猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

長引くロシア・ウクライナ戦争と西側の「普遍的価値」の防衛、佐伯啓思

2022-07-01 23:50:36 | ロシアのウクライナ軍事侵攻

ロシア軍のウクライナ侵攻が2月24日に開始されてから、ウクライナ軍とロシア軍の戦闘が4カ月も続いている。戦闘とは、人を殺し、人が殺されることである。ウクライナ側では捕虜に戦争犯罪の裁判を行い終身刑の判決を出し、いっぽうのロシア側はウクラナイ籍をもたない捕虜(義勇兵)は死刑にすると脅かしている。

佐伯啓思は、きょうの朝日新聞に『「普遍的価値」を問い直す』を寄稿した。彼の問い直す「普遍的価値」とは、「自由や民主主義、人権や法の支配」のことである。ロシアがこれに攻撃をかけていると「西側」が主張していることに彼は異議申し立てする。

私も、日本のメディアがこの「西側」の主張に疑問をもたずに、西側の価値を守るためにロシアと戦えとするのは、おかしいと思っている。私も、このことを、ブログ『ウクライナへの軍事支援で見え隠れする「西側」の傲慢さ』や『西側の価値を守れに同意せず、ウクライナ軍事侵攻反対する佐伯啓思』に書いてきた。

ヨーロッパにしろ、アメリカにしろ、「自由」や「民主主義」を実現しているわけではない。お金があれば自由があるというのにすぎない。トランプ流に言えば、あるのは既得権層の自由と民主主義にすぎない。民主主義の大事な要素「平等」が欠けている。

赤石書店の『ウクライナを知るための65章』を読む限り、「普遍的価値」がウクライナで実現されているわけでない。どこの国でも、人間は、とくに政治家や金持ちは、欲望の塊で自分の損得しか考えていない。

佐伯は、この既得権層の「普遍的価値(西側の価値)」を「アメリカ帝国」を維持する「アメリカ的価値」と名付けている。フランス国民やドイツ国民は何のためにロシアと戦わないといけないのか、迷っている。ニューヨークタイムズのコラムニストもアメリカがロシアと直接の対決にならないよう警告している。「普遍的価値(西側の価値)」を前面に出して勇ましいことを言っているのは、アメリカのジョー・バイデン大統領とイギリスのBBC放送だけである。

アメリカ政府が狙っているのは、ウクライナ人とロシア人とが殺し合うことだけである。

いま、岸田文雄首相はロシアとの対決姿勢を強調しているが、欧米から梯子をはずされないように、気をつけた方がよい。フランス、ドイツ、イギリスのいずれも、本気度が怪しい。ロシアへの経済封鎖を本気でやっているのは、アメリカと日本だけになりそうである。

佐伯は、それでも、多くの人が、ロシア軍の理不尽な侵略に腹をたて、「自国の文化や己の生活の理由なき破壊」に屈せず戦うという。「独立自尊」の精神があるという。

でも、それは「愛国主義」ではないか。

私の身近にいる年寄りにも、ウクライナの人びとの惨状に涙し、一緒に戦いたいと言っているひとがいる。

しかし、戦争とは、既得権層の利害のために、その外側の人間が殺し合うことである。ロシア軍がウクライナに侵攻したら、なぜ、日本人は中国と戦争をしないといけないのだ。なぜ、中国との戦争を準備するために、軍事費による経済の圧迫を日本人は我慢をしなければならないのだ。

「自国の文化や伝統」は「他国の人を差別し虐げる」ためのものにすぎない。あなたは日本語がオカシイから賃金が安い、あなたは七五三をしていないから友だちになれないと言われたら、人はどんな気持ちになるだろうか。

人はみなコスモポリタンになるのが良い。日本文化はべつにだいじなものではない。戦争をしないという選択肢があるのだ。


遠い昔のウクライナ史を論じてもウクライナ紛争の解決にならない

2022-06-21 23:42:00 | ロシアのウクライナ軍事侵攻

(ウクライナの歌姫Христина Соловій)

きょう、2018年10月25日出版の赤石書店の『ウクライナを知るための65章』を図書館から借りてきて読んだが、多角的で、よくできている。執筆者は33名にのぼり、黒川祐次が3章も、小泉悠も1章を書いている。

図書館には黒川祐次の『物語ウクライナの歴史 ヨーロッパ最後の大国』(中公新書)も4月6日に予約したが、いまだに順位30番なので、手にするまで、あと1カ月近くかかるだろう。それに、2002年出版だから、ロシアによるクリミア併合も扱われていない。

