徳丸無明のブログ

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江崎グリコ かるじゃが うましお味

2023-06-02 23:42:15 | 
今日は軽量級の芋です。




すりつぶしたポテトを筒状のスティックにして焼き上げたもの。シャクシャクとした、ほどける食感。チキンエキスがほのかに効いてます。
なんでしょうね、つまりは思い出話ですね。動物園に行ったときの話をします。
福岡市は、わりと中心部に近い街中に動物園があります。周囲の土地はけっこう起伏が激しくて、園内の順路も上り下りが多く、ケーブルカーが設置してある場所もあるほどです。
そんな動物園に行ったときのことです。午後の遅い時間に訪れたため、閉園時間近くになっても、まだ全部観終わってませんでした。併設されてる植物園のほうまで足を延ばしていたためでもあります。
閉園30分前になって、出口近くの猛禽類ゾーンにさしかかりました。時刻は夕方、園内は木々が生い茂っていることもあり、薄暗くなっていました。
そんな中、飼育員さんが動物の檻を開けて何かしているのが目に入りました。飼育員さんは、ワシやらタカやら、猛禽類の檻を次々開けています。
よく見ると、それはエサやりでした。ちょうど食事の時間だったのです。近寄ってみると、エサはヒヨコでした。
ヒヨコは死んでいました。おそらく、養鶏場からエサ用に仕入れているのでしょう。あらかじめ養鶏場で「処理」して死なせたヒヨコを、園まで運搬していたのだと思います。死んだヒヨコを、1羽につき2,3匹ほどエサとして配っていたのでした。
タカはヒヨコを目にすると、胴体をかぎ爪でガッシと掴みました。そして頭をくちばしでくわえると、上にグーッと引き上げました。ヒヨコの首はブチーッとちぎれました。
僕は「うわーっ」と思いました。そういうのわりと平気なほうではあるんですよね。ホラー映画のスプラッタシーンとか、笑いながら観ちゃうんですよ。でも、そんな僕でも「おいおい」と思ったのです。「客にこんなん見せていいのか?」と。
閉園の30分前。客はほとんどいませんでした。でも、もし小さな子供がまだ残っていたらどうでしょう。ヒヨコが頭を食いちぎられる場面を見てしまうかもしれない。そうしたら少なからず衝撃を受けるでしょうし、ヘタすりゃトラウマになるかもしれない。
だから、「閉園してからエサやりすればいいんじゃないの?なぜあと30分を待てない?」と思ったのです。そうでしょ?苦情を告げる人はいなかったのでしょうか。
これはもう10年くらい前の話です。件の動物園は今もなお、開園中に猛禽類のエサやりをおこなっているのでしょうか。子供に残酷な場面を見せないよう、時間帯を変更しているでしょうか。

ヒヨコと言えば、こんな話もあります。
卵から孵ったばかりのヒヨコって、オスとメスの判別されるでしょ。ピイピイ鳴いてる大量のヒヨコを「オスメスオスメス」ってより分けてる映像観たことありますよね。雌雄識別っていうやつです。
あのあとヒヨコがどうなるか、ご存じですか?
ニワトリって、必要とされてるのはほとんどメスなんですよね。メスは卵を産むという役割がありますから。対して、オスの役目は「種付け」くらいのもの。
人間が必要としているのは卵だけじゃなくて鶏肉もなんですけど、肉だってメスから取れます。肉と卵のためなら、メスだけいればいい。
オスも種付けのためにいてもらわなきゃならないんですけど、1羽いれば数十羽数百羽を相手にできます。だから必要なオスの数は、メスに比べて圧倒的に少ないんです。
しかし、産まれてくるオスとメスの割合はほぼ半々。メスと同程度産まれてくるオスの大半は、人間にとって不要なのです。
じゃあその不要なオスは、どうなるのか。
雌雄の識別をされたあと、オスは扇風機みたいな機械に投げ込まれるのです。その扇風機みたいなやつは、羽が刃物になってまして、投げ込まれたヒヨコはバラバラになるのです。「不要なオス」はそのように処理されるわけです。
その扇風機みたいな機械がなかった時代のやり方はもっと荒っぽくて、大きなポリバケツにオスを入れていき、いっぱいになったら足で踏みつぶしていたそうです。
これが「合理性」や「利益」を追求し続けた人間社会の一面なのですね。我々の利益のために、オスのヒヨコは産まれてきてすぐに殺されるのです。(僕は見たことないんですけど、昔は縁日で「カラーヒヨコ」っつーのも売ってたそうですね。このカラーヒヨコ、育ててみたらオスだった、という話をよく聞きます。「いらないオス」を殺処分することなくお金に変える、一石二鳥の方法として案出されたのでしょう)
「これをすぐにやめるべきだ」とまでは言いません。どうすればやめられるのか、オスを生かすことで発生するであろう不利益をどう補填するのかが僕にはわからないからです。
でも、こういうことが現に存在しているということは忘れないようにしたい。この社会は、こういった犠牲の上に成り立っているということをちゃんと自覚していたいとは思います。
見て見ぬふりはしない。とりあえずそれだけは忘れないようにしたいです。