2019年10月15日、久しぶりに京都の歴史散策に出かけました。テーマは、中世上京の二つの通りを歩いてみる、でした。二つの通りとは、上御霊前通と小川通です。まずは上御霊前通からたどってみるべく、地下鉄烏丸線の鞍馬口駅で降りて南口から地上に出て、烏丸通をひとつ先の辻まで南下しました。その辻の北東隅に、上図の案内標識が立っています。
案内標識の矢印にしたがって、御霊神社への道を進みました。これが上御霊前通で、奥に御霊神社の西鳥居が見えていました。
御霊神社の西口に着きました。京都御苑の南に位置する御霊神社との区別称である「上御霊神社」のほうで広く知られる神社です。御覧のように西が正面にあたって鳥居の奥に楼門が建ちます。
鳥居の脇に立つ説明板です。
楼門は、江戸期の寛政年間(1789~1801)の再建ですが、江戸期建築にしては小ぶりで組物も古式です。再建前の旧建築の様相を踏襲しているようです。御霊神社は本来は南面していたと思われるのですが、現在は拝殿や本殿の並びが西に向いています。その理由については御霊神社のほうでも不詳としているように聞きましたが、中世戦国期に西の上御霊前通が上京の北の境界道として機能したことに対応したからではないか、と個人的には推察します。
境内にある松尾芭蕉の句碑です。「半日は神を友にや年忘れ」とあります。元禄三年(1690)12月に参詣した際に奉納した句ですが、実際に半日もここで過ごしたのでしょうか。
楼門をくぐると拝殿そして拝殿の柱間に本殿が望まれます。京都市の神社には珍しい西向きですが、おそらく神社の一つの盛期が中世戦国期に有って、西の上御霊前通をメインストリートとした経緯に拠るのでしょう。平安京衰退後に街区が再編または新設されて室町幕府の中枢が上京に置かれた歴史とも密接に関連すると思われます。
境内の南西隅に建つ御車庫です。後陽成天皇より寄附された牛車が納めてあるそうです。皇室の菊花紋が神々しく輝いています。神社の祭神は早良親王(祟道天皇)で、社伝によれば延暦十三年(794)5月にその御霊を桓武天皇がこの地に祀ったのが始めとされます。皇室との縁が深い古社のひとつです。
扉前の木柵に付けられていた、牛車の写真と説明文です。 (続く)
上御霊神社の地図です。