(タルムード)
きのう、図書館で、約3年前に出版された市川裕の『ユダヤ人とユダヤ教』(岩波新書)に気づいた。新書本ながら、「ユダヤ教」について体系的に書かれた本である。自分のこれまでのステレオタイプ的なユダヤ人理解を壊す衝撃的本である。
通常のユダヤ教の解説本は、旧約聖書の世界について書かれているのだが、市川裕は、旧約聖書以降の世界について、ユダヤ人の歴史、信仰、学習と探求、社会を書く。彼は、日本におけるユダヤ教の理解は、西欧のキリスト教中心の史観にもとづくものであるという。
市川は、ヘブライ語聖書(旧約聖書)に書かれた世界が歴史的事実かどうかは問題にしない。彼の主張を私なりに延長すれば、キリスト教はギリシア語で書かれ、ギリシア的な世界観に基づくことになる。
新約聖書には、日常生活に対する規定がない。新約聖書の提示する世界は、ヘレニズム的普遍的である。私が読み取るのは貧困に苦しむ人びとの叫びである。金持ちを憎みながら金持ちの施しを期待せざる得ない人びとの声である。関心は精神的なものにある。
市川によれば、ユダヤ教はふつうの宗教ではない。精神的なものに限定されず、日常生活を含め、ユダヤ人が生きていくうえの指針であり、守るべき規範であるという。すなわち、ユダヤ人は、ヘブライ語聖書より、「ミシュナ」にもとづいて、生きてきたのである。ユダヤ人にとって、「ミシュナ」は持ち運び可能な「国家」であると市川は言う。
彼によれば「ミシュナ」は全6巻63篇からなる口伝律法集である。第1巻、第2巻、第5巻、第6巻は、神とユダヤの民と関係を律するが、第3巻は家族法で、第4巻はユダヤ社会維持の法で、裁判に関する規定、経済的紛争の法規定を含む。「タルムード」は、ラビ(律法学者)による解釈を添えた「ミシュナ」のことを言う。
J. D. サリンジャーの作品を理解するうえでも、なぜ20世紀に生まれたユダヤ人の国が「イスラエル」と命名されたのかを誓いする上でも、市川裕の『ユダヤ人とユダヤ教』は助けてくれる。