猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

私は沖縄県民に謝りたい、日本本土防衛のために沖縄を犠牲にしていることを

2023-05-16 21:36:30 | 戦争を考える

沖縄にミサイルを配置するという計画を日本政府が進めているが、私は沖縄県民に本当に申し訳ない話だと思っている。78年前に、日本帝国政府と軍部が沖縄を本土決戦の前の前哨戦と位置づけ、多くの沖縄県民が米軍に殺されたことを思い出す。沖縄県民が大量に死んだのだが、本土決戦は行われなかった。日本帝国政府と軍部は降伏したからだ。沖縄県民は無駄死にしたである。

日本政府(自公民政権)の方針、沖縄にミサイルを配置し、反撃能力をもつということ自体の意義がわからない。本当に反撃であれば、どこにミサイルがあるかわからない状態にすべきであろう。それを、沖縄の特定の島にミサイル基地を作れば、反撃する前に、真っ先に攻撃され壊滅状態になろう。島民は自衛隊の基地を作ったばかりに、巻き添えになって殺されるだろう。78年前の再現である。

反撃のミサイルは海に散在する大型潜水艦から発射するものである。北朝鮮は潜水艦からのミサイル発射や、陸上なら発射場所を大型トラックで山の中を移動してのミサイル発射訓練を繰り返している。

すると、沖縄にミサイル基地を作るというのは、単なる「こけおどし」にすぎない。しかし、こけおどしは相手を挑発しているから、戦争になるリスクを高めている。

ミサイル基地は反撃能力にならない。配備したミサイルが機能するとすれば、1941年12月8日の真珠湾奇襲攻撃、先制攻撃しかない。日本政府は敵基地攻撃といっているから、たぶん、真珠湾奇襲攻撃をマネたいのであろう。

しかし、自公に投票した人たちは本当にそれをしたいのだろうか。深く考えないで、安倍晋三の切り開いた積極的外交(武力の脅しで紛争を解決)に騙されて、踊っているだけではないか。本当に本土にミサイルが雨あられのように降るという事態を目前にしたら、沖縄を犠牲にしたまま、日本政府は降伏するのではないか。

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いま、日本政府が、中国、ロシア、北朝鮮を敵国として、ミサイルをはじめとする軍備を強化せんとするが、これは、日本政府がアメリカ政府の言いなりになっているからではないか。78年前に、日本帝国政府と軍部とは、本土防衛のために沖縄を犠牲にしたが、現在、アメリカ政府も、日本国民を犠牲にしてアメリカ本土を防衛しようとしているのではないか。

ウクライナの防衛戦争はもう1年と3カ月になるが、アメリカ政府はウクライナに戦う兵器をちょぼちょぼとしか供給しない。アメリカ政府は、戦争がエスカレートして、ロシアとアメリカの戦争になるのを避けている。だいたい、1年半前、アメリカ政府がウクライナからアメリカ人を引き揚げたから、ロシアは、ウクライナ侵攻をためらわず決断できたのである。

自公に投票した人たちは、日本を犠牲にして、アメリカ政府がアメリカを防衛している現実を真剣に考えるべきである。

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きょう、NHKが1976年のアメリカ映画『7月4日に生まれて(Born on the Fourth of July)』を放映していた。トム・クルーズの扮するロニーが、ケネディー大統領の「国があなたのために何かをするのではなく、あなたが国のために何をするのかだ」という言葉に愛国心を煽られ、ニクソン大統領の「共産主義者が攻めてくる」の言葉に騙され、ベトナム戦争に志願し、ベトナムで負傷し、下半身まひになって帰還してから、自分は騙されていたことに気づくという映画である。ハリウッド映画であるから、最後に希望を示す。それは、反戦運動に参加し殴られ踏みつけられ、4年たって、大統領選の集会で車いす姿でスピーチに壇上へ上がるところで映画は終わる。

NHKは、親切にも、あなたは自公政権に騙されていると、日本国民に、告げたかったのだろう。


国が軍需産業を支援するというのは戦争の準備そのものだ

2023-05-09 19:03:39 | 戦争を考える

5月9日、けさの朝日新聞で『防衛産業「国有化」可決へ』を見て驚いた。

法案の正式名称は「防衛省が調達する装備品等の開発及び生産のための基盤の強化に関する法律案」という。この法案が、4月27日の衆院安全保障委員会で自民、公明の与党のほか、立憲民主、日本維新の会、国民民主の野党も賛成に回り、共産党だけの反対で、可決されたという。きょう、衆議院本会議で可決される見通しだという。

公明党、立憲民主党が反対しなかったことに怒るとともに、日本の議会制民主主義が機能しているのかを疑う。

「国有化」が問題ではなく、この法案は、日本での軍需産業を是認し、政府が積極的に支援するというのが問題なのだ。これは、日本のこれまでの平和主義を全面的に否定するものだ。

「防衛省が調達する装備品等」というが、法案を見ると第2条で「装備品、船舶、航空機及び食糧その他の需品(これらの部品及び構成品を含み・・・)」と何でもありになっている。装備品と言っても鉄板やナットなどの部品を作るのではなく、「構成品」というから、戦車や戦闘機やミサイルなど兵器その物を含む。

「開発」で、最新鋭の兵器の研究開発を含む。また、「装備移転」という名目で、外国政府に対して、有償・無償で譲り渡すことができると、規定している。兵器の輸出にGOサインを出しているのだ。

