猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

ウクライナとロシアとに停戦をもたらすにはアメリカ軍とイギリス軍をウクライナに駐留させるしかない

2022-08-15 02:27:32 | ロシアのウクライナ軍事侵攻

77年前の8月15日は、昭和天皇が「無条件降伏」の意思をラジオを通じて大日本帝国軍部の中枢に伝えた日である。日本国民を天皇の言葉の証人とすることで、天皇は軍部の反乱を未然に防ごうとしたのだ。

数日前の豊永郁子の朝日新聞寄稿『ウクライナ 戦争と人権』はウクライナ大統領ゼレンスキーにロシア大統領プーチンとの「和平」を迫るものである。

私は、ロシアから一方的に攻められているウクライナの政府を、批判する気にはなれない。私は怒ったり泣いたりする「心情倫理の人」である。

それでも、ウクライナに平和が早く戻ってほしいと思っている。どうしたら、ウクライナとロシアとの和平が実激するのか、考えてみた。そこで出てきた案は、アメリカとイギリスがウクライナの戦闘地域に停戦維持団を送ることである。公平を期して、ロシア側には中国軍が停戦維持団を送ればよい。

ウクライナもロシアも戦争に消耗している。戦争を行えば、両方で人が死ぬ。人の補給は時間がかかる。しかも、ミサイルや弾薬も尽きかけている。和平が実現しないのは、失ったものが大きく、和平で得るものは「戦争で殺されることがない」という休息だけである。

本来、土地は誰のものでもない。人間は一時的に大地に養っていただいている通りすがりの生き物である。領土問題の解決は今回あきらめて、遠い未来に委ねるしかない。ミンスク合意に基づいて停戦合意を、外部から強引にまとめるしかない。

ウクライナ政府にとって、ロシアが停戦を守らず攻めてくるのが、怖いのである。停戦が永続的に守られれば、ウクライナに同情する人びとの援助で経済復興ができるだろう。ミサイルが飛んでくることを心配せずに、前線から帰ってきた夫や息子と共に、働いて食べることほど、幸せなことはない。思うに、それは日本が77年前に敗戦で得た幸せである。

しかし、ウクライナ政府もウクライナ国民も、合意書の紙きれが停戦を維持できると思わないであろう。私も思わない。唯一の停戦の保証は、今の戦闘地域にアメリカとイギリスの戦闘員を大量に駐留させることである。

現在、アメリカは全世界に基地をもち、軍隊を駐留させている。そのうちの日本とEU諸国のアメリカ軍基地を閉じ、アメリカ軍をウクライナの戦闘地域に移動させればよい。国連の平和監視団と違い、停戦違反があれば、容赦なくミサイル攻撃や戦闘機による爆撃や戦車の砲撃で壊滅させるのである。50万から100万人の兵力があれば、戦闘を抑え込めるだろう。

今までのアフガニスタンやイラクの駐留と違い、ウクライナ人を敵にまわしていないから、アメリカ軍やイギリス軍は活動しやすい。

いっぽう、日本には戦後77年たってもアメリカ軍が駐留している。もはや日本がアメリカを軍事攻撃することはないから、安心してアメリカ軍はウクライナに行ってもらう。日本国民もせいせいして気持ちが軽くなるだろうし、ウクライナ国民はNATOに加盟するよりももっと安心できるだろう。100年ぐらいアメリカ軍とイギリス軍がウクライナの戦闘地域に駐留すれば、ウクライナとロシアとの憎しみも薄れてくるだろう。

私は、アメリカ軍とイギリス軍のウクライナ駐留で、第3次世界大戦が勃発すると思わない。また、核戦争が勃発すると思わない。ウクライナ政府もロシア政府も内心は戦争を続けたくないのである。しかも、駐留軍は停戦の維持を目的としている。ミンスク合意が守られなかったのは、実力による停戦の実現という仕組みがなかったからである。永続的平和が実現できるなら、ドネツク州、ルガンスク州、クリミナ半島がロシアに併合されたとしても、ウクライナ国民は耐えることができるだろう。

土地は誰のものでもない。住む人が入れ替わるのは仕方がない自然の定めである。


豊永郁子の『ウクライナ 戦争と人権』を考える

2022-08-13 00:24:24 | ロシアのウクライナ軍事侵攻

きょうの朝日新聞に豊永郁子の寄稿があった。タイトルは『ウクライナ 戦争と人権』である。徹底的な抗戦よりも降伏という手がウクライナにあるのではないか、というものである。確かにその選択肢がある。

