今日はフランス女性っぽいやつです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/3c/31adf8b29f02aafb1dd67dfaedc797fd.jpg)
ゴーフレット・・・。少し古くささをかんじますが、たまに食べるとすごくおいしいですね。クリーム、なめらか。
前回ビックリマンの話をしました。今回はその続きです。
というのも、前回はビックリマンを禁止した小学校の話でしたけど、ビックリマンにはほかにもたくさんの思い出があって、全然語りきれてなかったからです。
ロッテのお菓子の話をブルボンの記事でするのはどうかという気もしますが、そこはまあご愛嬌ということで。
ビックリマンシールの一番人気はヘッド。キラキラシールです。これが封入されてる確率は低いから、みんな必死で手に入れようとするのです。
よくジンクスで、「ヘッドが入ってる場所はどこか」みたいなことが言われてました。お店に置かれてる、ビックリマンのお菓子の箱。50個くらい入ってて、25個ずつ2列に並んでましたかね。
その中の、「左列の前から4番目」とか、「右列の一番うしろ」とか、ヘッドが入ってる確率が高い場所というのが、ジンクスとしてあったんですね。それはだいたい広く共有された情報ではなく、ひとりひとりの経験値から導き出された、ごく私的なジンクスである場合が多かったように思います。僕にもありました。
当時は、あまりにも飛ぶように売れるもんだから、販売個数がよく制限されてましたね。お店によって、ひとり2個までとか、そういう制限が珍しくありませんでした。大人買いや箱買いは、夢のまた夢でしたね。
んで、確実にビックリマンを購入するために、「隠す」こともやっていました。近所のスーパーの棚は、構造上の欠陥なのか、奥のほうに空洞があって、小さい物ならそこに隠しておくことができたんです。
1日のお小遣い100円で、一度に買えるビックリマンは3個。なので、3個以上在庫があった場合は、残りのやつを棚の空洞に押し込んで、隠しておくのです。そうしておけば、翌日売り切れていたとしても、空洞から取り出して買うことができる。
いや、悪いことやってましたよ。当時は悪気なんてありませんでしたけど。ビックリマンが僕を狂わせたのです。
でも、隠しておいたビックリマンがなくなっていたこともありました。僕のほかにも、空洞の存在に気づいていたヤツがいたのです。
偽物も大量に出回ってましたね。当時は著作権がいい加減だったのでしょう。
駄菓子屋で、封筒入りのが売られてたりとかね。ブロマイドとか、こすると煙が出る「ようかいけむり」なんかの類似品としてあったんです。サイズは正規品より大きかったりしましたね。
あとガチャガチャ。ガチャでも偽物のビックリマン売ってました。僕の地元じゃ100円で2枚入りと、だいぶ割高でしたが、入っていたのはほぼキラシール(ヘッド)で、キラが手に入ればそれでいいって子供にはちょうどよかったんですね。シールはカプセルより大きいんで、ひん曲がった状態で入ってました。
本物はキラに希少性を持たせるために数を少なくしていましたけど、偽物作ってる会社は、とにかく1回でも多くガチャを回させるためにキラばかりにしていたのですね。
本物のシールであれば裏側の左上にロッテのロゴが入ってるんですけど、偽物にはそれがないんですね。著作権の感覚がゆるかったとはいえ、さすがにロゴまでパクるわけにはいかないという倫理観はあったのでしょう(もしくは自己防衛のためか)。
なので、裏側の左上には何も記載されていないか、もしくは「ロッチ」と記されていたんです。
ああ、懐かしいですね。ロッテならぬ、ロッチ。本物に見せかけて実は本物じゃないという子供だまし。これなら訴えられることもありません(たぶん)。
若い人は知らないかもしれませんけど、お笑いコンビのロッチはここから取ってるんですね。パチモンが芸名なのです。ロッチもビックリマン直撃世代ということです。
偽物作ってた会社の社名がほんとにロッチだったかというと、そんなことはないのでしょうけど。
それから、シールを収録するアルバムもあったんですけど、こちらもパチモンがありまして、僕はそれを使っていました。どこで手に入れたかはもう覚えていません。キャラクターのへたくそなイラストが描かれていましたね。
