青山潤三の世界・あや子版

あや子が紹介する、青山潤三氏の世界です。ジオログ「青山潤三ネイチャークラブ」もよろしく

「新型コロナウイルス問題」は、実は"存在しない”」

2020-03-24 22:08:14 | 新型ウイルス


2020.3.24 青山潤三日記

コロナ。これを言っちゃお終いだけれど、「なんか変だ」、、、みんな、そう思っているでしょう?

パンドラの箱、開けちゃったんじゃないかと。

例えば「クラスター」という、僕には意味が良く理解できない胡散臭い単語が蔓延ってますが、なんか、壮大な(意図的か否かはともかく)「誤魔化し劇場」が仕掛けられているみたいに感じます。

といった発言をすると、世の中には信じられないほどの単純思考の人間が余りに多いようですから、彼らのステレオタイプ的な解釈でポジションを決めつけられてしまうのが、ちょっと怖いです。

例えば、「現代ビジネス」の記事に関しては、「この人は中国の手先、膨大な報酬を貰ってるはず」とかの意見もあります(どうすればそこまで短絡的な思考が出来るのでしょうか、、、もっとも、そんなことが可能なら、やってみたいですけれどね、笑)。一方、今回のような発言をすれば、「日本政府への忖度」とか言われかねません。

もちろん、個別の様々な懸念すべき問題はあるわけですから、それらを否定はしません(医療従事者の感染問題とか、米中の陰謀説とか)。でも、それらのことは、一度切り離して考えるべき別問題でしょう。

それはともかくとして、新型ウイルス感染による死亡者数/死亡者の中の新型ウイルス感染者。
これは、「イコール」の図式では測れない(次元が異なる)のではないか、ということ。

僕は、日本帰国以降、猛烈な吐き気と頭痛が収まらず、連日医者通いです。といって、医師との間に、コロナの話題は微塵も出ません。それが「正常」な状況なのだと思います。

中国でも、イタリアでも、昨年中から感染者がいた、という話題がちらほら出始めていますね。そりゃそうでしょう。僕なんて、33年間中国にいて、数えきれないほどの「未知のウイルス」に感染している、と思ってますので。

ざっくり計算して、数か月に一度くらいの割合でしょうか、1~2週間ほど、原因不明の腹痛とか眩暈とかが続きます。そんなとき、中国の知人や医者は、「それはウイルスに感染してるね、しばらく静養して、体力を付けて、切り抜けなさい」と、笑って言います。

今なら、“それは危機感がなさすぎる、「非科学的」な対処の仕方だ”、と言われてしまうでしょうね。

「科学的」な解決がすべてだとしたら、じゃあ、実際にどう対応するべきなのか? 人々は、人類に於ける「科学」の在り方を、過信しすぎているように思えます。

結局のところ、「感染防御」に関しては、「無視する」(あえて感染を見つけない)か、「徹底する」(完璧に排除する)か、どちらかじゃないでしょうかね。

たぶん既に皆感染している(あるいは早晩感染する)んじゃないかと。

この流れは、「老人問題」「優勢思想」そして(根源的な部分での)「報道の在り方」に繋がっていくと思います。

そこにあるのは、「空気」への「同調」と、「排除」の問題。

そして「表現の自由」のまやかし。




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「武漢・新型コロナウイルス肺炎問題」の本質を探る(下)

2020-02-08 20:26:14 | 新型ウイルス


2020.2.8

「現代ビジネス」用に、いくつもの原稿を用意しているのですが、僕のような役立たずの低知能者が書く記事は、端から無視されてしまいます。エリート編集者や識者・論客と言われる人たちの知能は、植松被告みたく「優秀」であることには違いないので、仕方がありません。
むろん僕の僻みの冗談です(笑)。明日、編集U氏がトンカツ定食をご馳走してくれることになっているので、余り刺激をするとマズい(トンカツ食いっぱぐれる)のですが、どうせ記事にはならないのなら、僕のブログのほうで、思いついたことを脈絡なく、かつ寄り道しながら書いていくことにします(新型ウイルスにしか興味のない方は、冒頭部分や寄り道部分を飛ばしてお読みください)。
「津久井やまゆり園」(昔よくギフチョウの撮影時に近くを通った)植松被告(呼称はこれで良いのかな?)と被害者の方々、「京都アニメ」(昔、ウラジロミドリシジミの撮影にこの辺りから近くの山に向かったことがある)青葉容疑者(呼称未確認)と被害者の方々。それぞれの立場や関係性は、正反対に位置するのですね。ちなみに座間の大量殺人は、「獣」としての人間の余りに悍(おぞ)ましい欲望。青葉容疑者は、人間の根源にある「恨み」。植松被告は「思想」「信念」に基づいた行動。

少し前の、あるヤフーニュースで、次のようなコメントを見つけました。
>「京アニ」と「やまゆり園」は、根本的に異なる。確かに両方とも多くの人が亡くなった。しかし、前者は、人だけではなく、日本の素晴らしい文化(アニメ作品とその作り手)の消失。人類にとっての損失である。後者とは比較にならないほど前者の損失は重い。

さすがに、「それは違うだろ!」というリコメントも多かったのですけれど、賛同意見も少なくなかったのです。

ちなみに、僕もリコメントを入れておきました。
「命は命、作品は人により評価が異なる」

僕とアニメは、全く接点がないわけではありません。僕の「出発点」は、児童漫画の世界です。10代の頃は、この業界の裏方(アシスタント)として働いていました。

唯一、雑誌「リボンコミック」に掲載された“ハムレット”(芳谷圭児・画)」という作品に、アシスタントとして名前が載ってる(笑)。

10代の頃の僕は、「漫画(特に少女漫画)評論家」になりたかったのです。最も好きだったのが、超ベテラン(なにしろ太宰治の1歳上)の杉浦茂、90歳近くになっても新作を発表し続けていました。コロッケ五円の介、野菜サラダの介、おでん串の介、、、知ってる人は知ってる、ギャグ漫画(この表現は余り好きではありませんが)の元祖みたいな方です。子供たちに、SF小説の存在と魅力をそれとなく伝えた、という功績もあります。

身近なところ(僕より一歳年上)では矢代まさ子さん。主要媒体は貸本だったので、新開地や新長田にあった古本屋をめぐって執筆作品を収集、宝物のようにして読みふけっていました。様々な作品に登場する作者の四国の田舎(伊予三島市、現・四国中央市)を訪ねていったこともあります(今でいう“聖地巡り”ですね)。ご主人の山本まさはるさんの故郷、淡路島の南に浮かぶ小島「沼島(ぬじま)」にも縁があって、2歳か3歳頃、母の故郷徳島県に向かう途中、神戸港発鳴門港行きのフェリーが台風の余波で沼島に緊急寄港したことを覚えています(僕の最初の記憶のひとつかも知れない)。

後年、東京都の国分寺市にアパートを借りた際(ちょうどそのアパート脇を舞台にして“三億円事件”というのが発生し、その後僕は何度か警察の取り調べを受けた)、比較的近い町に矢代さんが住んでいたので何度か訪ねて行って、収集した本は全てご本人に差し上げました。

ご主人の山本まさはるさんとは、国分寺の駅前で、よく飲み明かしたものです。ご健在なら、矢代さんは73歳になったところでしょうか(時々夢に出てきます)。まさはる氏は80歳近いのかも(今ネットで調べてみました、両氏ともご健在なようです、ついでに芳谷圭児さんもチェックしたら、83歳でご健在です!)。

しかし、僕にとって「漫画家」といえば、手塚治虫さん、彼一人に付きます。次元が全く異なります。

落語家の立川談志さんが、「人類の歴史で天才と呼べるのは、レオナルド・ダ・ビンチと手塚治虫だけ」と仰っていたことがあります。僕はテレビなどを見ることが滅多にないので、立川談志という人のことは良く知らないのですけれど、この言葉だけでも、「本物の人物」であることが分かります(少なくとも、ちょくちょくネットに顔を出す立川ナントカとやらの、白痴丸出しの弟子とは、天と地ほどの差があることは確かなようです)。ちなみに後ほど談志氏は「ダ・ビンチを並列したのは、言葉のゴロを考えてのこと、本当の天才は手塚一人」と言い切っていた。完全に同意します。

手塚治虫の作品は、いわゆる「漫画」の枠からは、大きくはみ出しています。芸術作品であると同時に、哲学であり、科学的な論文と見做すことも出来ます。

手塚漫画に接すれば、小説も絵画も必要ない、学校で勉強する必要もない。ただただ手塚作品(例えば「火の鳥」とその関連作品)を読んでいるだけで、全てのこと(世の中、宇宙、、、)が分かる。これ以上は書きません(「火の鳥」読んだことがない人がいれば、ぜひ読んでください)。

手塚治虫は、(まだ当時の日本では誰も本格的には手掛けていなかった)アニメ制作を目指していたのだそうです。しかし、初期段階で挫折してしまいました。僕は、それでよかったのではないだろうか、と思っています。 

漫画とアニメは、似て非なるものです。話し出すと長くなって仕舞うので、とりあえず一言で言っておくと、漫画は「自らが読み取るもの」。ひとつひとつ、自分の頭で内容を理解して、先に進んでいく。「実態」で構築されている漫画と異なり、アニメは「空気」で成り立っている。良くも悪くも、有無を言わせず、読者に「感じさせる」“力”を持っているのです。究極の「共同幻想」媒体。

漫画は、例えば「地図」に置き換えれば、シンプルな(等高線が載って正確な縮尺が示されている)従来型の地図です。等高線とか距離とかの基本情報は、それに基づいて様々な解読や発見が齎される無限の情報宝庫なのですが、現代の若者にとっては、無駄だらけの古風な地図にしか過ぎないようで、シンプルな(基本情報のみが示された)地図は、急速に消滅しつつあります。

アニメは、いわば最近の、“役に立つ情報”がてんこ盛りの、ファッショナブルな地図。基本情報はほぼ全てカットされ、必要な情報だけが、利用者に提供されます。読み手が(無駄な?)努力をしなくても、「空気」に身を委ねるだけで、一瞬にして「分かる」のです。

両方あって良いと思います。でも、「基本」は無くしてはならない。

「アニメ」が日本の素晴しい文化であることは認めます。しかし、危険性も秘めています。イメージ的な伝達で、簡単に「真実」が分かったような気分になる。そのシステムを作り出すことも、受け取ることも、日本人に与えられた才能の一つかも知れません。でも、良い部分も悪い部分もある。アニメは(人々を皆同じ方向に導こうとする)「空気」のプラットホームです。アニメを過大に評価することに、危惧を感じています。

話が本題から逸れてしまったかも知れません。「アニメの命」と「障害者の命」の重みについてです。

意思伝達が出来ない人々が存在することで、(本人を含む)多くの人々が苦しみ、社会に「迷惑」がかかる。感情抜きで処分すべきである(まあ、僕も処分されちゃうわけですね)。日本人の大多数の本音は、(むろん、非常に深い部分での本音であって、現実上は、そんなことは誰も表立って考えないでしょうが、、、、表立って考えていないからこそ)植松被告の主張と、左程大差はないのでは、と思っています。

「京アニ放火事件」では、「アニメに関わる貴重な人命が失われた、青葉容疑者は許しがたい」ということで、構図的には対極にあるのですが、「空気のプラットホーム」に乗っかったうえでの反応ということでは、同じだと思っています(僕は、病院での治療中に青葉容疑者が発したという「初めて親切にされた」という言葉が、頭から離れません)。

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さて、今回の新型ウイルス騒ぎについて書こうとしています。正直アホらしい気分になっています。とりあえず思いついたことを、無秩序に書いておきます。
まず、前回のブログ(「あや子版」には掲載済みも「社会の窓から」には未掲載)再掲しておきます。

武漢訪問を隠し医師ら30人余りを新型コロナの危険にさらした中国人とは?