今から80年前、4年間近くアメリカと闘った日本を思い返すとき、その考えにうなづける。戦争を続けているかぎり、人が殺され続ける。

しかし、アメリカとの戦争は日本から仕掛けたものだ。ウクライナはロシアの侵攻に対しての本当の「専守防衛」である。しかも、ウクライナは独立国であり、議会も機能している。日本にいて、他国であるウクライナに降伏した方が良いとは、私には言えない。

「戦争」は暴力である。自分の意思を暴力によって貫徹することである。東ヨーロッパやバルカン半島の歴史を見るとき、暴力が荒れ狂っていた歴史がある。自分の小さな幸せを守るには、山間部に逃げ込むしかなかった。しかし、人口が増えた今となっては、山間部に逃げ込むといっても、現実的ではなく、難民として周辺国に逃げ込むしかない。

私の子ども時代は、戦後であるが、町には暴力団がおり、学校には番長がいた。いつでも、闘うのだという緊張関係のもとに、平和があった。情け容赦のない無茶な要求には闘うという姿勢を堅持することで、小さな幸せが守られた。さもなければ、暴力によって際限なく奪われ続けるのである。

ウクライナの徹底抗戦にはそれなりの理由があるのではないかと思う。また、ロシアの侵攻にもそれなりの理由があるだろう。兵器は無料ではない。弾薬には限りがある。殺される兵士、民間人の数も限りがある。戦争の無意味さを味わうだけ味わって、すべてを失って、戦争が終わるだろう。

今回の戦争勃発に至った誤りは、アメリカ政府が最初に戦わないという意思を表示したことにある。この2月にロシアのウクライナ侵攻があるとわかったとき、アメリカ政府は、ウクライナに在留のアメリカ人を引き上げさせ、選挙で選ばれたゼレンスキー大統領に国外逃亡を勧めたのである。アメリカ政府はウクライナに軍事侵攻しなかったが、あのとき、ウクライナの国民を裏切ったのである。

ウクライナの北部は森林と沼地である。ベラルーシからウクライナ北部に侵攻したロシア軍は一本道の道路をだらだらと進むしかなかった。日本のメディアはバカなロシア軍と報道したが、この段階で「短距離」ミサイルがウクライナ軍にあれば、最初の侵入を食い止めることができたのである。ロシア軍の侵攻はアメリカ政府がウクライナを見捨てたことを知った上での作戦であった。

勘ぐれば、ロシア政府とアメリカ政府のあいだに何かの了解があったのではないかとさえ、思える。

自分の尊厳のため、家族を逃がし、死ぬという選択肢も個人にあると思う。自分の尊厳とは、自分は奴隷ではなく、自由意志をもった人間であることだ。イマニュエル・カントの「啓蒙」とは、自分が自由意志をもった人間であることを自覚させることである。「信念だけで行動して結果を顧みない心情倫理の人」とゼレンスキー大統領を非難するのは一方的すぎないかと思う。

豊永はガンジーの「非暴力主義」に言及するが、「非暴力主義」はそれが通用する社会制度の存在を前提としており、私の経験では、「非暴力主義」が通用する社会を築くには継続的な戦いがあると思う。そこでは多少の暴力が必要になるかもしれない。悪が善に打ち勝つことにも耐えて、「善」を掲げ続ける局面もあるのだろう。

日本の現実に戻ると、日本は中国や北朝鮮に戦争を仕掛ける必要がない。軍備の拡大もいらない。改憲もいらない。それよりも、アダム国とエバ国の論理で信者に一方的献金をさせる統一教会と関係をもってきた日本の政治家の無節制ぶりを批判するほうが急務だと思う。


プーチンがエカテリーナ2世を敬愛はウクライナ併合の野心

2022-07-28 23:00:29 | ロシアのウクライナ軍事侵攻

(映画Ogniem i mieczem)

ロシア大統領のウラジーミル・プーチンがエカテリーナ2世を尊敬しているとの記述が日本語版ウィキペディアにみられる。私はこの真偽をまだ裏づけられないが、黒川祐次の『物語 ウクライナの歴史』(中公新書)を読むと、1764年、ウクライナの「ヘトマン国家」を最終的に滅ぼしたのがエカテリーナ2世である。プーチンがエカテリーナ2世を尊敬しているのが本当なら、彼はウクライナの併合を狙っていることになる。

ヘートマンはポーランド語で、ウクラナイ語ではヘーチマンだそうである。もともとはポーランド王から任命されコッサクの町を支配した貴族のことであったが、16世紀末にはコッサク自身によって選ばれるようになった。

ウクライナが、ポーランド国内の自治領からヘトマン国家として見られるようになったのは、ヘトマンのフメリニツキーの1648年の蜂起以降である、と黒川は言う。ポーランド側からの歴史書では反乱であるが、コサック側から見れば独立戦争である。コサック側がポーランドに勝ったのだ。