シールは今でも実家に残っているでしょうか。残っていたら、プレミアついたやつもあるはずです。
類似品、というか、露骨なパクリ商品でドキドキ学園っていうのもありましたね。僕はそちらも買ってました。
ビックリマン的シールが入っていて、お菓子はこちらもウエハースチョコでした。ビックリマンと比べて、あまりおいしくなかったように記憶しています。メーカーをすっかり失念していて、今調べてみたんですが、フルタ製菓が出してたんですね。
最初はシールだけだったんですけど、あるときリニューアルして、シールとカードの2つ入りになりました。子供の収集願望を刺激するのに必死だったんですね。
それとキャンペーンみたいな形で、何円分かの切手を送ったらシールをもらえるっていうのもやってましたね。もはやお菓子とか関係なく、直でシールを販売していたのです。
ビックリマンが復刻したことだし、ドキドキ学園も復刻してはどうでしょうか。ただし、お菓子はもうちょっとおいしくしてください。
ビックリマンには、アニメもありました。欠かさず観ていたんですけど、内容はほとんど覚えていません。ヤマト王子(お守りでしたっけ?)が主人公で、「たっきゅうどー」っていう、足が超速くなる能力があったことと、「次界」っつー場所(別世界?)を目指して冒険していたってのは覚えているのですが。ウィキペディアで確認してみましたが、なんのことやらさっぱりです。記憶にない。
あとエンディングテーマね。オープニングのほうは思い出せないけど、なぜかエンディングだけはよく覚えています。ジャスラックの目があるんで、詳しくは紹介しませんが、けっこういい曲なんで、聴けるものなら聴いてみてください。
あと、ビックリマン売ってるお店の情報が出回ってたんですけど、校区外の駄菓子屋がよく売ってるお店として噂されていたんですね。校区外、つまり小学校の区域の外にあるお店です。校区外には生徒だけで行ってはいけないという校則がありましたので、その駄菓子屋に行くのには背徳感も備わっていました。いけないことだと思いつつも、ビックリマンの魅力には抗えずに足を向けたわけです。
ところがその駄菓子屋、とんでもないお店だったのです。
僕が訪れたとき、ちょうどビックリマンが入荷されていたんですけど、店のおばあちゃんが、「私はビックリマンを仕入れるのに一生懸命頭を下げた。ほかのお菓子とセットじゃないと売ってもらえなかった。だからほかのお菓子3つ買ったらビックリマン1つ買っていい」と言ったのです。抱き合わせ販売です。
ほんとにほかのお菓子とセットじゃないと仕入れることができなかったのか、それはわかりません。いずれにせよ子供には理不尽な抱き合わせをせまられた。抱き合わせは当時から違法でしたっけか。うろ覚えなのですが、抱き合わせに指定されたお菓子は、子供にはあまり人気がなく、僕も買いたくないやつだったと記憶しています。
いらないお菓子なんか買いたくない。でもビックリマンは欲しい。それに、わざわざ校区外まで来ておきながら、手ぶらで帰りたくない。
背に腹は代えられぬとばかりに、僕は抱き合わせ購入しました。そうして手に入れたビックリマン、入っていたのは、つまらない悪魔のシールでした。
ちなみにこの駄菓子屋のおばあちゃん、このような手口をしょっちゅう使っていたようで、僕の友達がプラモデルを買おうとしたところ、「それを買うならこっちも買わにゃならん」と言われ、欲しくないプラモデルまで無理矢理買わされたそうなのです(この話を聞いたのは、ビックリマンを買ったあとのこと)。
駄菓子屋のお年寄りといったら、子供が好きでやってるって人が大半なんでしょうけど、中にはこういうのもいたんですね。子供嫌いだったり、子供だましで売り上げ稼ごうとするような人。愛想を振りまくこともない、しかめっ面の人でした。
今こういう店があったらすぐに小学校とPTAで大問題になるでしょうね。そんでお店に苦情を入れたり、生徒に入店を禁止したりといった対処をするでしょう。でも当時はそのへんがいい加減というか、学校がそこまで介入しないという空気が一般的でした。だから子供だましババアがのさばっていたんですね。
