昭和20年8月6日。
暑い夏。
終戦間際の広島。
その日の朝も青い空が広がっていた。
普段通りの生活が始まろうとしていた。
エノラ・ゲイが飛来するまでは。
やつらが落としたリトルボーイ。
史上最凶な兵器、世界初の大量殺略兵器の使用。
原子爆弾。
閃光と轟音とともに一瞬で、何万人もの命が奪われた。
何が起こったか理解できなかっただろう。
理由もわからないままに死んでいった人もいるだろう。
あれから75年。
新型コロナウイルスの感染防止で、今年の式典は参列者が大幅に制限された。
会場への入場は招待客1万1000人のみ。
被爆者や遺族(代表)、安倍首相、核保有国を含む83か国関係者など。
そのせいか、取り扱いが各メディア小さい。
被爆者、遺族が高齢になってきてるせいもあるだろう。
だが、イソジンが品切れ・高額転売されてることとか、石田純一がまた出歩いてたとか本人は言い訳してるとか、テレビ番組の内容で誹謗中傷受けて自死された方の母の意見とか、そんなん放送する時間あったら、今日くらいはこの75年前の人類史上最も悲惨な事件を報道してよ。
8月4日、レバノンの首都ベイルートで大規模な爆発事件があった。
爆発の原因は6年間保管されていた2750トンの硝酸アンモニウムのせいだという。
この時の映像がいくつか公開されてる。個人が自身のスマホで撮ったやつだが、最初の爆発から数秒後の二回目の爆発を撮った映像はどれも、爆発の瞬間をファインダーに収めた後激しく揺れてフレームアウトする。
離れた場所でも、衝撃波(ソニックブーム)がいかに凄かったかわかる。
これで死者百三十七人、負傷者約5000人(8月6日現在)だそうだ。
原爆を落とされた当時、広島市の推定人口は35万人、そのうち9万〜16万6千人が2-4か月以内に死亡されたとされる。
被爆者は56万人に上るとされている。
山口県岩国市に住んでた俺のじいちゃんは、当時兵役の関係で広島に行っててキノコ雲を見たと語っていた。
SNSどころかネットもメールもない時代。OK!Googleでなんでも分かる時代でもない。
携帯電話どころか電話は市外にかけるには交換手通じてかけてた時代だ。ましてや当時市内にかけれる電話機や電話線が無事なところがどれだけあったか。
デジカメどころかフィルムカメラでさえ高価な時代。肝心の記者さえ現地入りできない。
情報がないまま、伝えられない上に、使われたのは未知の核兵器。どれだけ現地は不安だっただろう、パニックだっただろう。周りの人も身内がいる人も。
東日本大震災の福島原発で「放射能がぁ」って騒いでたやつよ、当時の広島はどうだったんだい?そして何年で復活したんだい?
そして、この3日後に今度は長崎にファット・マンが・・・。
戦争は嫌いだ。
誰もが平和がいいに決まってる。
そうだろ?
Imagine All The People
Living Life in Peace
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