いま、日本のメディアはアメリカ政府の色眼鏡で見たウクライナよりの報道ばかりで、ロシアーウクライナ戦争の複雑な背景が見えてこない。

ウクライナ国の難しさは1991年に人工的にできた国家であり、歴史がないのである。

1991年以来、ウクライナ国民としての統合を進めるために、国旗や国歌を制定し、昔のコッサクの物語をもってこようとするが、虚構である。ウクライナがロシア帝国に従属したあと、ウクライナの土地は、搾取と弾圧と虐殺のなかで、つぎつぎと新しい集団が持ち込まれてきた。単純に、ウクライナがコサックの継承者でもない。

ソビエト連邦時代、コサックの反乱は農民の反乱として肯定的に捉えられ、コサックの文化が保護され、伝統芸能のようになっている。日本でも有名なコサックの反乱指導者ステンカラージンは現在のウクライナ領にいたのではなく、現在のロシア領のドン川のコッサクである。

現在のウクライナの領土は、ソビエト連邦の指導者スターリンが第2次世界大戦に勝ったことで、制定されたものである。負けたドイツの領土を削ってポーランドに与え、ポーランドの東側を削ってウクライナに与え、ウクライナの東側を削って、ロシア領を増やしたのである。

たとえば、現在のウクライナ西部の都市リヴィウはもともとポーランドの都市である。

ポーランドの領土を削って、ウクライナの領土にしたとき、ポーランドとウクライナは人間の集団交換を行った。新しい国境にもとづき、ポーランドがポーランド人と認めず、いらないとした人間集団をウクライナが引き受け、代わりに、ウクライナのポーランド人をポーランドに送ったのである。ひどい話である。私の好きなウクライナの歌手Христина Соловій(フリスティナ・ソロヴィ)の祖母は、ポーランドの山村に住んでいたが、この交換で、村ごとウクライナに移住となったのである。

スターリンが死んで、ソビエト連邦の指導者はニキータ・フルシチョフに変わったが、彼はウクライナ出身者であったので、クリミアをロシア領からウクライナ領に変更した。当時、ウクライナもロシアもソビエト連邦を構成する共和国の1つであったから、軽い気持ちで変更したのだろうと黒川祐次は推測する。

そして、ソビエト連邦の崩壊で、ソビエト時代の行政区画のまま、ウクライナが独立したのである。ロシア語を話す人もウクライナ語を話す人もポーランド語を話す人も合わせてウクライナ国民となったのである。

クリミアはもともとタタール人の国であるが、武力でロシア帝国が勝ち取ったので、ロシア語を話す人が多数入り込んだ。2014年のクリミア併合の以前からロシアへの帰属を求めての住民運動があったという。

また、ドンパス地域は炭鉱もあり、ソビエト時代からの重工業地帯である。ソビエト連邦全土から人が流れ込み、ロシア語が共通語になっていたという。ソビエト連邦の崩壊で、以前の行政区画のまま、ウクライナ国の一地方となっただけで、やはり、親ロシア派が多かったという。ヤヌコーヴィッチはドンパス地方の利益代表者だったので、彼が首相や大統領であったときまでは問題とならなかったが、ユーロマイダン革命で彼の政権が崩壊すると、内戦がドンパス地方で発生した。

ウクライナの政治を複雑にしているのは、各地方をオルガヒ(新興財団)が握っていて、私兵をもっているからだ。テレビで黒川祐次がそんなことを言っていたような気がする。

そういう背景を知ると、今のゼレンスキー大統領はよくウクライナ国民をまとめていると感心する。しかし、気違いじみた愛国主義者をいつまで抑えておくことができるだろうか。これからが大変だと同情する。戦争が始まると、人間はしだいに狂気に落ち込み、ほとんどの人が死ぬまで、その狂気から抜け出ることができない。ウクライナ領をすべて取り戻すことなんて、別に大義とならない。そのことのために人が死ぬなんて、ばかげている。


タカ派であるべきか否かに悩むアメリカ人

2022-06-18 21:41:01 | ロシアのウクライナ軍事侵攻

(映画 Ogniem i mieczem)

きのう朝日新聞の〈コラムニストの眼〉に、また、ロシアーウクライナ戦争に醒めた意見が寄稿されていた。ニューヨク・タイムズのOpinionの欄に6月4日にのったロス・ドゥザットの『ウクライナへの支援 ずっとタカ派ではいられない』の抄訳である。抄訳とは一部翻訳しなかったとのことである。