子供だましババア・・・ネロ魔身に吸い込まれろ!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/3c/31adf8b29f02aafb1dd67dfaedc797fd.jpg)
ゴーフレット・・・。少し古くささをかんじますが、たまに食べるとすごくおいしいですね。クリーム、なめらか。
前回ビックリマンの話をしました。今回はその続きです。
というのも、前回はビックリマンを禁止した小学校の話でしたけど、ビックリマンにはほかにもたくさんの思い出があって、全然語りきれてなかったからです。
ロッテのお菓子の話をブルボンの記事でするのはどうかという気もしますが、そこはまあご愛嬌ということで。
ビックリマンシールの一番人気はヘッド。キラキラシールです。これが封入されてる確率は低いから、みんな必死で手に入れようとするのです。
よくジンクスで、「ヘッドが入ってる場所はどこか」みたいなことが言われてました。お店に置かれてる、ビックリマンのお菓子の箱。50個くらい入ってて、25個ずつ2列に並んでましたかね。
その中の、「左列の前から4番目」とか、「右列の一番うしろ」とか、ヘッドが入ってる確率が高い場所というのが、ジンクスとしてあったんですね。それはだいたい広く共有された情報ではなく、ひとりひとりの経験値から導き出された、ごく私的なジンクスである場合が多かったように思います。僕にもありました。
当時は、あまりにも飛ぶように売れるもんだから、販売個数がよく制限されてましたね。お店によって、ひとり2個までとか、そういう制限が珍しくありませんでした。大人買いや箱買いは、夢のまた夢でしたね。
んで、確実にビックリマンを購入するために、「隠す」こともやっていました。近所のスーパーの棚は、構造上の欠陥なのか、奥のほうに空洞があって、小さい物ならそこに隠しておくことができたんです。
1日のお小遣い100円で、一度に買えるビックリマンは3個。なので、3個以上在庫があった場合は、残りのやつを棚の空洞に押し込んで、隠しておくのです。そうしておけば、翌日売り切れていたとしても、空洞から取り出して買うことができる。
いや、悪いことやってましたよ。当時は悪気なんてありませんでしたけど。ビックリマンが僕を狂わせたのです。
でも、隠しておいたビックリマンがなくなっていたこともありました。僕のほかにも、空洞の存在に気づいていたヤツがいたのです。
偽物も大量に出回ってましたね。当時は著作権がいい加減だったのでしょう。
駄菓子屋で、封筒入りのが売られてたりとかね。ブロマイドとか、こすると煙が出る「ようかいけむり」なんかの類似品としてあったんです。サイズは正規品より大きかったりしましたね。
あとガチャガチャ。ガチャでも偽物のビックリマン売ってました。僕の地元じゃ100円で2枚入りと、だいぶ割高でしたが、入っていたのはほぼキラシール(ヘッド)で、キラが手に入ればそれでいいって子供にはちょうどよかったんですね。シールはカプセルより大きいんで、ひん曲がった状態で入ってました。
本物はキラに希少性を持たせるために数を少なくしていましたけど、偽物作ってる会社は、とにかく1回でも多くガチャを回させるためにキラばかりにしていたのですね。
本物のシールであれば裏側の左上にロッテのロゴが入ってるんですけど、偽物にはそれがないんですね。著作権の感覚がゆるかったとはいえ、さすがにロゴまでパクるわけにはいかないという倫理観はあったのでしょう(もしくは自己防衛のためか)。
なので、裏側の左上には何も記載されていないか、もしくは「ロッチ」と記されていたんです。
ああ、懐かしいですね。ロッテならぬ、ロッチ。本物に見せかけて実は本物じゃないという子供だまし。これなら訴えられることもありません(たぶん)。
若い人は知らないかもしれませんけど、お笑いコンビのロッチはここから取ってるんですね。パチモンが芸名なのです。ロッチもビックリマン直撃世代ということです。
偽物作ってた会社の社名がほんとにロッチだったかというと、そんなことはないのでしょうけど。
それから、シールを収録するアルバムもあったんですけど、こちらもパチモンがありまして、僕はそれを使っていました。どこで手に入れたかはもう覚えていません。キャラクターのへたくそなイラストが描かれていましたね。
