今日はアイスのパフェです。
10年くらい前ですかね。パナップが新しくなりまして。それまではミルクアイスとソースだけだったのが、ホワイトチョコがプラスされたんです。アイスとソースの味も変わりました。僕はグレープ味が好きだったんですけど、グレープソースの酸味が弱くなっちゃったんですよね。アイスの甘味とソースの酸味の対比がよかったのに、それがなくなって、全体的にまろやかな甘さのアイスに変わってしまったのです。
それはそれで美味しかったのですが、個人的にはリニューアル前のほうがよかったと思ったんですね。層状のホワイトチョコも、必要性を感じられませんでした。
ああ、僕が愛したパナップはもういないのだ。今は別の人生を歩んでいるんだな。
僕は徳永英明の「レイニーブルー」を聴きつつ涙を流していました。
そしたらですよ。ついこないだ、何気にパナップを手に取ってみたら、いつの間にか元に戻っていたのです!いや、完全に元通りになったわけではなく、アイスに対するソースの混ざり方が変わっていたのですが、ホワイトチョコはなくなり、味はほぼ元通りになっていました。
おかえり!と言って抱きしめました。僕のパナップが帰ってきたのです。2人の蜜月の時間は、再び続いていくことでしょう。
また思い出話をします。保育園に通っていたころの話です。何歳だったかは覚えていませんが、たぶん4,5歳だったと思います。
当時は一戸建ての家に、母方の祖母、父、母、僕、弟の5人で暮らしていました。両親は共働きで、身の回りの世話のほとんどは、おばあちゃんがしてくれていました。
保育園は歩いて通える距離にあって、送り迎えをしてくれていたのもおばあちゃんでした。
ある日の保育園からの帰り道のことです。僕はおばあちゃんと弟と3人で歩いて帰っていました。弟はまだ入園しておらず、おばあちゃんと一緒に迎えに来てくれたのです。
僕は途中で歩みが速くなり、2人と距離が開いていきました。おばあちゃんは弟の手を引いているため、ゆっくり歩くしかなく、そんなおばあちゃんに歩調を合わせようとしなかった僕は、いつの間にかだいぶ先をひとりで歩いていたのです。
場所は近所の住宅街。道の先に、原付に乗ったおじいさんがいました。おぼろげな記憶で、顔はまったく覚えていないのですが、たしか60代ぐらいの人だったと思います。
おじいさんは僕を見つけると、話しかけてきました。たぶん「かわいいね」とか言われたはずです。
そして、「一緒に遊びに行かんね」と誘ってきたのです。
僕は無言で首を横に振りました。普段母親から、「知らない人に付いて行ってはいけない」とよく言い聞かせられていました。
人通りの少ない住宅街なので、周りには誰もいません。また、ちょうど曲がり角を曲がったばかりだったので、おばあちゃんと弟は、僕の見えない位置、だいぶ後方にいます。
僕が拒否の意思を示すと、おじいさんはそれ以上しつこく迫ることはせず、原付でその場から去りました。そのあとすぐに、おばあちゃんが角を曲がって姿を見せました。
おじいさんは、僕をどこに連れて行こうとしたのでしょう。本当に、ただ遊びたかっただけなのでしょうか。もしあの時、原付のうしろに乗っていたら、僕はどうなっていたのでしょうか。
おじいさんは、強引に僕を連れていくこともできたはずです。そうされなかったのは、ただ運がよかっただけでしかありません。
その時僕は何を考えていたのか、よく覚えていません。ですが僕は、おじいさんのことをおばあちゃんに話しませんでした。話してもしょうがないと思ったのか、それとも恐怖にとらわれていたのか。あるいは、幼い子供ならではの無頓着さのために、強い現実感を感じられず、それゆえ恐ろしいと思うこともなくやり過ごしていたのかもしれません。
そしてそのまま、親にも、それ以外の人にもこの出来事を話さずにいました。
今でも、あの時おじいさんに付いて行ったらどうなっていただろうか、僕は今、生きているのだろうかと考えてしまいます。
