猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

大正時代に日蓮主義の熱狂があった、島田裕已の『八紘一宇』

2021-01-23 22:58:01 | 歴史を考える


加藤陽子の『戦争まで 歴史を決めた交渉と日本の失敗』 (朝日出版社)に、「石原莞爾」「最終戦争論」「八紘一宇」「田中智学」「国柱会」という言葉が出てきた。

じつは、私が子どものとき、両親の部屋に石原莞爾の本『最終戦争論』があった。その本をのぞいて、戦前は「国」を「國」と書いたことを知った。

また、母が日蓮宗の信者で、母のいとこを講師として母の兄弟が集まって「講」を開いていた。母のいとこは、田中智学の国柱会の信奉者で、地球ができてから20億年、宇宙が誕生して40億年と言っていた。現在の科学では地球ができてから44億年、宇宙が誕生してから138億年だそうである。私が大学院生のときは、宇宙が誕生してから200億年だった。

とにかく、加藤陽子によって、これら冒頭の謎の言葉が日蓮宗によってつながることがわかった。

そして、ふつか前に、図書館で島田裕已の『八紘一宇 日本全体を突き動かした宗教思想の正体』(幻冬舎新書)を偶然見つけた。

島田裕已がのべていることは、明治の終わりから昭和の初めまで、「日蓮主義」運動の熱狂があったということである。そのなかで、もっとも強い影響力を社会に与えたのが田中智学であるという。「八紘一宇」という言葉は田中智学の造語で、石原莞爾が「満州国建設」のときの理想としたという。

「八紘」とは「世界のはてまで」という意味で、「一宇」とは「ひとつの家」という意味で、世界が一体となるということらしい。

田中智学は江戸の庶民の出である。父が死んで10歳で日蓮宗の寺に入門し、19歳で還俗した。それ以降、在家の日蓮宗の運動家になった。組織力と経営力があり、「国柱会」を育て、著作、講演、文化活動を通して、信者を増やしていった。国柱会の会員には、石原莞爾、宮澤賢治、小菅丹治、近衛篤麿、高山樗牛、武見太郎などがいたという。

日蓮宗は「南無妙法蓮華経」という題目を唱える。浄土宗や浄土真宗は「南無阿弥陀仏」という念仏を唱える。唱える声の調子は、前者は煽動的で、後者は心をしずめる効果がある。

日蓮宗は他宗派に対して攻撃的な傾向がある。じっさい、開祖の日蓮は、他の宗派を邪教だから取り締まれと当時の鎌倉幕府に訴え、逆に、取り締まりの対象になっている。

島田裕已は、日蓮は、国というものを意識した最初の僧侶で、また、国や他宗派から迫害を受けることを「法難」とし、被害者意識をヒロイズムにかえたとみる。

田中智学は、さらに論理を飛躍して、天皇に日蓮宗が認められ、それにもとづいた善政が行われることを、運動の目標とする。田中智学は日蓮宗と天皇を中心とする国家主義とを結びつけた。

田中智学の講演や著作物は戦前の右翼や国家主義者や農本主義者に影響を与えたという、島田裕已はいう。「法難」からくるヒロイズムは「テロ」による弾圧突破につながる。

例えば、2.26事件で死刑になった北一輝は、田中智学の思想に影響を受けたという。ただし、島田裕已は、北一輝が神憑りの男だったという松本清張の説を紹介している。島田裕已は、私と同じく、非合理な考え方(神秘主義)をすることが嫌いで、北一輝を神格化する風潮に我慢がならないのだと思う。

このように、島田裕已は、田中智学の国柱会は、大正時代を最盛期とする「日蓮主義」の熱狂的運動だ、とする。私は、さらに、その背景は、明治維新で始まった欧米文化の怒涛のような流入に対して、江戸文化で育った庶民の反撃、自己肯定の運動ではないか、と思う。そして、自分は正しいのに、なぜ、貧しいままなのか、政治が間違っている、という思いにいたる。

