GOKIGENRADIO

バーボングラス片手のロックな毎日

エスカレーターは危険がいっぱい

2015-06-27 21:11:47 | Talk is Cheap
エスカレーター。
階段より楽に上れたり降りれたりする便利な設備。
そのまま立ち止まって乗ってもいいが、せっかちな大阪人はこのエスカレーターを歩いて更に早く上を目指す。いろんな都市に行くとエスカレーターに乗った途端みんな歩かないからびっくりする。まぁ本来は歩くのが嫌だから乗る物だものね。ヨドバシカメラ梅田店ができた時、人で大混雑してる中、「エスカレーターを歩かないでください」って声を枯らして叫んでたが、それは無茶という物だ。東京人ならおとなしく手すりにつかまってくれるかもしれないが、大阪人にそれは通じない。(結局このアナウンスは3日目以降は流れなかった)

少し前の話になるが、モノレールを降り大阪空港へ向かう連絡通路で、前に上品そうな母親と女の子が歩いてた。右に降りればJAL、左に降りればANAだ。そのエスカレーターで母親が女の子に伝えた台詞にビックリ!
「●●ちゃん、大阪とロンドンは右に立つのよ」
何だこのセレブ感の漂う台詞は!?。確かに大阪人は右に立ち、歩く人は左を歩く。
これが
「東京では左に立つけど、大阪では右よ」
ならそれほど驚かなかっただろう。しかしロンドンだよ、ロンドン。イギリスにこの親子は住んでたのか?それとも旅行で頻繁に行くのか?
関係ない人のさりげない言葉なんだが、なんか「負けた感」を感じてしまった。悔しいからそれ以来、東京や名古屋、福岡等日本各地の人を大阪案内するときは、必ずこの台詞を使わせてもらってる。
「あっ、大阪とロンドンでは右に立ちますねん」って。
ちなみに名古屋にはおそらく世界で最短のエスカレーターがある。たしか7段くらいしかなかったような気がする。それを更に立ち止まって乗り、歩いてない名古屋人にも「負けた感」を感じたな。実際にこのエスカレーターがある場所は名古屋人に知り合いがいたら、是非聞いて行ってみてくれ。

さて、そのエスカレーター。
今日の読売新聞にあらら、又こんなくだらない事に国が規定や規制を入れるのね、ってニュースが流れてた。
2009年の汐留で起きたエスカレーター事故を受け、消費者庁、消費者安全調査委員会は「転落防止板の設置等が必要だとする最終報告所をまとめたらしい。それがこれ。

どこまでも優しい日本。横断歩道や踏切はどんどん厳重に安全管理されていってるし、電車が到着するまではホームから線路に落ちないようにゲートができてたりする。
アメリカのナイアガラの滝を目の前で見学できる崖には柵さえ無い。勿論道幅は狭い。誰かがちょっと押したら下に墜落してしまうだろうし、歩きスマホなんか間違いなく滑落するだろう。
アメリカらしい。自分の身は自分で守れ、それができないならこんな危険なとこ来るなってお国柄ね。
日本ではすぐ、「国が」「行政が」「企業が」って騒ぐ奴が増えてきた。本来、どんだけ法を整備したり安全器具を設置したところで完全な安全対策ってできないんだから、個人一人一人がそれ以降の危機管理はしなければイケナイんだけどね。そのうち公園のブランコやシーソー、滑り台も危険だ!事故が起こる可能性があるって無くなってしまうんじゃないか?

なにげなしに聞いていたエスカレーターでのアナウンス。仕事帰りに駅でちょっと注意深く聞いてみたら、まぁご親切にいろいろな事をアナウンスしてくれてる。

「エスカレーターにお乗りの際は手すりを持って黄色い線の内側にお立ちください」
「危険ですからエスカレーターで歩いたり走ったりしないでください」
「小さなお子様をお連れのお客様は手をつないでエスカレーターの中央にお乗りください」
「雨の日は大変滑りやすくなっております。お足下にご注意ください」
「身を乗り出したりすると大変危険です。おやめください。」
「ベビーカーはたたんでご利用ください」
「エスカレーターの降り口付近では立ち止まらないでください」
「マフラーや一部サンダル等は降り口で巻き込まれる恐れがありますのでご注意ください」

まだ他にもあったが、俺の記憶力ではこれくらいが限界。エスカレーターでの危険行為を避ける為のアナウンスがローテーション&エンドレスで流れてる。全部聞こうと思ったら、エスカレーターを何回上り下りしなくてはイケナイのかわからない。
ここまでアナウンスしててもまだ更に安全板とか必要なのか?