シールは今でも実家に残っているでしょうか。残っていたら、プレミアついたやつもあるはずです。
類似品、というか、露骨なパクリ商品でドキドキ学園っていうのもありましたね。僕はそちらも買ってました。
ビックリマン的シールが入っていて、お菓子はこちらもウエハースチョコでした。ビックリマンと比べて、あまりおいしくなかったように記憶しています。メーカーをすっかり失念していて、今調べてみたんですが、フルタ製菓が出してたんですね。
最初はシールだけだったんですけど、あるときリニューアルして、シールとカードの2つ入りになりました。子供の収集願望を刺激するのに必死だったんですね。
それとキャンペーンみたいな形で、何円分かの切手を送ったらシールをもらえるっていうのもやってましたね。もはやお菓子とか関係なく、直でシールを販売していたのです。
ビックリマンが復刻したことだし、ドキドキ学園も復刻してはどうでしょうか。ただし、お菓子はもうちょっとおいしくしてください。
ビックリマンには、アニメもありました。欠かさず観ていたんですけど、内容はほとんど覚えていません。ヤマト王子(お守りでしたっけ?)が主人公で、「たっきゅうどー」っていう、足が超速くなる能力があったことと、「次界」っつー場所(別世界?)を目指して冒険していたってのは覚えているのですが。ウィキペディアで確認してみましたが、なんのことやらさっぱりです。記憶にない。
あとエンディングテーマね。オープニングのほうは思い出せないけど、なぜかエンディングだけはよく覚えています。ジャスラックの目があるんで、詳しくは紹介しませんが、けっこういい曲なんで、聴けるものなら聴いてみてください。
あと、ビックリマン売ってるお店の情報が出回ってたんですけど、校区外の駄菓子屋がよく売ってるお店として噂されていたんですね。校区外、つまり小学校の区域の外にあるお店です。校区外には生徒だけで行ってはいけないという校則がありましたので、その駄菓子屋に行くのには背徳感も備わっていました。いけないことだと思いつつも、ビックリマンの魅力には抗えずに足を向けたわけです。
ところがその駄菓子屋、とんでもないお店だったのです。
僕が訪れたとき、ちょうどビックリマンが入荷されていたんですけど、店のおばあちゃんが、「私はビックリマンを仕入れるのに一生懸命頭を下げた。ほかのお菓子とセットじゃないと売ってもらえなかった。だからほかのお菓子3つ買ったらビックリマン1つ買っていい」と言ったのです。抱き合わせ販売です。
ほんとにほかのお菓子とセットじゃないと仕入れることができなかったのか、それはわかりません。いずれにせよ子供には理不尽な抱き合わせをせまられた。抱き合わせは当時から違法でしたっけか。うろ覚えなのですが、抱き合わせに指定されたお菓子は、子供にはあまり人気がなく、僕も買いたくないやつだったと記憶しています。
いらないお菓子なんか買いたくない。でもビックリマンは欲しい。それに、わざわざ校区外まで来ておきながら、手ぶらで帰りたくない。
背に腹は代えられぬとばかりに、僕は抱き合わせ購入しました。そうして手に入れたビックリマン、入っていたのは、つまらない悪魔のシールでした。
ちなみにこの駄菓子屋のおばあちゃん、このような手口をしょっちゅう使っていたようで、僕の友達がプラモデルを買おうとしたところ、「それを買うならこっちも買わにゃならん」と言われ、欲しくないプラモデルまで無理矢理買わされたそうなのです(この話を聞いたのは、ビックリマンを買ったあとのこと)。
駄菓子屋のお年寄りといったら、子供が好きでやってるって人が大半なんでしょうけど、中にはこういうのもいたんですね。子供嫌いだったり、子供だましで売り上げ稼ごうとするような人。愛想を振りまくこともない、しかめっ面の人でした。
今こういう店があったらすぐに小学校とPTAで大問題になるでしょうね。そんでお店に苦情を入れたり、生徒に入店を禁止したりといった対処をするでしょう。でも当時はそのへんがいい加減というか、学校がそこまで介入しないという空気が一般的でした。だから子供だましババアがのさばっていたんですね。
子供だましババア・・・ネロ魔身に吸い込まれろ!