しかし、政治の誤りを正すのに、彼が日蓮や天皇を持ち出したことが、あらぬ方向に日本を導いたのではないか、と思う。

戦前の右翼的思想や日蓮主義は、戦後も隠れた形で生き続けていると思う。私は、それを掘り出して対決する歴史家、宗教家、思想家が必要だと思う。

[補遺]
「八紘一宇」の田中智学による説明を島田裕已が引用しているが、田中智学の説明があまりにも意味不明なのに驚く。熱狂的運動とは、ひとびとの劣等感につけこんで、自己肯定感を催す意味不明の言葉、呪文を与えることで、引き起こされるのかもしれない。
〈世界人類を還元して整一する目安として忠孝を世界的に宣伝する、あらゆる片々道学を一蹴して、人類を忠孝化する使命が日本国民の天職である、その源頭は堂々たる人類一如の正観から発して光輝燦爛たる大文明である、これでやりとげようといふ世界統一だ、故に之を「八紘一宇」と宣言されて、忠孝の拡充を予想されての結論が、世界は1つの家だといふ意義に帰する。〉(田中智学)

それでも戦争を選んだ「日本人」のディープストーリー、加藤陽子

2021-01-18 23:07:41 | 歴史を考える


加藤陽子の『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(新潮文庫)のタイトルが、なぜ戦争には「…」がついているのか、私にはわからない。日本人に「…」をつけるほうが自然な気がする。すなわち、『それでも「日本人」は戦争を選んだ』ほうが適切な気がする。

加藤陽子は、日本の支配者層に、とても優しい。憐れみの情を彼らにもって、日清戦争から日中戦争・日米戦争(大東亜戦争)までを振り返る。だから、『それでも戦争を選んだ「日本人」のディープストーリー』を彼女は書いている。私はすべての日本人が戦争を選んだわけでないと思うので、日本人に「…」をつけるのが適切だと思う。

第5章で、つぎの2つの問いに加藤陽子が答える。

(1)日本とアメリカには圧倒的力の差があることがわかっていたのに、どうして日本はアメリカとの戦争に踏み切ったのか。
(2)日本軍は、戦争をどんなふうに終わらせようと考えていたのか。

(1)に対しては、2つの答えがある、と彼女は言う。第1は、日本が中国や韓国など弱い者いじめばかりやってきて心苦しかったが、強いアメリカに喧嘩を売ると決めて、気持ちがすっとしたという情動である。第2はアメリカの底力を甘く見たということである。

英文学者の伊藤整は、1941年12月8日の日本の真珠湾奇襲攻撃に、「今日は人々みな喜色ありて明るい。昨日とはまるで違う」と歓喜した。このことを、日本をこよなく愛した研究者ドナルド・キーンは、理解しがたいものとして、『日本人の戦争―作家の日記を読む』(文藝春秋)に書く。伊藤整の英文学理解はなんだったのかと問う。すなわち、キーンからみれば、伊藤は近代的自我を持ち合わせていない。国家と自己の区別がない。

加藤陽子は知的日本人の気持ちを次のように理解する。これまで、日本人が黄色人種でありながら、同じ黄色人種を殺戮してきたが、これからは白色人種と戦い、今までの罪のつぐないをするのだ、と。

バカ言うな。韓国人や中国人をこれまで殺戮してきたことが誤りで、まず、それを即刻やめるべきと、知的日本人は言うべきである。強いアメリカと戦ったからといって、罪のつぐないにはならない。

もちろん、加藤陽子は、戦後、東大総長になった南原繁が、日米開戦に驚き嘆いたことを紹介している。彼は、同じ日米開戦日の日記につぎの短歌を書きこんだ。

 〈人間の 常識を超え 学識を超えて おこれり日本 世界と戦ふ〉

無教会派の南原繁が、戦争中、新約聖書の『ヨハネの黙示録』を毎日読んで、天皇とそのとりまきへの怒りをおさめていたと、私はネットで読んだ記憶がある。『ヨハネの黙示録』はローマ帝国(大日本帝国)を神とイエス・キリストが裁く幻視の物語である。

