猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

橋爪大三郎の『リスキリング 似た経験した人 過去に見つかる』

2023-04-27 23:58:53 | 働くこと、生きるということ

きのうの朝日新聞夕刊の橋爪大三郎インタビュー記事『リスキリング(学び直し)への心構えは 似た経験した人 過去に見つかる』が面白かった。モヤモヤしたものがすっきりした。だが、タイトルはちょっと不適切である。

橋爪は最初につぎのように言う。

「リスキリング。危ない言葉ですね。」

「経営者も政府も、経営不振や不景気は労働者のせいだ言わんばかり。」

「クビを切られるのは、スキルのないお前の責任だ。こんな言葉がブームになるなるのはおかしいんです。」

私はリスキリング(reskilling)が日本ではやっていたとは知らなかった。これは非常に政治的な言葉だ。こんな言葉を安易に使うやつらがウヨウヨといっぱいいるなんて正気の沙汰でない。

スキル(skill)とは「何かを巧みにこなす能力」のことを言い、もともとは名詞である。これにingをつけてスキリング(skilling)とするから、スキルを動詞として使っている。新しい英語の用法なのだろう。「巧みにこなす能力」が教育で得られるという仮定があって、動詞として使うのだと思う。私自身はここから疑う。教育は表層的な知識をさずけることで、職場での経験がなければスキルはつかない。

リスキリングは、さらにリ(re)がついたのだから、新しい仕事をする能力をつけるという意味になる。労働者をクビにしておいて、労働者にリスキリングしろというのは、無責任である。誰かが雇わなければ、熟練労働者になる機会すらない。雇用者は、労働者を首にしないで、リスキリングする倫理的責任があると考える。

経営者の立場からすると、労働者をリスキリングするのはコストがかかる。とすれば、労働者がもっているスキルを活かした新しい市場に企業が進出するのが、経営者の普通の選択である。じっさい、まともなコンサルタントはそう経営者に進言する。

リスキリングを「お前のスキルはもう古い」という意味で使うのは、人の人生を一方的に否定している。本来は、そんな言葉を軽々しく使うべきではない。

ただ、個人の力や経営者の力だけでは及ばない大きな「時代の転換」は起きるかもしれない。橋爪は「たとえば空襲で町全体が焼けてしまった状況」を「リセット」と呼ぶ。橋爪は日本の敗戦時を思いうかべているのかもしれない。私は地球に大きな隕石が落ち気候の大変動が起きた場面を思いうかべる。こういうときは、みんな平等だから、柔軟な思考でやり直しするしかない。

しかし、それは、「リスキリング(学び直し)」ではないと考える。橋爪のいう「似た経験した人 過去に見つかる」とは過去の人の生き方から「やり直しの勇気」をもらうことであって、「何かを巧みにこなす能力」を過去の人から学ぶことではない。