今日はファイヤーバードです。
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冷たいのにおいしい焼き鳥って不思議ですね。缶詰ならではの何かがあるんでしょうか。気温が低いとプルプルになるコラーゲンがまたよし。たれ味は国際宇宙ステーションで食べられてる宇宙日本食らしいですよ。
宇宙は天。天は高い。そう、高いところの話をしましょう。勘違いなんじゃないかって話。
キャビンアテンダントさん(CA)がまだスチュワーデスと呼ばれていた時代、彼女たちは「高嶺の花」ともてはやされていました。お近づきになるのも難しい。ましてお付き合いなど望むべくもないと。
スチュワーデスと付き合えるのは、選ばれし一部の人、つまり高給取りや社会的地位の高い男だけで、それ以外の男はかかわることすらできない。そんなふうに見なされていました。
ですが僕は、疑問に思っていました。本当にそうだろうかと。
実際にはそこまで高嶺でもないんじゃないか。給料平均くらいの人でも付き合ったりしているのに、実態と違う理解が蔓延しているのではないかと。
「高嶺の花」というのは、メディアによって作り出されたイメージで、実態とはかけ離れているのではないか。みんなイメージによって「高嶺の花なのだな」と思い込まされているだけであって、実際はもっと気安い存在なのではないかと。
仮にその通りだとすると、なんでそんなイメージが流布したのか、という疑問がわきます。いかにして「高嶺の花」というイメージは生まれたのか。
ひとつは、飛行機という高級な乗り物の中で働いているためでしょうね。バスより電車より新幹線より料金が高い乗り物。その乗り物で働いている人だから高級、つまり高嶺。高値が高嶺に転じたのかもしれません。
もうひとつは制服の華やかさもあるでしょうね。でもあとひとつ、決定的な理由があると思うんです。
それは、「高いところで働いている」ということ。
飛行機は、空を飛びます。それは上空何千メートルとかです。飛行機は、高いところにいる。
スチュワーデスは、その高いところで働いているのです。なので、「高いところ=高嶺」という連想が起きたのではないか。その連想は錯覚にすぎないのに、メディアでイメージとして喧伝されているうちに、あたかも真理のように理解されるに至ったのではないか。そんな気がするのです。
つまり、現実としてスチュワーデスは華やかで、多くの人があこがれる職業ではあるのですけど、「高嶺の花」というイメージを生み出し、社会に定着させたのは、そんなことよりも「高いところで働いている」という事実だったのではないか。「職場の位置」こそが「高嶺の花」というイメージを生み出したのではないか。僕はそう考えているのです。
まあ、真相がどうなのかはわかりません。でも案外、こんな単純なことからイメージが生まれたのかもしれない。その現実と反するイメージが現実を変化させ、イメージが現実そのものになってしまう、というのは起こりえることです。「スチュワーデス=高嶺の花」というのも、イメージが生み出した幻想だったのかもしれないのです。
それにしても、未だにあの職業には過剰な幻想が付きまとってますよね。今の呼び名はCAで、スチュワーデスなんて言ったら怒られちゃいますけど、なんでそんな特別な呼び名が必要なんだ、って思うんですよ。
スチュワーデスにせよ、CAにせよ、変に特別感あるじゃないですか。この特別感もまた、選良意識の元ですよね。
僕はこの特別感に、反発を覚えるんですよ。なんでわざわざCAなんて呼び名があるんだって。
客の世話する仕事なんだから、普通に「乗務員」でいいじゃないかって。なんでCAじゃなきゃならないんだって。
CAの人たち、それにCAの周囲にいる人たちに、少しでも謙虚な気持ちがあれば、乗務員という呼び名を受け入れることに抵抗はないと思うんですけどね。でも、ホンネじゃCAは特別だと思っているから、乗務員という呼び名は受け入れられない。乗務員じゃダサいと思っている。
そんなココロのカラクリがあるんじゃないかと思います。
