猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

自民党との癒着とトヨタ神話の崩壊

2022-02-22 10:00:50 | 経済と政治

今年になって、トヨタの労働組合は、国民民主党や立憲民主党の支持をやめたと公言している。もちろん、共産党も支持しない。会社がお金を儲けて はじめて 組合が存続できるという考えからくる労使協調路線が行き着くところまで来たと言える。会社が儲かることが第1となると、組合自体はオーバヘッドでいらないのではないか。

労使協調路線は、もちろん、岸田文雄が言っている、「経済成長があっての分配」と同じ考え方である。利害の対立を隠して協調というのでは、戦時体制と変わらない。

つぎは6年前のブログで、この頃からトヨタが進む道を誤っているのではと私は危惧している。

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私の中のトヨタ神話がいま崩壊しつつある

トヨタは私が若い頃にはヒーロであった。日本の中央政府に背を向け、また、銀行からの借入金を避けた。

1960年代に通産省が、ドイツや米国のメーカに対抗するために、日本の自動車産業の合併を推し進めた。トヨタは通産省に従わなかった。プリンス自動車工業が日産自動車に吸収合併されたのはこのころである。

1979年出版の『ジャパン・アズ・ナンバーワン』でトヨタの生産方式が取り上げられ、それ以降、ネットワーク化した会社間の生産管理システムのモデルケースとされ、注目をあびた。

1980年代の日米経済摩擦を、米国に工場、開発ラボを作ることで切り抜けた。

トヨタは銀行からの借入金を避けていたことによって、1990年のバブル崩壊を無事に切り抜けた。そればかりか、1997年に世界初の量産ハイブリッド車プリウス(PRIUS)を製造・発売した。

国策会社と化した日産自動車は、1990年の日本の金融バブル崩壊とともに、事実上の破産状態になり、1999年にフランス国営企業に買収されてしまった。

2009年から2010年にかけてトヨタは大規模なリコールを米国で行った。リコールの名目は機械的な不具合であったが、電子制御プログラムに欠陥があるのではと疑われ、米国議会で公聴会が行われた。公聴会での豊田章男社長の真摯な態度が評価され、米国の世論の風向きがかわり、2014年に米国司法省との和解が成立した。

2011年の原発事故の際、トヨタは、太陽光によって水を水素ガスと酸素ガスとに分解することを研究していた。太陽光で発電しても蓄電装置がいる。水素ガスを発生させるなら、蓄電装置がいらない。水素ガスを燃料として自動車を走らせればよい。燃えても水ができるだけだから、温暖ガスの問題も解決する。素晴らしい研究だと思った。

私の中でトヨタへの疑念が生じたのは、安倍政権への企業献金のトップがトヨタである、と、昨年、朝日新聞に報道されてからである。

ネットでさがすと、2014年6月10日赤旗には、2008年度から12年度までの5年間、国内で法人税を払っていないのに、自民党の政治資金団体「国民政治協会」への献金が、2010年からの3年間、毎年5140万円行っている、とある。2013年度のこの額が、6440万円になっており、日本企業の中で最高である。

これだけではない。昨年の7月から、トヨタの取締役、布野幸利が日本銀行政策委員会の審議委員になっている。布野幸利は大幅金融緩和、マイナス金利に賛成している。専攻は法学で、経済ではない。

TPPの重要課題は実は自動車の関税問題である。TPP交渉を担う日本の中央政府に関与すれば、当然、影響力を行使したことを疑われる。

それだけでない。電子制御プログラム欠陥の2014年の米国司法省との和解も、日本の中央政府への政治力を行使したのではないか。

実は、自動車の電子制御プログラムに欠陥があるか否かの判定は、非常に難しいのである。

プログラムは、運転状況を示すデータを受け取って、自動車の制御指示をだす。私はIT企業の研究所にいたが、プログラムにバグがないことを示すことは不可能である。通常は、色々なデータを入力し、不適切な指示を出さないか、根気よくバグを見つける。入力データがすべての場合を尽くしているかの保証がむずかしい。

私は、トヨタが画期的なバグ出し方法を見つけたとは聞かないし、トヨタでのプログラム開発やテスト方式を公聴会や裁判所で証言したとは聞かないし、実際に搭載した電子制御プログラム・コードを公開したとも聞かない。