だから、一部の「日本人」のディープストーリーに過ぎない。

第2は、日本とアメリカの国力差を当時の日本の支配層は理解していたが、日本の軍部には、長期にわたってアメリカとの戦争を準備してきたという自負があり、準備された戦力+奇襲攻撃+精神力(大和魂)で7割から8割でアメリカに緒戦で勝てると思ったという。ところが、持久戦になって、アメリカの兵器生産能力にすざましいものがあり、兵力の格差はどんどん広がった。

さて、(2)の戦争の終結のシナリオに対しては、加藤陽子はつぎのように答える。

〈相手国の国民に戦争継続を嫌だと思わせる、このような方法によって戦争終結に持ち込めると考えていた。冷静な判断というよりは希望的観測だった〉

具体的には、1941年10月に東条英機が部下につくらせた「対米英欄蒋戦争終末促進に関する腹案」は次のようなものだった。(蒋とは蒋介石の率いる中国のこと。)

〈このときすでに戦争していたドイツとソ連の間を日本が仲介して独ソ和平を実現させ、ソ連との戦争を中止したドイツの戦力をイギリス戦に集中させることで、まずはイギリスを屈服させることができる、イギリスが屈服すれば、アメリカの継戦への意欲が薄れるだろうから、戦争は終わる〉

何段階の仮定にもとづくシナリオだから、実現性は非常に薄い。したがって、緒戦でアメリカに勝てても持久戦になり、アメリカの兵器生産潜在能力の前にジリ貧にならざるをえない。

日本がヒトラー総統を説き伏せるほどのロジックを持ち合わせているとは思えない。ドイツの戦力をイギリス戦に集中しても、イギリスを屈服させることができるとは限らない。1941年には、ドイツ空軍はイギリス空軍に大敗しており、制空権を失っている。アメリカの国民は真珠湾奇襲攻撃に対する怒りを共有している。

戦前の日本の支配層は物事を論理的に考えられず、情動と希望的憶測に流される欠点をもっていた。その弱点は、「尊王攘夷」、すなわち、たよりにならない天皇を奉り、欧米と戦うのだという、大義によって増幅されたと私は思う。

幕末の内乱を生き延び、ドイツに留学もした元老の山県有朋は非常に冷静に力のバランスを考え、戦争にのめり込まないが、日清・日露戦争の神話で育った次世代(軍部と官僚)は、現実的な思考ができず、日本国内の下剋上(昭和維新)とヒトラーのカリスマ性に酔いしれていたのだと思う。

加藤陽子は「自虐史観」を語っているのではなく、劣等感にとりつかれた「日本人」のディープストーリーを優しく代弁しているのだ。

[補足]
ディープストーリー(deep story)とは、当事者だけが心の奥深くで真実と思いこんでいる物語、すなわち、妄想のことである。A.R.ホックシールドが、『壁の向こうの住人たち アメリカの右派を覆う怒りと嘆き』 (岩波書店)で、ティーパーティーやトランプの支持者たちのディープストーリーを、加藤陽子のように、優しい目で描いている。

☆関連ブログ

どうして戦前の陸軍が国民の心をつかんだか、加藤陽子

2021-01-17 23:01:03 | 歴史を考える


加藤陽子の『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(新潮文庫)に、1930年の産業別就業人口のうち、農業が46.8%だという数字がでてくる。これは、陸軍がどうして国民の心をつかんだかを説明する4章に出てくる。

1930年の日本人口は6,445万人であるから、大ざっぱに言えば、農民が3千万人いたことになる。2010年の日本人口は12,806万人で、農業従事者が260万人である。すると、日本の人口は2倍になり、農業従事者は10分の1になったのである。これは、農業の生産性が飛躍的に伸びたことを示すのではないか。

私は農業の経験がまったくない。しかし、農業従事者がマイノリティになって、自民党にコケにされているのではないか、と思う。

自民党や農林水産省は、儲かる農業のために、農業の大規模化を唱えるが、その意味がわからない。もしそれで生産性があがるなら、農業人口はさらに縮小し、政治的にはマイノリティになる。ますます、政治から無視される。

