妻の書棚のアリス・マンローの『ディア・ライフ』(新潮社)を読む。田舎町での男女や親子の心の変化を長い時間軸で描いた短編集である。彼女は、1931年に生れ、今年の5月に死んだカナダの作家である。周りの人々と距離を置きながら、すべてを受け容れて静かに生きていくという彼女の世界観が心地よい。田舎の美しい自然の記述もよい。私が30歳前後の4年間、妻子とともに住んだカナダの日常が思い出される。
私が住んだ町は、大学のある町で、トロントやバンクーバーより小さいが、彼女が短編集の舞台とした田舎町より大きかった。
町に地元の新聞社があった。誰が死んだかという町の出来事に加え、スーパーマーケットのクーポンや町の住民の中古車や家財品の売り出しの広告が新聞に載った。私が妻と2歳の息子とともに公園でボートを漕いでいるところを写真に取られ、新聞に載った。どんな記事だったか思い出せないが、拡大した写真を新聞社からもらった。
グーグルマップで私たちがいた町をみると昔とずいぶん変わっている。新聞社がなくなっている。デパートが下町にSimpsonsとEaton'sと2軒あったが、それもなくなっている。スーパーマーケットも変わっている。A&PやKmartがなくなっている。
町が少し大きくなった感じもする。自然は昔と同じだろうか。
『ディア・ライフ』は多様な移民の存在を触れていない。彼女自身はスコットランドからの移民の子孫である。中国人はチャンクという蔑称で会話の中に出てくるだけである。アイルランド系移民も、「貧しい階層のプロテスタントのアイルランド人たち」と会話のなかに出てくるだけである。
私の記憶の中では、大学の食堂のレジのおばさんはカトリック教徒のアイリッシュで、3月17日の聖パトリック・デーには緑のブローチをつけていた。フランス系の住民がケベックだけでなく、オンタリオ州にもいた。フランス系の学生や大学院生とも親しく付き合った。ギリシアからの移民のジャニター(掃除人)も私の部屋に来て話し込んでいった。ドイツ系の夫婦はキッチナーの農家での一族の集まりに招いてくれた。みんなでフォークダンスを踊った。
アリス・マンローはスコットランド系社会以外とは付き合いがなかったのかもしれない。大学での私のボス(アイリッシュ)は、アメリカでは人種が溶け合っているが、カナダはモザイクであると批判していた。人と人との間に距離を置き、個人の生活を尊重するというのは、平和共存のために良いが、人種や文化が溶け合って化学反応を起こすには時間がかかるようである。