そういや以前、東京新橋でモノレールに乗り換えようとエスカレーター上ってたら、上からじじいが落ちてきた事があった。どうやら貧血か立ちくらみかわからないが、じじいといっても体重70kgくらいある恰幅のあるじじい。それが上から転がり落ちてきた。必死に受け止め、支える体重50弱の俺。のけぞりながら支えるのはどんだけ大変か。このままでは上にたどり着く前に、俺が力つき手を離すかもしれない。そうしたらこのじじいは血まみれで死んじゃうかも?蒲田行進曲の階段落ちじゃないんだからなんて、非常時なのにのんきに思いながら、同乗してた後輩に「下に降りて停止ボタン押してくれ!」って言った。逆行して駆け下りてったそいつは、エスカレーターの停止ボタンがどこにあるのか知らなかったみたい。結局俺の腕と体力と気力の限界がくる前になんとかエスカレーターはてっぺんにたどり着く。何度もお礼を言う連れ添いのおばあちゃん。朦朧としてるじじい。問う女房の貧血みたいだとおばあさんは言う。「このじじいが資産家で、後にあのエスカレーターで助けてくれた男に資産の半分をやる。探し出せ」ってな事にならないかな?って妄想しながらその場を去ったのは覚えてる。
勿論このあと俺の腕と腰は全く役に立たなかった。

しかし、その後更に恐怖が。
その日のうちに新幹線で大阪に戻った俺は、事務所でちょっとだけ仕事をした。そして家に帰ろうと今度は阪急電車の梅田駅に着いてエスカレーターに乗った。大阪人なら知ってると思うが、阪急梅田駅の先頭側のエスカレーターは3階の改札口まで一気に行くから長い。
またじじいが落ちてきたら嫌だななんておもいつつ、ふっと見上げるとそこには相撲取りが3人も。大阪場所のせいか・・・。
こいつらが落ちてきたら、まず無理だ。ぺしゃんこになってしまう。下手したら死んでしまう。いざとなったら隣のエスカレーターに飛び移ろうって身構えたよ。

エスカレーターは危険がいっぱい。皆さん気をつけて。



ペット愛好家にはなれそうにない

2015-06-27 01:12:00 | Talk is Cheap
世の中には動物が好きな人が多い。
犬や猫をはじめ、小鳥、爬虫類、魚、虫・・・。人はいろんなペットを飼う。
でも、どうも俺はペットが苦手みたいだ。いや、動物や昆虫を飼うという行為自体の面白さや楽しさがよくわからないのかもしれない。

子供の頃はインコやジュウシマツを飼ったことがある。どうしても欲しくて親にねだったんではない。兄弟が親にねだって飼ったんだが、全然世話しないから貧乏くじで俺が世話するはめになっただけだ。結局野良猫にやられて死んじゃった。それ以来ペットとは無縁の生活をしている。

ツレの家に行って、ヨークシャテリアとかマルチーズがいると、「あぁ、早く帰ろう」と速攻思う。家の外で飼われてるシェパードや秋田犬とかならそうは思わないが、座敷犬は苦手。別にその犬たちが可愛く思えないとかじゃない。じゃれてきたらそれなりに遊ぶし、ころころしてて可愛いなともちょっとは思う。愛くるしい瞳で見つめやがるアメリカンショートヘアーとかが、遊んでぇ!可愛がってぇ!ゴロゴロしてぇ!って寄って来られたら危険。でも、いつまでも相手にしてると疲れるし、飽きるし、馴れてきてハフハフ言ってそこらへんを走り回られるともう駄目。視界に入れないようにしながら「そろそろ帰るわ」をいつ切り出すかを考えてる。

自分の飼ってるペットを丁寧に説明してくれる人。いかに飼育が大変かを教えてくれる人。「癒されるぞぉ」ってペットに支配されてるように見える人。「君も飼いなよ」って大きなお世話な事を言ってくれる人。「今度子供が産まれたらわけてあげるよ」って更に上乗せのおせっかいなことを言ってくれる人。相場の値段やどこどこのペットショップがいいよって興味も無い俺に熱く語る人。ペットを飼ってる人とは、まったく共感できない俺。
そしてペットを飼ってる人に共通してるのは、ペットを「この子はね」って語る。それが嫌。「それはお前の子供じゃねぇよ」って突っ込みたくなるのを毎回抑える。
だからと言ってペットを飼ってる人を否定する気はない。見てるだけでも癒されるんだろうし、話し相手にしたり、会社や家の嫌な事をペットと遊んでるときは忘れれたり、それぞれいろいろな楽しみ方があるんだろうからね。

