新年が明けた。
初夢ってのはなぜか1月1日〜2日にかけてみた夢のことを言う。これは昔は大晦日の晩は寝ないで神様(年神様)を迎える風習のせいだったらしい。ってことは大晦日の晩は寝ないのが当たり前なのね。
そういや昔は大晦日の深夜に初詣行ってたな。ハードな大掃除を終え、レコード大賞見ながら年越しそばを食い、紅白歌合戦の前半で若手が出尽くしあとは演歌って感じになったら初詣へ。全然年神様迎えてなかったな。まぁ神社へ神様に会いに行ってるだからいいか。
人ごみにまみれ、境内あたりから全然進まないのにうんざりし、ようやくお賽銭投げてお祈りして、さぁこれからどうしようって悩んだよね。
今みたいに深夜空いてるところ少ない上に年末年始開いてるお店も少なかった。特に京都はほぼ全滅。スナックみたいなところが開いてても、「正月料金」とやらでコーヒ−1500円くらい取ってた。ぼったくりね。そう考えると今はいいね。コンビニもチェーン店も「働き方改革」とやらで締めてるところもで始めたが、繁華街は開いてるところが多いもんね。
最近では初詣よりもカウントダウン何ちゃらってのが多いよね。わざわざ集まって新年をカウントダウン。そんなにみんなで共有したいのかな。
東京:渋谷
俺はちょっとパス。ハロウィンの練り歩きも、Wカップの騒ぎも苦手。阪神優勝の道頓堀も行きたくない。あの人混みが苦手ってのもあるが、俺がテロリストだったらまずこの場所狙うだろうなって怖いのよ。以前にミレニアム(1999-2000)の際にN.Y.の友達に「カウントダウンイベント行くの?」って聞いたら「タイムズスクエアなんて真っ先に狙われるような場所に、わざわざ行く奴の気がしれん」って全否定された。俺もそれ以来なんとなく、浮かれてていきなりテロに巻き込まれたら嫌だって思うようになった。日本の公安や警察が優秀で未だ日本ではテロがほぼないが、やっぱり人ごみは怖いよ。
N.Y.:タイムズスクエア
オーストラリア:メルボルン
おせち料理を家で作らない。買ってきて揃えるならまだマシだが、おせち料理自体食わないって人も増えた。黒豆煮たり、手作り作ったり、煮しめ作ったり。手間もかかるし、第一すぐ店が開くんだから作り置きしても仕方ないって考え。これまた昔の話になるが、「おせちもいいけどカレーもね」ってCMは「そろそろおせち飽きたでしょ、餅じゃなく米食べたいでしょ」ってあえて挑発する内容だったのは、それくらいまだまだ正月はおせちとお雑煮って家庭が多かったんだろうね。
これまた昔の話になるが、フジカラーが「お正月を写そ」ってCMをやっていた。樹木希林さんの「美しい人は美しく、そうでもない人はそれなりに」って今だとコンプライアンスがどうのって一悶着ありそうなコピーでね。でも、正月に髪を結って晴れ着(着物)着る人って少なくなったね。
おかげで俺がこの業界に入った頃は年末はレジが閉まらないくらい、予約で朝から晩まで一杯、そして大晦日は深夜までって感じだったのだが、それも年々減っていき、今じゃ普通の月末と変わらない。「盆暮れパーマ」っていう言葉はすでに死語だ。
さらに年賀状。出さない人が増えた。いわゆる「年賀状スルー」ね。
スルーはハンバーガショップのドライブスルーだけくらいだったが、今じゃ「既読スルー」から始まり、「年賀状スルー」「お歳暮スルー」。初出に着物着て出勤なんてのはもはやなんとかハラスメントだ。
年賀状が減ったのを郵政省は嘆いているが、これは当時の政府が悪い。