しかし思えば、当時は乱雑な時代でした。保育園のお迎えの時間に、弟が昼寝をしていた場合、おばあちゃんは家に弟を置いて迎えに来ていたのです。
僕らが帰宅するまで眠ったままでいてくれたらいいんですけど、途中で目覚めることもあって、帰ってみたら弟が泣きわめいていることがよくありました。目が覚めたら家の中にひとりぼっちっていうのは、まだひとりで出歩くこともできない子供には相当怖かったことでしょう。
一度など、たまたま近くで道路工事をやってたお兄さんが、泣き声を聞きつけてやってきて、弟をあやしてくれていたこともありました。家に鍵をかけていなかったからです。
そう、おばあちゃんは鍵をかけることもなかったのです。幼い子供がひとりで寝ているのに、無施錠で外出していたのです。それこそ誘拐し放題ですよ。
牧歌的と言えば牧歌的ですが、本当にいい加減な時代でした。いや・・・、ウチだけがそうだったのかもしれませんが。
お出かけは、ひと声かけて、鍵かけて。そんな標語もすでに過去のものとなりましたが、住居侵入の手口も巧妙化している現在、くれぐれも戸締りにはご用心ください。
ここで新型コロナウイルス関連身辺ニュース、ではなく雑感。
最近、屋外でのマスク着用を見直す議論が高まってますね。5月10日に東京都医師会の尾崎治夫会長、11日に厚労省アドバイザリーボードの脇田隆字座長から「換気のいい野外で距離もとって会話もない場合はマスクは必要ないのではないか」といった趣旨の発言があったのをはじめ、政府からも同様の意見表明が相次ぎました。
個人的にはいい傾向だと思います。今までは、屋外にせよ屋内にせよ、「マスクを外していいんじゃないか」、もしくは「外したほうがいいんじゃないか」という意見を言うことすら許されない空気があったからです。
まるで自由な議論を封じるかのように、「マスク着用絶対」という空気が蔓延し、たとえ冷静なマスクの効果に関する議論、感染防止にはあまり意味がないんじゃないかといった指摘さえ許されない雰囲気が支配的でした。
その窮屈な空気が、いくらか緩和されてきたのです。コロナとの付き合いが長くなり、ある程度慣れてきたことで、当初の感情的な反応が弱まり、冷静に感染対策を検証することができるようになった、ということでしょう。
ですから、僕が「いい傾向」だと言うのは、マスクを外したいからではありません。本音はできるだけ早くマスクを外したいのですが、それ以前の問題として、「マスクを外していいんじゃないか」と言うことすら許されない状況を、すごく不健全だと思っていたのです。
外すとなれば、段階的にはまず屋外から解除となるでしょうけど、しかしその前に、「外すべきかどうか」を議論できる状況がなければならない。議論すらできない社会は、不健全です。
マスク着用の見直しの声が高まっているということは、社会が健全さを取り戻しつつあるということで、コロナ対策に関して、多様な意見表明が可能になりつつあるということです。だからいい傾向だと思うのです。
僕はできるだけ早くマスク生活が解除されてほしいと願っています。でもそれはあくまで個人的願望。社会の多数派は、それを望まないかもしれない。
だから、議論の結果、まだマスクを解除すべきじゃないという結論に達したなら、それはしょうがないと思います。受け入れるしかない。
しかし、議論の余地すらなく、ヒステリックに「マスク絶対」をルールと定めるのには抵抗がある。せめて反対意見を口にすることくらいは許されるべきです。
少し前に書きましたが、日本でマスクが解除されるには、議論の高まりという段階を経て、少しずつ空気を変えていく必要があるでしょう。だから、すぐには解除にならない。近いうちでの解除は望めないし、望んでいない。
だから、まず「健全さ」を取り戻したかったのです。反対意見を述べることができる健全さを。
日本社会は、少しずつ健全さを取り戻しつつあります。これは「いい傾向」です。
