
今日は駄菓子のスナック2種類です。


2つとも僕が子供のころからあります。テキサスって何?テキサス産のとうもろこしを使っているのでしょうか。
本日は第29回私が好きなマンガの話。今回取り上げるのは森本梢子の『わたしがママよ』(全5巻・集英社)です。
1児の母である森本さんが、自身の子育て体験を面白おかしく綴ったエッセイコミック。柔らかい絵柄とほのぼのストーリーで、万人に愛される作風です。
子育てをしたことがある人は頷きながら、子供がいない人でも純粋に赤ちゃんの可愛さと滑稽さに頬を緩ませながら楽しむことができます。ほのぼのマンガに反発を感じがちな僕も素直に楽しめました。
赤ちゃんは可愛い!子供は未来だ!
でね、僕疑問に思うんですけどね、森本さんは実話に基づいたマンガはすごく面白いのに、フィクションとなるとなぜあんなにつまらないのでしょうか。『わたしがママよ』の他に、大学病院を取材して描いた『研修医なな子』も面白い。
しかし完全なオリジナル、創作話となるとからきしつまらない。具体的にどの作品のことを言ってるのかというと、ズバリ『ごくせん』のことです。
そう、『ごくせん』。『ごくせん』はつまらない。気絶するほどつまらない。
仲間由紀恵主演でドラマ化もされた『ごくせん』。ドラマはヒットしたので、ファンの人多いと思いますけど、正直なぜこんな水戸黄門みたいな定型的な物語がこれだけウケるのか、さっぱり理解できない。
『ごくせん』好きな人います?いたらすみませんね。でも僕は好きじゃないんですよ。
なので、『わたしがママよ』と『研修医なな子』を愛読していながら、森本さんのフィクション作品は敬遠しているのです。『アシガール』?知らねーよ。
ちなみに森本さんは熊本市在住。僕は熊本市出身なんですけど、『わたしがママよ』のたま子ちゃんが通ってた幼稚園は、僕の実家のわりと近くにあるんですね。
実際その幼稚園の前まで行ってみたこともあります。園の正面に、森本さんのイラスト(『わたしがママよ』の登場人物)が描かれた看板が掲げられていました。あの看板はまだあるのでしょうかね。画像検索したら出てくるかもしれませんので、興味がある方はお試しください。
ここで新型コロナウイルス関連身辺ニュース、および雑感。
6日、福岡市と久留米市に出ていた、飲食店に対する営業時間短縮要請が、県内全域に拡大。福岡市と久留米市はこれまで午後9時までだったのが8時までに短縮。それ以外の地域は午後9時までとなりました。うーん、厳しい。ほんとに効果あるんでしょうか。
福岡県は、ついでに12日から緊急事態宣言の対象に含まれることにもなりました。今って蔓延防止等重点措置も出てますよね。緊急事態宣言と何が違うのかよくわからんし、まぎらわしいから統一したほうがよくないですか?
