年間3万人が自殺してるこの国。
中には会社の経営に失敗した奴、恋人にふられ悲観した奴、老い先短い老後を悲観した奴、病気や介護疲れ等色々いるが、圧倒的に多いのは学生(子供)の自殺。
この子供の自殺で興味深いニュースが発表された。
厚生労働省「人口動態調査」の調査票情報の独自集計、「18歳以下の子どもたちの過去42年間の日別自殺統計」が発表された。
一年で一番自殺の多い日は「9月1日(131人)」で、続いて新学期はじめの「4月11日(99人)」、4月8日(95人)、9月2日(94人)、8月31日(92人)。
この他にもこの前後の日に自殺する子供が圧倒的に多い。
夏休み最後の日や新学年が始まる日は俺は楽しみだったんだが、友だちは「あぁ明日からまた憂鬱だ」なんて言ってた事が思い出される。
いじめとかされてる子は特に行きたくないだろうね。
それ以外にも宿題が終わってない子、クラス編制で嫌な奴と同じクラスになったり、好きな子と別のクラスになって悲観してる子、ただ単に休み癖がついてサラリーマンの5月病みたいになってる子。それぞれいるだろう。
俺は学校は嫌いだった。未だに出身高校での俺の授業欠課時間(簡単に言えば授業サボリ)記録は破られてないらしい。
朝、家を出るんだが途中の喫茶店でモーニングを食べてたら、授業なんてもうどうでも良くなったりする。そのままパチンコ屋に行くか、プーしてるツレのところに行くか。学校に行っても「これから麻雀しない?」とか「これから淀の競馬場行かない?」なんて誘われるとホイホイついて行く。
つまらない学校を辞めようと思った事も何度もあるが「それだけは許さない」って言う親によって、なんとか卒業したが、学校って言うのは卒業証書をもらう迄の退屈なところとしか思ってなかった。
友だちがいなけりゃさっさとヤメてるか、引きこもりになってたと思う。
そう、親の小言とサボるとか遅刻するとか早退するとか好き勝手にやってたからなんとか卒業できた。
あの頃の親は厳しかった。
「義務教育なんだからあんたは学校に行く義務がある」とか「学費払ってるのにもったいない」とか「世間さんに顔向けできへんわ」とか。口癖のように「学校行かないんやったら戸崎さん(親父の知り合いの料亭)の所に修行に行き」とか「家からで手自分の金で稼いで生活し」って言われた。
今、冷静に考えれば義務教育は親が学校に修学させなければイケナイ義務で、子供が学校に行かなければならない義務ではないとか、親の体裁だけで言われてた気がするが、なんとか卒業できた事は感謝してる。
今の親は甘いと思う。
勿論いじめや仲間はずれとかは別だが、それ以外の「何となく行きたくない」に対し、俺の親みたいに毅然とした態度が取れない親が多いんだろう。
子供の気持ちがわかってるようで、どこか他人事の親が多くなってる気がする。
俺は学校なんて行きたくなかったら行かなくていいと思うし、いじめに遭ってるなら戦う勇気がなければ逃げればいいと思ってる。
いじめに耐えかねて自殺するくらいなら、転校したりする方が早い。
でも、つまらない、面白くないっってただ言って不登校の奴には共感できない。学校に行きたくないからって引きこもって二次元よりPCやスマホの世界に入り込む奴や、SNSやLINEだけで下界と連絡を取って繋がってると誤解してる奴、ゲームの世界に入り込んで抜け出せない奴。俗にいわれる引きこもりは「アホちゃうか』の以前に「親はこの天の岩戸からこいつを無理矢理にでも引きづり出せ!」って思う。
なんで引きこもってる子供に遠慮するんだ?少年ジャンプを買い、食事を与え、PCとゲーム機と部屋を与え、そんな子供に未来はあるのか?何を遠慮してんだ?
今回の白書でも、悩みを抱えてる子供に対してのケアや相談ダイヤル、親への子供の気配り、学校等への子供達の配慮が多々連ねてある。
言っておく。こんな事をいくら羅列したところで無駄だ。
子供への気配りとか言ってる一方で、家庭や学校では子供の自主性を尊重しろって言ってるんだから。
子供に自主性等は無い。税金も払ってなければ、社会の仕組み、ルール、風習や論理の組み立てさえわかってないんだから。
その何もわかってない子供に「自主性」や「自発的行動」を強要する学校、教育委員会、文部科学省等、そして親の方が俺には理解できない。何を根拠にこんなことを言ってるのか?ただ単に手放しで自由奔放にさせて責任を取りたくないだけではないのか?