トヨタが安倍政権と密着することで、私の中のすべてのトヨタ神話が疑わしいものになっている。


高揚とウツのジャパン・アズ・ナンバーワン、1980年代の狂騒

2022-02-21 23:09:10 | 経済と政治

これは、6年前に書いたブログである。

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昨日、参議院選挙の自民党候補のチラシが入っていた。不愉快な内容だったのでここに記す。

彼が大学を卒業した1985年を「『ジャパン・アズ・ナンバーワン』などと、日本全体に強烈な高揚感が満ちあふれていた」となつかしんでいる。困った歴史認識である。

『ジャパン・アズ・ナンバーワン』は社会学者エズラ・ヴォーゲルによる1979年の著書で、日本で70万部を超えるベストセラーとなった。

「高揚感」とは、必ずしも良いものではなく、地に足がついていないといけない。地に足のついていない高揚感は「自尊心」の肥大または誇大という。双極性障害では高揚とウツを繰り返す。精神疾患とするのは、高揚のときに誤った過剰投資で破滅したり、ウツのとき自殺をしたりするからである。

作家、北杜夫は双極性障害を発症し、高揚期に家族を怒鳴りつけ、株で大損を繰り返し、自己破産した。

1970年代に日本の高度経済成長が軟着陸したが、5,6年前の中国と同じく、相変わらず、安い労働賃金で工業生産物をアメリカに輸出しつづけていた。1980年代前半は、自動車を中心として日米経済摩擦がもっとも激しかった時期である。

このような背景のもと、1985年9月22日に、アメリカのプラザホテルでの5ヵ国財相会議で円高容認が合意された。

だから、1985年はトンデモナイ年である。

円高に対処するため、日本の自動車、電気・電子等など製造業は、労働賃金の安いアジアに工場を移した。また、日本政府は景気対策として大幅な金融緩和を行い、金融業は不動産や株に投資し、急激なバブルが始まった。

1985年9月に12,700円だった日経平均株価が1989年12月には38,916円に達した。この間、日本の製造業までが、財テクと称し、株の売買に手を出した。

先ほどの自民党候補は、「バブルが崩壊してからジャパン・バッシング、ジャパン・ナッシングと言われるようになり、日本人自身も、あきらめているのではないか、と危惧する日々がつづきました」とチラシに書いている。

バブルが崩壊してからの、ジャパン・バッシングなんて、特になかった。この自民党候補はウツの特徴の被害妄想に陥ったか、人を不安におとしいれるためにウソをついているだけである。

「失われた10年」というが、実は、バブルが崩壊した後の10年は、まっとうな世界に戻っただけで、ウツになるような状況では全くなかった。

1990年代は、世界に冠たる日本の技術が開花した時期である。「財テク」と言っていばっていた企業の財務部門の発言が抑えられ、自由で独創的な研究開発が製造業で進められた時期である。ノーベル賞を受けた赤﨑、天野、中村が窒化ガリウムによる青色LEDの半導体を発明したのもこの時期である。富士通、日立が画期的な液晶テレビの方式を開発したのもこの時期である。

「失われた10年」とウツウツとしていたのは、あくまで、不動産や株で大きな負債を作った日本の金融業である。この負債は、小泉政権のとき、銀行の合併と国の融資によって、清算した。不思議なのは、誰かがバブルでもうけたはずであり、そのことが公けには語られないことである。

さて、社会学者エズラ・ヴォーゲルの1979年の著書『ジャパン・アズ・ナンバーワン』が評価していたのは、日本企業の「終身雇用制、年功序列賃金制、企業と協調的な労働組合、企業内福利厚生の充実、目先の利益でなく長期的な利益を上げることの重視、比較的小さい賃金格差」である。

現在の日本は、真逆の状況におちいっている。

さきほどの自民党候補は、「分配の問題だけを考えると、限られたパイの奪い合いになるから、生産性の高い経済構造を作らないといけない」と言って、「非正規雇用」や「賃金格差」の問題を是正しようとしない。彼の言っている『ジャパン・アズ・ナンバーワン』は何なのか。

だから、彼のチラシを読んで私は不愉快になった。


日本経済の停滞は労働力の流動化がないからか、BS TBS『報道1930』

2022-02-21 22:49:52 | 経済と政治

きょう、遅い夕食を食べているとき、BS TBS『報道1930』でキャスター松原耕三が、転職で給料があがっていかない日本社会は労働力の流動化がなく、日本経済の停滞を生んでいると言った。そのとき、ゲストの森永卓郎が、日本の労働慣例と日本経済の停滞は別だとコメントした。日本が世界の経済発展から遅れているのは政府の経済政策が誤っているからだと主張した。