10年くらい前ですかね。パナップが新しくなりまして。それまではミルクアイスとソースだけだったのが、ホワイトチョコがプラスされたんです。アイスとソースの味も変わりました。僕はグレープ味が好きだったんですけど、グレープソースの酸味が弱くなっちゃったんですよね。アイスの甘味とソースの酸味の対比がよかったのに、それがなくなって、全体的にまろやかな甘さのアイスに変わってしまったのです。
それはそれで美味しかったのですが、個人的にはリニューアル前のほうがよかったと思ったんですね。層状のホワイトチョコも、必要性を感じられませんでした。
ああ、僕が愛したパナップはもういないのだ。今は別の人生を歩んでいるんだな。
僕は徳永英明の「レイニーブルー」を聴きつつ涙を流していました。
そしたらですよ。ついこないだ、何気にパナップを手に取ってみたら、いつの間にか元に戻っていたのです!いや、完全に元通りになったわけではなく、アイスに対するソースの混ざり方が変わっていたのですが、ホワイトチョコはなくなり、味はほぼ元通りになっていました。
おかえり!と言って抱きしめました。僕のパナップが帰ってきたのです。2人の蜜月の時間は、再び続いていくことでしょう。
また思い出話をします。保育園に通っていたころの話です。何歳だったかは覚えていませんが、たぶん4,5歳だったと思います。
当時は一戸建ての家に、母方の祖母、父、母、僕、弟の5人で暮らしていました。両親は共働きで、身の回りの世話のほとんどは、おばあちゃんがしてくれていました。
保育園は歩いて通える距離にあって、送り迎えをしてくれていたのもおばあちゃんでした。
ある日の保育園からの帰り道のことです。僕はおばあちゃんと弟と3人で歩いて帰っていました。弟はまだ入園しておらず、おばあちゃんと一緒に迎えに来てくれたのです。
僕は途中で歩みが速くなり、2人と距離が開いていきました。おばあちゃんは弟の手を引いているため、ゆっくり歩くしかなく、そんなおばあちゃんに歩調を合わせようとしなかった僕は、いつの間にかだいぶ先をひとりで歩いていたのです。
場所は近所の住宅街。道の先に、原付に乗ったおじいさんがいました。おぼろげな記憶で、顔はまったく覚えていないのですが、たしか60代ぐらいの人だったと思います。
おじいさんは僕を見つけると、話しかけてきました。たぶん「かわいいね」とか言われたはずです。
そして、「一緒に遊びに行かんね」と誘ってきたのです。
僕は無言で首を横に振りました。普段母親から、「知らない人に付いて行ってはいけない」とよく言い聞かせられていました。
人通りの少ない住宅街なので、周りには誰もいません。また、ちょうど曲がり角を曲がったばかりだったので、おばあちゃんと弟は、僕の見えない位置、だいぶ後方にいます。
僕が拒否の意思を示すと、おじいさんはそれ以上しつこく迫ることはせず、原付でその場から去りました。そのあとすぐに、おばあちゃんが角を曲がって姿を見せました。
おじいさんは、僕をどこに連れて行こうとしたのでしょう。本当に、ただ遊びたかっただけなのでしょうか。もしあの時、原付のうしろに乗っていたら、僕はどうなっていたのでしょうか。
おじいさんは、強引に僕を連れていくこともできたはずです。そうされなかったのは、ただ運がよかっただけでしかありません。
その時僕は何を考えていたのか、よく覚えていません。ですが僕は、おじいさんのことをおばあちゃんに話しませんでした。話してもしょうがないと思ったのか、それとも恐怖にとらわれていたのか。あるいは、幼い子供ならではの無頓着さのために、強い現実感を感じられず、それゆえ恐ろしいと思うこともなくやり過ごしていたのかもしれません。
そしてそのまま、親にも、それ以外の人にもこの出来事を話さずにいました。
今でも、あの時おじいさんに付いて行ったらどうなっていただろうか、僕は今、生きているのだろうかと考えてしまいます。