兵器というものは人を殺すものである。政府と軍と軍需産業が一体となったとき、国が戦争に向かうのは当然の理(ことわり)である。

私が子ども時代、みんな、それを軍産コンプレックス(複合体)と言って、あってはならないことだ、言っていた。それが、「日本の平和主義」の了解事項だった。

日本だけではなく、1961年1月、米国のアイゼンハワー大統領も、退任演説で、軍産複合体の存在と、それが国家・社会に過剰な影響力を行使する危険性を指摘した。アイゼンハワーは第2次世界大戦でヨーロッパ戦線を指揮した将軍である。戦争の悲惨さをその目で見てきた大統領である。国が軍需産業を支援してはならない。

こんな法案に賛成する議会政党のいい加減さに幻滅するとともに、直接民主主義の必要性を痛感する。


入管法改正に反対の意思を示した小泉今日子の勇気

2023-05-08 16:56:26 | 自由を考える

けさ、朝日新聞に小泉今日子のインタビュー記事『言い続ける強さ 見せなきゃ』がのっていた。政治的な発言を彼女がインターネットに投稿したら、中傷の標的になったという。

「〔コロナ禍〕そんな時に、何だか勝手に事が進んでいることがあるってことに、よりみんなが不安になっているって見えて、これはちょっと小さな風穴を開けた方がいいのではないかなと思って、それで自分も意見を言ってみようかとな思った」

日本は国民主権の国のはず、民主主義の国のはず。誰でも思ったことが自由に言えるはず。

政治家でないと政治に自分の意見を言えないなんてあっていいはずがない。

ところが、自分の意見をネットにのせたら、「芸能人のくせに」とか「アイドルのくせに」とか、ツイッターで中傷がたくさん来たという。「しんぶん赤旗」の取材を受けたら、「共産党員」と決めつけられ、「真っ赤っかになったおばさん」とか「共ン共ン」とか書き込まれたという。

ところが、彼女は、「色々言われるのも仕事のうち」「ドラマに出ても、下手だ、ブスだ、太った、老けたとか、何をやっても言われる立場で仕事をしている」と言ってめげない。「私はもう50歳も過ぎた人間だし、言い続ける強さみたいなものを見せてあげないと」と闘志を燃やす。

息子の話だと、いま、彼女は政治的発言のため仕事から干されているらしい。彼女のように、おかしなことはおかしいと言える社会でないといけない。みんなで、自由に本当のことを言うことで、彼女を応援しよう。


チャットGPTで雑談力を磨ける? 朝日新聞《多事奏論》

2023-05-07 12:00:12 | こころ

憲法記念日の朝日新聞の《多事奏論》にベテラン記者の岡崎明子が「雑談力」について書いていた。

ちょっと面白い話なので、彼女の話しをまとめると、つぎのようになる。

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彼女が新人記者のとき、口の堅い警察官から「ネタ」をとるための雑談を仕掛けることができなくて、「雑談力」のなさを感じた。コロナ感染拡大で在宅卓勤務になったとき、雑談で自分が癒されていたことに気づいた。ところが雑談を仕掛けると不快感を抱く人が少なくないと知って「雑談力」のなさを再び痛感した。

最近、彼女は、AIの研究者から、チャットGPTは物知りだが、「個」がないから、チャットGPTと雑談ができない、と教えられた。雑談の目的の1つは相手を知ることだ。警察官と雑談できなかったのは、「共通の話題がないから」ではなく、「そもそも相手のことを知りたいとは思っていなかった」からだ。

    ☆     ☆     ☆     ☆     ☆

何気ない話をすることは相手と仲良くありたいという意思表示だと、精神科医の斎藤環がどこかで書いている。家庭崩壊を立て直すとき、雑談ができることを私は目標にする。自分の都合をぶつけてばかりだと、いかに論理的であろうと、一度壊れた家族関係を修復できない。

また、とりとめのない話が癒し効果があるのも本当だと思う。うつに陥っている子どもたちや若者たちは話しかけれたいと思っている。そして、それ以上に話したいと彼らは思っている。

しかし、「雑談力」というものが本当にあるのか、また、必要なのかを、私は疑う。「共通の話題」を無理して作り出す必要はないと考える。ニコニコして、「へー、そうなの。それで?」と合いの手を入れるだけでも良い。NPO活動の仲間が、私を話の引き出しが多いと誤解することがあるが、じっさいは、私は何も知らなくて、子どもたちや若者から教えられているだけである。

いっぽう、私はビジネスや政治の世界では単刀直入に核心にはいるべきだと思う。論理的な世界であるべきだ。料亭で無駄話しながら相手の本心を探ることはやめるべきだ。

岡崎の記事に戻ると、警官から「ネタ」をとるために雑談を仕掛けるとは、昔の三文小説の女諜報員みたいだ。こんなことを新聞社は新人記者にやらしていたのなら、これもやめるべきだ。


チャールズ新国王の戴冠式に各宗教界の長が参加する不思議

2023-05-06 23:35:08 | 宗教

きょうBBCは何時間もチャールズ皇太子の戴冠式(coronation)を中継した。驚いたのは、各宗教界の長が祝福するために集まったということだ。英国教会だけでなく、カトリック、プロテスタント、正教会、イスラム教シーア派、イスラム教スンニ派、ヒンズー教、ゾロアスター教、仏教の長がという。正教会の長は二人いて、二人とも黒い角帽のようなものをかぶり杖をついていた。仏教の長はダライラマのように黄色の布を体にまいていた。

これら宗教界の長は何者だろうか。なぜ。英国の王室のためにあつまったのだろうか。聖職者とは弱い者のために尽くすのであって、地上の権力者を祝福するために集まっていいのか。そんな聖職者はインチキである。チャールズとともにみんな死んでしまえ。

だいたい、BBCもおかしい。英国民の半分が王制に反対なのに、チャールズ皇太子の戴冠式を延々と放映するなんて。偏っている。

英国王室も時代錯誤のような儀式にお金をかけるのは、エリザベス女王の葬式を最後にやめるべきだった。