実に醜い記事です。この記事を書いた宮崎某という記者こそ、断罪されるべきです。
 
武漢ウイルス感染者と接触した人は、無数にいるはずです。僕もその一人かも知れないし、U
氏や三世やあやこさんだって知らないうちにその一人になっているかも知れません。
 
2月3日も早朝に帰国、すぐに病院、保健所、市役所などに報告に行きました。全く相手にさえしてくれませんでした(皆非常にまじめに対応してくださった上で)。「一定以上の熱がある」「武漢に滞在」「感染が発覚する」以外は、手の打ちようがないのです(インフルエンザの場合と同様に)。
 
言動一致させようにも為すことが出来ず、結局「中国(および個人)叩き」に終始するだけ。それと諸共、日本も窮地に陥っている。漁夫の利を得るのは、アメリカ、という事でしょうね。
ということで、だんだん見えてきた気もします(気がするだけ、なのかも知れませんが、、、何が事実か、物事全て、そう簡単ではないわけで)。

香港デモ同様に、その構図は「中国(共産党)を悪」として、ひたすら「悪を」叩くことで、自分より弱い立場の存在の全てを、否定・排除する。上記の記事などは、その典型でしょう。

「産經」など保守系メディアが、ステレオタイプ的に中韓を叩きまくる一方、「朝日」などのリベラル系メディアでは、次のような記事も見られます。
「武漢に一泊しても私は平気だった」現地のリアルとは?
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200205-00000080-sasahi-bus_all&p=2

まあ、「お手軽な記事」ということでは“似たり寄ったり”ということも出来ますが、「空気」で膨らんだ風船をぶち破るためには、このくらい思い切ってカマしておいた方が良いのかも知れません。

リベラルってのは、心情的には、あんまり好きではない(個人的には「産經」「読売」のほうが何故か厚遇してくれていて、「朝日」「毎日」からは冷遇されています、笑)し、この、ロジャースさんの意見が正しいのかどうかも定かではないですが、その正否とは別に、このような記事が掲載されることは、非常に意義があることだと思います。

メディア(報道)にとって、最も重要なことは、「正確さ」や「速報性」や「事実の特定」ではなくて、いかに「客観性」に基づいているか、という事だと思うのですが、どうやら「客観性」に拘っていれば、報道は成り立たなくなってしまうみたいですね。
例えば、今回の新型ウイルス騒動でしばしば伝えられる「ゴースト・タウン」状態の町。この時期(春節週間)は、毎年「ゴースト・タウン」状態です。むろん、今回の問題がそれに拍車をかけているのは確かでしょうし、本来ならそろそろ春節期間(名目上は初日から一週間ですが通常もっと長く休んでることが多い)終了で活気を取り戻さねばならないところなので、現時点での「ゴースト・タウン」状況は異常事態ではあるのですけれど、(報道されている)数日前ぐらいの時点では、春節の延長と、本来なら捉えるべきなのです。

感染者数や死者数についてもそうですね。「新型」でない肺炎や、従来のインフルエンザを始めとした他のウイルスなどとの比較の上において考えるべきだと思うのですが、、、、。「それぞれに性格が違うから比較しようがない」というのは当然ですけれど、その前提で比較を試みる、という努力が、全くと言っていいほど為されていない(まるで、それを行ってはいけないような「空気」)。

このブログの(上)では、広東省に於ける、リアルタイムの状況、ことに「マスク」着用の推移の実態について、書き記しました。

特に香港では、去年の後半から、図らずも「マスク」がトレンドになってます(笑)。

以前から、「マスク」ってのは一体何なのだろう?と考えてきました。日本人や中国人は、なんでこれほどまでにマスクが大好きなんだろう?

結論を言えば、「現代日本の文化」の象徴ですね。日中韓の東アジア人の意識の端的な現れが「マスク」に代表されているように感じます。危機管理、自己防御、責任逃れ、、、、マナーとルールの問題。

マナーとルールという事に関して、別の話題を差し挟みます。

いつも日本に戻ってくるたびに、違和感を覚えるのです。僕の日本のアパートのある、東京郊外のJR青梅線。ドアの開け閉めが手動です。「車内の気温を一定に保つこと」と「省エネ」が本来の目的だと思うのですが、「ルールのためのルール」になってしまっている気がします。

例えば、最終電車近くになると、立川駅で中央線からの乗り換え客が、どっと階段を駆け下りてきます。それらの乗客が、ひとりひとりドアを開けては閉めて、乗り降りする。次々後ろからやってくるのが分かっているのに、「自分はルールを守る」ということで、乗ると閉める。面倒なだけではなく、次に乗る人が度々ドアに挟まれたりもするので、危ない事このうえない。

「自分はルール守る」、、、それが最も大事な事のわけです。自分さえルールを守っていれば、(むろん極論ですが)他はどうなっても良い、という(無意識的な)意識。自分たちがやってることがどういうことなのか、自覚はしていないのですね。滑稽というか哀しいというか、、、、それが日本の国民性なのでしょう。

中身(本質)よりも入れ物(外枠)が大事。

今回中国では、マスクをしていなければ交通機関を利用できず、するしかなかったのですが、、、。日本に帰ってきても、(肩身が狭いので)一応、マスクを持ち歩いています。

個人的には、かえってマスクは不潔に感じるし、それ以前に、ただのマスクに、どれだけの「防菌」効用があるのか、、、。そもそも、マスクというのは、病人とか特殊な作業をする人が使用するもの、ではなかったのでしょうか? いつの頃からか、冬はマスクをするのがマナー、みたいになってきています。

もっとも、接客業こそマスクするのがマナー、と言う意見もあれば、接客業がマスクをするのは、マナーに反する、という意見もあります(異なる意見が並立するのは良いことです)。
「上」にも書きましたが、中国広州では、人→人感染の可能性が発表された1月16日から、緊急指令が発せられた(大晦日に当たる)1月24日の間に、マスク着用者の割合は、大きく遷移しました。
20日頃まではマスク着用者はちらほらだったのが、22日頃には接客飲食関係者のほぼ全員(というより上からの指令で完全に100%)、一般の人達の6~7割ぐらいが、マスク着用となりました。25日には、一般の人も着用を義務付けられ、100%に。
日本は逆ですね。接客・飲食業は、現時点でもマスクなしが主流。それよりも、一般の人のマスク姿のほうが、ずっと多いように思われます。もっとも、今回に限らず、毎年冬にはマスクですが。
どっちにしろ、「右に倣え」ですね。
日本は共産主義社会ではないので、「自由の閉鎖」は有りません。空気に沿った「自主規制」という「自由の閉鎖」があるだけです(笑)。
マスクに関しては、日本人は、なんか、勘違いしているような気が、、、、。でも、これがアジアの(日中韓共通の)文化なんでしょうね。

欧米では、「マスク」というのは、結構特殊な存在なのだと思います。「重病人」とか、劣悪状況下で作業している人とかのためにあるもので、日常的なものではないはずです。

そういえば、今回、香港に於いても、欧米人の多くはマスクをしていなかったですね。

*「日本マクドナルド」および「スターバックス・イン・ジャパン」は、企業の方針で従業員のマスク禁止由(空港のスタバのスタッフに関してはマスク着用とのこと)。
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中国の人達は、(やってることの良し悪しは別として)必死に「新型ウイルス」と戦っています。それはもう、涙ぐましいほど、、、、。
もちろん感染を防ぐ(自分たちの身を守る)ことに対してもですが、自分たちが源となった失態を最小限に食い止め、日本を始めとした外国からの、これ以上の「蔑視」を何とか防ぎとめよう(評価を回復しよう)と。見ていて切なくなります。
一部の中国人の反応は、行き過ぎであるとも感じます。僕のいたコミュニティ(アパート周辺住居群)では、24日から完全閉鎖(外部住民との接触の全面禁止)が続いています。自衛団が集落の出入り口で目を光らせる、鬼気迫った雰囲気。正直、そのこと自体が恐怖です。

モニカの(ご主人の)実家も、完全封鎖されていて、部屋の外にも出れないようです。おそらく、中国中が、(公式発表の有無に関係なく)そのような状況に陥っているのでしょう。
で僕は、命からがら?(モニカとU氏の手助けを得て)香港に逃げてきたのですが、さすが「自由」の国、今回に関しては、緊張感は余りありません。市民は皆、自主判断で行動しているように見てとれます(誉めているわけでもない)。
日本入国時も、簡単な自己申し込み用紙に記入(印)しただけ。イミグレーションでの体温検査もなし(自動的に為されているみたいですが)。いつもは「どこに言ってましたか?」と訊ねられる質問もなし、、、、。
一方、(香港を含む)中国各地の港や空港から来た船舶や飛行機の乗客を、一律入国拒否する。なんか、やってることが、バラバラだと思います。
ヤフコメ民の騒いでいる「中国から日本に人を入れるな」の合唱は、一体何だったのか? 中国は「隠蔽」ばかりして、自分の事しか考えてなくて、けしからん、日本は毅然とした態度を、、、と言っていたのではななかったでしょうか?
日本は、、、良くも悪くも言動不一致ですね。
以下極論です(笑)。

★中国上層部は初期~中期段階で情報を「隠蔽」した。
★それによって、「医学的な危機管理」には、成功した。
★しかし、「政治的な危機管理」には、見事に失敗した、

「新型ウイルス」の問題は、突き詰めれば、メディアや大衆による、弱者に対しての壮大なる虐めですね。虐める側は、自分たちは「正義」だと思っている。
*むろん、虐められる側にも問題はある。でもそれとこれとは別の話です。
図式を整理しておきます。

武漢都市圏(人口5000万人)。仮に、発生源がこことしましょう(断定はできないけれど状況的にはそうでしょう)。16日の人-人感染判明から間もなくして、春節移動直前に都市が(実質)封鎖された。都市内でパニックを伴ったパンデミック発生。

その他の東西南北に位置する(北京・上海・重慶・広州など)大都市圏(人口5000万人+)。理屈上、武漢と日常的な、大量の人々が交流しているので、各大都市圏での感染者は既に膨大な数。

それぞれの地において2次(および以降)感染に至るタイムラグを仮に10~20日と考えれば、1月末スタート、そろそろ武漢同様のパンデミックが発生する頃です。

しかし、そうはならない可能性も。

というのは、、、、武漢以外の各大都市圏は、“現時点では”大都市ではないのです。春節期間の継続により、おそらく通常の1/10の人口もないはず。

人々は田舎に散らばっています。個々に対応する(医療技術など不足問題あるとしても)対策を、大都市に人々が集中している場合に比べれば、比較的取りやすいのではないか、と。

俯瞰的に見た場合(例えば日本など)。
>“大都市に閉じ込められず”広範囲に感染者が亘る。
>ほかのインフルエンザ同様の次元に置かれる。
>個々の感染者ごとに対応することが可能。

もしかしたら、現時点での武漢に於ける突出した感染者・死者数の最大の要因は、必要のない極めて多くの患者?が、一握りの病院に押し寄せた弊害に基づくのではないでしょうか?