未だ中止の可能性が消えない東京オリンピック。僕がずっと引っかかっているのは、今大会が「復興五輪」と銘打たれていること。復興というのはもちろん、東日本大震災の被害を受けた東北の復興ですね。
しかしなぜ、復興と五輪が結びつくのでしょう。それはそれ、これはこれのはずです。なぜ、本来まったく関係ない2つが結びつくのか。
それはやはり、五輪が終わった時点で、「はい、復興も完了しました」ってことにしたい、ということにほかなりません。あくまで、「そういうことにする」ということです。事実として、復興したかどうかではない。
この呼称を作った人、政府か、その近辺にいる人だと思いますけど、その人の計略図としては、「オリンピックの完遂=復興達成」という物語を描きたい、ということなのでしょう。
復興したという物語を作ることで、臭い物に蓋をするように、東北の被害から目をそらす。はやく終わったことにしたい。なかったことにしたい。そんな願望が「復興五輪」という名称に込められているような気がしてしょうがないのです。
被災者の方々からすればとんでもない話でしょう。冗談じゃねえよ、まだ終わってねえよって。オリンピックと復興は無関係だって。
大体オリンピックに注いでる労力とカネがあったら、少しでも東北に回せよって思ってるんじゃないでしょうか。
ということは、コロナ拡大防止という面だけでなく、復興が「終わったこと」にさせられないようにするためにも、オリンピックは中止になったほうがいい、ということになりますね。
今からでも中止にできるでしょうか。聖火が国立競技場に到着する直前に中止が決定して聖火ランナーがズッコケる、っていうベタなコントみたいな結末を期待します。


2つとも僕が子供のころからあります。テキサスって何?テキサス産のとうもろこしを使っているのでしょうか。
本日は第29回私が好きなマンガの話。今回取り上げるのは森本梢子の『わたしがママよ』(全5巻・集英社)です。
1児の母である森本さんが、自身の子育て体験を面白おかしく綴ったエッセイコミック。柔らかい絵柄とほのぼのストーリーで、万人に愛される作風です。
子育てをしたことがある人は頷きながら、子供がいない人でも純粋に赤ちゃんの可愛さと滑稽さに頬を緩ませながら楽しむことができます。ほのぼのマンガに反発を感じがちな僕も素直に楽しめました。
赤ちゃんは可愛い!子供は未来だ!
でね、僕疑問に思うんですけどね、森本さんは実話に基づいたマンガはすごく面白いのに、フィクションとなるとなぜあんなにつまらないのでしょうか。『わたしがママよ』の他に、大学病院を取材して描いた『研修医なな子』も面白い。
しかし完全なオリジナル、創作話となるとからきしつまらない。具体的にどの作品のことを言ってるのかというと、ズバリ『ごくせん』のことです。
そう、『ごくせん』。『ごくせん』はつまらない。気絶するほどつまらない。
仲間由紀恵主演でドラマ化もされた『ごくせん』。ドラマはヒットしたので、ファンの人多いと思いますけど、正直なぜこんな水戸黄門みたいな定型的な物語がこれだけウケるのか、さっぱり理解できない。
『ごくせん』好きな人います?いたらすみませんね。でも僕は好きじゃないんですよ。
なので、『わたしがママよ』と『研修医なな子』を愛読していながら、森本さんのフィクション作品は敬遠しているのです。『アシガール』?知らねーよ。
ちなみに森本さんは熊本市在住。僕は熊本市出身なんですけど、『わたしがママよ』のたま子ちゃんが通ってた幼稚園は、僕の実家のわりと近くにあるんですね。
実際その幼稚園の前まで行ってみたこともあります。園の正面に、森本さんのイラスト(『わたしがママよ』の登場人物)が描かれた看板が掲げられていました。あの看板はまだあるのでしょうかね。画像検索したら出てくるかもしれませんので、興味がある方はお試しください。
ここで新型コロナウイルス関連身辺ニュース、および雑感。
6日、福岡市と久留米市に出ていた、飲食店に対する営業時間短縮要請が、県内全域に拡大。福岡市と久留米市はこれまで午後9時までだったのが8時までに短縮。それ以外の地域は午後9時までとなりました。うーん、厳しい。ほんとに効果あるんでしょうか。
福岡県は、ついでに12日から緊急事態宣言の対象に含まれることにもなりました。今って蔓延防止等重点措置も出てますよね。緊急事態宣言と何が違うのかよくわからんし、まぎらわしいから統一したほうがよくないですか?