きのう、元農林水産相の吉川貴盛が大手鶏卵業者から現金500万円の賄賂を受け取ったとして、起訴された。業者が賄賂を贈った理由は、ストレスを減らす環境で家畜を飼育する「アニマルウェルフェア(動物福祉)」に基づく国際基準案が国内業者に不利にならないように、また、政府系の日本政策金融公庫から養鶏業界への融資条件の緩和するように、であるという。

私は、この要望が鶏卵業からすればあたりまえのように思える。いまの自民党は、マイノリティの鶏卵業者は票にならないから動かない。賄賂をもらって自民党政権はやっと動く。そのうちに、自民党は賄賂をもらっても動かなくなるのではないか、と危惧する。

さて、加藤陽子は『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』で、なぜ、戦前の陸軍が国民の心をつかんだかを次のように説明する。

〈 1929年から始まった世界恐慌をきっかけとした恐慌は日本にも波及し、その最も過酷な影響は農村に出たのです。そうしたとき、政友会も民政党も、農民の負債、借金に冷淡なのです。〉 
〈このようなときに、「農山漁村の疲弊の救済はもっとも重要な政策」と断言してくれる集団が軍部だったのです。〉

この軍部とは、永田鉄山、東條英機を中心とする陸軍統制派のことである。永田鉄山は皇道派の中佐によって執務中に切り殺されたという。東条英機は、陸軍の暴走を抑えることができると昭和天皇に望まれて、1941年に総理大臣になった人で、その年の12月8日に米国に日本は戦争をしかける。東条は真珠湾奇襲攻撃計画を開戦の1週間前に知ったと、ウィキペデイアにある。

私は、農業の経験が一度もない都市に生まれ都市に住み続けている者だが、政治家が、票にならないからといって、マイノリティの農業従事者を切り捨てていくことには同意できない。自民党政権の主張、農業の大規模化、外国人低賃金労働者の導入、いずれにも賛成できない。

加藤陽子の「歴史は科学だ、歴史は進歩する」は変である

2021-01-12 22:50:26 | 歴史を考える

加藤陽子は、『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(新潮文庫)で、歴史学者E. H. Carr(カー)が「歴史は科学だ」「歴史は進歩する」という主張したと書く。彼がどういう意図でどういったか私は知らないが、納得できない。加藤によれば1961年にカーがそう言ったそうである。

彼はイギリス人だから英語で言ったのだろうから、英語で理解しないといけないのだが、加藤は原文も出典を明らかにしていない。

しかし、「歴史は科学だ」「歴史は進歩する」という言葉はそれ自体として変である。

最初の主張の「歴史」という言葉を「歴史学」だとすると、「歴史学」は「科学」であるという主張が妥当であるかは、「科学」の定義の問題に帰結する。しかし、加藤陽子の言っているのは、「歴史」は「科学」の対象となりうるである。

だから、言葉として変なのである。「惑星の動きは科学である」とは決して言わずに、「惑星の動きは科学で扱える」というのがふつうである。「科学」は人間の抽象的行為を指すのが普通の用法である。

加藤はつぎのように書いている。

〈歴史は科学ではないと主張する代表的な論者は、良く2つの点を指摘する。1つは、歴史は主として特殊なものを扱い、科学は一般的なものを扱う、だから歴史は科学じゃないんだというもの。2つめの、歴史はなんの教訓も与えない。〉(pp71-72)

〈(カー先生は)こう反論する。歴史は教訓を与える。もしくは歴史上の登場人物の個性や、ある特殊な事件は、その次に起こる事件になにかしら影響を与えていると。〉(p74)

批判者の「特殊」か「一般」という問題の立て方が奇妙である。これは、「歴史」を考察することで有用な「法則」というものを導くことできるか、ということだと思う。批判者もカーも頭がおかしいのか、加藤が論理的な思考ができないのか、のいずれかだと思う。

もちろん、私は、人間の脳が論理的思考に不向きにできていると思っているので、このことで加藤を責めるつもりはない。

さて、「教訓」とか「人間の個性」とか「影響」とか言われると、私は言葉に詰まってしまう。たしかにそうだろうが、有用な「法則」とまでは言えない。人間の行動というもの、人間集団の行動というものをある程度まで説明できるかもしれないが、それを研究している人たちのなかの合意をどうやって形成できるのだろうか。

「科学」とは、研究している人たちの合意を形成できる手段を有している。また、だれかの主張が間違っていることを示す手段をもっている。

フリードリヒ・ニーチェは『善悪の彼岸』で次のように言っている。

Sie hat Augen und Finger für sich, sie hat den Augenschein und die Handgreiflichkeit für sich: das wirkt auf ein Zeitalter mit plebejischem Grundgeschmack bezaubernd, überredend, überzeugend, - es folgt ja instinktiv dem Wahrheits-Kanon des ewig volksthümlichen Sensualismus.