しかし思えば、当時は乱雑な時代でした。保育園のお迎えの時間に、弟が昼寝をしていた場合、おばあちゃんは家に弟を置いて迎えに来ていたのです。
僕らが帰宅するまで眠ったままでいてくれたらいいんですけど、途中で目覚めることもあって、帰ってみたら弟が泣きわめいていることがよくありました。目が覚めたら家の中にひとりぼっちっていうのは、まだひとりで出歩くこともできない子供には相当怖かったことでしょう。
一度など、たまたま近くで道路工事をやってたお兄さんが、泣き声を聞きつけてやってきて、弟をあやしてくれていたこともありました。家に鍵をかけていなかったからです。
そう、おばあちゃんは鍵をかけることもなかったのです。幼い子供がひとりで寝ているのに、無施錠で外出していたのです。それこそ誘拐し放題ですよ。
牧歌的と言えば牧歌的ですが、本当にいい加減な時代でした。いや・・・、ウチだけがそうだったのかもしれませんが。
お出かけは、ひと声かけて、鍵かけて。そんな標語もすでに過去のものとなりましたが、住居侵入の手口も巧妙化している現在、くれぐれも戸締りにはご用心ください。
ここで新型コロナウイルス関連身辺ニュース、ではなく雑感。
最近、屋外でのマスク着用を見直す議論が高まってますね。5月10日に東京都医師会の尾崎治夫会長、11日に厚労省アドバイザリーボードの脇田隆字座長から「換気のいい野外で距離もとって会話もない場合はマスクは必要ないのではないか」といった趣旨の発言があったのをはじめ、政府からも同様の意見表明が相次ぎました。
個人的にはいい傾向だと思います。今までは、屋外にせよ屋内にせよ、「マスクを外していいんじゃないか」、もしくは「外したほうがいいんじゃないか」という意見を言うことすら許されない空気があったからです。
まるで自由な議論を封じるかのように、「マスク着用絶対」という空気が蔓延し、たとえ冷静なマスクの効果に関する議論、感染防止にはあまり意味がないんじゃないかといった指摘さえ許されない雰囲気が支配的でした。
その窮屈な空気が、いくらか緩和されてきたのです。コロナとの付き合いが長くなり、ある程度慣れてきたことで、当初の感情的な反応が弱まり、冷静に感染対策を検証することができるようになった、ということでしょう。
ですから、僕が「いい傾向」だと言うのは、マスクを外したいからではありません。本音はできるだけ早くマスクを外したいのですが、それ以前の問題として、「マスクを外していいんじゃないか」と言うことすら許されない状況を、すごく不健全だと思っていたのです。
外すとなれば、段階的にはまず屋外から解除となるでしょうけど、しかしその前に、「外すべきかどうか」を議論できる状況がなければならない。議論すらできない社会は、不健全です。
マスク着用の見直しの声が高まっているということは、社会が健全さを取り戻しつつあるということで、コロナ対策に関して、多様な意見表明が可能になりつつあるということです。だからいい傾向だと思うのです。
僕はできるだけ早くマスク生活が解除されてほしいと願っています。でもそれはあくまで個人的願望。社会の多数派は、それを望まないかもしれない。
だから、議論の結果、まだマスクを解除すべきじゃないという結論に達したなら、それはしょうがないと思います。受け入れるしかない。
しかし、議論の余地すらなく、ヒステリックに「マスク絶対」をルールと定めるのには抵抗がある。せめて反対意見を口にすることくらいは許されるべきです。
少し前に書きましたが、日本でマスクが解除されるには、議論の高まりという段階を経て、少しずつ空気を変えていく必要があるでしょう。だから、すぐには解除にならない。近いうちでの解除は望めないし、望んでいない。
だから、まず「健全さ」を取り戻したかったのです。反対意見を述べることができる健全さを。
日本社会は、少しずつ健全さを取り戻しつつあります。これは「いい傾向」です。