それとは逆に、別の視点からの(ポジティブな)意外な盲点。日本では、現実的には「新型ウイルス」よりも、インフルエンザの拡散のほうが遥かに危惧されることなのですが、ここにきて、大幅に感染者が減少していると。「新型」騒ぎで予防が行き届き、インフルエンザの蔓延を防ぐ思わぬ効果が齎されたのだとか。皮肉なことに「新型ウイルスのおかげ」というわけです。

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問題を次の3つに集約してみました。
中国の劣悪な衛生概念。
日本の執拗な中韓叩き。
武漢・湖北省発の意味。
Ⅰ現代中国の余りにも劣悪な、かつ「文化」として成り立っている“環境・衛生概念”を考える。
この機会に、中国の衛生問題を、(見かけの問題としてではなく)根本的に考え直すときに来ているのではないでしょうか?

その象徴例。

小七、服を着たままジャー、でも僕は注意出来ない。
>モニカ曰く「何が問題あるの?もう日本人はつまらんことにイチャモンつけてウザい」
食堂のゴミ箱にウンチもさせます。
>「何か問題ある?どうせ残飯と一緒に処理されるでしょ?」
それが中国の文化なので、それはそれで良いのかも知れないけれど、その延長が今のどうしようもない「衛生環境」に至ってるわけで、、、。

しかし、こんなことも言えると思う。
日本の風呂(僕は大好きなので帰国後はイの一番に銭湯に行きます)。
なんて不衛生なんだ!
国外の多くの人が、そう思ってるはずです。

でも、日本に於いては、全体としての高い衛生環境の中での存在ゆえ、破綻には至らないで済むのです。

と言って、もしも、ということもあります。その際は (高い衛生概念を保っていることが返って仇となって)無免疫であることが災いして、思わぬ大事に至る可能性もありえます。

中国の出鱈目な文化。
日本の行き過ぎ文化。
それぞれに長所を認めたうえで、欠点を改善していくべきだと思います。

中国の「衛生」「環境」に、どれほどの問題があるのか。一般の日本人には、とても想像の付かないことと思います。

なぜ、こんなにも差があるのか、、、僕にもその理由がさっぱり分からない。「共産主義」だから、とか「中国人は自分のことしか考えていないから」とか、「人口が多すぎるから」とか、そんな「平面的な」解釈では、説明不能です。

日本は極端なので比較の対象にもならないでしょうが、東南アジアの諸国の「劣悪環境・衛生」と比べてさえ、その劣悪さは次元が飛び抜けている。

他の国(僕の知ってる範囲では東南アジア諸国・アメリカ・ギリシャ)の場合は、衛生・環境の劣悪化は、貧困・無教養・地方といったファクターが大きく作用し、富裕・教養・都市化が為されることで、改善に向かう、という側面が感じ取れますが、中国の場合は、いくら富裕・教養・都市化が為されても、本質的な部分では、変わっていない(むしろ表向きの繁栄と相対的に劣化)と感じます。

これは言っちゃいけないことのひとつかも知れないけれど、、、多くの日本人は、「(共産党政権下の)中国本土と、(自由な民主主義の国)香港・台湾は、全く違う、後者は(衛生・環境面にしても)基本的には日本と同じだ」、と思っているようです。

違いますよ。香港も台湾も、外枠は「日本・欧米」的に近代化が為されていますが、本質的な部分では「大陸中国人」の価値観・感性と何ら変わりがありません。絶対面積の小ささと、欧米や日本からの(もちろんいい意味での)外圧が作用して、表向きはなんとか「最悪の劣悪環境状況」から脱することが出来ているのです。

「政治体制」の問題ではなく、「漢民族」としての価値観を根本的部分から変えねばならないのだと思います(現在の価値観のまま「共産党」圧制のタガが外れたら、もっと大変なことになる)。

隣国、日本の存在は、我々日本人が考えている以上に、(とてつもなく)大きいと思います。

このままいけば(仮に現体制が崩壊し「民主化」が為されても)、町中ウンチ・ションベンのまま、世界一の大国になるのです。金持ちが、世界中で、暴若無人な振る舞いを行います。

日本は、良くも悪くも、対極にある。

僕は、(日本を愛する日本人として)日本の「悪い部分」(例えば過剰な衛生概念や責任逃れ体質など)にどうしても目が行ってしまうのですが(笑)、いっそのこと、日本も「半分」中国化することを勧めたいです。

それでもって(例えていえば、遠く地球から月を眺めているのではなく、月の表面に近づいてチェックすることで)、日本の国民は、やっと「中国の本質」を理解し得るのだと思う。

同時に、中国国民の方も、手放しで(他人事のように)「日本は清潔・空気がきれい」と感嘆するだけでなく、自分の国と照らし合わせて(現状では比較可能な次元にない)問題の在処を考えることが出来るようになるのではないかと。

隣国として、中国と一体になり、世界の「環境」整備に取り組む、義務を有している、と思います。

今回の「新型ウイルス」騒動が、そのきっかけに成れば良いのですが(排除では解決しない)。
Ⅱ 日本の執拗な中韓叩きに基づく災害の二次拡大。日中共倒れで、アメリカ一人勝ち?
今回のウイルス問題は、日本が「異質の排除」に向かう中で起こった、象徴的な出来事だと思います。中韓ヘイトは、必ずや、自分たち(日本人)に跳ね返ってくる。そのことを認識する機会になれば、と思います。

発生当初のヤフーニュースの記事に、こんなコメントを入れてみました。

>武漢には、可愛いい女の娘が多いです。

>武漢の若者の多くは、日本が大好きです。

すると、ドサッと青ぽっち(否定)がやってきました。

中国(武漢)を褒めたコメントと思ったみたいですね。

それで、再訳注を追加しました。

>日本のおっさんが、(武漢出身の女の子と)多数「濃厚接触」しています。

>武漢の若者は日本大好きだから、大量に押し寄せてきます。

赤ぽっち(肯定)のほうが多くなりましたね。

*ちなみに、(このヤフーニュースのシステムとは無関係ですが)中国に於ける注意点。基本的に、赤は「Yes/Good」、青は「No/Bad」です。間違えて判断しないように。
攻撃の対象を特定するべきではないと思うし、実質上「対象」が特定出来なくなっています。それ以前に、日本のメディアや大衆は、アメリカで大騒ぎになっている、インフルエンザの猛威には、頑なに触れようとしません。
実際の(少なくても僕の周りに存在する)人々の考えと、メディア(ネット含む)から発信される“国民の平均的意見?”の、余りの乖離は、何なのでしょうか?、、、、、今回に限らず(例えば香港デモでも)いつも不思議に思い続けているのです。
個人の直接的思考と、メディアやネット上の意見。後者は、実は絶対的多数ではなく、絶対的を装った相対的な多数(無意識的な追従・依存が表に現れたもの)なのかも知れません。
僕は、(語弊はあるとしても)、中国政府の「隠蔽」は、結果として成功だったと思います。危機発令が大晦日だったということは、大半の都市住民は既に田舎に帰ったあと。もし、春節期間前に発令していれば、田舎に帰ることも出来ず、市民の大多数が都市に閉じ込めれることで、各都市が武漢同様のパニックになっていた、と思います。逆に富裕層は、一足先に大挙して海外に逃げていただろうし。
 
武漢から2週間遅れだとすれば、日本は今がちょうど武漢スタートの時点、今月中頃には今の武漢状態になるわけですが、皮肉な言い方をすれば、ザルであるゆえに、普通のインフルや肺炎と同列の状態で日本中に広がって、いつしか日常の中に没してしまうのでしょう。

今後の方向性推定。
 
残るは、より一層の中国叩きと、異質への恐怖心。
 
いずれにしても、中国の衛生概念は、それはもう信じられないぐらい酷く、なおかつそのことが「文化」として刷り込まれてしまっています。難しい(ほとんど不可能?)けれど、この機会に根本的な部分から変えていくしかありません(都市、富裕層、エリートほど大きな問題を抱えているので、必要以上に「中国の近代化」にポジティブな焦点を当てることは危険です)。
中国の劣悪な衛生状況下では、(表に現れないだけで)同様のストレスは、過去長い期間にわたって、世界に大量にばら撒かれている。中国の“想像を絶する”衛生状況を鑑みれば、「新型ウイルス」にしろ、そのほかのウイルスにしろ、とっくに蔓延していて当然です。日本にだって、ずっと前から、幾つもの未知のウイルスが広まってるでしょう。「種類」が特定されず、報道されていないだけだと思います。
「新型」への対応を基準にするとすれば、(既にある旧型やインフルエンザなども合わせて)本来なら、日本国民すべてが「隔離」されなければ解決しない問題です。
 
既に世界のあちこち(殊に日本)が、数週間前の武漢状態になってるはずです。やがて、現在の武漢状態になる?自分たちも、既に当事者(潜在的保菌者の可能性)です。中国人を追い返すなり、感染者を隔離するなりして、やり過ごせばいい、という問題ではないと思います。もっと根本的な、俯瞰的な取り組みが必要とされるはずです。
 
早い話、従来の肺炎やインフルエンザの脅威は、隅に置かれたまま、、、、結果として「中国叩き」の材料になるだけです。
 
なにか、問題がすり替えられているような気がします。日本の国民がやってることは、なんか、おかしいです。
 
ヒットラーのユダヤ排除、関東大震災後の朝鮮人暴動デマによる虐殺、中世の魔女狩り、、、、同じ方向に進みつつあるような危惧間を持っているのです。

 
「新型ウイルス」問題は、結局は、矛盾だらけのまま、「終結無きの終結」とせざるを得ないでしょう。
 
そして後に残るのは、これまで以上の「異質の存在」(主に中韓)に対するヘイト。日本人の孤立化です。
Ⅲ 地球の遺伝子のプール、長江中流域一帯で、何が起こっているのか?
ユーラシア大陸の中央から東に向かって中国を横断する長江は、アフリカ大陸のナイル、南米大陸のアマゾン、北米大陸のミシシッピーと並ぶ、地球最大の大河です。その中でも、トータルなボリュームという点では、飛び抜けたスケールを持っています。
7000m級のチベット山岳地帯に源を発する(メコン、サルウイン、イラワジ、ブラマプトラなどをはじめとしたアジアの大河と踵を接して南北に併流する)源・上流部から、一度広く平坦な四川盆地へと流れ込み、そこからほぼ真東に、上海郊外の東シナ海河口に向かいます。
その中間地帯で、再び南北に山が迫ります。三峡渓谷です。出口の東にある大都市が武漢。
生物地理学、生物地志学的な面に於いての、武漢・湖北省・長江中流域の、世界的に見ても特別な位置づけ。それと近代文明の急激な発展との相関。今回の「新型ウイルス」発生と、(直接か間接かはともかく)何らかの次元で、結び付きがあるように思えてなりません。
「濃厚接触」による(人から人へ感性の可能性)のヤフーニュースをチェックしたのと、ほぼ同じ頃、同じ武漢周辺を舞台とした「世界最大の淡水魚(ハシナガチョウザメ)の絶滅が認定された」というニュースに出会いました。僕としては、圧倒的に、後者の方が重大ニュースだったのです。
僕は、1988年から中国を主要フィールドとしているのですが、それまでのメインは日本の屋久島でした(1960年代中期~)。世界各地の、屋久島と同緯度(北緯30度13分~28分)地帯に、非常に興味があるのです。
屋久島から西に向かうと、上海南方の舟山諸島(岱山島)、長江流域を遡り、チベット高原南部とヒマラヤ山脈北部を横断し、アフガニスタン、イラン、イラク、シリア、エジプト、チェニジア、モロッコなどを通り、大西洋からフロリダ半島付け根(ジャクソンビル=ジョニー・ティロットソンの故郷です)に上陸、カリブ海北縁、アメリカ/メキシコ国境地帯、カリフォルニア半島の付け根、北太平洋を渡って、伊豆諸島と小笠原の間の鳥島に戻ってきます。

