今日は切手でも十手でもないものです。
サックリ焼き菓子をチョコでコーティングしたもの。九州限定販売って聞いたことがあるような気がしますけど、どうなんでしょうか。
『ダーリンは外国人』というコミックエッセイがあります。小栗左多里さんが、夫のアメリカ人、トニー・ラズロさんとの日常を紹介した作品で、おもに両者の文化の違い・言語の違いからくるズレを笑える視点で描いた、ほのぼのノンフィクションマンガです。同作のシリーズは大ヒットし、映画化もされていますので、ご存じの方も多いでしょう。
この『ダーリンは外国人』、雑誌「ダ・ヴィンチ」で不定期連載されていて、僕はそちらのほうでちょいちょい読んでいたのですが、その中に、印象深いエピソードがありました。
小栗さんが引っ越しをするために不動産屋さんに行き、職業はマンガ家だと名乗ったところ、「以前マンガ家の人が酔っ払って暴れたことがあるから、マンガ家の人には貸さないことにしている」と断られた、というエピソードです。おそらく、経営者が恣意的にルールを決めることができる、個人経営の小さな不動産屋だったのでしょう。
小栗さんはこれを、「マンガ家の社会的信頼のなさ」の表れとして自虐的に、あくまで笑い話として描写しているのですが、僕はこう思いました。
「じゃあサラリーマンが酔って暴れたら、今後はすべてのサラリーマンに貸さないのか」と反論すべきだったのではないか、と。
いや、「すべきだった」というのは適切ではありませんね。うら若き女性が、見知らぬ社会人相手にいきなりケンカをふっかけるようなマネなど、できるはずがありません。そんな無茶を求めるべきではない。
ただ、僕が個人的にこの不動産屋さんの判断に納得がいかなかった、という話です。
だって、おかしいですよね?サラリーマンの例えでわかってもらえたと思いますけど、職業がその人の言動を決めるわけではない。サラリーマンが十人十色であるように、マンガ家だって人それぞれ。いい人もいれば困った人もいる。当たり前のことです。
なのにその不動産屋さんは、「マンガ家」をひとくくりにして判断した。マンガ家というのは、酒に酔ったら暴れるものだと。だらしなく、社会性がない業種の人々なのだと決めつけた。実に乱暴な断定をしたのです。
これは明らかな職業差別であり、許されることではありません。ですから、可能であれば批判するべきだった、と思ったのです。
でもまあ、おそらくその不動産屋さんも悪意はないのでしょうね。自分の身を守るために取り決めたことが、往々にして差別的であったというのは、わりとよくあることなのだろうと思います。
僕も似たような経験があります。学生時代に、ポスティング(チラシを郵便受けに配って回る仕事)をやろうと思い立ち、募集していた会社に電話したら、「学生さんはお断りしています」と言われたのです。
電話対応してくださった担当者さんは、「別に学生さんを疑ってるわけじゃないんですけど、以前学生のバイトの子が、チラシをちゃんと配らずに捨てていたことがあって、それから採用しないことにしたんです」と説明されました。
いや、それはどう考えても疑ってるでしょ。
ひとりそういう学生がいたら、学生はすべてちゃんと仕事をしないものだと思い込む。「学生」という肩書が、言動を規定するものだと決めつける。それを疑ってると呼ばずしてなんと呼ぶのか。
その会社も気の毒ではありますよ。信頼していたバイトに裏切られたわけですからね。
でもその理屈でいくと、主婦がチラシを捨てていたら主婦をすべてお断りにし、フリーターがチラシを捨てていたらフリーターすべてお断りにしなくてはならなくなります。たったひとりの不心得者のために、その他大勢の真面目な人々の就業機会を奪ってもいいのでしょうか。それにヘタしたら、最終的に採用できる肩書の人がいなくなってしまいますよ。
雇用者側(不動産屋)の気持ちもわからないではないけど、でもそれは差別であるということに気付いてほしい、とも思う。
なんとも難しい問題ですね。
不動産屋といえばアレですね、差別とはちょっと違うんですけど、お年寄りに部屋貸さないっていう問題あるじゃないですか。
お年寄りは、ある日突然亡くなってしまうおそれがある。身寄りがない人だと、不動産屋側が後始末をしなければならなくなる。だからそのような面倒事を避けたい不動産屋が、お年寄りの入居を断る、というのです。
そりゃ気持ちはわかりますよ。親族でもないのに、なんで後始末なんかしなくちゃならないんだと。
でも不動産屋って、そーゆー場合に備えて敷金やら礼金やら、様々な名目でお金を徴収してるんじゃないんですか?それらのお金は、「いざというときの蓄え」なわけでしょ?だったら、「いざというとき」には、入居者の面倒を見るのがスジってもんじゃないですか。
取るもの取っておきながら、面倒だけは見たくないって、都合が良すぎませんか?
これじゃまるで、病気になる確率が限りなく低い人にしか加入を認めない保険屋と同じですよ。
入居者の面倒見たくないっていうなら、必要最低限のお金だけしか取っちゃダメでしょ。お金は余分に欲しい、でも面倒は見たくないなんて、そんな都合のいい話は通りませんよ。
お年寄り以外にも、外国人やLGBTの人たちも部屋貸してもらえないことがよくあるそうで、彼らは「住宅弱者」として社会問題になっています。
これはもう、国が規制でなんとかするしかないですね。自主的なやり方に任せてたら、お金は取るけど面倒は引き受けない、っていう運営がまかり通っちゃいますから。
年寄りと外国人とLGBTに賃貸物件を開放せよ!