「物理学はそれなりに眼と指とをもち、それなりに明白さと平易さとをもっている。このことは的な根本趣味をもつ時代に対して魅惑的に、説得的に作用する。― それは全くのところ本能的に、永遠に大衆的な感覚論の真理基準に従っている。」(木場深定訳)

“Sie”は“Physik”を指しており、ニーチェは自然科学を「物理学」と呼んでおり、カントと同じ用法である。「目と指」は「観察と実験」のことである。

ニーチェは別に自然科学を賛美しているのではなく、下賤なものだとけなしているのだ。
ニーチェは哲学や心理学(人間論)を賛美している。

それでも、加藤やカーが「歴史が科学だ」といっても意味がない。歴史を対象とした「科学的方法」が合意されているわけではない。「歴史学」を「科学(science)」よりも「学術(Wissenschaft)」といった方が適切だろう。広い意味での人類の知的遺産である。どうしても、科学と言いたいのなら、研究者間の合意形成にどんな方法論を使っているかを述べるべきである。

「歴史は進歩する」という主張も「進歩」という概念に同意できない。ここでの「歴史」は「歴史としてみた人間社会」という意味である。

加藤は次のように書く。

〈カーは「経済や社会の平等といったようなものを実現する社会は、やっぱり進歩していると見なさなければいけない」と述べたわけです。〉

社会が進歩するというのは、ダーウィンの進化論の影響だと思う。現在の進化論は、「進歩」という概念を否定し、「多様化」という考えで解釈する。私は「進歩」するという考えには同意できない。社会は、昔より多様化し複雑化する。しかし、それが良いということで歴史をくくれない。カーのいう「経済や社会の平等」は少しも実現する方向に進まない。
もしかしたら、新型コロナ下での成人式で騒ぐ若者よりも、80年前の青年将校のほうが真剣に「経済や社会の平等」を考えていたかもしれない。

ところで、カーはソビエト連邦の歴史に詳しい人らしい。加藤によれば、カーが、歴史上の事件が、他の歴史上の事件に影響を与える例として、レーニンの後継者として誰を選ぶかという問題をあげたという。

レーニンは1917年のロシア革命を率いた人である。レーニンが亡くなるとき、革命の多数派は、ナポレオンがフランス革命をおかしな方向に引っ張っていったのは、ナポレオンがカリスマ的戦争の天才であったからだと考えたという。それで、レーニンの後継者を選ぶとき、軍事的なカリスマ性をもっていたトロツキーではなく、国内に向けた統治をきっちりやりそうなスターリンを後継者として選んでしまったという。

これは、判断の誤りを導いた「影響」にすぎない。どこに「科学」があるのか。

個人の天才性にたよるのではなく、集団の知恵をうまく生かす政治体制を追求すべきだったのではないか。もっとも、こう考えることは、スターリンの功罪を知ったうえでの「教訓」なのかもしれない。

「歴史は科学だ」は日本語としても変だし、「有用な法則」を導くことができていない。「歴史は学術」で、だいじなのは、人類の知的遺産として、何が起きたのかを証拠とともに記述し、人間たちがどう考えてそれを引き起こしたかを証拠とともに記述することである。

加藤陽子の指導教授 伊藤隆の『歴史と私』を読む

2020-11-19 23:00:32 | 歴史を考える


加藤陽子を菅義偉がなぜ日本学術会議の会員に任命拒否したのか、私はいまだに興味をもっている。というのは、任命拒否された6名のうち、菅が名前を知っていたのは加藤だけであるからだ。あとの6名は、加藤だけを拒否したといわれないように、道連れにされた可能性がある。

