私は人の好みに干渉したくないが、小学校の卒業式に袴と着物を着ているのを見たくない。
先日、テレビで被災地能登での小学校の卒業式を見たが、女の校長が着物姿であったので、驚くとともに、とがめたくなった。
二日前、市営地下鉄で口紅を塗った着物と袴姿の女の子が3人乗り込んでくるのを目にした。私の横の老齢の婦人がちょっと驚いた顔をした。その横にいた中年の婦人が小学校の卒業式ですよと教えていた。
私は知的な女の人が好きである。男が粗暴で配慮が足りないとき、知的な女の人が暴走を抑えられる。私にとって知的というのは、勉強できることではない。周りの雰囲気にながされずに、自分の頭で考えることができることである。自分があることである。
インタネットをみると、呉服屋や写真スタジオが小学校の卒業式に着物・袴を着ることを勧めている。一生に一度の卒業式だから、記念に着物・袴でおしゃれしましょうと言う。
男女平等とか女性の社会進出だとか言う人はこの事態をどう思っているのだろうか。
この女の子たちは、この子たちの親は、世界に戦争があること、社会に貧富の格差があること、人が人を支配しようとすることを、どう考えているのだろうか。
私には、日本社会の何かが壊れ始めていると感じる。節分に恵方巻を食べるのが広がったときと同じ不愉快さを感じる。
私は商家に生まれたので、ビジネスの無節操さを知っている。商売というものは、人の欲望を煽って、売り上げを増やすのである。この欲望を煽るのは、今や広告業が手伝っている。この欲望の煽りから泰然として居られるのが知性である。