サックリ焼き菓子をチョコでコーティングしたもの。九州限定販売って聞いたことがあるような気がしますけど、どうなんでしょうか。
『ダーリンは外国人』というコミックエッセイがあります。小栗左多里さんが、夫のアメリカ人、トニー・ラズロさんとの日常を紹介した作品で、おもに両者の文化の違い・言語の違いからくるズレを笑える視点で描いた、ほのぼのノンフィクションマンガです。同作のシリーズは大ヒットし、映画化もされていますので、ご存じの方も多いでしょう。
この『ダーリンは外国人』、雑誌「ダ・ヴィンチ」で不定期連載されていて、僕はそちらのほうでちょいちょい読んでいたのですが、その中に、印象深いエピソードがありました。
小栗さんが引っ越しをするために不動産屋さんに行き、職業はマンガ家だと名乗ったところ、「以前マンガ家の人が酔っ払って暴れたことがあるから、マンガ家の人には貸さないことにしている」と断られた、というエピソードです。おそらく、経営者が恣意的にルールを決めることができる、個人経営の小さな不動産屋だったのでしょう。
小栗さんはこれを、「マンガ家の社会的信頼のなさ」の表れとして自虐的に、あくまで笑い話として描写しているのですが、僕はこう思いました。
「じゃあサラリーマンが酔って暴れたら、今後はすべてのサラリーマンに貸さないのか」と反論すべきだったのではないか、と。
いや、「すべきだった」というのは適切ではありませんね。うら若き女性が、見知らぬ社会人相手にいきなりケンカをふっかけるようなマネなど、できるはずがありません。そんな無茶を求めるべきではない。
ただ、僕が個人的にこの不動産屋さんの判断に納得がいかなかった、という話です。
だって、おかしいですよね?サラリーマンの例えでわかってもらえたと思いますけど、職業がその人の言動を決めるわけではない。サラリーマンが十人十色であるように、マンガ家だって人それぞれ。いい人もいれば困った人もいる。当たり前のことです。
なのにその不動産屋さんは、「マンガ家」をひとくくりにして判断した。マンガ家というのは、酒に酔ったら暴れるものだと。だらしなく、社会性がない業種の人々なのだと決めつけた。実に乱暴な断定をしたのです。
これは明らかな職業差別であり、許されることではありません。ですから、可能であれば批判するべきだった、と思ったのです。
でもまあ、おそらくその不動産屋さんも悪意はないのでしょうね。自分の身を守るために取り決めたことが、往々にして差別的であったというのは、わりとよくあることなのだろうと思います。
僕も似たような経験があります。学生時代に、ポスティング(チラシを郵便受けに配って回る仕事)をやろうと思い立ち、募集していた会社に電話したら、「学生さんはお断りしています」と言われたのです。
電話対応してくださった担当者さんは、「別に学生さんを疑ってるわけじゃないんですけど、以前学生のバイトの子が、チラシをちゃんと配らずに捨てていたことがあって、それから採用しないことにしたんです」と説明されました。
いや、それはどう考えても疑ってるでしょ。
ひとりそういう学生がいたら、学生はすべてちゃんと仕事をしないものだと思い込む。「学生」という肩書が、言動を規定するものだと決めつける。それを疑ってると呼ばずしてなんと呼ぶのか。
その会社も気の毒ではありますよ。信頼していたバイトに裏切られたわけですからね。
でもその理屈でいくと、主婦がチラシを捨てていたら主婦をすべてお断りにし、フリーターがチラシを捨てていたらフリーターすべてお断りにしなくてはならなくなります。たったひとりの不心得者のために、その他大勢の真面目な人々の就業機会を奪ってもいいのでしょうか。それにヘタしたら、最終的に採用できる肩書の人がいなくなってしまいますよ。
雇用者側(不動産屋)の気持ちもわからないではないけど、でもそれは差別であるということに気付いてほしい、とも思う。
なんとも難しい問題ですね。
不動産屋といえばアレですね、差別とはちょっと違うんですけど、お年寄りに部屋貸さないっていう問題あるじゃないですか。
お年寄りは、ある日突然亡くなってしまうおそれがある。身寄りがない人だと、不動産屋側が後始末をしなければならなくなる。だからそのような面倒事を避けたい不動産屋が、お年寄りの入居を断る、というのです。
そりゃ気持ちはわかりますよ。親族でもないのに、なんで後始末なんかしなくちゃならないんだと。
でも不動産屋って、そーゆー場合に備えて敷金やら礼金やら、様々な名目でお金を徴収してるんじゃないんですか?それらのお金は、「いざというときの蓄え」なわけでしょ?だったら、「いざというとき」には、入居者の面倒を見るのがスジってもんじゃないですか。
取るもの取っておきながら、面倒だけは見たくないって、都合が良すぎませんか?
これじゃまるで、病気になる確率が限りなく低い人にしか加入を認めない保険屋と同じですよ。
入居者の面倒見たくないっていうなら、必要最低限のお金だけしか取っちゃダメでしょ。お金は余分に欲しい、でも面倒は見たくないなんて、そんな都合のいい話は通りませんよ。
お年寄り以外にも、外国人やLGBTの人たちも部屋貸してもらえないことがよくあるそうで、彼らは「住宅弱者」として社会問題になっています。
これはもう、国が規制でなんとかするしかないですね。自主的なやり方に任せてたら、お金は取るけど面倒は引き受けない、っていう運営がまかり通っちゃいますから。
年寄りと外国人とLGBTに賃貸物件を開放せよ!