中国人は、大声、かつ早口で喋るので、普通の会話でもケンカしているように見える、とよく言われる。
AV女優の蒼井そらは、中国で人気が高い。なので、彼女は中国でよく芸能活動をしているのだが、中国滞在時には、ついつい大声になってしまうそうだ。日本に帰ってからも大声の癖はすぐには抜けず、周りの日本人と比べて声が大きいと気付いた時に、普通の声量に戻すのだという。
何故、このようなことが起こるのだろう。
題名は失念してしまったのだが、中国人の知己が多い方の書いた本に、興味深いエピソードが紹介されていた。
中国人女性と結婚した日本人男性が、妻が朝から晩まで忙しく動き回っているのを不思議に思い、「なぜそんなに忙そうにしているのか」と問いただすと、妻は「中国人はみんな忙しいんだ」と答えたという。また、その本の著者と同じく中国人の知人の多い日本人男性は、会話している中国人を眺めていると、頭の上に漢字が次から次に浮かんでは消えるのが見える、と語ったそうだ。
これは一体どういうことなのだろう。
中国の文字は、漢字である。漢字は、一文字一文字に意味のある「表意文字」である。対して、かなやアルファベットは、一文字だけでは(ほぼ)意味がなく、音を有しているのみで、複数の連なりをもって意味を成す「表音文字」である。(厳密に言えば、漢字も一文字で音を持つので、漢字は「表意文字」かつ「表音文字」である)
この「表意文字」と「表音文字」の違いに注目してみたい。
例えば「蛇」という漢字。一文字だけで意味がある、ということは、一文字だけで完結している、ということでもあるわけで、漢字だと一文字だけで「へび」を指し示すことができるが、これがアルファベットだと「S・N・A・K・E」と、五文字必要になる。漢字とアルファベットの読字速度が同じだとすると、漢字の方が、情報処理速度が五倍速い、ということになる。基本的に、漢字なら一文字で対象を示せるのに対し、アルファベットは数文字を要する。漢字とアルファベットだと、同じ量の情報を伝えるのにも、必要な文字数に開きが出てしまう。(「漢字とアルファベットの読字速度が同じだとする」と書いたが、これは事実ではなく、仮定である。読字速度には個人差があるし、「漢字の読字速度の平均値」と「アルファベットの読字速度の平均値」も違うはずだ。また、アルファベットも、必ずしも一文字ずつ順々に読むのではなく、綴りを一つの塊として一度に読んでいる場合もあるはずで、文字数が五分の一だからといって、読字速度が五倍になるわけではない。なので、「漢字とアルファベットの読字速度が同じだとする」というのは、あくまでこの論を展開するための仮定であることをご理解いただきたい)
この、「漢字の情報処理速度の速さ」(これを、「表意文字の表音文字に対する優越」と言い換えてもいいだろう)が、諸々の事象の説明になると思う。情報処理速度が速くなれば、当然その分だけ早口になる。早口になれば、勢い声量も大きくなる。
だからこそ、「中国人はみんな忙しい」のであり、日本人の目には「頭の上に漢字が点滅して見える」のではないだろうか。
中国は、世界史の大部分において、自他ともに認める文明の中心地であった。中国を大国に成らしめていた要素の一つが、「漢字の情報処理速度」だったのではないだろうか。
また、書家の石川九楊は、中国語の特徴を、次のように述べている。
中国語は「断言言語」です。言語構造として、曖昧さを許しません。日本語では「乾杯」は単に合図にすぎないので、口だけつけて盃をおろしてもだれからも文句は出ませんが、中国では「乾杯」と言ったら「飲み干すぞ」あるいは「飲み干そう」ということ以外の意味はないのです。要するに、断言が表現の中心になっているわけです。
先般中国へ行きましたが、上海ではいたるところに「愛我中華」というスローガンが掲げられていました。これは「我が中華を愛そう」あるいは「愛するぞ」もう少しくだけば、「中華が好き」というような意味です。中国語ではここまでの断言的表現はできても、平仮名をもつ日本のように(中略)、「愛します、愛しましょう、愛しています、愛そう、愛しているの、愛しているわよ、愛しちゃったのよ、愛しているのだけれど・・・・・・」というような、時には話し手の性別や年齢・階級・階層・職業・出身地まで明示するような微細な表現ができず、断言に終始せざるをえないわけです。
(石川九楊『日本語の手ざわり』新潮選書)
言語にはそれぞれ特徴があり、その特徴が話者の思考を方向付ける、とはよく言われることだ。曖昧さを許さない中国語が、中国人の思考に与えている影響は少なくないだろう。また、曖昧さを許さないとは、白か黒かの二元論に陥りがちだということでもある。中国人の政治性、ひいては中国政府の指針にも、断言言語の特徴が反映されているのではないだろうか。
中国の国際的影響力は年々高まっており、好むと好まざるとに関わらず、我々は中国に注目せざるを得ない。理想的なのは、感情的にならず、冷静に対象を学ぶ、という姿勢である。
我々は中国を知る必要がある。中国語の特徴を理解するのも、中国を知る一助となるだろう。