そこで、息子がその遅い夕食に加わり、バチンとチャンネルを変えた。

遅い夕食なのは、NPOで子どもを教えて帰ってから、私が食べるからで、いつものことである。残念なのは、森永と松原との意見の相違がどのようになったか、見届けることができなかったことだ。

私も、労働力の流動化が経済発展を生むという松原の考えは間違っている、と思う。約20年前の株と土地のバブルがはじける前まで、日本のメディアはジャパン・アズ・ナンバーワン(Japan as number one)と言って、日本の年功序列、終身雇用をほめあげていた。

日本のメディアはクソである。恥をしらない。

私も、日本政府および自民党の政策の誤りが、現在の日本の経済停滞を招いたと思う。日本の経営者に優しすぎると思う。はっきり言えば、自民党は経済界からお金をもらって、経済界が喜びそうな政策を官僚に行なわせる。経営の経験もない官僚が、経済を考えて、合併を進めたり、会社に資金援助したり、大学に企業がやるべき研究を強要したりする。

敗戦後の日本は、1960年まで確かに経済界が政府の助けを要した。それで、敗戦後も戦時体制が経済の分野で続いた。しかし、安い労働力で、アメリカの製造業を脅かすまでになった1970年代には、各企業は政府から自立し、自分の頭で考え、市場を切り開いていくべきであったのである。

1980年代のジャパン・アズ・ナンバーワンと叫んで日本が踊り狂っているとき、アメリカは日本の生産プロセスや労務管理を研究し、成長するアメリカ企業はそれを取り入れていった。

アメリカでは、離職率が高い企業は、危ないと見なされる。

日本の終身雇用や年功序列は、昔からあったのではなく、敗戦後、熟練労働者が会社を見捨てて出ていかないために、生まれたものである。

安倍政権の経済政策の誤りは、株価を人為的に上げたこと、強引に円安誘導したこと、派遣労働を認め正規雇用と非正規雇用の分断をひろげたことなどで、製造業の経営者を甘やかしたことである。集積回路の設計・製造を捨てて、時代錯誤の原子炉製造に走った東芝は、本来、潰れて当たり前である。どうして、東芝の役員は刑務所に放り込まれないのか。

いまだに、労働力の流動化などと、労働者ばかりに経済の停滞の責任を押しつけているのが、日本の現状である。

こんなとき、労働力の流動化が日本の経済停滞の主たる要因と言う松原耕三は、バカとしか言いようがない。


人権侵害は外国人労働者の自己責任なのか、是川夕と小熊英二の対談

2022-02-20 22:05:37 | 経済と政治

きのうの朝日新聞『(オピニオン&フォーラム)移民は日本を変えるか』はひさしぶりに対談であった。対談でないと議論がかみ合わない。これまで、「耕論」とかは、論者が一方的に朝日新聞記者に意見をのべるというもので、ダイアログによる議論の深化というものが見えなかった。

今回は、移民を法的に認めないというなかでの移民国家日本について、政府機関の国立社会保障・人口問題研究所の部長の是川夕と慶応大学教授の小熊英二が対談した。

是川の主張は、日本でのこれまでの移民の研究は、「正当でない方法で外国人をいれている」との視点で移民研究が行われ、日本に定住した移民の暮らし向きの変化を説明できていない、と言うことである。暗に自分の研究は意味があると言っている。

小熊の主張は、透明性を欠く恣意的な日本の移民政策は、移民にとって不利益を生んでいる。政府の恣意的な移民政策が非人間的な外国人の扱いを生んでいる現実を、政府機関の研究所の部長である是川が、見ることを避け、移民が日本社会にゆっくりと同化しているとの研究を進める意味を、小熊は問うているのである。

私も、是川は、結果的に、日本における外国人労働者の扱いに対する国連人権委員会の非難をかわす研究を行っているだけ、と思う。社会科学において何か中立的な研究があるわけではなく、それは幻想である。

この対談でも、小熊のツッコミで、技能実習制度は日本人も嫌がる地方の低賃金の労働に外国人を縛り付ける役割をしていることを、是川は認めている。

政府系の研究所の研究は、政府の政策に使われる。したがって、政府の施策がどのような人権侵害を招いているか、その施策は日本のどのような経済的理由で始められたのか、人権侵害を引き起こさない形で、外国人労働者を日本に招くことはできないか、を事実にもとづいて研究すべきだと私は思う。