屋久島はともかくとして、大多数が、紛争地だったり、岩と砂漠の不毛の地だったりします。温帯でも熱帯でもない、中途半端な気候です(少し南の沖縄や少し北のギリシャなどを含め、この“中途半端ベルト”が、現代文明の発祥地であることは興味深いと思う)。

武漢も、ちょうどこの「屋久島ライン」上に位置しています。歴史的・地政学的に中国のジャンクションであるとともに、武漢の背後を覆う三峡一帯の湖北省山岳地帯は、地史学・生物地理学的に見ても中国の(のみならず地球の)最重要地域でもあります。

この長江中流域(三峡周辺山地)は、貧弱な植生環境が続く“中途半端ベルト”の中で、例外的に豊かな植生を誇っています。北京郊外へと流れる黄河に挟まれた北側一帯は、陝西省の「秦嶺」(ジャイアントパンダやトキの野生地)からつづく「神架農」の深い山地です。 

僕のオナガギフチョウ(日本固有種ギフチョウの最近縁種)の調査地域であり、やはり僕が対象としている野生アジサイの一種で日本固有種のギンバイソウの唯一の姉妹種が分布する地域です。

野人(いわゆる雪男!)が存在している、とも信じられています。もちろん“トンデモ科学”の類で(笑)と言いたいところですが、この地域の生物相の特殊性を考えれば、完全無視をしてしまうのも、どこか抵抗が残ります。

今回封鎖された都市のひとつ恩施市にも、何度も通いました。レンゲソウの故郷を調べたり、、、僕にとって、とても思い入れの強い場所なのです。

近くには、他には化石しか知られていない、古代樹メタセコイアの唯一の原生個体の生育地もあります。ちなみに、以前の「現代ビジネス」記事に書いた、野良仕事のおばあちゃんが「清潔な水なので飲んで良いですよ」と案内してくれた「オタマジャクシの泳いでいる水たまり」も、この地です。

南側一帯には、香港に流れる、珠江との間に挟まれた「南嶺」が連なります。その北に聳える梵浄山のブナ原生林では、日本固有種で、日本以外の地域には近縁種さえ存在しないと考えられていた、フジミドリシジミ(蝶)の姉妹種が発見されました(発見の経緯は僕の指摘に基づきます)。

そうそう、この一帯は、稲作文明の発祥地でもあるのです。

いろんな思いがあって、書き切れません。
 
「新型ウイルス」の媒体起源が、この地域に棲む野生コウモリ、という噂もありますね。それが事実かどうかはともかく、この地域発祥の未知のウイルスを数多く保有している可能性は、大いに有り得ると思います。

長江三峡地帯は、地球の生命の遺伝子のプールです。中国人たちは、そこに巨大ダムを造った。そのことに代表される人類の過信。ひたすら近代化を目指し、無駄を排除する理論。やがて“シッペ返し”が訪れることは、目に見えています。

今回の「新型ウイルス」騒動は、その序章なのかも知れません。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

僕は、「日韓中」は兄弟の関係だと思っています。人間社会的なことは僕にはよく分からないのですが、生物地理学的な視点からは、紛いようもなく一括りの地域です。

なのに、あまりにも互いの事を知らない(知ろうとしない)。膨大な数の人々が、日本に、中国に行き来して(居住して)いるにも関わらず、無関心。

国家、企業、大学、メディア、旅行代理店、、、等々を通して(まるで防護服を纏っているかのような状態で)しか、相手に接しようとしない。

一方、(国際結婚したりして)彼の地(日本&中国)に溶け込んでいる人達は、それぞれ(国家体制だけではなく大衆)からの弾圧・疎外を恐れてか、ひたすら口を噤む。

そのような状況下において発信されるメデイアの情報からは、ちっとも「想い」が伝わってこないのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

追記①
昨秋から「社会の窓から」と「青山潤三の世界・あや子版」に同じ記事を併行して掲載し続けているのですが、「社会の窓から」の方には、写真掲載が出来ない状況が続いているようです。添附された写真に関しては「あや子版」のほうをご覧ください(「社会の窓から」の方にも、古い記事の写真をイレギュラーな形で載せていくこともあるかも知れません)。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

追記②
今回の「新型ウイルス」騒動は、僕にとって“他人事”ではありません。僕自身、この数年間、度々「急性肺炎」に至る恐れを指摘されてきました。不可解な症状に悩まされながら、日中を往復し続けています。現時点でも、午後になると、肺が猛烈に締め付けられ苦しい状況が続いています。7年前のドングリ事故に基づく、膨大な量の痰や膿の肺への嚥下が重要なファクターであることは間違いないのですが、様々な検査の結果に異状は見出されず、正確な診断は叶わないでいます。経済的な面も含め、ブログで助けを求めてはいるのですが、ほとんど誰一人見向きもしてくれません(笑)。

まあ、そのような状況下で、この記事を書いているという事を、認識して置いて頂ければ嬉しいです。




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2020.2.6 青山潤三日記

2020-02-06 13:44:34 | 新型ウイルス


武漢訪問を隠し医師ら30人余りを新型コロナの危険にさらした中国人とは?

実に醜い記事です。この記事を書いた宮崎某という記者こそ、断罪されるべきです。
 
武漢ウイルス感染者と接触した人は、無数にいるはずです。僕もその一人かも知れないし、あやこさんだって知らないうちにその一人になっているかも知れません。
 
今日は、病院、保健所、市役所などに報告に行きました。全く相手にさえしてくれませんでした(皆非常にまじめに対応してくださった上で)。「武漢に滞在」「感染が発覚する」以外は、手の打ちようがないのです(インフルエンザの場合と同様に)。
 
言動一致させようにも為すことが出来ず、結局「中国(および個人)叩き」に終始するだけ。それと諸共、日本も窮地に陥っている。漁夫の利を得るのは、アメリカ、という事でしょうね。




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「武漢・新型コロナウイルス肺炎問題」の本質を探る(上)

2020-02-03 21:22:18 | 新型ウイルス


筆者は、31年前の6‐4事件の際も、2003年のSARS騒動の際も、その後に(尖閣列島問題などとの関連で)複数回発生した日本レストランなど襲撃事件の際も、昨年の「香港デモ」の際も、中国に滞在していました。

しかし、(むろん単に筆者が鈍感で呑気すぎるということなのでしょうが)いずれの時も、自分とは直接に関係のない、いわば「対岸の火事」、としてしか捉えていませんでした(SARSやレストラン襲撃などは事件自体の存在すらリアルタイムでは知らなかった)。

33年間中国に通い続けていて、今回のように、異様な(様々な意味で自身の身の危険を感じるような)状況に面したのは、始めてです。さすがに今回は、鈍感な筆者も、慌てています。

結論を先に言ってしまえば、これまでの出来事とは違って、情報が溢れすぎていること。正直、どの情報が事実で、どれがフェイクなのか、判断がつきかねるのです。

筆者は一介のネイチャー・フォトグラファーですから、人間社会の出来事について、学問的に分析する能力は持ち合わせていません。言い換えれば、客観的にしか見ることができない。それはそれでアドバンテージと考えることも出来ます。とりあえず、錯綜した情報を、整理しておきましょう。

武漢が発祥地であることの意味

今回の「新型ウイルス」の発生元とされる武漢は、中国有数の大都市です。人口1100万人とされていますが、それは行政上の「武漢市」であって、実際の都市圏人口は、3000万人とも5000万人とも言われています。

武漢自体の都市としての規模もさることながら、重要なのはその位置です。北の北京、南の広州・深圳・香港、東の上海、西の重慶・成都の、ジャンクションに位置しています。武漢と各大都市圏の間には、飛行機や高速列車や高速バスが頻繁に行き来していて、それぞれの大都市圏人口は1億人前後と見做してよいでしょうから、実質的には中国の半分ぐらいの人々が、武漢を通して日常的に密接に関わりあっているわけです。


*写真① 1月31日の広州東駅、取りやめになった列車も少なくありません。

人から人への感染の報道が始まった頃の、武漢に於ける患者数・死者数の数値と、現時点での各大都市圏に於ける数値は、さほど変わりません。ということは、タイムラグはあれども、このあと、他の大都市圏においても、現在の武漢と同様の状況(感染者や死者の数値の激増)に陥っていくことは、目に見えています。 

それら東西南北の大都市圏はまた、日本を含めた国外各地への主要出入り口でもあります。ということは、世界の各地でも、「対岸の火事」と呑気に構えてはいれなくなってくるわけです。今後、武漢が辿った道をなぞるように、被害が拡大していく可能性は、十分に考え得ることでしょう。

筆者は、今回の「新型ウイルス」騒動のスタート時点から暫くの間、武漢(今回封鎖された10都市の一つである恩施市を始め、湖北省の各地も筆者の主要フィールドの一つですが、ここ数年は訪れていません)ではなく、広東省の広州に滞在していました。上記したような予測に基づけば、そのことも、中国全体の動きを俯瞰的に捉え、報道していくに当たって、むしろ有利な条件なのではないかと考えています。

という訳で、筆者が、武漢からの南の出入り口である、広州・深圳・香港で遭遇した「新型ウイルス」に対する現地の受け止め方の推移を、簡単に纏めて置くことにします。

広東省広州での推移

筆者の今回の中国滞在期間は1月9日~2月3日。春節前に、中国人のアシスタントMと今年の計画についての打ち合わせをしておくことと、昨年8月4日付けの「現代ビジネス」に発表した「香港デモ」に関する記事(それに筆者のブログに発表した数編を追加したもの)が、香港のメディアから単行本(アメリカ、ドイツなどの記者との共著)として刊行されるため、その契約を交わすことなどが目的でした。

中国で「新型ウイルスによる肺炎」が多発しているらしいことは、海外のソースでは、昨年暮れ頃からニュースになっていたように思います。しかし日本の一般市民を含む多くの人々に知れ渡ったのは、今年に入った1月16日。ヒト→ヒト感染の可能性を示唆する「濃密接触云々」の報道の、その見慣れぬ言葉の定義などをめぐり、冷やかしを含めた様々なコメントが他人事のように為されていました。

今年の春節初日は1月25日ですが、休暇や移動が始まるのは、一週間前の1月18日前後からです。都市から地方へ、数億人が大移動します。アシスタントMは1月17日に最終的な打ち合わせを終えたあと、翌18日にご主人の田舎の湖南省の村に帰省していきました。多くの中国人は、春節初日の約一週間前の、この日の前後に都市部での仕事を終えて、田舎に向かうのです。これから後の2週間ほどは、中国各地は、ゴーストタウン化してしまいます(都心のごく一部はある程度の賑わいを見せていて、また、農村部や漁村部は、町から戻ってきた人たちでむしろ活気がありますが、都市近郊の新興住宅街周辺は、毎年、食堂や売店も閉まって悲惨な状態になります)。

筆者が、1月20日と21日に、香港メディアとの打ち合わせのため広州-深圳-香港を往復した時点でも、まだ「新型ウイルス肺炎」は、余り話題に登っていなかったように思います。一応「人から人への感染可能性」の情報は、中国(本土も香港も)の市井の人々に行き渡ってはいましたが、まあ、いつものこと(毎年冬はインフルエンザを始め様々なウイルスが蔓延するので、今年も注意しておこう、武漢の人は災難だね)ぐらいにしか捉えていず、さほどの危機感は感じられないでいました。