バブルで「終身雇用」を否定し「転職は欧米では当たり前」なんて打ち出し、その後転職を繰り返し「腰のすわらない奴」ってレッテルを貼られ、結局「今までのい俺のキャリアにふさわしい職場は」なんて再就職ができなくなって引きこもりになってる中年が増えた。いわゆる「50/80」問題ね。これを他人事のように今更問題視してるのと同じく、当時の政府は「これからは古いしきたりの打破だ」なんてのを打ち出してた。
「年賀状やお歳暮なんて慣習はやめましょう」ってね。
個人情報保護法ってのも追い打ちをかけ、出したくても住所も知らない。卒業アルバムにも住所は載ってないらしいし。
せいぜい結婚式に出席してくれた人が芳名録でわかるとかってくらい。これでどうやって年賀状が売れるというのだ?自分たちでロクでもない方針打ち出しといて、今更世間のせいにするなよってパターン。まぁ役所仕事なんてこんなのばっかりだけどね。
まぁ、それこそ会社努めの際はお歳暮も届き、年賀状も輪ゴムで止められてた場で届いてた人が、定年退職した途端に全然届かなくなって、世間から見捨てられた気になってしまうってくらいなら、いっその事早めに職場絡み(会社内/取引先)の年賀状は無くなってもいいのかもしれない。
引っ越しばかりしてる俺は、旧住所に出してくれた年賀状が転送で届くタイムラグで正月3が日は悲しくなるくらい少ないが、それでも年賀状ってのは嬉しいもんだ。印刷でもプリンターでも、子供や家族の写真のやつでも嬉しいのよ。なんか一言添えてあって、たとえそれが「また飲みに行きましょう」って社交辞令であっても嬉しいのよ。
一時期店からはお客様にクリマスカードを兼ねてハッピーニューイヤーのグリーティングカード送ってたけど、個人のは正月に描いて出してた。正月に届くのが正しいのか、正月に書くのが正しいのかわわからん。年始の挨拶だからどっちでもいいような気がする。
お歳暮、おせち料理、お雑煮、お屠蘇、年賀状・・・。
日本のしきたりや文化がどんどん消えていく。それを時代って言ったらそれまでなんだろうけど、それでいいのかね。それでも無くならんもんは地域で根強く残って欲しいもんだ。
初詣。
日本の正月のしきたりで未だに残っているといえば、初詣。これは相変わらずどこもいっぱいだ。おみくじ引いて一喜一憂したり、屋台でなんか買って食うのも楽しい。
初日の出。
インスタやSNS映えのためだけにベストスポットに出かける人もいるみたいだが、今年は快晴でご来光も見れたらしい。最近の若者は自分の車を持ってない、いわゆる車スルーなんだが、夜明け前の寒さの中車無しでどうやって過ごしてるんだろう。
で、ようやく本題の初夢の話。
初夢で見ると縁起がいいと言われる「一富士、二鷹、三茄子」は有名だ。
だが、実際こんな初夢を見たって人に俺は出会ったことがない。だいたい夢なんて起きてしばらくしたら「あれ?なんかすごい夢みたんだけどなんだっけ」って忘れてしまう。中には「昨日さ、すごい怖い夢みたんだけど」って延々と語ってくれたりする人いるんだけど、脳内妄想じゃなく所詮夢だしねぇ。聞かされてもなぁ。っていうかよく覚えてられるなって感心しちゃう。
実はこの「一富士、二鷹、三茄子」続きがある。
「四扇、五煙草、六座頭」である。
扇は1の富士とかけて末広がり。まぁ、なんとなくわかるね。
煙草は2の鷹とかけて上昇だって。嫌煙ブームの昨今、これもうちょっと広めて欲しい気がする。
座頭ってのは座頭市でおなじみのいわゆる盲目の人で、坊主頭から3の茄子とかけて毛がない=怪我無いだそうだ。昔の人はダジャレ(こじつけ)が好きだ。
正月の玄関の飾り(松飾りという)門松も、竹の先を斜めに切ったものと、水平になったものとある。
由来や起源、まだまだ知らないことが一杯ある日本のしきたり。せめて正月くらい、酒でも飲みながらゆっくり調べてみようかね。