未だ中止の可能性が消えない東京オリンピック。僕がずっと引っかかっているのは、今大会が「復興五輪」と銘打たれていること。復興というのはもちろん、東日本大震災の被害を受けた東北の復興ですね。
しかしなぜ、復興と五輪が結びつくのでしょう。それはそれ、これはこれのはずです。なぜ、本来まったく関係ない2つが結びつくのか。
それはやはり、五輪が終わった時点で、「はい、復興も完了しました」ってことにしたい、ということにほかなりません。あくまで、「そういうことにする」ということです。事実として、復興したかどうかではない。
この呼称を作った人、政府か、その近辺にいる人だと思いますけど、その人の計略図としては、「オリンピックの完遂=復興達成」という物語を描きたい、ということなのでしょう。
復興したという物語を作ることで、臭い物に蓋をするように、東北の被害から目をそらす。はやく終わったことにしたい。なかったことにしたい。そんな願望が「復興五輪」という名称に込められているような気がしてしょうがないのです。
被災者の方々からすればとんでもない話でしょう。冗談じゃねえよ、まだ終わってねえよって。オリンピックと復興は無関係だって。
大体オリンピックに注いでる労力とカネがあったら、少しでも東北に回せよって思ってるんじゃないでしょうか。
ということは、コロナ拡大防止という面だけでなく、復興が「終わったこと」にさせられないようにするためにも、オリンピックは中止になったほうがいい、ということになりますね。
今からでも中止にできるでしょうか。聖火が国立競技場に到着する直前に中止が決定して聖火ランナーがズッコケる、っていうベタなコントみたいな結末を期待します。
今回はアンパンではなくあ~んぱんです。

あんこが入ってるのかと誤解されがちでしょうが、「はい、あーん」の「あ~ん」であって、中身はチョコです。
外側がパン生地みたいにやわらか。洋酒がふわっと香ります。
「俗流若者論」というのがあります。よくご年配が「近頃の若者は」なんて説教垂れますよね。そんな、「今の若者は〇〇だ」っていう定言。たとえば、今の若者は冷たい・お金を使わない・常識がない・コミュニケーションが取れない・仕事をすぐ辞める、など。
それら若者論は、正しいものもありますが、正しくないものもある。なんの根拠もデータもなく、年配者本人のなんとなくの感覚だけで決めつけられている、誤った若者論のことを「俗流若者論」と呼ぶのです。
今回はそんな俗流若者論の話。
だいぶ前のことですけど、夕方にテレビを観ていたら、地元のニュースが流れていて、とある古本屋さんのドキュメンタリーみたいなコーナーがあったんですね。それは福岡市内にある、マンガは一切扱ってないタイプの、個人経営の小さな古本屋さんでした。長年夫婦で経営しており、年老いた白髪頭の主人がインタビューに答えていました。
途中で、「〇〇さんは、今の学生はほとんど本を買わないと言います」というナレーションが入りました(「〇〇さん」ってのはご主人の名前ね)。そこから店主の若者に対する批判が始まったのです。正確な言葉は覚えていませんが、「昔の学生はよく本を読んでいたものだが、今は本を買いに来る学生がいない」という意味の発言をしていました。
その古本屋は学生街にありました。すぐ近くに大学のキャンパスがあり、つねに大学生が付近を歩いている、という環境下の古本屋さんなのです。
ですから、昔と比べて本が売れなくなったのであれば、「今の学生は本を読まない」という意見は正しいように思えます。でも、そうじゃないんですね。
僕はその古本屋さんに行ったことがあるんですけど、とにかく品揃えが悪いのです。ずっと昔の古い本、しかも古いだけでほとんど価値のない本ばかりが置いてある。おそらく目利きやら仕入れやらを一切せず、持ち込まれた本を買い取って並べるだけ、を繰り返してきたのでしょう。
経営のことを考えるなら、古本市で仕入れを行ったり、売れそうにない本の買い取りは断ったり、長年売れない本を処分したりするものです。そこの主人は、そういう経営努力をせずにここまできたのでしょう。そうとしか思えない品揃えでした。