だから、仮にCAが乗務員に呼び変えられたら、高嶺の花という幻想は消えるんじゃないでしょうか。呼び名もまた、幻想を支えているイメージだったりしますからね。
変に特別感のある職業と言えば、女優もそうですよね。
男女平等の観点から、「女流作家」みたいな言い方はおかしい、女性が作家なのは珍しいことではないし、女性が作家に不向きなわけでもない、女性であっても普通に「作家」と呼べばいい、という指摘があります。それと同じように、最近じゃ「女優」もまた、普通に「俳優」でいいだろうという議論がありますよね。
でも、僕はどちらにも違和感があるのです。女優にも、俳優にも。
女優って言葉、よく見てくださいよ。「優れた女」ですよ。なんですか、優れた女って。演技っていう仕事内容の説明になってないじゃないですか。仕事内容関係なく、「優れてる」って何?意味がわからない。
この「優れてる」って言葉が含まれてるせいで、女優という職業が何か特別であるかのような、変な選良意識が生まれてると思うんですよね。女優であることで、それ以外の職業を下に見るっていうね。
同様に、俳優にも「優れてる」って意味が含まれてるじゃないですか。これがねぇ・・・。
ほかの職業にはないじゃないですか。「優れてる」みたいな、評価の言葉。
なにゆえ女優と俳優だけが、「優れてる」という評価を名称の中に含んでいるのか。これは選良意識の表れじゃないですか。
だからもう、女優のみならず、俳優もやめるべきだと思うんですよね。「自分たちは優れているんだ」っていう選良意識につながっちゃうから。
女性も男性も、ともに「役者」でいいでしょう。元々はそう呼んでいたんですから。
いったいいつから「俳優」という呼び名は生まれたのか。どこからやってきたのか。
役者に特別な社会的価値を与えたい、ともくろんだ人たちが、「役者じゃなくて俳優だ」って言い替えを行ったんじゃないかと思うんですけどね。違ったらすみません。
ところで、俳優の「優」に評価の意味合いがあるとして、「俳」は何?
今漢和辞典で調べてみたんですけど、俳優の「俳」には、「常人と変わったおどけたことをする芸人」という意味があるそうです。とすると、「俳」は「優」と違って、少し下げる意味がある。自分を落とすというかね。
なら、「優」は、「俳」で下げた社会的地位を、上げる効果があるのかもしれません。プラスマイナスでトントンになっているというかね。
でもだとしても、やっぱ俳優はよくないですよ。特別感がぬぐえませんからね。
だからもう、「役者」にすべきじゃないですか。男性も女性もね。
そもそも、どんな職業であれ、プロであればみんなその道に優れているはずです。セールスマンは販売に優れているし、大工さんは建築に優れているのです。俳優や女優ばかりが取り立てて優れているわけではない。
俳優と女優以外で、職業名に「優」を含む仕事があるかっつったら、ありませんよ。いや、すべての職業名キッチリ調べたわけじゃないんですけど、ないはずですよ、たぶん。
普通、職業名には「優」の文字は入らないのです。なのになぜ、俳優と女優にだけ「優」の字が入っているのか。これはやはり選良意識ゆえでしょう。
どう考えても不平等。正さねばなりません。
では、どのように正すか。ひとつは、すべての職業名に「優」の字を入れ込む選択。
セールスマンであれば「売優」、大工さんであれば「建優」でしょうか。そのようにして、「仕事内容+優」を職業名にすればいいのです。そうすれば、俳優と女優だけが特別ではなくなる。
でもそーすっと、すごくヘンですよね。どの職業名にも「優」が入ってたら、区別つきづらくてややこしい。似たような仕事だと、区別つけられないかもしれません。
それに、日本語訳のないカタカナ職業はどうすればいいのか。「仕事内容+エクセレント」にする?やっぱややこしい・・・。結局、すべての職業名に「優」の字を入れるのは不可能なのです。
なのでやっぱり、俳優と女優から「優」の字をなくすことで平等にしなければならないってことです。
お芝居やってる人たちに選良意識がないのなら、それでもかまいませんよね?