*写真②は深圳/香港のイミグレーション中間地点の人の流れ。右側が香港パスポート所有者の通路、左のエスカレータが中国本土人と外国人の通路。筆者は、昨年6月に香港デモ発生以降、イミグレーション往復時には、常に(累計20往復以上)人数の割合のチェックや撮影を行っています。時期や時間帯に関わらず、圧倒的に香港人の割合が多く、中国人(外国人を含む)の香港人に対する比率は、少ない時で1/100以下、多い時でも1/20ぐらいです。ちなみに、写真①を撮影した1月20日時点では、ほとんどの人がマスクをしていません。

ところがその頃日本では、人-人感染がほぼ確実になったことにより、これはヤバイんじゃないか、という雰囲気になってきました。中韓におけるネガティブな話題が大好物の日本の大衆(やメディア)からの、大バッシングが始まったのです。

>中国政府の事実隠蔽、なぜもっと早く公表しなかったのか。全ての責任はそこにある。現在の発表も信用できない。本当は、桁外れの感染者や死者がいるはず。

>日本の政府も優柔不断すぎる。もっと強気に出て、中国からの入国を一切閉ざすべきである。

他方、一様に危機感を煽った日本の報道とは対照的に、中国政府は、この時点においても慎重な姿勢を維持しました。情報を、ひとつひとつ確認しながら、小出しにしていく、というやり方です。

集落閉鎖という恐怖

それが一変したのが、1月24日、日本の大晦日に当たる「徐夕」の日です。この日は、中国の田舎では一年で一番忙しい日です。この日のうちに、何から何までの春節の際事の準備を済ませねばなりません。自分たちの作業に集中しなくてはならず、たいていのインフラがストップしてしまい、筆者など部外者が途方に暮れてしまうのも、この日です。

その、大半の都市部住人の帰省が終えた1月24日になって、政府が正式に危機を発令し、中国国内の一般市民の多くが危機感を共有し始めました。それまではちらほらとしか見かけなかったマスク姿が、一気に激増しました。地下鉄の入り口などでは発熱検査が行われ、人々の口からも不安の声が一斉に上り始めました。


*写真③ 1月24日、この日から地下鉄入り口にて体温検査が始まりました。ただし、この時点ではマスク着用はまだ義務付けられていなかった。


*写真④ 1月26日、交通機関利用時にマスク着用が義務つけられたのは春節初日の25日から。

偶然だとは思うのですが、春節移動のピーク終了のタイミングを見計らったかのように、緊急事態 発令が発令されたわけです。それが良い事なのか悪い事なのか、意図的なのか偶然なのか、筆者には知る由もありませんが、結果として、情報を隠蔽?し「移動禁止」の発令を遅らせることにより、(武漢以外では)「都市」から「田舎」に国民を送り出して、閉じ込めたことになります(春節休みは1月30日までですが、2月2日に延長され、現時点では更に2月13日まで延長となっています)。

広州市も封鎖(外部地域との交流禁止)された、という情報が広がりました。市政府は、それはデマだ、封鎖はされていない、と声明を出しました。でも実際、筆者が住むボロアパート(都心でも田舎でもない、広州市郊外のニュータウンの脇にある、一日窓を開けておくと埃だらけになってしまう劣悪な環境にあります)の一帯は封鎖されてしまっています。集落の周りがぐるりとテープで取り囲まれ、バスターミナルに接した側には、10人ほどの町民が、手に手に棍棒などを持って、出入りしようとする人間を、すごい剣幕で追い返すのです。まるでホラー映画の一場面のような異様な光景です。


*写真⑤ 1月31日、筆者のアパートの周囲には、ロープが張り廻らされて、外部との行き来が出来ない状態に(この写真と反対側のバスターミナル寄りのコーナーには、何人もの見張りが立って人の行き来を阻止している)。

筆者は道を大回りして、5分ほどの先のバスターミナルとその上の階のスーパーマーケットに行ってみたのですが、本来なら春節期間も都心と結んでいる直通バスの運行が急遽取りやめになっていて、スーパーの食料棚はほとんどスッカラカンです。ATMも動いていません。もともと春節期間は そんなものなのですが、新型ウイルス騒動による買占めが輪をかけたということでしょう。

出発日まで、我慢して室内に閉じこもっているしかありません。ところが、1月31日になって、Mから すぐに部屋を脱出しろ、外に出れなくなってしまう恐れがある、という連絡がきたものですから、予定を2日繰り上げて深圳に向かうことにしました。

かろうじて動いていたローカル・バスで最も近い地下鉄駅 (20停留所ほど約30分、乗客は筆者一人)へ向かい、地下鉄と新幹線(和諧号)を乗り継いで、Mが手配してくれた深圳のホテルに2泊してのち、香港に出ることにしました。

しかし、その夜再度Mから「深圳は一泊で切り上げて明日すぐ香港に向かえ」という指示、何となれば、中国政府が外国人の香港行きを禁止する、という情報が入っている、とのこと。その情報の真偽は分からないし(どうせガセネタだとは思うけれど、あり得ないわけでもない)、香港の宿泊費は高額なので躊躇していたのですが、事態を憂慮した日本の某出版社の友人が、香港のホテルを手配してくれたので、帰国便前日の2月1日に香港に渡りました。
です。




黒マスクから青マスクへ

イミグレーションは、いつもの場所は閉ざされて、別の場所に移っています。いろんな書類への記入を求められ、宿泊するホテルはもちろん、帰国便の飛行機座席まで記さねばなりません。分からなくて戸惑っていると、「分からなければ書かなくてもいい」と係員が助け舟を出してくれました。

それに広州や深圳では、バスでも地下鉄でもスーパーでも、至る所で体温検査が為されていたのですが、肝心のイミグレでは、中国側でも香港側でも、(普段でもしばしば為されている)体温検査も荷物チェックもなしです。その後、香港では、空港内を含めて、全くノーチェック。ちょっと、ザルすぎる気もしないわけではないのですが、、、、。 

つい数か月前までは「黒マスク」で覆われていた(当初の用途は「催涙弾除け」で後に「身分隠し」が目的になったその推移は8月4日付けの「現代ビジネス」に記述)香港の街は、今度は「青マスク」で覆い尽くされていました。よくよくマスクに縁がある街ですね。

そのマスクですが、広州-深圳-香港での地下鉄乗車時に、筆者と同じ車両に乗っていた乗客のマスク率とマスクの種類を数えてみることにしました。


*写真⑥は深圳側(1月31日)、


⑦は香港側(2月1日)。香港側にはマスクをしていない人も乗っています。

一部報道では、「普通のマスクでは、新型ウイルスの防御には役に立たない」「防御には特別なマスクをする必要がある」とされています。どんなマスクが効用があるのか筆者にはよくわからないのですけれど、とりあえず立体的なものと外観が物々しいものを「特殊マスク」としてカウントしました。

1月31日、中国側(広州&深圳) 、7路線29駅間の270人をチェック。うち、通常のマスク着用者が235人、特殊マスク着用者が35人、乗車時に使用が義務付けられているため、マスク無しは0人です。深圳地下鉄では、最も混雑する一区間で、チェックしながら一車両の端から端に移動したのですが、老人の僕が乗客をかき分けて進む度に、座っている乗客(概ね若い女性)が席を譲ってくれようとしました。計8人も。感謝しつつ断らざるを得ませんでしたが。

2月1日、香港側、4路線17駅間の279人をチェック。うち通常のマスク着用者が266人。特殊マスク着用者は3人しかいなかった一方、マスク無しも10人を数えました。ちなみに、深圳同様に混雑する一区間で車両の端から端まで移動したのですが、席を譲ろうと声をかけてくれる人は、ひとりもいませんでした。

香港側では中国側と違って、乗車時の体温検査もありませんでした。危機感の高さは、本土のほうが上回っているように思えます。見方を変えれば、「しばりつけ義務」の中国本土と「自由を選べる」香港の、体制の違いからくるものとも言えるでしょうし、また、気質の違いが、それとなく見て取れるようにも感じます。



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「新型肺炎コロナウイルス」についての問題点要約 2020.1.30 青山潤三日記

2020-01-30 15:21:13 | 新型ウイルス



1月27日(その①)の記事を掲載した後、掲載が滞っているようです。

最新記事として、「2500円カンパのお願い」が載ってますね。これは本来記事ではなく、三世に向けて、個人的に2500円(湯沸しポット代)のカンパをお願いしたものです。読者の方々に示したところで誰も応じてくれないのは分かってるので(笑)。

そうは言っても、三世自身もWi-Fiがスムーズに繋がらず、メールがほぼ使用出来ない状況でいるそうで、回復のため虎の子の7500円を使って、すっからかんだそう。2500円は大金です。食事も出来ないような事態になれば困るので、無理は言えません。

まあ、僕の方は、経済的な面は、いつものようにHさんにご無理をお願いして6000円ほど(2人分+1000円)をお借りし、他はモニカがいろいろと立て替えてくれるので、何とかなりそうです。

もっとも、資金を得たところで、部屋から外出させてくれないので、新たな食糧の入手も出来ず、餓死しそうな状況です(モニカを通じて大家さんの許可待ち)。このままだと部屋を追い出されてしまうため、慎重に行動せざるを得ません。

ブログについては、三世のインターネットが回復次第、これまでに溜まっている送信分を一括掲載して貰う予定です。

まずは、最新記事から(その前に2020.1.27~1.29の記事を載せています)。「新型コロナ肺炎ウイルス問題」についての、要約です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今回の「新型ウイルス問題」は、二つに集約されます。

①中国の余りにも低い環境・衛生概念・民度(例えば、窓開けてたら一日で部屋中が埃だらけになる、購入した卵は10中7~8個腐っている、すぐに暴力を奮う、、、、etc,)。これじゃあ、「新型ウイルス」にしろ何にしろ、恒常的に発生して当たり前です。田舎・貧困層・低学歴社会でそれが起こっているのではなく、むしろ、都会・富裕層・高学歴社会での現状(見かけはそうでなくても)なのです。

②「新型ウイルス」に対する十分すぎるほどの懸念は必要だと思います。何しろ「今のところ対処のしかたが良くわからない」存在なわけですから。でも、何故それだけが、余りにも突出して取り上げられるのか?この騒ぎに伴う「2次災害」の方が問題ではないでしょうか? 例えば、病院への患者(不通の風邪を含む)の集中による2次感染。「新型」以外の肺炎やインフルエンザへの対応に支障をきたしてしまうこと。不要な「煽り」を拡散することで社会が混乱し、相互不信を成すこと。中世の魔女狩り、ヒットラーのユダヤ人虐殺、関東大震災の朝鮮人虐殺、、、、それと同じようなことが「大義名分」の名のもとに、「日常」として為されつつあるのです。

虐められる子は、自身問題を持っている(他の子とは外見や行動や価値観などが異なる、という場合も含めて)場合が多いでしょう。でも、だから虐めても良い、コミニュティから排除しよう、というのは、違うんじゃないですか? 時間と労力はかかろうとも、根本的な問題(例えば上記①)改善に、俯瞰・客観的な視点から取り組むべきなのではないでしょうか?