今日はそうなんです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/e6/dcbbc8672b1c895f67c6841a7ac87e76.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/59/d44f67d808265e6b62346cf3ad8a61b7.jpg)
そう、爽。氷の粒入りアイス。氷によるサッパリ感で、夏でも冬でもいけちゃいます。
ロッテ・・・そう、ロッテ。ロッテの記事ですから、ビックリマンの話でもしましょうかね。
大流行しましたよね、ビックリマン。チョコを挟んだウエハースのお菓子にシールのおまけがついたビックリマンチョコ。値段は30円でしたか。
僕は1980年生まれでして、小学3~6年ごろに夢中になっていました。さすがに中学になったら買ってなかったと思いますが・・・。そのころにはなくなってたのかな?いつなくなったのか覚えてませんね。今復刻版が出てますけど、それまでずっと販売してない期間ありましたからね。
僕はピーナッツの入ったウエハースチョコもおいしくて好きだったんですけど、ビックリマンはとにかくシールですよね。いろんなキャラクターのシールが入ってて、第1弾、第2弾とシリーズが出ていました。そして、そのキャラクターたちが登場する、シールの背景となる物語があって、シールを手に入れた子供たちがそのストーリーを想像したり、あるいはアニメの視聴で世界像を把握したりしていたのです。
シールを1枚手に入れただけでは全体像がわからないようになっている、そのマーケティング戦略こそが大ヒットのカギでした。そのへんの詳細は大塚英志が『物語消費論――「ビックリマン」の神話学』で論じてますので、ご参照ください。
しかし、今となってはなぜあれほど入れ込んでいたのかが思い出せないですね。「流行している」ことを知って、後追いでハマったのか。それとも、流行とは無関係に気に入ったのか。僕はけっこうコレクション願望がありますから、シールの種類が数多いという点に惹かれたのかもしれません。
1個30円だから、1度にもらえるお小遣い100円で3個買ってましたっけ。まだ消費税がなかった時代です。「ビックリマンチョコを扱ってる店はどこか」が、機密情報として子供たちの間を行き交っていました。
んでこのビックリマン、あまりに人気が出すぎてしまったために、社会問題も引き起こしていました。乱暴なヤツがシールをカツアゲしたり、シールだけ目的で購入したヤツがお菓子を捨てたり、あるいは万引きしたりなどの事件が起きていて、テレビでもさかんに報じられていました。
なので、子供たちの熱狂ぶりとは裏腹に、大人たちは「この騒動はいかがなものか」と、眉をひそめておりました。どちらかというと、子供がビックリマンチョコを買うのを快く思っておらず、流行を鎮静化させたいと思っていた人のほうが多かったような気がします。
その思いが、露骨に表れた出来事がありました。ある日、通ってた小学校の全校集会で、校長先生が、「この小学校の生徒は、ビックリマンチョコを買ってはいけません」と言い放ったのです。
ビックリマン禁止令です。体育館は悲鳴に包まれました。
ただ、校長の命令(学校の規則)だからといって素直に従っていた生徒は少数派で、僕は「買うのはいけないことなんだ」と思いつつも、欲望には勝てないとばかりに、後ろめたさを感じながら購入していたのですが、生徒の大半はそうしていたはずです。あたかも、薬物に手を出すがごとく。
それにしても。今にして思えば、学校が生徒の消費を規制するなんて、かなり乱暴なことだったのではないでしょうか。だって、学校外のことですよ。学校で使用する物品の購入であれば口をさしはさむのもわからなくはないのですが、お菓子ですよ。
学校が、生徒が購入するお菓子を選別するなんて、どう考えても越権行為でしょう。企業から文句言われてもしかたない暴挙ですよ。
校長の狙いはわかります。ビックリマンが原因となる混乱を排除したかったのです。僕の小学校では、その時点ではまだ目立った事件は起きていませんでしたが、何か問題が起こる前に、あらかじめ芽を摘んでおきたかったのでしょう。
しかし、それにしても。「禁止する」という選択は、正解だったのでしょうか。
僕はそうは思いません。ほかにもっとやりようがあった、と思います。
問題となっていたのは、シールのカツアゲや、チョコのポイ捨て、万引きなどです。なら、それらがいかに良くないことなのかを、子供たちに説いて聞かせるべきだったのではないでしょうか。