アメリカにも「タカ派」という言葉があったのか、と思わず、原文を読んでみた。Ross Douthat の“We Can’t Be Ukraine Hawks Forever”である。わかったのは、「タカ派(hawkish)」とは武力で相手国に自分の言うことをきかすという立場のことだった。別に権威的とかいう意味はない。暴力こそ人間界の紛争を解決する手段という考え方である。

自分をかえりみると、そんな思いが私の中にときどき息を吹き返すことがあった。今から70年前、建前で「法治」をいうが、日本の社会は暴力によって動いていた。警察が善人を守ることはなかった。自分を守るには暴力で対抗するしかなかった。悪人が社会を完全にぎってしまうと、社会の安定化のために、悪人は「法治」を言い始める。暴力装置は国家が独占し、国民はもっていけない。国民は非武装化されなければいけない。もちろん、いまだに、どこの国にもヤクザやギャングという非合法暴力集団がいるが。

戦後の混乱期だけでなく、私の若い頃は、会社や銀行や政治家が暴力団をやとって、組合を潰したり、土地を暴力で買い上げたり、建設反対派を脅かしたり、していた。暴力を振るうやつはクズだが、自分たちは暴力をふるっていけないのか、泣き寝入りするしかないのか、悩む毎日であった。

私の20歳近く年上のいとこは、元刑事と結婚(?)した。内縁なのか、単なるヒモだったのか私にはわからない。名古屋のキャバレーで裸同然の姿で働かされ、それが嫌で、よく、田舎の私の家に逃げてきた。元刑事はヤクザだったようだ。彼女を追ってきた元刑事は、私の家にあがり、「堅気には迷惑をかけない」とすごんで名古屋にいとこを連れ戻すのであった。私の親は、なぜ、そんなヤクザみたい男の言うことに従うのだろう、と心の中で子どもの私は親をなじっていた。

日本は素晴らしい憲法をもっている。「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と第9条にある。もっとも「秩序を基調とする」の意味不明な言葉があるが。

日本国憲法にしたがえば、国民はタカ派(hawkish)であってはならないことになる。

アメリカの憲法にその規定がないから、アメリカ人のひとりひとりは、ウクライナの人びとに同情しても、タカ派になるかどうか、悩まないといけない。「正義を基調とする国際平和を誠実に希求し」ても、現実の世界はそうでないのだ。また、多くの「正義」は悪徳を内に秘めており、「正義」の名で悪の片棒をかつがされるかもしれない。

アメリカのタカ派は「プーチンをせん滅」し「領土の1インチまで解放」するまで戦うことを主張している(この部分は翻訳からはずされている)。ドゥザットは、そのためにアメリカがウクライナに、要求されるだけの額の軍事支援をし続けるのでいいのか、という疑問を提起している。

それだけではない。ドゥザットは言及してはいないが、アメリカのタカ派の中には、もっと冷酷な考えのものもいる。アメリカ人の血を流さすに、ロシア人とウクライナ人が殺し合うのがずっとずっと続いて、ロシアが他国と戦争する力のない状態に落ち込んでいるのが良いと言う。だからウクライナが勝たない程度に軍事支援続けるの一番良いと言う。

しかし、その間、ウクライナ兵も非戦闘員も死に続けるのである。資本主義国アメリカの繁栄のためにウクライナ人やロシア人が死に続けるのである。私は居たたまれない気持ちになる。戦費が大変だという話しだけでない。

それなのに、それなのに、ロシアのウクライナ軍事侵攻を機に、日本の憲法を改正せよとか、敵国の基地攻撃能力ために防衛費を2倍にせよとか、自民党や日本維新の会は言い出している。アメリカ人はタカ派であるべきか否かを悩んでいるのに、日本人は悩まないのか。


「専守防衛」のタガをはずそうと気勢をあげる自民党と日本維新の会

2022-05-30 23:47:56 | ロシアのウクライナ軍事侵攻

きょうの朝日新聞の記者解説は『空文化する「専守防衛」』であった。この62日前の3月19日にも同じ新聞の〈オピニオン&フォラム〉に、元内閣法制局長官 坂田雅裕のインタビュー記事『なし崩しの「専守防衛」』がのった。安倍政権のもとに、2013年の防衛計画大綱、2015年成立の安保法制をもって、実質的にも法的にも「専守防衛」の規制が崩れたとする。

