廃線跡(又々、超ローカルネタ)

 昨年12月26日、先の大戦中に現在の「こどもの国」のある場所に陸軍東京兵器補給廠・田奈部隊填薬所があり、資材の搬入と製造した弾丸弾薬送りだしのために、横浜線長津田駅から専用の鉄道線が引かれていたこと、現在の恩田駅からこどもの国駅に向かったところに、列車交換(上下線すれ違い)のための線路があったこと、その線路跡に橋桁が残っている(線路は残っていない)ことを書きましたが、今日ご覧いただくのはその橋桁の長津田寄りに残る列車交換用の線路跡です。

 現在のこどもの国線は、2000年に通勤線化された際に長津田駅と終点のこどもの国駅のちょうど中間地点に「恩田駅」が設けられ、そこで上下線の交換ができるようになりました。上の列車交換線は恩田駅から300メートルほどこどもの国駅側のところにありますが、それは当時あった弾薬庫の東側への分岐点の手前に位置しています。分岐点の近くに列車交換線を設置する必要があったということなのでしょう。あるいは弾薬庫周辺にあった施設で働く人のための停車場としも機能していたのかも知れません。

 終戦以来既に76年が経っておりますが、当時の弾薬庫への支線のための橋梁や線路(レール)がたとえ一部であっても残っている訳ですから、これは「戦争史跡」として保存されてしかるべきものだと云えるのではないでしょうか。

 横浜の住宅地に残された小さな湯の里山の四季の移ろいを毎週撮影しているblog「恩田の森Now」。ただいまは1月4日に撮影した写真を5点掲載いたしております。冬の森の様子をご覧いただければ嬉しいです。
https://blog.goo.ne.jp/ondanomori

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#陸軍東京兵器補給廠・田奈部隊填薬所 #廃線跡 #鉄道遺構 #こどもの国線 #長津田駅からの専用線 #列車交換施設

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