人のものを奪う行為は、どれだけ相手に苦痛を与えるのか。食べ物を作るのに、どれだけ多くの人の手間暇がかかっているのか。万引きによる損失は、お店にどれほどの影響を及ぼすのか。
こういった倫理・道徳を教えるべきだったのではないでしょうか。それこそが、教育機関の本来あるべき姿のはずです。考えようによっては、ビックリマンは生徒の教育のためのいい機会になるはずだったのです。
なのに、校長はそうしなかった。超法規的に購入を禁止して、それで事足れりとしたのです。
僕は、愚かな判断だったと思います。倫理や道徳を説くこともせず、「禁止」という、もっとも楽な対処を選択したのですから。
それに、禁止というのは、言い逃れの手段にもなるのです。
どういうことかというと、もし今後、生徒がビックリマン絡みで問題を起こしたとしても、学校側は、「我々は買ってはいけないと言っていました。なのにあなたは買った。規則を破ったのです。そのうえで問題が起きたのであれば、我々の責任ではありません。あなたがどんな損害を被ろうが、我々の知ったことではない。自分でなんとか解決しなさい」という弁解ができるということです。
禁止は、責任逃れのための免罪符にもなるのです。だから、なおさらズルいと思うのです。
たぶん5,6年生のときだったと思いますけど、「トイレの花子さん」が生徒の間で話題になったことがありました。みんなが「北棟の2階の女子トイレの窓ガラスに、花子さんが映ってる」と言い出し、生徒たちがこぞって見物しに行ったのです。
花子さん、説明しなくてもわかりますよね?学校の女子トイレに出没するという幽霊。有名な学校の怪談です。
僕もつられて見に行きました。窓ガラスはトイレの突き当たりにあったので、廊下から眺めることができたのです。見たかんじは、ガラスの反射の加減で、人の顔が映っていると言えば言えなくもない、という具合でした。見ようによっては人の顔のようにも見える。だからこそみんな信じて、「映ってる」と言っていたんでしょうね。
たぶん最初に言い出したヤツは、ほんとに花子さんが見えたのではなく、愉快犯だったのだと思います。狙いは見事に的中したわけです。
それはともかく、校長はこの件でも禁止令を出しました。やはり全校集会で、「トイレの花子さんを見に行ってはいけません」と言い放ったのです。
なんと安易なやり口でしょう。ビックリマンのときと同じように、教育のいい機会にしようとはせず、禁止という上からの命令によって鎮火させようとしたのです。
そもそも、トイレの花子さんを見物したとして、何が問題なのでしょうか。誰か困る人がいたでしょうか。女子生徒がそこのトイレを利用しづらくなっていたかもしれませんが、トイレはほかの場所にいくらでもありましたし、たいした被害ではなかったはずです。
子供が面白半分に流したデマが騒ぎとなった。そんなのは一時的な流行に過ぎず、放っておいても自然に終息したはずです。教師側がいちいち口をさしはさむようなことではない。
なのに、校長はわざわざ口を出したのです。「禁止」という、教育からもっともかけ離れたやり方によって。
なんでもかんでも禁止するのは、教育ではありません。教育の放棄です。
禁止という、もっとも楽なやり方によって、校長は教育を投げ出したのです。なんと愚かなことでしょう。
禁止が一概に悪いとまでは思いません。どう考えてもやってはいけないことというのはある。
ですが、本当に禁止すべきか否かを考えずに下される禁止は、安易です。禁止に値するかどうかを検討していないということは、何が子供のためになるかを考えていないということですから。
禁止は、楽なのです。何も考えなくていいし、教育もしつけも必要ありませんから。
ですが、そんな安易な禁止を命じられ続けた子供は、どのように成長するのでしょう。
本来なら教えられるべき倫理や道徳を学ぶことなく、思考停止的な禁止だけを命じられる。そうなれば、なぜ禁止されるのかすら理解できず、自らも思考停止に追い込まれてしまうのではないでしょうか。禁止されれば、それが「いけないこと」だということは理解できても、「なぜいけないのか」まではわからないのですから。
安易な禁止は、子供のためにならないのです。教育の機会が失われ、悪くすると思考停止に陥ってしまう。
僕の小学校の校長がしていたのは、そういうことだったのです。
子供に教育を施したいなら、楽をしてはいけません。禁止すれば、自分は楽です。でも、子供のためにはならない。
子供のことより、保身を第一に考える大人が「禁止」を選ぶのです。