「安保法制」では、日本が、国民の生命と財産を守るために、同盟国と共に他国で戦うことが想定されているのだから、「専守防衛」という自己抑制の「たが」が外されている。それでは、自衛の範囲をいくらでも拡張できるようになる。他国にいる日本人の生命と財産を守るための戦争が「安保法制」では制定されている。

じっさい、2月24日に始まったロシア軍のウクライナ侵攻は、アメリカやNATOの支援で軍事化するウクライナがロシアの安全を脅かしているから、自衛のための特別軍事作戦だとプーチンが言っている。

「専守防衛」という自己抑制の「たが」をはずせば、自衛隊の存在は、日本国憲法第9条の「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」に明らかに違反する。だから、日本弁護士会連合会(日弁連)は、今なお「安保法制」は憲法違反と言い続けている。日弁連は正常な感覚をもっている。

これまで、自衛隊の存在が合憲であるとされてきたのは、憲法第9条は自衛のための武力行使まで禁じていないからという理由であった。それが、「専守防衛」という「たが」をはずせば、なんでも「自衛」と強弁できてしまう。

90年前、日本と戦った中国は、戦闘を中国内に限定したから、自衛のための戦争と見なされたのである。日本軍に民間人も含めて中国人が殺されたから、日本軍を追い出すための反撃が自衛だと見なされたのである。

今、ウクライナ軍がウクライナに侵攻してきたロシア軍と戦っているから、ウクライナ軍の戦いは自衛のためと見なされ、支援の声が世界に広がっているのである。

今回のウクライナ侵攻から何も学ばずに、軍事面だけを見て敵基地攻撃能力が必要だ、射程距離が900~1500kmのミサイルをもとうとする、自民党や昭和維新の会は何を考えているのだろう。あきらかに、「専守防衛」の枠を超えている。

そんなことをすれば、日本は「国際紛争を解決する手段として」戦っていると見なされるだろう。世界は、日本がアメリカのもとに戦ったからといって、自衛の戦いとみなさい。アメリカ政府だってこれまでロクなことをしていないことを、世界は知っているからだ。


不可解なコロムニストの眼、ロシアとアメリカの戦争になる危険が増す

2022-05-26 21:20:03 | ロシアのウクライナ軍事侵攻

1週間前の5月20日に、朝日新聞の〈コラムニストの眼〉にトーマス・フリードマンの不可解な記事がのった。不可解というのは、何が言いたいのか私は最初わからなかったからである。

これはニューヨク・タイムズのOpinionの欄に5月6日にのった記事を日本語に妙訳したものである。「抄訳(しょうやく)」とは一部を省略したものである。

日本語訳のタイトルは『ロシアのウクライナ侵攻 米に迫る「巻き込まれリスク」』である。元のタイトルは “The War Is Getting More Dangerous for America, and Biden Knows It”である。「戦争がアメリカ人にとってだんだん危険なものになっていることをバイデンはわかっている」という意味であろう。

翻訳で省略されたのは、上院議員だったバイデンが2002年にアフガニスタンを視察したことと、今回、ロシアへの軍事支援をしないようにバイデン大統領が習近平に働きかけたことの3つのパラグラフである。

何度も何度も英文と日本文をよんで、私が理解したのは、ロシアもウクライナもアメリカを戦争に巻き込もうとしているが、ウクライナも汚職にまみれた国であり、アメリカはnational interest(国民の利益)を中心に考えて、距離感をもってゼレンスキーを支援し、ロシアとアメリカの直接の戦争にならないようにすべきで、バイデンはそれが分かっているとトーマス・フリードマンが言いたいのだ。

プーチンは地上戦でも出口戦略でも面目を失っているだけでなく、フィンランドとスウェーデンのNATO参加に動き、追い詰められたプーチンの行動予測がむずかしくなっている。不安定要素が増しているのに、アメリカがウクライナに情報を与えてロシア軍将校の殺害に手を貸したとか、黒海上のロシア軍の戦艦の位置をウクライナに教えてミサイル攻撃で沈没させたとか、ロシアを刺激するような自慢をアメリカ政府高官がするなということである。

アメリカにこのような慎重な意見があるとは気づいていなかった。私は、ロシアを挑発した責任をアメリカがとって直接参戦すべきであると思っていたが、考え直す必要があるかもしれない。

しかし、バイデンの発言は意図的なのか軽率なのかわからないことも多い。先月にはプーチンを政権の座から引きずり落とさないと戦争は終結しないと言ったり、2、3日前には中国が台湾に侵攻したら台湾を守るために参戦すると言ったりしている。