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武漢・新型コロナウイルス肺炎について思う事 (2020.1.27記事の再掲載)

2020-01-30 15:19:23 | 新型ウイルス



My view on “New Corona-virus Pneumonia in 武漢” 


今日から、帰国日の2月3日まで、アパートの室内に蟄居です。モニカからは「外出しないように」というメールでの指示が、なんども繰り返し来ます。大家さんも僕の部屋を度々覗きに来る。

今回の問題に関しての対応・反応は、中国の政府にしろ市民にしろ、これまでの諸々の問題発生時とは、ちょっと違うような気がしています。相当に、逼迫している。

時系列で整理しておきましょう(僕のパソコンでは以前の記事を遡ってチェックすることが出来ないので、正確な日付は後程調べ直します)。

中国で「新型ウイルスによる肺炎」が多発しているらしいことは、海外のソースでは、昨年暮れ頃からニュースになっていたように思います。

日本の一般市民を含む多くの人々に知れ渡ったのは、今年に入って1月16日だったようです。ヒト→ヒト感染の可能性を示唆する「濃密接触云々」の報道の、その見慣れぬ言葉の定義などをめぐり、冷やかしを含めた様々なコメントが他人事のように為されていました。

それが、感染者の人数が増えだしてから、これはヤバイんじゃないか、という雰囲気になってきた。ただし、この時点で(一様に)危機感を煽ったのは日本の報道で、中国の市井では(僕のいる深圳や広州でも)1月20日を過ぎた頃に於いても、左程の危機感は感じられないでいました。

今年の春節初日は1月25日ですが、休暇や移動が始まるのは、一週間前の1月18日からです。
都市から地方(この「都市と地方」というのは、「沿海部大都市と内陸都市」ということではなく、内陸の都市、それも省都以外の地方中都市をも含めた、農村部からの出稼ぎの人々が働く広い意味での都市部と、農村・漁村地帯の文字通りの田舎)へ、数億人が大移動します。

それが始まった18日前後の時点では、まだ「新型ウイルス肺炎」は、余り話題に登っていなかったように思います。ところが、人-人感染がほぼ確実になるにつれ、中韓におけるネガティブな話題が大好物の日本の大衆(やメディア)からの、大バッシングが始まりました。中国政府の事実隠蔽。日本政府の優柔不断。

春節期間で、最も人々がバタバタと動き回るのが、日本の元旦に当たる前日の、すなわち大晦日(徐夕)の午後です。この日のうちに、何から何までの春節の際事の準備を済ませねばなりません。自分たちの作業に集中しなくてはならず、たいていのインフラがストップしてしまい、僕など部外者が途方に暮れてしまうのが、この日です。

むろん、実際の経緯はもっといろいろとあるのでしょうが、政府が正式に危機を発令し、中国国内の一般市民の多くが危機感を共有し始めたのが、この大晦日(徐夕、1月24日)のことです。それまではちらほらとしか見かけなかったマスク姿が、一気に激増しました。地下鉄の入り口などでは発熱検査が行われ、人々の口からも不安の声が一斉に上り始めました。

偶然だとは思うのですが、春節移動のピーク終了のタイミングを見計らったかのように、緊急事態 発令が発令されたわけです。


“パンデミック”を引起こす最大要因は“パニック”/“Panic” is a biggest factor make “Pandemics”
【一つの意見に集中することの恐ろしさ/a horror of concentrating on one opinion】

僕には2つの全く相反する“想い”があります。そのどれが正鵠を得ているのか、今のところ判断が付きかねています。ある意味、どちらも正しい(言い換えれば、どちらも間違っている)と言えるのかも知れませんが。

それは、後手に回ることによって、みすみすパンデミック状態形成を許してしまうことへの危惧感と、必要以上の焦りを引き金に、パニックを引き起こし、本来起こらなくても済んだかも知れないパンデミック状態形成への加担を成してしまう事に対する危惧感です。

ウイルスの本質や広がり方の状況を、冷静に落ち着いて見極めることから始めるべきか、緊急の実行動を最優先させるべきか。

本当に脅威だった場合、後手に回ると取り返しのつかない事態になることも事実でしょうし、必要以上の混乱を招くことで、より大変な事態に陥ってしまう可能性があることも、また事実でしょう。“二者択一”ではなく、“同時進行”しなくてはならないのだと思います。もちろんそれは、口で言うほど簡単なことではない筈です。

フィリッピンのドウティルテさんの思い切った対処(464人中国人観光客の強制送還)は、ひとつの答えだと思います(大変な賭けではあるのでしょうが)。混乱を最小限に抑え(地元観光地への大打撃は与えるとしても)、かつ後手に回ることを避ける。中国との間の人の行き来が日本よりは少ない島国で、独裁権力者が仕切るフィリッピンだから可能だったわけで、中国国内はもちろん、日本の場合は現実的に不可能だと思います。仮に、そのような強硬手段を取ったとしても、(本当に脅威だった場合は)すでに手遅れでしょう。

中国政府は、ウイルスの存在が発覚して以降、苦渋の決断を迫られていたと思います。パンデミックに至る可能性への対応、パニックが起こる防止への対応。

客観的に考えれば、新型ウイルスの発生は、(従来のウイルスなどと比較して)さして脅威ではない、と捉えることが出来るのかも知れません。しかし、憂慮する問題であることには変わらない。パニックを引き起こさぬよう冷静に対処して、根治を目指す。それを隠蔽とするなら、隠蔽なのでしょうが。

しかし、正確な実態は現時点では不明なのではないかと思います。感染者の数が、(把握しえないほどの)未曾有の数まで達しているのかも知れません。逆に、客観的に考えて、人口3000万都市圏に於ける“肺炎ウイルス”による500人という感染者数や、数10人の死亡者数が、従来のそれ(肺炎やインフルエンザ患者)に比べて、突出して多いものなのかどうか?

病院に押し寄せている人々は、本当に重篤患者ばかりなのでしょうか? このような報道下では、普通に考えれば(仮に僕のような立場でも)心配で病院に行きますよね。この時期、風邪気味の人なら、数千万人の1%としても、数10万人はいるわけで、、、。それらの人々が、我先にと病院に押しかけたら、医療受け入れのキャパシティを超えてしまうのみならず、感染しなくて済む人まで感染してしまう恐れがあるでしょう。

そのことを考えれば「隠蔽(冷静に対処体制を整えること)」も仕方がないように思えます。もっとも、結果として「隠蔽」に失敗したため、人々の扇動の振り幅を大きくし、その結果、患者も倍々的に増えていく、という悪循環に陥っているような気もするのですが。


僕の素直な疑問/My simple doubt 【新型ウイルスの脅威が叫ばれる中、従来からの肺炎については触れられない、という不思議/the wonder that there is no mention of conventional pneumonia amid the threat of a new virus】

この病原体(新型肺炎コロナウイルス)が、従来の肺炎ウイルスと“脅威に値する”部分で、どれだけの差異があるのか、素人の僕にはむろん分かりません。

情報を整理すると、
「2002~2003年に流行した“SARS”と似ている」
「威力はSARSに比べれば、やや弱い」
「ヒト⇔ヒト感染が容易に為される」
「“新型”ゆえ、未知の部分がある」 
「発症までの潜伏期間が長く、潜伏期間中にも感染の恐れがあり、変化する可能性がある」
最後の部分で、「事実」と「妄想」が入り混じって構築された「恐怖心」が人々に伝わり、パニックを伴って感染者が増幅し、結果としてパンデミック状況が引き起こされる、、、そのような捉え方も出来るかも知れません。

そもそも、「新型」であるかないかに関わらず、「肺炎ウイルス」による「肺炎患者」というのは、日本においても中国においても、そんなに珍しいものではないですよね?

素直な疑問なのですが、新型以外の肺炎患者数や死亡者数は報じられずに、なぜに「新型」だけがが突出して取り上げられるのか。

従来形のウイルス潜在的感染者と、「新型」感染者は、どう区別しているのでしょうか? それとも、「新型」は怖いけれど、「従来型」には無関心、という事なのでしょうか? 従来型と新型の感染率とか死亡率は、どれだけ大きく違うのでしょうか?

「新型」だって、最初の患者(2次感染者)がマスメディアに登場する、ずっと以前から(もしかしたら何年も何十年も前から)存在していたのかも知れませんよね。実際、僕自身が、30年余(殊にこの10年余)の中国での活動期間中に、何度か「急性肺炎」を疑われる診断を示されてきました(貧乏故、適切な検査や治療が出来ないままでいますが)。

中国の衛生概念は(中国で暮らしたことのある人はご存じでしょうけれど)極めて劣悪です。「海鮮市場」などに関しては、武漢に限らず、どこの都市でも、それはもう酷いものです。日本では絶対に考えられないようなことが、当たり前に成されている、という文化(僕はそれらの「文化」を頭から否定しているわけではありません)の許に成り立っています。

僕の印象では、中国の欠点は、むしろ、地方ではなく都市、貧民層ではなく富裕層、無教養層ではなくエリート、共産主義者よりも民主主義者、、、に、より色濃く反映されているように感じます。

見かけの近代化は為されてきたけれど、本質は変わっていない。今回話題になっている野生動物食材に関しても、富裕層の間で嗜まれているのです。
 
、、、以上に書き記してしてきた僕の意見は、的外れの意見かも知れません。しかし、大きな問題であるからこそ、今一度、より全体を俯瞰した視点から、眺め直してみる必要もあるのではないかと思うのです。

なぜ「湖北省・武漢」なのか?/Why is it happening in 湖北省・武漢? 【中国近代化の幻想、、、根本的な環境整備に本気で取り組まねば、強烈なシッペ返しが/Illusion of China Modernization,,,,,,,,,,If we don't tackle to basic environmental improvements seriously, we will get a strong counterattack.】

最後に、第三の視点から、この「新型肺炎コロナウイルス」について考えて見ます。

「湖北省・武漢が発祥の地」

このことには、思いのほか大きな意味が隠されているのかも知れません。

僕は、「新型肺炎ウイルス発生」のニュースよりも、それとほぼ同時期にヤフーニュースなどに示されていた、全く異なる分野の、しかし同じ武漢周辺地域を舞台とした話題「世界最大の淡水魚絶滅認定」に興味を惹かれていました。

2つの話題は、今回の新型肺炎ウイルスの発生が、(武漢の海鮮市場で売られていた)何らかの野生動物(この地方に棲むコウモリやヘビ?)に基づく可能性がある、ということを併せ考えて、深い部分で結び付きます。

武漢周辺一帯(僕の主要フィールドの一つ「恩施」も今回封鎖された10都市の中に含まれます)は、
ある意味「地球のヘソ」ともいえる地域なのです。

地図を眺めても、この地域が、北の北京、南の香港(深圳・広州)、東の上海、西の重慶・成都のジャンクションに位置していることが分かるでしょう。

より踏み込んだ見方をすれば、地球の屋根(チベット高原などの高山地帯)に源を発する長江の流れが、四川盆地を経て河口の上海に向かう、中間に位置しています。

現存の多くの生物の祖先種(に近い存在)は、上流部のチベット高原周辺域よりも、一度四川盆地の低地帯を経た後、南北に山が迫る“三峡”渓谷と、その周辺地域(武漢は東入り口近くに相当)に見られることが多いのです。

上に挙げた、絶滅が認定された世界最大の淡水魚、唯一の野生の樹が生えるメタセコイヤ、野人(いわゆる雪男!)の目撃、稲作文化の発祥、、、僕の調査対象である、ギフチョウや野生アジサイの一種や、レンゲソウの祖先種なども含め、貴重な遺伝子が数多くプールされている地域です。

愚かな人類は、そこに、なんと巨大ダム(三峡ダム)を作ってしまった。

人類が目指す「近代化」「繁栄」の大義の許、「技術」や「科学」の「力」(「力」は「権力」に限りません、大衆の作り出した「空気」に基づく「共同幻想」も大きな「力」と成り得ます)を過信して、手を付けてはいけない領域まで支配しだした。

自然界のバランスが崩れてしまうと、必ずや想定外の異変が起こる、と思っていました。もしかすると、今回の新型ウイルスも、、、と思うのは、穿ちすぎでしょうか?