是川の言っていることは、人権侵害は、政府の責任ではなく、日本に働きにくる外国人の自己責任だと言っているにすぎない。

去年、入管施設でスリランカからきた女性が満足な医療を受けられず死んだ。また、技能実習生が建設現場で日本人の同僚から日常的暴力を受けていたことが、支援団体によって明らかされた。技能実習生への人権侵害は新聞などがこれまで取り上げてきたが、政府機関も正面からとりあげるべきである。

本当に、政府機関も会社も、長と名のつく役職にいる人間には、ろくな者がいない。上が喜ぶ報告ばかりを上にあげて、結局、国や会社をほろぼす。

[関連ブログ]


元首相 海部俊樹の惜別の辞、朝日新聞夕刊

2022-02-19 23:33:48 | 政治時評

(町の写真館の息子の海部俊樹)

きょうの朝日新聞夕刊の惜別に、ことしの1月9日に死んだ元首相の海部俊樹がのった。「かいふとしき」と読む。

海部を私はすっかり忘れていた。何をした人かだけでなく、1か月前に死んだことさえ忘れていた。

元記者の脇正太郎が書いた惜別の辞が良い。これを読んで忘れていたことが思い出された。

《明仁天皇の即位の礼で海部が首相として寿詞を読み上げ、万歳を三唱した。燕尾服姿だった。宮内庁からの「衣冠束帯姿で臨席し、両陛下より一段低い玉砂利の上で待機を」との要請を拒んだ。》

と惜別の辞にある。

明仁天皇とは平成の天皇のことである。1990年11月に戦後初めての即位の礼がおこなわれた。

《「新憲法下の民主国家の体裁をとるために、精いっぱいの努力をした。首相は民主的な選挙によって主権者たる国民の代表になった」と後年、語った。》

「精いっぱいの努力」の意味することは、1990年といっても、戦前の国体、天皇が日本の頂点という感覚が宮内庁や自民党議員に、残っていて、海部はその圧力をもろに受けたということである。

  • 1989年6月4日に中国で「天安門事件」が起こり、民主化がとん挫した。同年11月10日にベルリンの壁が崩壊した。
  • 1990年11月にバブルが崩壊した。
  • 1991年1月17日、アメリカがイラク空爆を開始した。第1次湾岸戦争のはじまり。

この大変な時期に、海部は1989年8月10日から1991年11月5日まで内閣総理大臣を務めたのである。

惜別の辞によると

《首相在任中、ブッシュ(父)米大統領から、湾岸戦争での自衛隊派遣要請を受けて苦悩した。憲法解釈の枠を超えたくなかった。決断力がないと非難されるたびに、弁明した。「一生懸命やってるわけですから」》

憲法解釈とは第9条のことで、「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」を海部は言葉とおりに守ろうとしたのである。

《首相を継いだ宮沢喜一氏は「高校野球じゃあるまいし一生懸命なら良いわけではない」と皮肉った。これには「どうしてわかってくれないのか」と憤慨した。同じ護憲派なのに、との思いからだ。》

海部は、自民党総裁になる前、小派閥の河本派に属していた。当時、4大派閥の竹下派・安倍派(晋三の父)・宮沢派・旧中曽根派では、派閥の領袖だけでなく、幹部もが、リクルートからわいろをもらっていることが発覚した。このなかで、リクルート事件の混乱を収めるために、竹下登が海部を総裁に押した。ウイキペディアによれば、海部の第1次内閣の発足にあたって、竹下派の小沢一郎らが党本部の幹事長室で各派と連絡を取りながら海部抜きで組閣を進めた、とある。

だから、「精いっぱいの努力」「一生懸命やってる」と海部は口にするのだ。

それでも、1991年後半に「海部おろし」がはじまり、11月5日、海部は総理大臣を辞職した。本人のクリーンで爽やかなイメージは根強い国民の支持をえて、1990年2月の総選挙で自民党は大勝した。また、退任直前でさえもの内閣支持率は50%を超えていた(ウイキペディア)。

惜別の辞によると、海部は晩年 悔しそうにつぎのように言ったとある。

《「俺のほうが(宮沢より首相の在任期間が)長い」》

町の写真館の息子の海部俊樹は、戦後民主主義の申し子であった。

皮肉なことに彼が死んでから、2022年1月18日の閣議で正二位叙位と大勲位菊花大綬章追贈が大正15年の勅令第325号の位階令により送られた。戦前の天皇の命令(勅令)が日本の内閣に いまだに生きているのである。