なんでもかんでも禁止していた校長・・・ネロ魔身に吸い込まれなさい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/e6/dcbbc8672b1c895f67c6841a7ac87e76.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/59/d44f67d808265e6b62346cf3ad8a61b7.jpg)
そう、爽。氷の粒入りアイス。氷によるサッパリ感で、夏でも冬でもいけちゃいます。
ロッテ・・・そう、ロッテ。ロッテの記事ですから、ビックリマンの話でもしましょうかね。
大流行しましたよね、ビックリマン。チョコを挟んだウエハースのお菓子にシールのおまけがついたビックリマンチョコ。値段は30円でしたか。
僕は1980年生まれでして、小学3~6年ごろに夢中になっていました。さすがに中学になったら買ってなかったと思いますが・・・。そのころにはなくなってたのかな?いつなくなったのか覚えてませんね。今復刻版が出てますけど、それまでずっと販売してない期間ありましたからね。
僕はピーナッツの入ったウエハースチョコもおいしくて好きだったんですけど、ビックリマンはとにかくシールですよね。いろんなキャラクターのシールが入ってて、第1弾、第2弾とシリーズが出ていました。そして、そのキャラクターたちが登場する、シールの背景となる物語があって、シールを手に入れた子供たちがそのストーリーを想像したり、あるいはアニメの視聴で世界像を把握したりしていたのです。
シールを1枚手に入れただけでは全体像がわからないようになっている、そのマーケティング戦略こそが大ヒットのカギでした。そのへんの詳細は大塚英志が『物語消費論――「ビックリマン」の神話学』で論じてますので、ご参照ください。
しかし、今となってはなぜあれほど入れ込んでいたのかが思い出せないですね。「流行している」ことを知って、後追いでハマったのか。それとも、流行とは無関係に気に入ったのか。僕はけっこうコレクション願望がありますから、シールの種類が数多いという点に惹かれたのかもしれません。
1個30円だから、1度にもらえるお小遣い100円で3個買ってましたっけ。まだ消費税がなかった時代です。「ビックリマンチョコを扱ってる店はどこか」が、機密情報として子供たちの間を行き交っていました。
んでこのビックリマン、あまりに人気が出すぎてしまったために、社会問題も引き起こしていました。乱暴なヤツがシールをカツアゲしたり、シールだけ目的で購入したヤツがお菓子を捨てたり、あるいは万引きしたりなどの事件が起きていて、テレビでもさかんに報じられていました。
なので、子供たちの熱狂ぶりとは裏腹に、大人たちは「この騒動はいかがなものか」と、眉をひそめておりました。どちらかというと、子供がビックリマンチョコを買うのを快く思っておらず、流行を鎮静化させたいと思っていた人のほうが多かったような気がします。
その思いが、露骨に表れた出来事がありました。ある日、通ってた小学校の全校集会で、校長先生が、「この小学校の生徒は、ビックリマンチョコを買ってはいけません」と言い放ったのです。
ビックリマン禁止令です。体育館は悲鳴に包まれました。
ただ、校長の命令(学校の規則)だからといって素直に従っていた生徒は少数派で、僕は「買うのはいけないことなんだ」と思いつつも、欲望には勝てないとばかりに、後ろめたさを感じながら購入していたのですが、生徒の大半はそうしていたはずです。あたかも、薬物に手を出すがごとく。
それにしても。今にして思えば、学校が生徒の消費を規制するなんて、かなり乱暴なことだったのではないでしょうか。だって、学校外のことですよ。学校で使用する物品の購入であれば口をさしはさむのもわからなくはないのですが、お菓子ですよ。
学校が、生徒が購入するお菓子を選別するなんて、どう考えても越権行為でしょう。企業から文句言われてもしかたない暴挙ですよ。
校長の狙いはわかります。ビックリマンが原因となる混乱を排除したかったのです。僕の小学校では、その時点ではまだ目立った事件は起きていませんでしたが、何か問題が起こる前に、あらかじめ芽を摘んでおきたかったのでしょう。
しかし、それにしても。「禁止する」という選択は、正解だったのでしょうか。
僕はそうは思いません。ほかにもっとやりようがあった、と思います。
問題となっていたのは、シールのカツアゲや、チョコのポイ捨て、万引きなどです。なら、それらがいかに良くないことなのかを、子供たちに説いて聞かせるべきだったのではないでしょうか。