しかもその店は、本が整理も分類もされていなかったのです。普通は本をジャンルごとに分類し、著者名の50音順に並べるものです。しかしそこの店は、ジャンル分けもされておらず、50音順にもなっていなかった。すべての本棚がごちゃごちゃになっていました。しかも、平台や床の上に本がうず高く積み上げられていて、その積まれた本が本棚を隠していたのです。とにかく利用しづらいというか、本を捜しにくいことこの上ない店なのです。
そんな事情を知っていた僕は、「何が学生は本を読まないだ!てめーが経営努力を怠ってきたから客が離れていっただけだろうが!自分の店がダメなのを若者のせいにするんじゃねーよ!」と思ったのです。
何よりおかしいのは、「自分の店の本が売れない=学生は本を読まない」という安易な結び付けです。認識が狭くなりすぎたせいで、自分の店の本だけがすべての本だと思い込んでしまったのでしょうか。
その個人経営の古本屋の近くにはブックオフもありました。学生はそちらでなら活字の本を買っていたはずです。古本ではなく、新品の本を買う場合だってあったでしょう。
昔ながらの古本屋を称揚し、ブックオフを悪く言う人も世の中にはいます。たしかにブックオフにも問題はあるのかもしれませんが、使い勝手は抜群にいいのも事実。
くだんのニュース番組は、昔ながらの古本屋に肩入れしたいあまりに、お年寄り(店主)の間違った社会認識を無批判的にたれ流してしまっていたのです。
皆さんも俗流若者論には気をつけましょう。なんとなくの肌感覚ではなく、データを重んじることを忘れずに。
ここで新型コロナウイルス関連身辺ニュース、ではなく雑感。
何気に流行ってるコロナ関連用語「人流」。小池都知事発でしたっけ?
これまでのコロナ対応を振り返ってみてわかるのは、小池さんやら吉村さんやら、良くも悪くも空気を読まない人たちの力技によって事態が大きく進展してきた、ってこと。対照的なのは「旧い自民党的なるもの」に固執してる人たち。とにかくひたすら空気を読み続け、できるだけ変化を起こさないようにする。ことを起こすより起こさないこと、変えるより変えないことに執着する。それが旧い自民党的なるものです。
そんなマインドが今回のコロナ禍のような状況にあたっては不適当であるのは明らかです。変異種が発生したり、地域ごとに波が来たり、事態が日々変化する。しかもそのすべてが未知の出来事。
そんな状況において、すばやい変化をよしとしない政治では対応が追いつきません。ですから結局、旧い自民党とは相対する政治家がイニシアチブを握ることになる。
ただし、それが必ずしもすべて成功を収めるわけではありません。小池さんも吉村さんも、いくつか失敗しています。
しかし、その失策を補って余りある成果を上げている。彼らがコロナ対策を大きく動かしているのです。
コロナの鎮静化だけでなく、政治全体に影響を及ぼして、「旧い自民党的なるもの」を一掃してくれないかな、って思うんですけど、さすがにそこまでは期待できないでしょうね。

あんこが入ってるのかと誤解されがちでしょうが、「はい、あーん」の「あ~ん」であって、中身はチョコです。
外側がパン生地みたいにやわらか。洋酒がふわっと香ります。
「俗流若者論」というのがあります。よくご年配が「近頃の若者は」なんて説教垂れますよね。そんな、「今の若者は〇〇だ」っていう定言。たとえば、今の若者は冷たい・お金を使わない・常識がない・コミュニケーションが取れない・仕事をすぐ辞める、など。
それら若者論は、正しいものもありますが、正しくないものもある。なんの根拠もデータもなく、年配者本人のなんとなくの感覚だけで決めつけられている、誤った若者論のことを「俗流若者論」と呼ぶのです。
今回はそんな俗流若者論の話。
だいぶ前のことですけど、夕方にテレビを観ていたら、地元のニュースが流れていて、とある古本屋さんのドキュメンタリーみたいなコーナーがあったんですね。それは福岡市内にある、マンガは一切扱ってないタイプの、個人経営の小さな古本屋さんでした。長年夫婦で経営しており、年老いた白髪頭の主人がインタビューに答えていました。