変な選良意識はなくすべきです。
CAは乗務員。俳優と女優は役者に呼び替えましょう。
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冷たいのにおいしい焼き鳥って不思議ですね。缶詰ならではの何かがあるんでしょうか。気温が低いとプルプルになるコラーゲンがまたよし。たれ味は国際宇宙ステーションで食べられてる宇宙日本食らしいですよ。
宇宙は天。天は高い。そう、高いところの話をしましょう。勘違いなんじゃないかって話。
キャビンアテンダントさん(CA)がまだスチュワーデスと呼ばれていた時代、彼女たちは「高嶺の花」ともてはやされていました。お近づきになるのも難しい。ましてお付き合いなど望むべくもないと。
スチュワーデスと付き合えるのは、選ばれし一部の人、つまり高給取りや社会的地位の高い男だけで、それ以外の男はかかわることすらできない。そんなふうに見なされていました。
ですが僕は、疑問に思っていました。本当にそうだろうかと。
実際にはそこまで高嶺でもないんじゃないか。給料平均くらいの人でも付き合ったりしているのに、実態と違う理解が蔓延しているのではないかと。
「高嶺の花」というのは、メディアによって作り出されたイメージで、実態とはかけ離れているのではないか。みんなイメージによって「高嶺の花なのだな」と思い込まされているだけであって、実際はもっと気安い存在なのではないかと。
仮にその通りだとすると、なんでそんなイメージが流布したのか、という疑問がわきます。いかにして「高嶺の花」というイメージは生まれたのか。
ひとつは、飛行機という高級な乗り物の中で働いているためでしょうね。バスより電車より新幹線より料金が高い乗り物。その乗り物で働いている人だから高級、つまり高嶺。高値が高嶺に転じたのかもしれません。
もうひとつは制服の華やかさもあるでしょうね。でもあとひとつ、決定的な理由があると思うんです。
それは、「高いところで働いている」ということ。
飛行機は、空を飛びます。それは上空何千メートルとかです。飛行機は、高いところにいる。
スチュワーデスは、その高いところで働いているのです。なので、「高いところ=高嶺」という連想が起きたのではないか。その連想は錯覚にすぎないのに、メディアでイメージとして喧伝されているうちに、あたかも真理のように理解されるに至ったのではないか。そんな気がするのです。
つまり、現実としてスチュワーデスは華やかで、多くの人があこがれる職業ではあるのですけど、「高嶺の花」というイメージを生み出し、社会に定着させたのは、そんなことよりも「高いところで働いている」という事実だったのではないか。「職場の位置」こそが「高嶺の花」というイメージを生み出したのではないか。僕はそう考えているのです。
まあ、真相がどうなのかはわかりません。でも案外、こんな単純なことからイメージが生まれたのかもしれない。その現実と反するイメージが現実を変化させ、イメージが現実そのものになってしまう、というのは起こりえることです。「スチュワーデス=高嶺の花」というのも、イメージが生み出した幻想だったのかもしれないのです。
それにしても、未だにあの職業には過剰な幻想が付きまとってますよね。今の呼び名はCAで、スチュワーデスなんて言ったら怒られちゃいますけど、なんでそんな特別な呼び名が必要なんだ、って思うんですよ。
スチュワーデスにせよ、CAにせよ、変に特別感あるじゃないですか。この特別感もまた、選良意識の元ですよね。
僕はこの特別感に、反発を覚えるんですよ。なんでわざわざCAなんて呼び名があるんだって。
客の世話する仕事なんだから、普通に「乗務員」でいいじゃないかって。なんでCAじゃなきゃならないんだって。
CAの人たち、それにCAの周囲にいる人たちに、少しでも謙虚な気持ちがあれば、乗務員という呼び名を受け入れることに抵抗はないと思うんですけどね。でも、ホンネじゃCAは特別だと思っているから、乗務員という呼び名は受け入れられない。乗務員じゃダサいと思っている。
そんなココロのカラクリがあるんじゃないかと思います。