さて、どうなることやら/What should I do in the near future?

ところで、春節期間に田舎に帰省している人たちの多くは、月末から来月初めにかけて都市部に戻ってきます。この緊急事態の中、大量の人々が、地方から都市に戻ってくることが出来るのでしょうか?(事態が落ち着くまで田舎に閉じ込めておくのかも知れませんが)

そもそも僕自身、2月2日に広州を離れて、香港空港から日本に帰ることになっています。広州や深圳が封鎖される事態になったら、空港まで行きつけるかどうか、心配です。

モニカからは、外出地には常にパスポートを携帯しているように、と指示されているので、ということは、たぶん外国人は大丈夫なのでしょうけれど。

あとは、飛行機の隣の席の乗客が、風邪を引いてないことを願うばかりです。前々回の帰国時、隣席と後ろの席の中国(香港?)人が、4時間に亘って“ゴホゴホ”“ぐしゅぐしゅ”やってました。地獄でした。

で、成田のイミグレーションで、その旨を申請したのですが、「運が悪かったですね」と笑ってスルーされちゃいました。

ちなみに、今回中国広州では、大晦日に当たる1月24日から、地下鉄乗り場で熱検査が始まりました。その時僕は少し熱が計測されたのです。
係員:「貴方は日本人か?」 
僕:「そうです」 
係員:「じゃあO.K.」

日本にしろ、中国にしろ、ザルみたいな検査です。

僕にとっては、有難いのかどうか、、、微妙です。







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「新型肺炎コロナウイルス」について (三世およびU氏へのメールから) 2020.1.29

2020-01-30 15:17:28 | 新型ウイルス



[以下、新しい順]

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ほぼ断言して良いです。

これは、日本の国民とメディアが(無意識的に)仕掛けた、中国に対する「情報のウイルス」です。

むろん、僕も「新型ウイルス」の問題を軽視しているわけではありません。それはそれとして(「新型」以外の肺炎やインフルエンザ共々)対処することが必要でしょう。

でも、もっと大変な問題が内に潜んでいます。

将来に亘り、世界が混乱していくだけです。

[*武漢からの帰国日本人へのインタヴューを読んでも、当事者と「マスメディアおよび日本の大衆」の間に、温度差があることが知れます]

・・・・・・・・・・・・・・・・・・
僕の伝えたいことを、改め纏めておきます。突き詰めれば次の2つです。
日本(および香港)のメディア・市民に対する警告:
>パンデミックを引き起こす最大要因はパニック(一つの所に集中する恐ろしさ)
中国本土の政府・市民に対する警告:
>中国の近代化は間違っている(根本的な環境整備に本気で取り組むべき)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・

これがモニカから届きました。

情報が錯乱して、市民が疑心暗疑になっています。ある意味、(ちょっとオーバーに言うと)「嫌中」日本が仕掛けた情報戦です。

ただし、モニカ夫妻は、湖南省の実家に閉じ込められ、当分広東省に戻れないようです。

お伝えしたように、僕も部屋を追い出される可能性があります。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今モニカから連絡が来て、広州の一時的封城状態は解かれたようです。

ただし、今後、日本人は、アパート在住を拒否する、という通達をされています。荷物を数多く運び込んでるので、どうすればよいか(モニカは当分戻って来ない)、途方に暮れています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ちなみに昨日は、ローカルバスや、地下鉄の乗り継ぎや、スタバやショッピングセンターの入り口で、何度も何度も(計10回余)「発熱検査」を受けました。測ったあと、体温を伝えてくれます。僕は、なぜかずっと36度3分でした。自分の体温が知れる、というのは、なかなか良い事です。
 
都心部は、ほとんど全く人影を見ない郊外のアパート周辺とちがい、幾らかの人出はあるのですが、それでもいつもの春節同様に、ガラガラです。地下鉄やバスの車両は、せいぜい2~3人程度。結構ゴホゴホやってるのもいますが、近寄らなくて済むので安心です。一番怖いのは、病院でしょうね(笑)。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日、これから(モニカを通して)広州の日本領事館と話あいます(広州も事実上封鎖状態です、ただ今後の見通しは不明)。

「香港デモ」の時もそうでしたが、日本のメディアの偏り方・煽り方は、異常です。「自民党が」「共産党が」どうのこうの、という問題ではありません。「メディア」とそれに扇動される「大衆」によって、早晩、日本は世界から見離されてしまいます。

例えば、何百人もの飛行機の乗客がいれば、通常でも今の時期、2人や3人の風邪の症状があって当然です。ない方が不気味です。むろん「新型ウイルスを防ぐために最大限の努力をする」というのは、大切なことだと思います。でも、その一点にのみ目を凝らして、俯瞰的な(多様な問題に等しく対応する)判断が出来なくなってしまう、というのは、恐ろしいことです。

中韓を叩きたい気持ちは分かりますが、こんなことでは、彼ら以上の「情けない民族」と、世界に受け取られてしまいます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今、日本においてメディアから発信されている「異論」(客観的な姿勢をとる重要性の指摘)は、ごく僅かしかありません。

「現在進行形」で事は進んでいるのです。ある意味、時間との勝負、だと思っています(「香港デモ」同様に、やがて有耶無耶にはなってはいくのでしょうが)。

敢えて、オーバーに言います。

関東大震災時の、デマによって導かれた「韓国人虐殺」と同じ状況です。

しかも、間に立った日本人は、両方から非難されるようになる。客観的・俯瞰的な見方が出来ない(それを“自制”せざるを得ない)世界へと、どんどん突き進んでしまいます。

さらにオーバーに言えば、ヒットラーに従った、第二次大戦時のドイツ国民と同じかも知れません。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日は、往復5時間かけて、マスクを買いに行った訳ですが、、、、。
 
「灯台下暗し」とは正にこのこと。
 
町中ゴーストタウン(しかしまるでミサイルのような爆弾花火の大音響が暗闇の中で一晩中轟き続けている、、、ちなみに町がゴーストタウン状態なのは新型ウイルスとは無関係で、春節期間の日常光景)の中にあって、ただ一軒、僕のアパートの隣の売店が開いていた!
 
マスクも普通に沢山売ってました。一つ2元(約35円)です。1000円とか、(アマゾンで)数万円とかの報道は、一体何の根拠によるものなんでしょう?(僕も危ゆく信じるところだったです)
 
実態と異なる現象を、必要以上に煽るのは、やめて貰いたいですね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
食料を町まで買い出しに行きたいのですが、直通バスの運行が中止になってしまいました。
ローカルバスと地下鉄を乗り継いでトライします。
このあと、2月2日に香港空港まで辿りつけるかが心配です。
新型ウイルスに対する懸念は分かりますが、(それこそ香港デモの場合同様に)主に日本メディアの報道が加担して、共同幻想パニック(関東大震災の朝鮮人暴動問題のように)になってしまっています。
新型ウイルスよりも、本来なら遥かに危惧を持たねばならない、従来の肺炎やインフルエンザへの対処が隅に追いやられてしまっている(僕だって肺がずっと苦しく、肺炎関係のチェックを恒常的にしたいのだけれど、今はそういう訳には行かなくなってしまっている)。
皆が一つの「空気」に乗っ取られた行動を起こすことによって、結果として必要以上の新型ウイルス感染者を出し、他の症状に対する対応が麻痺した状態に陥っている。その責任の一端は、日本のマスコミと大衆にあると思います。
今回は、一応“他人事”である「香港デモ問題」とは違って、自分にも被害(「新型」そのものではなく、それによるトバッチリ)が及ぶ、という訳です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今日、僕が外出したことを、アパートの大家さんがカンカンに怒っているそうです。
バスや地下鉄は、マスク無しの人間は乗車出来ません。
パスポートを見せて、特別にマスク無しで途中の町まで行きました。
マスクは売り切れで(一説によると、一個数千円??)買えなかったのですが、お店(薬局)の人が自分の分をひとつ無料で分けてくれました。
大家さんには、モニカに電話で謝って貰いました。さっき、食料を持ってきてくれました。
明日、モニカが、状況(2月2日に香港にスムーズに行きつけるかどうか)を広州の日本領事に訊ねます。
一応、一日早く出発して、前夜は深圳のホテルに泊まる、最悪、広州-香港タクシー。ただし、その資金がない(日本人は誰も助けてくれない、笑)ので、どうなるかは分かりません。
 
それはともかく、、、、後で詳しく書きますが、結果論として中国政府が「隠蔽」「後手に回った」のは、大正解だったと思います。
 
様々な通達(殊に都市間移動の規制)が出されたのは、大晦日(徐夕、1月24日)の午後。大半の都市住民の帰省が終わった後です。
 
もし、2~3日早く規制が発令されていれば、今頃は、各都市に閉じ込められた大量の市民で、大変な騒ぎになっていたと思います(当分このまま各人の田舎に閉じ込めておく方が処置がしやすい?)。
 
「香港デモ」の時と同様に、日本メディアの「一方に偏った」煽り方には、つくづく怒りを覚えます(その中で「現代ビジネス」は最もまとも)。この「新型ウイルス」問題に加担している、というよりも、ある意味“主犯”だとさえ思えてきます。
 
「香港デモ」の場合と異なるのは、今回は僕自身が(マスコミの煽りの)直接の被害者であるという事です。「新型」云々に関わりなく、僕のように、もともと肺炎の症状を持っている人間や、インフルエンザ患者たちが(それらの危険性は「新型ウイルス」より遥かに高いのにも関わらず)、軒並み脇に置きやられてしまっている。この騒動で、最も恐ろしいことは、「新型」以外のウイルスなどが蔓延してしまうこと、だと思っています。





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武漢・新型コロナウイルス肺炎について思う事 2020.1.27

2020-01-27 08:29:50 | 新型ウイルス



今日から、帰国日の2月3日まで、アパートの室内に蟄居です。モニカからは「外出しないように」というメールでの指示が、なんども繰り返し来ます。大家さんも僕の部屋を度々覗きに来る。

今回の問題に関しての対応・反応は、中国の政府にしろ市民にしろ、これまでの諸々の問題発生時とは、ちょっと違うような気がしています。相当に、逼迫している。

僕には幾つかの「相反する」“想い”があります。そのどれが正鵠を得ているのか、今のところ判断が付きません。

時系列で整理しておきましょう(僕のパソコンでは以前の記事を遡ってチェックすることが出来ないので、正確な日付は後程調べ直します)。

中国で「新型ウイルスによる肺炎」が多発しているらしいことは、海外のソースでは、昨年暮れ頃からニュースになっていたように思います。

日本の一般市民を含む多くの人々に知れ渡ったのは、今年に入って1月16日だったようです。ヒト→ヒト感染の可能性を示唆する「濃密接触云々」の報道の、その見慣れぬ言葉の定義などをめぐり、冷やかしを含めた様々なコメントが他人事のように為されていました。

