徳丸無明のブログ

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「さようなら、みなさんさようなら」・後編

2016-06-21 20:52:20 | 雑文
(前編からの続き)

ひょっとしたら、描写が割愛されていたのだろうか?実際には、停電か、それに類するアクシデントが発生していたのだが、その描写はフィルムから省かれていたということだろうか。しかし、映画の見せ場の一つであるこのシーンで、あえてそのような省略が行われるというのは不自然すぎる。やはり、レポーターは逃げられるのに逃げなかったのである。(この論考のためにDVDレンタルして見返してみたが、やはりそのような描写はなかった。余談だが、倒壊したのはテレビ塔ではなく、東京タワーだと記憶違いしていた。『ゴジラ』の公開は1954年、東京タワーの竣工は1958年。映画に出てくるわけがない)
このシーンは、ひとつの謎として、ずっと引っかかっていた。
だが、「太平洋戦争の終結の仕方には問題があり、戦後社会は欺瞞を孕んでいる」とするならば、理論的に説明がつく。
もし、「あのような形で戦争を終わらせるべきではなかった(自分も戦い抜いて死ぬべきだった)」というだけなら、人は自殺という手段を選ぶだろう。また、「戦後社会の在り方は間違っている」というだけなら、何らかの左翼活動、ないしはテロリズムの形をとるはずだ。
「戦争の終わらせ方」も「戦後社会」も、共に間違っている時、それは、文明との心中という形をとる。
テレビ放送と、その電波を届けるテレビ塔は、戦後復興の一つの象徴である。そのタワーの倒壊とともに死ぬ、ということは、戦後社会との心中を意味する。
「さようなら、みなさんさようなら」というレポーターの叫びを聞いた時、当時の観客の多くは、自らをその姿に重ね合わせてはいなかっただろうか。本来なら自分が履行しなくてはならない行動をレポーターに仮託し、ある種の満足を得ていたのではないだろうか。怪獣の残酷さと、都市破壊の恐ろしさのみならず、甘美さをも同時に感じていたのではないだろうか。(ちなみにこの「逃げられるのに逃げず、タワーやビルなどの建造物と共にゴジラに殺される」人物は、ゴジラシリーズの中に、繰り返し登場している)
今のところ最後のゴジラシリーズは、2004年の『ゴジラ Final WARS』である。ゴジラシリーズが制作されなくなったということは、我々は文明との心中願望から脱却できたということなのだろうか。
おそらくは、そうではない。
ゴジラは原爆実験によって進化した怪獣で、放射能を撒き散らしながら行進する。これと同様の存在は、既に現実にある。福島第一原発は、身を持ってそのことを証明した。
我々は、もはやフィクションのゴジラを必要としていない。ゴジラは今や、現実にいる。
このように述べれば、国内の原発は、1966年に稼働を開始した茨木県東海村の東海原発を筆頭として、主に70年代に建設されており、ゴジラシリーズの終結後に作られたのではない、と思われるかもしれない。
しかし、建設されて間もない原発は、ゴジラではない。建設後40~50年を閲して老朽化し、放射能漏れのおそれが高まった原発がゴジラになるのだ。
だとすると、我々の心中願望は、福島の事故によって満たされたのだろうか。
これもやはり否だろう。我々は、これではまだ足りない、と考えている。
だからこそ日本社会は、福島の事故後に高まった脱原発の機運を圧殺し、同様の事故を防ぐ対策を講じえないまま、なし崩し的に原発を稼働させ続けているのだ。
我々はまだ、満足してはいない。次こそは自分が「みなさんさようなら」と叫ぶ番だ。そう思っている。
近々訪れるとされる首都直下型地震。そのシミュレーションを、テレビでよく目にする。だが、人々はそれを、危機意識を持つためではなく、早く訪れて欲しいイベントとして、待望の眼差しで眺めてはいないだろうか。地方に移住するでなく、首都機能を分散するでなく、防災グッズを買い揃えたり、避難誘導マップを作成したりなどの、根本的とは言えない対策に終始しているのだから(文化庁は京都に移転するらしいが)。
では、この状態から脱却するすべはないのだろうか。三度佐藤の言を引こう。


日本を現在の混迷から脱却させるには、われわれも何らかの神とつながりを持たねばならない。ところが面白いことに、「ゴジラ」を英語で表記するとGodzillaなんです。
最初の三文字が「God」、つまり神。続く「zilla」は、トカゲを意味する「lizard」の綴りを並べ替えたように読めるので、「トカゲの神」ということになります。
(中略)
ならば、ゴジラはどこにいるのか?保守派の多くが、この怪獣の来襲をひそかに待ち望んでいることが示すとおりです。すなわち、われわれの中。
あまり自己過信に陥ると、ゴジラは現実の世界に出てきて、いろいろぶち壊し始める。
(中略)
「改革の使徒」ではなく、「破壊の化身」としてゴジラの存在を信じる。これが手始めです。となれば、どうやって抑え込むかという話になるでしょう。
(中略)
昔、「心に太陽を持て」というフレーズがありましたが、今や保守をめざすのなら、正しい形で心にゴジラを持たねばなりません。
(前掲書)


病気の治癒は、病識を持つことから始まる、と言う。まずは我々が破滅願望・文明との心中願望を抱いている、と自覚すること。それがはじめの一歩だ。そこから始めねばならないし、おそらくはそこからしか始まらない。
手遅れにならなければいいのだが。


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