学校なんて、クラブやスポーツにうちこんでる奴や、より上の学校を目指して勉強してる奴以外はつまらない、面白くないところだ。
サインコサインタンジェント、√にフレミングの法則、オームがアンペアが飛鳥時代が大宝律令がどうした、漢文が読めたらなんだ?古くからある故事やことわざが理解できない。二次関数をはじめとする公式って誰が定めた?英語の文法?単語?そんなのアメリカ人に通用しない英語。
将来何が役に立つのかわからないものばかり詰め込まされても、ピンの倒れた数のわからないボーリングみたいなもんだ。
学生の自殺の多い時期を理解し、対策を練る教育機関、学校や文科省。
言ってる事はあながち外れては無いが、理想論ではなく、本質をもう少し考えた方がいい。
中には会社の経営に失敗した奴、恋人にふられ悲観した奴、老い先短い老後を悲観した奴、病気や介護疲れ等色々いるが、圧倒的に多いのは学生(子供)の自殺。
この子供の自殺で興味深いニュースが発表された。
厚生労働省「人口動態調査」の調査票情報の独自集計、「18歳以下の子どもたちの過去42年間の日別自殺統計」が発表された。
一年で一番自殺の多い日は「9月1日(131人)」で、続いて新学期はじめの「4月11日(99人)」、4月8日(95人)、9月2日(94人)、8月31日(92人)。
この他にもこの前後の日に自殺する子供が圧倒的に多い。
夏休み最後の日や新学年が始まる日は俺は楽しみだったんだが、友だちは「あぁ明日からまた憂鬱だ」なんて言ってた事が思い出される。
いじめとかされてる子は特に行きたくないだろうね。
それ以外にも宿題が終わってない子、クラス編制で嫌な奴と同じクラスになったり、好きな子と別のクラスになって悲観してる子、ただ単に休み癖がついてサラリーマンの5月病みたいになってる子。それぞれいるだろう。
俺は学校は嫌いだった。未だに出身高校での俺の授業欠課時間(簡単に言えば授業サボリ)記録は破られてないらしい。
朝、家を出るんだが途中の喫茶店でモーニングを食べてたら、授業なんてもうどうでも良くなったりする。そのままパチンコ屋に行くか、プーしてるツレのところに行くか。学校に行っても「これから麻雀しない?」とか「これから淀の競馬場行かない?」なんて誘われるとホイホイついて行く。
つまらない学校を辞めようと思った事も何度もあるが「それだけは許さない」って言う親によって、なんとか卒業したが、学校って言うのは卒業証書をもらう迄の退屈なところとしか思ってなかった。
友だちがいなけりゃさっさとヤメてるか、引きこもりになってたと思う。
そう、親の小言とサボるとか遅刻するとか早退するとか好き勝手にやってたからなんとか卒業できた。
あの頃の親は厳しかった。
「義務教育なんだからあんたは学校に行く義務がある」とか「学費払ってるのにもったいない」とか「世間さんに顔向けできへんわ」とか。口癖のように「学校行かないんやったら戸崎さん(親父の知り合いの料亭)の所に修行に行き」とか「家からで手自分の金で稼いで生活し」って言われた。
今、冷静に考えれば義務教育は親が学校に修学させなければイケナイ義務で、子供が学校に行かなければならない義務ではないとか、親の体裁だけで言われてた気がするが、なんとか卒業できた事は感謝してる。
今の親は甘いと思う。
勿論いじめや仲間はずれとかは別だが、それ以外の「何となく行きたくない」に対し、俺の親みたいに毅然とした態度が取れない親が多いんだろう。
子供の気持ちがわかってるようで、どこか他人事の親が多くなってる気がする。
俺は学校なんて行きたくなかったら行かなくていいと思うし、いじめに遭ってるなら戦う勇気がなければ逃げればいいと思ってる。
いじめに耐えかねて自殺するくらいなら、転校したりする方が早い。
でも、つまらない、面白くないっってただ言って不登校の奴には共感できない。学校に行きたくないからって引きこもって二次元よりPCやスマホの世界に入り込む奴や、SNSやLINEだけで下界と連絡を取って繋がってると誤解してる奴、ゲームの世界に入り込んで抜け出せない奴。俗にいわれる引きこもりは「アホちゃうか』の以前に「親はこの天の岩戸からこいつを無理矢理にでも引きづり出せ!」って思う。
なんで引きこもってる子供に遠慮するんだ?少年ジャンプを買い、食事を与え、PCとゲーム機と部屋を与え、そんな子供に未来はあるのか?何を遠慮してんだ?
今回の白書でも、悩みを抱えてる子供に対してのケアや相談ダイヤル、親への子供の気配り、学校等への子供達の配慮が多々連ねてある。
言っておく。こんな事をいくら羅列したところで無駄だ。
子供への気配りとか言ってる一方で、家庭や学校では子供の自主性を尊重しろって言ってるんだから。
子供に自主性等は無い。税金も払ってなければ、社会の仕組み、ルール、風習や論理の組み立てさえわかってないんだから。
その何もわかってない子供に「自主性」や「自発的行動」を強要する学校、教育委員会、文部科学省等、そして親の方が俺には理解できない。何を根拠にこんなことを言ってるのか?ただ単に手放しで自由奔放にさせて責任を取りたくないだけではないのか?
学校なんて、クラブやスポーツにうちこんでる奴や、より上の学校を目指して勉強してる奴以外はつまらない、面白くないところだ。
サインコサインタンジェント、√にフレミングの法則、オームがアンペアが飛鳥時代が大宝律令がどうした、漢文が読めたらなんだ?古くからある故事やことわざが理解できない。二次関数をはじめとする公式って誰が定めた?英語の文法?単語?そんなのアメリカ人に通用しない英語。
将来何が役に立つのかわからないものばかり詰め込まされても、ピンの倒れた数のわからないボーリングみたいなもんだ。
学生の自殺の多い時期を理解し、対策を練る教育機関、学校や文科省。
言ってる事はあながち外れては無いが、理想論ではなく、本質をもう少し考えた方がいい。
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