間、天皇制や軍国主義と密接な関係があったことが、日本における「国旗、国歌」問題を複雑にしているのである。

 

ならば、過去のしがらみに捕らわれない、12000万人がホントに愛することが出来る国旗と国歌を作れば良いではないかと郷秋<Gauche>は思うのだがそういう意見はいま、ほとんど聞かない。少なくともフォークソング全盛の1970年代にはそんな意見も動きも結構あったように記憶しているのだが。

 

国旗として、国歌として何が相応しいのかについては、12000万通り意見があることだろ。それをたった一つの旗と歌にするためには膨大な時間と労力が必要になるかも知れないが、そのための時間と労力は惜しむべきじゃないだろう。国旗が掲揚されるとなれば12000万の誰もが起立し昇りつつあるその旗に胸を張って注目し、国歌演奏が始まれは12000万の誰もが自然と起立し唱和する、そんな素敵な国旗と国歌を作れば良いではないかと郷秋<Gauche>は思うのだが、それは無理なことなのだろか。

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