それが、感染者の人数が増えだしてから、これはヤバイんじゃないか、という雰囲気になってきた。ただし、この時点で(一様に)危機感を煽ったのは日本の報道で、中国の市井では(僕のいる深圳や広州でも)1月20日を過ぎた頃に於いても、左程の危機感は感じられないでいました。

今年の春節初日は1月25日ですが、休暇や移動が始まるのは、一週間前の1月18日からです。
都市から地方(この「都市と地方」というのは、「沿海部大都市と内陸都市」ということではなく、内陸の都市、それも省都以外の地方中都市をも含めた、農村部からの出稼ぎの人々が働く広い意味での都市部と、農村・漁村地帯の文字通りの田舎)へ、数億人が大移動します。

それが始まった18日前後の時点では、まだ「新型ウイルス肺炎」は、余り話題に登っていなかったように思います。

ところが、人人感染がほぼ確実になるにつれ、中韓におけるネガティブな話題が大好物の日本の大衆(やメディア)からの、大バッシングが始まりました。中国政府の事実隠蔽。日本政府の優柔不断。

春節期間で、最も人々がバタバタと動き回るのが、日本の元旦に当たる前日の、すなわち大晦日(徐夕)の午後です。この日のうちに、何から何までの春節の際事の準備を済ませねばなりません。自分たちの作業に集中しなくてはならず、たいていのインフラがストップしてしまい、僕など部外者が途方に暮れてしまうのが、この日です。

むろん、実際の経緯はもっといろいろとあるのでしょうが、政府が正式に危機を発令し、中国国内の一般市民の多くが危機感を共有し始めたのが、この大晦日(徐夕、1月24日)のことです。それまではちらほらとしか見かけなかったマスク姿が、一気に激増しました。地下鉄の入り口などでは発熱検査が行われ、人々の口からも不安の声が一斉に上り始めました。

偶然だとは思うのですが、春節移動のピーク終了のタイミングを見計らったかのように、緊急事態 発令が発令されたわけです。

パニックとパンデミック

最初にも記したように、僕には、全く相反する2つの想いがあります。そのどちらが正しいのか、僕には把握できないでいます。ある意味、どちらも正しい(言い換えれば、どちらも間違っている)と言えるのかも知れません。

それは、後手に回ることによって、みすみすパンデミック状態形成を許してしまうことへの危惧感と、必要以上の焦りを引き金に、パニックを引き起こし、本来起こらなくても済んだかも知れないパンデミック状態形成への加担を成してしまう事に対する危惧感です。

ウイルスの本質や広がり方の状況を、冷静に落ち着いて見極めることから始めるべきか、緊急の実行動を最優先させるべきか。

本当に脅威だった場合、後手に回ると取り返しのつかない事態になることも事実でしょうし、必要以上の混乱を招くことで、より大変な事態に陥ってしまう可能性があることも、また事実でしょう。“二者択一”ではなく、“同時進行”しなくてはならないのだと思います。もちろんそれは、口で言うほど簡単なことではない筈です。

フィリッピンのドウティルテさんの思い切った対処(464人中国人観光客の強制送還)は、ひとつの答えだと思います(大変な賭けではあるのでしょうが)。混乱を最小限に抑え(地元観光地への大打撃は与えるとしても)、かつ後手に回ることを避ける。中国との間の人の行き来が日本よりは少ない島国で、独裁権力者が仕切るフィリッピンだから可能だったわけで、中国国内はもちろん、日本の場合は現実的に不可能だと思います。仮に、そのような強硬手段を取ったとしても、(本当に脅威だった場合は)すでに手遅れでしょう。

中国政府は、ウイルスの存在が発覚して以降、苦渋の決断を迫られていたと思います。パンデミックに至る可能性への対応、パニックが起こる防止への対応。

客観的に考えれば、新型ウイルスの発生は、(従来のウイルスなどと比較して)さして脅威ではない、と捉えることが出来るのかも知れません。しかし、憂慮する問題であることには変わらない。パニックを引き起こさぬよう冷静に対処して、根治を目指す。それを隠蔽とするなら、隠蔽なのでしょうが。

しかし、正確な実態は現時点では不明なのではないかと思います。

感染者の数が、(把握しえないほどの)未曾有の数まで達しているのかも知れません。逆に、客観的に考えて、人口3000万都市圏に於ける“肺炎ウイルス”による500人という感染者数や、数10人の死亡者数が、従来のそれ(肺炎やインフルエンザ患者)に比べて、突出して多いものなのかどうか?

病院に押し寄せている人々は、本当に重篤患者ばかりなのでしょうか? このような報道下では、普通に考えれば(仮に僕のような立場でも)心配で病院に行きますよね。この時期、風邪気味の人なら、数千万人の1%としても、数10万人はいるわけで、、、。それらの人々が、我先にと病院に押しかけたら、医療受け入れのキャパシティを超えてしまうのみならず、感染しなくて済む人まで感染してしまう恐れがあるでしょう。

そのことを考えれば「隠蔽(冷静に対処体制を整えること)」も仕方がないように思えます。もっとも、結果として「隠蔽」に失敗したため、人々の扇動の振り幅を大きくし、その結果、患者も倍々的に増えていく、という悪循環に陥っているような気もするのですが。

僕の素直な疑問

この病原体(新型肺炎コロナウイルス)が、従来の肺炎ウイルスと“脅威に値する”部分で、どれだけの差異があるのか、素人の僕にはむろん分かりません。

情報を整理すると、
「2002~2003年に流行した“サース”と似ている」
「威力はサースに比べれば、やや弱い」
「ヒト⇔ヒト感染が容易に為される」
「“新型”ゆえ、未知の部分がある」 
「発症までの潜伏期間が長く、潜伏期間中にも感染の恐れがあり、変化する可能性がある」
最後の部分で、「事実」と「妄想」が入り混じって構築された「恐怖心」が人々に伝わり、パニックを伴って感染者が増幅し、結果としてパンデミック状況が引き起こされる、、、そのような捉え方も出来るかも知れません。

そもそも、「新型」であるかないかに関わらず、「肺炎ウイルス」による「肺炎患者」というのは、日本においても中国においても、そんなに珍しいものではないですよね?

素直な疑問なのですが、新型以外の肺炎患者数や死亡者数は報じられずに、なぜに「新型」だけがが突出して取り上げられるのか。

従来形のウイルス潜在的感染者と、「新型」感染者は、どう区別しているのでしょうか? それとも、「新型」は怖いけれど、「従来型」には無関心、という事なのでしょうか? 従来型と新型の感染率とか死亡率は、どれだけ大きく違うのでしょうか?

「新型」だって、最初の患者(2次感染者)がマスメディアに登場する、ずっと以前から(もしかしたら何年も何十年も前から)存在していたのかも知れませんよね。

実際、僕自身が、30年余(殊にこの10年余)の中国での活動期間中に、何度か「急性肺炎」を疑われる診断を示されてきました(貧乏故、適切な検査や治療が出来ないままでいますが)。

中国の衛生概念は(中国で暮らしたことのある人はご存じでしょうけれど)信じられないほど滅茶苦茶です。例えば、なぜか生卵が突然爆発したり[*詳細例別記]、食堂のゴミ箱に赤ちゃんがウンチしていたり[*詳細例別記]、日本では絶対に考えられないようなことが、当たり前に成されている、という文化(僕はそれらの「文化」を頭から否定しているわけではありません)の許に成り立っています。

「海鮮市場」などに関しては、武漢に限らず、どこの都市でも、それはもう酷いものです。僕の印象では、中国の出鱈目さの象徴は、地方ではなく都市、貧民層ではなく富裕層、無教養層ではなくエリート、共産主義者よりも民主主義者、、、に、より色濃く反映されているように感じます。

見かけの近代化は為されてきたけれど、中身は昔とちっとも変わっていない(むしろ退化している)。今回話題になっている野生動物食材に関しても、富裕層の間で嗜まれているのです。
 
、、、以上に書き記してしてきた僕の意見は、的外れの意見かも知れません。しかし、大きな問題であるからこそ、今一度、より全体を俯瞰した視点から、眺め直してみる必要もあるのではないかと思うのです。


なぜ「湖北省/武漢」なのか?

最後に、第三の視点から、この「新型肺炎コロナウイルス」について考えて見ます。

「湖北省・武漢が発祥の地」

このことには、思いのほか大きな意味が隠されているのかも知れません。

僕は、「新型肺炎ウイルス発生」のニュースよりも、それとほぼ同時期にヤフーニュースなどに示されていた、全く異なる分野の、しかし同じ武漢周辺地域を舞台とした話題「世界最大の淡水魚絶滅認定」に興味を惹かれていました。

2つの話題は、今回の新型肺炎ウイルスの発祥元が、(武漢の海鮮市場で売られていた)何らかの野生動物(この地方に棲むコウモリやヘビ?)に基づく可能性がある、ということを併せ考えて、非常に深い部分で結び付くのです。

武漢周辺一帯(僕の主要フィールドの一つ「恩施」も今回封鎖された10都市の中に含まれます)は、
ある意味「地球のヘソ」ともいえる地域なのです。

地図を眺めても、この地域が、北の北京、南の香港(深圳・広州)、東の上海、西の重慶・成都のジャンクションに位置していることが分かるでしょう。

より踏み込んだ見方をすれば、地球の屋根(チベット高原などの高山地帯)に源を発する長江の流れが、四川盆地を経て河口の上海に向かう、中間に位置しています。

現存の多くの生物の祖先種(に近い存在)は、上流部のチベット高原周辺域よりも、一度四川盆地の低地帯を経た後、南北に山が迫る“三峡”渓谷と、その周辺地域(武漢は東入り口近くに相当)に見られることが多いのです。

上に挙げた、絶滅が認定された世界最大の淡水魚、唯一の野生の樹が生えるメタセコイヤ、野人(いわゆる雪男!)の目撃、稲作文化の発祥、、、僕の調査対象である、ギフチョウや野生アジサイの一種や、 レンゲソウの祖先種なども含め、貴重な遺伝子が数多くプールされている地域です。

愚かな人類は、そこに、なんと巨大ダム(三峡ダム)を作ってしまった。

自然界の「力」のバランスが崩れ、必ずや想定外の異変が起こる、と思っていました。もしかすると、今回の新型ウイルスも、、、と思うのは、穿ちすぎでしょうか?


さて、どうなることやら

ところで、春節期間に田舎に帰省している人たちの多くは、月末から来月初めにかけて都市部に戻ってきます。この緊急事態の中、大量の人々が、地方から都市に戻ってくることが出来るのでしょうか?(事態が落ち着くまで田舎に閉じ込めておくのかも知れませんが)

そもそも僕自身、2月2日に広州を離れて、香港空港から日本に帰ることになっています。広州や深圳が封鎖される事態になったら、空港まで行きつけるかどうか、心配です。

モニカからは、外出地には常にパスポートを携帯しているように、と指示されているので、ということは、たぶん外国人は大丈夫なのでしょうけれど。

あとは、飛行機の隣の席の乗客が、風邪を引いてないことを願うばかりです。前々回の帰国時、隣席と後ろの席の中国人が、4時間に亘って“ゴホゴホ”“ぐしゅぐしゅ”やってました。地獄でした。

で、成田のイミグレで、その旨を申請したのですが、「運が悪かったですね」と笑ってスルーされちゃいました。

ちなみに、今回中国広州では、大晦日に当たる1月24日から、地下鉄乗り場で熱検査が始まりました。その時僕は少し熱が計測されたのです。
係員:「貴方は日本人か?」 
僕:「そうです」 
係員:「じゃあO.K.」
有難いのかどうか、、、微妙です。








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