オススメ関連本・溝口雄三『中国の衝撃』東京大学出版会
AV女優の蒼井そらは、中国で人気が高い。なので、彼女は中国でよく芸能活動をしているのだが、中国滞在時には、ついつい大声になってしまうそうだ。日本に帰ってからも大声の癖はすぐには抜けず、周りの日本人と比べて声が大きいと気付いた時に、普通の声量に戻すのだという。
何故、このようなことが起こるのだろう。
題名は失念してしまったのだが、中国人の知己が多い方の書いた本に、興味深いエピソードが紹介されていた。
中国人女性と結婚した日本人男性が、妻が朝から晩まで忙しく動き回っているのを不思議に思い、「なぜそんなに忙そうにしているのか」と問いただすと、妻は「中国人はみんな忙しいんだ」と答えたという。また、その本の著者と同じく中国人の知人の多い日本人男性は、会話している中国人を眺めていると、頭の上に漢字が次から次に浮かんでは消えるのが見える、と語ったそうだ。
これは一体どういうことなのだろう。
中国の文字は、漢字である。漢字は、一文字一文字に意味のある「表意文字」である。対して、かなやアルファベットは、一文字だけでは(ほぼ)意味がなく、音を有しているのみで、複数の連なりをもって意味を成す「表音文字」である。(厳密に言えば、漢字も一文字で音を持つので、漢字は「表意文字」かつ「表音文字」である)
この「表意文字」と「表音文字」の違いに注目してみたい。
例えば「蛇」という漢字。一文字だけで意味がある、ということは、一文字だけで完結している、ということでもあるわけで、漢字だと一文字だけで「へび」を指し示すことができるが、これがアルファベットだと「S・N・A・K・E」と、五文字必要になる。漢字とアルファベットの読字速度が同じだとすると、漢字の方が、情報処理速度が五倍速い、ということになる。基本的に、漢字なら一文字で対象を示せるのに対し、アルファベットは数文字を要する。漢字とアルファベットだと、同じ量の情報を伝えるのにも、必要な文字数に開きが出てしまう。(「漢字とアルファベットの読字速度が同じだとする」と書いたが、これは事実ではなく、仮定である。読字速度には個人差があるし、「漢字の読字速度の平均値」と「アルファベットの読字速度の平均値」も違うはずだ。また、アルファベットも、必ずしも一文字ずつ順々に読むのではなく、綴りを一つの塊として一度に読んでいる場合もあるはずで、文字数が五分の一だからといって、読字速度が五倍になるわけではない。なので、「漢字とアルファベットの読字速度が同じだとする」というのは、あくまでこの論を展開するための仮定であることをご理解いただきたい)
この、「漢字の情報処理速度の速さ」(これを、「表意文字の表音文字に対する優越」と言い換えてもいいだろう)が、諸々の事象の説明になると思う。情報処理速度が速くなれば、当然その分だけ早口になる。早口になれば、勢い声量も大きくなる。
だからこそ、「中国人はみんな忙しい」のであり、日本人の目には「頭の上に漢字が点滅して見える」のではないだろうか。
中国は、世界史の大部分において、自他ともに認める文明の中心地であった。中国を大国に成らしめていた要素の一つが、「漢字の情報処理速度」だったのではないだろうか。
また、書家の石川九楊は、中国語の特徴を、次のように述べている。
中国語は「断言言語」です。言語構造として、曖昧さを許しません。日本語では「乾杯」は単に合図にすぎないので、口だけつけて盃をおろしてもだれからも文句は出ませんが、中国では「乾杯」と言ったら「飲み干すぞ」あるいは「飲み干そう」ということ以外の意味はないのです。要するに、断言が表現の中心になっているわけです。
先般中国へ行きましたが、上海ではいたるところに「愛我中華」というスローガンが掲げられていました。これは「我が中華を愛そう」あるいは「愛するぞ」もう少しくだけば、「中華が好き」というような意味です。中国語ではここまでの断言的表現はできても、平仮名をもつ日本のように(中略)、「愛します、愛しましょう、愛しています、愛そう、愛しているの、愛しているわよ、愛しちゃったのよ、愛しているのだけれど・・・・・・」というような、時には話し手の性別や年齢・階級・階層・職業・出身地まで明示するような微細な表現ができず、断言に終始せざるをえないわけです。
(石川九楊『日本語の手ざわり』新潮選書)
言語にはそれぞれ特徴があり、その特徴が話者の思考を方向付ける、とはよく言われることだ。曖昧さを許さない中国語が、中国人の思考に与えている影響は少なくないだろう。また、曖昧さを許さないとは、白か黒かの二元論に陥りがちだということでもある。中国人の政治性、ひいては中国政府の指針にも、断言言語の特徴が反映されているのではないだろうか。
中国の国際的影響力は年々高まっており、好むと好まざるとに関わらず、我々は中国に注目せざるを得ない。理想的なのは、感情的にならず、冷静に対象を学ぶ、という姿勢である。
我々は中国を知る必要がある。中国語の特徴を理解するのも、中国を知る一助となるだろう。
オススメ関連本・溝口雄三『中国の衝撃』東京大学出版会