ヘトマン国家にはラーダと呼ばれる全体会議があり、ヘトマンもそこで選ばれた。ラーダは「会議」というより「集会」に近いものだと私は思う。古代ギリシアの直接民主制エクレシアに対応すると思う。戦闘集団であるコッサクでは、選ばれたラーダが強い権力をもつ。

フメリニツキーはウクライナ語だけでなく、ポーランド語、ロシア語、トルコ語、ラテン語を話せたという。ポーランドと戦うために、ロシア、スウェーデンとも彼は交渉した。黒川は、このときのロシアとの協定が、モスクワに庇護を求めるという歴史的傾向を生んだという説を紹介している。

いっぽう、黒川は、ヘトマン国家衰退が、自由の民の国が地主と農奴に分かれていったためであるという説も紹介している。私は、こちらの説に納得する。平等がくずれれば闘う意味がない。

ポーランドの作家ルドヴィク・クバラは、フメリニツキーの蜂起を反乱として、ポーランド王のために戦う一部のコサックの長編時代小説を書いている。その映画版がポランド映画『Ogniem i mieczem(火と剣)』である。目下のロシア軍のウクライナ侵攻で、ポーランドがウクライナ政府を支援しているのは、不思議な時代のめぐりあわせである。

黒川によれば、ニコライ・ゴーゴリの書いた小説『隊長ブーリバ』は、フメリニツキーの蜂起に先立つ1630年代のコッサクのポーランドへの反乱をモデルにしている。隊長ブーリバが火あぶり刑で死ぬ前にロシアの大地への愛を述べるが、ゴーゴリが小説をロシアで売るために創作したフィクションであると思う。モスクワは森林に囲まれた地であり、コサックにとっての大地は、ウクライナの草原の大地である。


黒川祐次の『物語 ウクライナの歴史』

2022-07-26 23:38:29 | ロシアのウクライナ軍事侵攻

図書館に予約していた黒川祐次の『物語 ウクライナの歴史』を、約4カ月かかって、おととい手にした。今、後半から本書を読んでいるが、入念に資料を読み込んで書かれているので驚く。歴史家より外務省官僚のほうが、もしかしたら、調査能力が高いのかもしれない。

出版されたのが、2002年なので、ソビエト連邦から1991年のウクライナ独立数年後までしか扱われていないのが残念だ。2014年のクリミア半島のロシア併合、ドンバス地域のロシア傀儡政権擁立は含まれていない。彼は、私より3歳上でしかないから、ロシア軍のウクライナ侵攻と合わせて、これから、改訂版を出すことを期待する。

黒川は学生時代『ウクライナの夕べ』という絵画をみてウクライナに強く印象づけられたという。

私のきっかけは、子どものとき読んだニコライ・ゴーゴリの『隊長ブーリバ』(カバヤ文庫)である。定年後、You Tubeで民族音楽を聴くようになったが、そのとき、たまたま、『タラス・ブーリバ』(ロシア映画)をみて、コサックの歴史に興味を覚え、ウクライナにヘトマンの時代があったことを知った。

ただ、東ヨーロッパからウクライナ、ベラルーシ、ロシア、バルカン半島は民族のモザイク、あるいは、るつぼであるので、民族主義より、人類普遍的な価値にたって、解決策を探る必要がある。

ロシアは100以上の言語が話される国である。その国が、ロシアの脅威だとしてウクライナに侵攻したことに、悲劇を感じる。ロシアの権力者は社会主義を放棄して、国を愛国主義でまとめようとしている。しかし、ロシアも民族のモザイク、るつぼであるから、ロシア大統領のプーチンの愛国主義は大国主義なのだ。強い国であることを誇りとし、そのために戦うことである。

プーチンはエカテリーナ二世を敬愛しているということをどこかで読んだ気がする。エカテリーナ二世はロシア人ではない。ドイツ人である。確か、ドイツ騎士団の国からツアー(ピョートル3世)の嫁に来た女である。伝記を読んでも醜女(しこめ)としか書かれていない。クーデターを起こし、夫を幽閉した女である。権勢を深め、愛人を多数もった大柄な女だ。プーチンがその女を敬愛するのは、オスマン帝国に勝利しクリミアを併合し、ポーランド・リトニアにも勝利し、ポーランドから領土を奪い取ったからだろう。

黒川の本書には、第2次世界大戦末期のヤルタ会談での秘密取引が書かれている。ヤルタはクリミア半島の1つの都市である。読んで私が驚いたのは、アメリカ大統領であったルーズヴェルトがソビエト連邦の最高指導者スターリンに、日本への参戦を迫ったということである。スターリンは日本との中立条約をたてに正当性がないとしぶったが、ロシアの南樺太と千島列島の併合をルーズヴェルトが認めることで、参戦を承知したという。