だから、仮にCAが乗務員に呼び変えられたら、高嶺の花という幻想は消えるんじゃないでしょうか。呼び名もまた、幻想を支えているイメージだったりしますからね。
変に特別感のある職業と言えば、女優もそうですよね。
男女平等の観点から、「女流作家」みたいな言い方はおかしい、女性が作家なのは珍しいことではないし、女性が作家に不向きなわけでもない、女性であっても普通に「作家」と呼べばいい、という指摘があります。それと同じように、最近じゃ「女優」もまた、普通に「俳優」でいいだろうという議論がありますよね。
でも、僕はどちらにも違和感があるのです。女優にも、俳優にも。
女優って言葉、よく見てくださいよ。「優れた女」ですよ。なんですか、優れた女って。演技っていう仕事内容の説明になってないじゃないですか。仕事内容関係なく、「優れてる」って何?意味がわからない。
この「優れてる」って言葉が含まれてるせいで、女優という職業が何か特別であるかのような、変な選良意識が生まれてると思うんですよね。女優であることで、それ以外の職業を下に見るっていうね。
同様に、俳優にも「優れてる」って意味が含まれてるじゃないですか。これがねぇ・・・。
ほかの職業にはないじゃないですか。「優れてる」みたいな、評価の言葉。
なにゆえ女優と俳優だけが、「優れてる」という評価を名称の中に含んでいるのか。これは選良意識の表れじゃないですか。
だからもう、女優のみならず、俳優もやめるべきだと思うんですよね。「自分たちは優れているんだ」っていう選良意識につながっちゃうから。
女性も男性も、ともに「役者」でいいでしょう。元々はそう呼んでいたんですから。
いったいいつから「俳優」という呼び名は生まれたのか。どこからやってきたのか。
役者に特別な社会的価値を与えたい、ともくろんだ人たちが、「役者じゃなくて俳優だ」って言い替えを行ったんじゃないかと思うんですけどね。違ったらすみません。
ところで、俳優の「優」に評価の意味合いがあるとして、「俳」は何?
今漢和辞典で調べてみたんですけど、俳優の「俳」には、「常人と変わったおどけたことをする芸人」という意味があるそうです。とすると、「俳」は「優」と違って、少し下げる意味がある。自分を落とすというかね。
なら、「優」は、「俳」で下げた社会的地位を、上げる効果があるのかもしれません。プラスマイナスでトントンになっているというかね。
でもだとしても、やっぱ俳優はよくないですよ。特別感がぬぐえませんからね。
だからもう、「役者」にすべきじゃないですか。男性も女性もね。
そもそも、どんな職業であれ、プロであればみんなその道に優れているはずです。セールスマンは販売に優れているし、大工さんは建築に優れているのです。俳優や女優ばかりが取り立てて優れているわけではない。
俳優と女優以外で、職業名に「優」を含む仕事があるかっつったら、ありませんよ。いや、すべての職業名キッチリ調べたわけじゃないんですけど、ないはずですよ、たぶん。
普通、職業名には「優」の文字は入らないのです。なのになぜ、俳優と女優にだけ「優」の字が入っているのか。これはやはり選良意識ゆえでしょう。
どう考えても不平等。正さねばなりません。
では、どのように正すか。ひとつは、すべての職業名に「優」の字を入れ込む選択。
セールスマンであれば「売優」、大工さんであれば「建優」でしょうか。そのようにして、「仕事内容+優」を職業名にすればいいのです。そうすれば、俳優と女優だけが特別ではなくなる。
でもそーすっと、すごくヘンですよね。どの職業名にも「優」が入ってたら、区別つきづらくてややこしい。似たような仕事だと、区別つけられないかもしれません。
それに、日本語訳のないカタカナ職業はどうすればいいのか。「仕事内容+エクセレント」にする?やっぱややこしい・・・。結局、すべての職業名に「優」の字を入れるのは不可能なのです。
なのでやっぱり、俳優と女優から「優」の字をなくすことで平等にしなければならないってことです。
お芝居やってる人たちに選良意識がないのなら、それでもかまいませんよね?
変な選良意識はなくすべきです。
CAは乗務員。俳優と女優は役者に呼び替えましょう。