今もTVで活躍してる某コメディアンの方と仲良くなって、その人の家に連れて行ってもらった事がある。そこには大量のクワガタやカブトムシが飼育されてた。一瞬引いたが、「これは趣味で飼ってるんじゃない、俺はこれで大儲けするんだ」って言ってた。(結局その後空調の故障で全部死んじゃったらしいが)。これは全然大丈夫。魚の養殖事業とか食肉用の牛や豚の飼育と変わらないからね。

だから水族館は苦手。イワシの群れを見てもなんか違和感がある。餌にしか見えない。葛西水族館でマグロが大量死して、その原因が不明とか騒いでたのに又懲りずにマグロを投入したというニュースを見て、マグロは食う物であって飼う物じゃないやろ?って思ってしまう。マグロはサメと同じく泳いでないと死んじゃう魚だし、時速60キロ以上で泳ぐマグロが透明な水槽の壁にぶつかるくらい誰だってわかるようなもんじゃないか?
食べる魚じゃないけど、ジンベエザメやマンボウを見ても、この水槽じゃ狭くないか?とか、永遠にぐるぐると泳ぎ回ってるイルカを見たら悲しくなってくる。だからといってシーシェパードのように残酷だとかわめく気はさらさらないが・・・。狂信的な動物愛護主義者はもっと苦手。
深海魚のコーナーではあまりそれを感じないのは不思議だが、多分自分ではそんな深いところに潜れないから見れる事に感激してるのかもしれないし、食べたいとも思わないからかもしれない。クラゲがふわふわ漂ってるのを見るのも好きだ。でも、自分では飼おうと絶対思わない。海で刺されたときは腹立つしね。

同じように動物園も苦手だ。ライオンや虎を見て、凄いなぁ、アフリカやインドに行かなくても日本で見れるなんてとか思う。でも同時に「本当はサバンナや密林で暮らしてたかっただろうに、こんな檻に入れられた狭いところで見せ物になって・・・って思ってしまう。パンダなんか何が楽しくて生きてるんだ?とか白黒でたれ目に見えるから人気があるけど所詮お前は熊だ、って思ってしまう。檻の中を縦横無尽に動きまくる猿なんかは「落ち着け」っていいたくなる。象に餌をあげる事もしたくないし、キリンを見てるとクビが疲れるだけだ。だいたい動物園に漂うあの匂いが苦手。
まだ牧場で牛や羊、馬なんかを見てる方が癒される。食べれるからかな?

スポーツフィッシングって奴も駄目。バス釣りが流行った時、2-3回連れて行ってもらった。釣れたバスやブルーギルはキャチ&リリース。それがフィッシャーマンのルールなんだって。食べない魚を釣っては逃がして、って面白いか?針が食い込んだ魚はそのあとちゃんと生きれるのかね?それならまだ海釣りなんかで食べれる魚を釣る方が楽しいぞ。食物連鎖っていうか狩猟は人間の本能だしね。

まぁそんな事は言っても子供の頃は食べもしないのにザリガニ釣ったり、メダカを捕ったりしてた。でも俺は家に持ち帰らず、帰るときは全部逃がしてた。可哀想だからではない。飼育するのが面倒だからだ。暑い日に網を持って野原や山をかけずり回って、せっかく捕った蝶や蝉も虫も逃がしてた。夏休みの宿題で昆虫を採集して飼育の観察日記をつけなきゃイケナイとか、標本を提出する事が無ければ基本逃がしてた。愛護精神ではない。何度も言うが飼育が面倒だから。容器の中や水槽、ゲージに閉じ込められたまま死んじゃうくらいなら、元気なうちに逃がしてあげた方がいい。

今日、ペットを飼われてる方に延々2時間、興味の無い話をされたからか、愚痴に近いブログになっちまったい。
ペット好きな人には全く共感できない内容。いちいち反論したいかもしれないが、何を言われても俺はペットを飼う気はないからご心配なく。

でも、もしでっかい豪邸に住んで余生を送るような生活ができるようになっていたならす、芝生を敷き詰めた広い庭にセントバーナードとかコリーとか、ドーベルマンを飼うかもしれない。猟をする為にポインターを飼うかもしれない。鷹とか飼って徳川家康みたいに鷹狩りもいいかも。庭の池の鯉に餌をやりながら「そろそろ君も総理大臣になりたくないかね」なんて傍でかしこまってる政治家に言うのも悪くない。

でも無理だ。多分ムツゴロウさんとは一生わかり合えない気がする。