広島・長崎の原爆投下はルーズヴェルトの死後のことだが、彼が生きていてもなされたのではと思った。ルーズヴェルトの真珠湾奇襲攻撃への恨みは大きいのだろう。戦争は怨念を生む。

本来、土地の所有者とは、何の根拠もない。土地は人びとが行きかうだけで、神が誰かに所有権を与えたわけでない。昔と同じく、所有権は単に暴力の結果かもしれない。


ウクライナできょうも人が死ぬ、この過酷な戦いをどうしたら止められるのか

2022-07-25 23:40:01 | ロシアのウクライナ軍事侵攻

ロシア軍のウクライナ侵攻が2月24日に始まって、5カ月がたった。5日前(7月22日)の朝日新聞のインタビューに、米国元駐ロシア大使のマイケル・マクフォールが、ロシアのプーチン大統領は言葉で行動を変える人物ではなく、「交渉に持ち込みたいなら、軍事的な前進を止めることが重要」と言っていた。私もそう思う。暴力だけが人の行動を変えると考える人たちが現在も多い。そして、暴力でも変わらないとなるのと、皆殺しを始める。むごい。

昔の戦争と違って、いまの戦争は総力戦になる。市民も戦闘員も区別なく殺される。

マクフォールが言うように、「軍事的な前進を止める」しかないとすると、私はアメリカが参戦すべきだと思う。口先だけで「民主主義を守る」というアメリカの責任は重い。

同じ紙面で、ジョージタウン大学教授のチャールズ・カプチャンが「米国はウクライナへの兵器提供をしながらも、停戦や戦争終結、領土問題の解決に向けたプロセスについて話し合いを始めるべき時だ」と言っている。この「始める」の主語はアメリカ政府であると、私は思う。これまでウクライナ政府はアメリカ政府に代わって戦争をしているのだ。現状では、死ぬのはウクライナ人で、アメリカ人でない。公平でない。

この戦争の難しい点は、ウクライナ人というものが不確かな存在であることだ。1991年にできた国家である。ウクライナ民族主義を政府がいくら煽っても、アジア人やユダヤ人の血が混ざっている。おまけにロシア語を聞いてわかるし、話すこともできる。ネットでは、ウクライナの歌、ウクライナ民族衣装があふれているが、日常生活レベルでは、ロシアと区別がつかない。民族主義は幻想である。

したがって、戦いの大義は、「民主主義」「自由」しかない。しかし、「民主主義」「自由」のために死ぬことも苦しい。いまは、そのような段階にきている。ウクライナのために、すべてのウクライナ国民が殺される段階に来ている。

ウクライナ大統領のゼレンスキーは、ウクライナ議会に、保安局局長と検事総長の解任案を提出し、可決された。政府の要人がウクライナ国を裏切るという段階までに来ている。

けさ、テレビを見ていたら、日本に戦地のウクライナから逃げてきた家族が、ウクライナに戻ることになったというニュースを流していた。ウクライナ政府から、戻らないと公務員の職を解雇すると言われたからだ。

この戦争は公平ではない。戦いの現場はウクライナで、ロシアでない。ウクライナ国民は戦闘員も民間人も死ぬ。ロシア国民は戦闘員だけが死ぬ。

領土問題は解決の見込みがない。ドンバス地域はロシア出身の人が多数派である。そして、ドンバスは重工業地帯でその製品はロシアにしか売れない。また、クリミア半島はもともとロシア海軍の基地だ。ここでもロシア出身の人が多数派である。

面倒なことに、ウクライナ人がいないように、ロシア人というものもいない。民族というものは幻想というより政府が創った虚構である。個人の心が傷つくが、ウクライナ国民がロシア国民になるということが実際に起きるうる。どっちの政府につくかということだ。

アメリカが参戦しなければ、ウクライナの地で人が死に続ける。人が死ぬ、人が死ぬ、・・・。

同じ、きょう、テレビでは、反アサド派のシリア人がウクライナ政府の傭兵になっているというニュースを流していた。彼はこれまで家族への送金のために闘ってきたが、仲間も死んだことだし、これから、家族の避難先のトルコ政府の傭兵になるのだという。アサダ派のシリア人はロシアの傭兵になっているという。

戦争はただただ過酷でろくでもない。戦争を始めてはいけない。

日本も、敵国を決めて、敵基地攻撃能力を持とうなどというバカげたことはすべきでない。アメリカが中国と戦争したいなら、巻き込まれないよう、日本は知恵を尽くすべきである。