日本語ウィキペディアによると、加藤陽子は、山川出版社の教科書『詳説日本史』でつぎのように書いたことで、「自虐史観」の学者だと右翼から非難されている。

〈「日本軍は南京市内で略奪・暴行をくり返したうえ、多数の中国人一般住民 (婦女子をふくむ) および捕虜を殺害した (南京事件)。犠牲者数については、数万人~40万人に及ぶ説がある」〉

この記述に対して、

〈上杉千年は「理科の教科書に〈月に兎がいるという説がある〉と書くに似ている」と非難し、秦郁彦も加藤について「左翼歴史家のあかしともいうべき自虐的記述は、正誤にかかわらず死守する姿勢が読み取れる。つける薬はないというのが私の率直な見立てである」と非難している。〉

また、ウィキペディアにつぎのようにも書かれていた。

〈加藤の東大での指導教授だった伊藤隆は「彼女はぼくが指導した、とても優秀な学生だった。だけど、あれは本性を隠してたな」と語ったという。〉

それで、伊藤隆に興味をもって、『歴史と私』(中公新書)を図書館から借りてきている。伊藤が史料発掘に努めた近代日本史研究家であることと、共産党が大嫌いであることが、読み取れた。

この共産党が嫌いというのは理性的思考を越えた信仰のようなもので、共産党の言うことには、何でも反対する。まるでトランプ大統領のオバマ嫌いと似ている。

「第5章ファシズム論争」で、彼はつぎのようにいう。

〈アウシュヴィッツや「収容所列島」とまで言われた膨大な数の強制収容所をもつような体制こそを、ファシズム体制や共産主義体制を含めて全体主義と呼ぶのが適当なのではないでしょうか。〉

この第5章では、伊藤は「戦前期の日本をファシズムという用語で規定することによって、見えない部分が出てきたり、矛盾が生じてしまうのではないか」と批判している。それでは、「戦前期の日本」の体制はなんなのだろうか。「全体主義」体制なのか。どうも、伊藤はそう思っていないようだ。「全体主義」のレッテルをつけると、「共産主義体制」と一緒くたにされ、戦前の日本の良いことが否定される、と思っているようだ。

抑圧的体制であるという意味で、丸山眞男のように、「上からのファシズム」とか「日本的ファシズム」と呼んだって別に悪くないと思う。

伊藤が監修した育鵬社の中学教科書「みんなの公民」につぎのようにある。

〈政治の最大の目的は、国民の生命と財産を守り、その生活を豊かに充実させることにあります。〉

この観点からすれば、イタリアのファシストだって、ドイツのナチストだって、良い面があったと考えている人がいても不思議でない。自由、平等、共感がこの観点から抜け落ちている。

「第3章 木戸日記研究会のことなど」にもわからない議論が出てくる。昭和初期政治研究における視点として、2軸を設定する。1つの軸は「進歩(欧化)」対「復古(反動)」であり、もう1つの軸は「革新(破壊)」対「漸進(現状維持)」である。

私は、まず、伊藤の言葉のセンスがわからない。コンサルティング・ビジネスでは、価値観と結び付きやすい言葉を2軸の設定に使わない。「進歩」「反動」なんて、伊藤の嫌いなはずの共産党の言葉ではないか。この場合は「欧化」「国粋」であろう。「革新」「漸進」もわかりにくく、「破壊」「漸進」ではないか。

それでも、伊藤が「革新」「保守」を避けたのは、「保守」に後ろめたいニュアンスがあるからだろう。それが、「第4章 革新とは何か」を読むと明らかになる。

ところで、私は、非常に、単純に考えている。
「進歩」というものはない。人間の歴史は、言葉と文字の発明によって、多様化をたどるだけである。
左翼とは、人間が人間を支配することを否定するものであり、右翼とは人間が人間を支配することを肯定するものである。
加藤陽子の任命拒否は、思想の自由と学問の自由の否定であり、撤回すべきである。
加藤陽子は、指導教授の伊藤隆よりずっと人格が優れている。