途中で、「〇〇さんは、今の学生はほとんど本を買わないと言います」というナレーションが入りました(「〇〇さん」ってのはご主人の名前ね)。そこから店主の若者に対する批判が始まったのです。正確な言葉は覚えていませんが、「昔の学生はよく本を読んでいたものだが、今は本を買いに来る学生がいない」という意味の発言をしていました。
その古本屋は学生街にありました。すぐ近くに大学のキャンパスがあり、つねに大学生が付近を歩いている、という環境下の古本屋さんなのです。
ですから、昔と比べて本が売れなくなったのであれば、「今の学生は本を読まない」という意見は正しいように思えます。でも、そうじゃないんですね。
僕はその古本屋さんに行ったことがあるんですけど、とにかく品揃えが悪いのです。ずっと昔の古い本、しかも古いだけでほとんど価値のない本ばかりが置いてある。おそらく目利きやら仕入れやらを一切せず、持ち込まれた本を買い取って並べるだけ、を繰り返してきたのでしょう。
経営のことを考えるなら、古本市で仕入れを行ったり、売れそうにない本の買い取りは断ったり、長年売れない本を処分したりするものです。そこの主人は、そういう経営努力をせずにここまできたのでしょう。そうとしか思えない品揃えでした。
しかもその店は、本が整理も分類もされていなかったのです。普通は本をジャンルごとに分類し、著者名の50音順に並べるものです。しかしそこの店は、ジャンル分けもされておらず、50音順にもなっていなかった。すべての本棚がごちゃごちゃになっていました。しかも、平台や床の上に本がうず高く積み上げられていて、その積まれた本が本棚を隠していたのです。とにかく利用しづらいというか、本を捜しにくいことこの上ない店なのです。
そんな事情を知っていた僕は、「何が学生は本を読まないだ!てめーが経営努力を怠ってきたから客が離れていっただけだろうが!自分の店がダメなのを若者のせいにするんじゃねーよ!」と思ったのです。
何よりおかしいのは、「自分の店の本が売れない=学生は本を読まない」という安易な結び付けです。認識が狭くなりすぎたせいで、自分の店の本だけがすべての本だと思い込んでしまったのでしょうか。
その個人経営の古本屋の近くにはブックオフもありました。学生はそちらでなら活字の本を買っていたはずです。古本ではなく、新品の本を買う場合だってあったでしょう。
昔ながらの古本屋を称揚し、ブックオフを悪く言う人も世の中にはいます。たしかにブックオフにも問題はあるのかもしれませんが、使い勝手は抜群にいいのも事実。
くだんのニュース番組は、昔ながらの古本屋に肩入れしたいあまりに、お年寄り(店主)の間違った社会認識を無批判的にたれ流してしまっていたのです。
皆さんも俗流若者論には気をつけましょう。なんとなくの肌感覚ではなく、データを重んじることを忘れずに。
ここで新型コロナウイルス関連身辺ニュース、ではなく雑感。
何気に流行ってるコロナ関連用語「人流」。小池都知事発でしたっけ?
これまでのコロナ対応を振り返ってみてわかるのは、小池さんやら吉村さんやら、良くも悪くも空気を読まない人たちの力技によって事態が大きく進展してきた、ってこと。対照的なのは「旧い自民党的なるもの」に固執してる人たち。とにかくひたすら空気を読み続け、できるだけ変化を起こさないようにする。ことを起こすより起こさないこと、変えるより変えないことに執着する。それが旧い自民党的なるものです。
そんなマインドが今回のコロナ禍のような状況にあたっては不適当であるのは明らかです。変異種が発生したり、地域ごとに波が来たり、事態が日々変化する。しかもそのすべてが未知の出来事。
そんな状況において、すばやい変化をよしとしない政治では対応が追いつきません。ですから結局、旧い自民党とは相対する政治家がイニシアチブを握ることになる。
ただし、それが必ずしもすべて成功を収めるわけではありません。小池さんも吉村さんも、いくつか失敗しています。
しかし、その失策を補って余りある成果を上げている。彼らがコロナ対策を大きく動かしているのです。
コロナの鎮静化だけでなく、政治全体に影響を及ぼして、「旧い自民党的なるもの」を一掃してくれないかな、って思うんですけど、さすがにそこまでは期待できないでしょうね。