人のものを奪う行為は、どれだけ相手に苦痛を与えるのか。食べ物を作るのに、どれだけ多くの人の手間暇がかかっているのか。万引きによる損失は、お店にどれほどの影響を及ぼすのか。
こういった倫理・道徳を教えるべきだったのではないでしょうか。それこそが、教育機関の本来あるべき姿のはずです。考えようによっては、ビックリマンは生徒の教育のためのいい機会になるはずだったのです。
なのに、校長はそうしなかった。超法規的に購入を禁止して、それで事足れりとしたのです。
僕は、愚かな判断だったと思います。倫理や道徳を説くこともせず、「禁止」という、もっとも楽な対処を選択したのですから。
それに、禁止というのは、言い逃れの手段にもなるのです。
どういうことかというと、もし今後、生徒がビックリマン絡みで問題を起こしたとしても、学校側は、「我々は買ってはいけないと言っていました。なのにあなたは買った。規則を破ったのです。そのうえで問題が起きたのであれば、我々の責任ではありません。あなたがどんな損害を被ろうが、我々の知ったことではない。自分でなんとか解決しなさい」という弁解ができるということです。
禁止は、責任逃れのための免罪符にもなるのです。だから、なおさらズルいと思うのです。
たぶん5,6年生のときだったと思いますけど、「トイレの花子さん」が生徒の間で話題になったことがありました。みんなが「北棟の2階の女子トイレの窓ガラスに、花子さんが映ってる」と言い出し、生徒たちがこぞって見物しに行ったのです。
花子さん、説明しなくてもわかりますよね?学校の女子トイレに出没するという幽霊。有名な学校の怪談です。
僕もつられて見に行きました。窓ガラスはトイレの突き当たりにあったので、廊下から眺めることができたのです。見たかんじは、ガラスの反射の加減で、人の顔が映っていると言えば言えなくもない、という具合でした。見ようによっては人の顔のようにも見える。だからこそみんな信じて、「映ってる」と言っていたんでしょうね。
たぶん最初に言い出したヤツは、ほんとに花子さんが見えたのではなく、愉快犯だったのだと思います。狙いは見事に的中したわけです。
それはともかく、校長はこの件でも禁止令を出しました。やはり全校集会で、「トイレの花子さんを見に行ってはいけません」と言い放ったのです。
なんと安易なやり口でしょう。ビックリマンのときと同じように、教育のいい機会にしようとはせず、禁止という上からの命令によって鎮火させようとしたのです。
そもそも、トイレの花子さんを見物したとして、何が問題なのでしょうか。誰か困る人がいたでしょうか。女子生徒がそこのトイレを利用しづらくなっていたかもしれませんが、トイレはほかの場所にいくらでもありましたし、たいした被害ではなかったはずです。
子供が面白半分に流したデマが騒ぎとなった。そんなのは一時的な流行に過ぎず、放っておいても自然に終息したはずです。教師側がいちいち口をさしはさむようなことではない。
なのに、校長はわざわざ口を出したのです。「禁止」という、教育からもっともかけ離れたやり方によって。
なんでもかんでも禁止するのは、教育ではありません。教育の放棄です。
禁止という、もっとも楽なやり方によって、校長は教育を投げ出したのです。なんと愚かなことでしょう。
禁止が一概に悪いとまでは思いません。どう考えてもやってはいけないことというのはある。
ですが、本当に禁止すべきか否かを考えずに下される禁止は、安易です。禁止に値するかどうかを検討していないということは、何が子供のためになるかを考えていないということですから。
禁止は、楽なのです。何も考えなくていいし、教育もしつけも必要ありませんから。
ですが、そんな安易な禁止を命じられ続けた子供は、どのように成長するのでしょう。
本来なら教えられるべき倫理や道徳を学ぶことなく、思考停止的な禁止だけを命じられる。そうなれば、なぜ禁止されるのかすら理解できず、自らも思考停止に追い込まれてしまうのではないでしょうか。禁止されれば、それが「いけないこと」だということは理解できても、「なぜいけないのか」まではわからないのですから。
安易な禁止は、子供のためにならないのです。教育の機会が失われ、悪くすると思考停止に陥ってしまう。
僕の小学校の校長がしていたのは、そういうことだったのです。
子供に教育を施したいなら、楽をしてはいけません。禁止すれば、自分は楽です。でも、子供のためにはならない。
子供のことより、保身を第一に考える大人が「禁止」を選ぶのです。
なんでもかんでも禁止していた校長・・・ネロ魔身に吸い込まれなさい。