GOKIGENRADIO

バーボングラス片手のロックな毎日

1.17 阪神淡路大震災の教訓

2019-01-17 06:57:12 | Talk is Cheap
あれから24年。
毎年この日にはこのことを書いている。

阪神・淡路大震災。
午前5時46分。
一瞬にして駅もビルも家も工場も、ありとあらゆる建物はつぶれ、阪神高速も倒壊、道路も線路も歪んで交通網は遮断された。
水・ガス・電気は止まり、あちこちで火の手があがった。

あらゆることが想定外だった未曾有の災害。
見たことがない惨状に立ち尽くすだけ。っていうか目の前の光景が理解ができなかった。
何がどうしてこうなったのか・・・。



住民だけじゃない。役所も行政も政治家も動けなかった。自衛隊も動けなかった(これは当時の村山政権&社会党の土井たか子のせいだがな)。
でも誰も何もできなかったのよ。

それでもがんばろうKOBEをスローガンに、復興を手がけていく。
阪神も阪急もJRも、数年はかかると言われた復旧をあっという間に成し遂げ電車を走らせた。
(今年1月15日に井浦新さん主演のドラマでも描かれたJR六甲道駅はたった74日で再建された)



阪神高速をすぐ復旧し、国道2号も43も山手幹線も修繕され整備されていく。ありとあらゆる被害にあった建物・施設は解体され建て直されていく。
関西人の、いや日本人のパワーはすごいな。

阪神・淡路大震災を機に日本は天災についての意識が変わり行政も対策を練っていく。
すべてのことを教訓にしていくのは、日本人の素晴らしいところだと思う。
第二次世界大戦でボロボロになった東京・大阪・広島・長崎、そして被害にあった各地をあっという間に復興させていった日本人のパワーは受け継がれてると思う。

活断層って言葉だって知らなかった。
震度7って基準ができた。
備蓄や避難所の設定が必要だとわかった。
役所は、学校は、会社は、人は、家族はどう動けばいいのか、どう連絡すればいいのか。

天災が起こるたび、その度にどんどん勉強し、改善していく。

NPOやボランティアって言葉もこの時から使われ始めたと思う。(それまでは奉仕)

当時は神戸に来てくれた人も、受け入れる側も全然一体何をすりゃいいのか。どこからどうすりゃいいのか全くわからなかった。
だけど2年後(1997年)の1月に、日本海島根県沖でロシア籍タンカー沈没事件が起きた。
島根県から秋田県あたりまでの海岸に及んだナホトカ号から流出した重油。

「海を取り戻そう」と海岸に流れ着いた重油の撤去・回収作業に多数のボランティアが参加してくれてた。
1月の日本海だよ。寒かっただろう。そしてこの頃もまだ、役所もボランティアを仕切る団体もあれこれうるさいマスコミもいなかった。
泊まるところ?装備?食事?交通費?無償か有償か?
それが今じゃぁたかがオリンピックのボランティアでさえ揉めているのはちょっと悲しい。
兵庫県は「ふるさと納税」を財源としてボランティア支援・助成する方針にしたらしい。見習ってほしいな。

阪神大震災から24年。
地震も多く台風や水害も各地で発生している。

新潟震災
鳥取西部地震
福岡西方沖地震
宮城岩手内陸地震
東日本大震災
熊本地震
北海道胆振地震
大阪地震・・・

ここ最近でも毎日のように揺れている。
福島沖、岩手県、茨城県、宮城県、茨城沖、日向灘、淡路島、宮城沖・・・。

ロシア・カムチャッカ半島のシバルチ山が噴火してる。
チリのネバドス火山も爆発してる。
17日には鹿児島県屋久島の口永良部島で噴火があった。



南海トラフもやばいかもしれない。いや、日本全国どこで何が起きるかわからない。
想定外だなどと後で言い訳しても仕方がない。
備えあれば憂いなしだ。
揺れてから乾電池や水や食料を買いに行ってちゃいけないよ。
(電子マネーだの無人決済だのが進行してるが、あれって非常時はどうする気なんだろう)

今年成人式を迎えた人たちや、新卒社会人など阪神淡路震災を体験していない人がどんどん増えてる。
追悼行事が減ったとか、知らない人が増えていってると嘆く人がいる。
けど、いいよ、知らなくて。
体験してない人は実感わかないし。
体験した人が語り継げばいい。ただし俺たちがガキの頃に戦争の話を聞かされてもうんざりしただけだが。

関東大震災も伊勢湾台風も奥尻島の津波も普賢岳の火砕流も、そして各地で毎年のように起こる各地での天災も。
ただ歴史として刻まれ、忘れさられていく。
でもね、それらを教訓としていろんなことが改善され整備されていってるんだもん。
それが受け継がれるってことじゃないの?

追悼は知ってる人だけでいい。
教訓だけが受け継がれてくれればそれでいい。



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