青山潤三の世界・あや子版

あや子が紹介する、青山潤三氏の世界です。ジオログ「青山潤三ネイチャークラブ」もよろしく

ElvisとBeatlesのはざまで~Johnny Tillotsonの時代(10)-2

2010-09-27 14:43:14 | アメリカン・ポップスearly60’s


★ElvisとBeatlesのはざまで~Johnny Tillotsonの時代(10)-1の続きです。

Paul Anka
57.07.15(Billboard Hot100初登場日付け)-63.12.28(一年間以内の連続ヒット最終日付け)
連続ヒット内のHot100ランク曲数:34曲
同Top40ランク曲数:24曲
同Best10ランク曲数:08曲
通算Hot100ランク曲+C&W・R&B・AC 各単独チャートイン曲の総数:56曲
4チャートのBest10ランク曲総数:17曲


Neil Sedaka
58.12.08(Billboard Hot100初登場日付け)-66.02.26(一年間以内の連続ヒット最終日付け)
連続ヒット内のHot100ランク曲数:20曲
同Top40ランク曲数:13曲
同Best10ランク曲数:06曲
通算Hot100ランク曲+C&W・R&B・AC 各単独チャートイン曲の総数:33曲
4チャートのBest10ランク曲総数:15曲



そんなわけで、こちらも20曲から10曲に減らすことになりました(そのうちチャンスがあれば、20曲に増やします)。My Bestとは題していますが、実質は有名曲を羅列しただけです。


【ポール・アンカ/マイ・ベスト10】

●Diana(ダイアナ)
1957年Pop 1位、R&B1位。何も解説はいらないでしょう。16才だそうです。年上の彼女は、幾つだったのでしょう?

●I Love You、Baby
1957年Pop 97位。2曲目がこのポジションでして。ブライアン・ハイランドBrian Hylandの「ビキニスタイルの御嬢さん」の場合(2曲目73位)と似ているのですね。半ば“ノベルティー・ソング”と取られていたのかも知れません。しかし、ハイランドも、アンカも、数曲後に見事返り咲きます。実力者なのです。ちなみに、坂本九のNo.1ヒット「スキヤキ」の次ぎは、「支那の夜」で、58位と、なかなかの頑張りをみせているのですが、3曲目以降は消えてしまい、そのまま浮上することは無かった。悲しいかな、実質的には、ノヴェルティー・ソングと受け取られていただろうことは否めません。

●You are My Destiny(君は我が運命)
1958年Pop 7位、R&B 14位。その返り咲きソングがこれ。ハイランドの2曲目の大ヒット(Let Me Belong To You)が、暗~い失恋ソングだったのと同様、ダイアナから一転しての、絶唱バラードです。演出過剰とも言えるこの唱法、ついていけない人も多い(僕もその一人)ことでしょうが、嵌まると抜けだせないのかも知れません。

●Let the Bells Keep Ringing
1958年Pop 16位。両面ヒットとなった片面の「Crazy Love」(Pop 15位)が、「君は我が運命」路線の、17歳にして大人のムードを漂わせた粘っこい絶唱バラードなのに対し、こちらは軽快なロックン・ロール(?)です。エネルギッシュで、いかにも若者らしいこの曲、僕は結構好きなのです。

●Lonely Boy
1959年 Pop1位。この後、59年から60年にかけて「Put Your Head on My Shoulder(あなたの肩に頬を埋めて)」Pop 2位、「It’s Time Cry」Pop 4位、「Puppy Love」Pop 2位、「My Home Town」と、彼の全盛期が続きます。

●My Home Town(マイ・ホーム・タウン)
1960年Pop 8位。僕は、日本でこの曲がヒットしていたことを、よく覚えているのです。上記した大半の曲と同様、アンカの自作曲。明るく、綺麗なメロディーの、どこか懐かしさを感じる曲です。

●Train of Love(恋の汽車ポッポ)
ニール・セダカに「恋の片道切符」あれば、ポール・アンカには「恋の汽車ぽっぽ」あり。こちらも日本独自のヒット曲。60年にリリースされたアルバムからのカッティング(だったと思う、不確かです)で、元々は、当時恋仲だったと言われるアネットに提供した曲らしいです。日本では森山加代子のヒット曲?

●Kissing On the Phone(電話でキッス)
1961年Pop 35位。日本でヒットした、と言えば、この曲も外すことは出来ないでしょう。「マイ・ホーム・タウン」以降も、この曲の辺りまで、「Summer’s Gone」(Pop 11位)、「Tonight My Love Tonight」(Pop 13位)、「Dance On Little Girl」(Pop 10位)をはじめとした、Top 40ヒットを放ち続けます。

●Love (Makes the World Go Round)
1962年Pop 26位。61年末から62年前半にリリースされた数曲は、どれも100位前後と奮いませんでしたが、62年の中頃からは再び盛り返し、63年前半にかけて、「Love Me Warm and Tender」(Pop 12位)、「A Steel Guitar and a Glass of Wine」(Pop 13位)、「Every Night」(Pop 46位)、「Eso Beso」(Pop 19位)、「Love」「Remember Diana」(Pop 39位)と、存在感を示します。日本でも、当時の電話リクエストで、この曲が毎日のようにかかっていて、ポール・アンカ健在、を印象づけたものです。しかし、63年後半に、Pop 90位前後に2曲をチャートインした後は、ぷっつりとヒットチャート界から、姿を消してしまうのです。入れ替わりに、British Invasionの到来です。

●Goodnight, My Love
1969年Pop 27位、R&B 2位。そして、丸6年後、この曲で復活? その後74年初頭までの4年間に、50~80位台の小ヒット6曲をチャートに送り込みます。

≪おまけ≫●(You're) Having My Baby
本当の大復活は、74年Pop 1位、R&B 5位の、この曲から。80年代初頭にかけて、同年と翌年のTop 10ヒット3曲を含む計12曲を、Popチャートに送り込み、“第2の全盛期”を迎えます。


【ニール・セダカ/マイ・ベスト10】

○The Diary(恋の日記)
1958 年Pop 14位。デヴューは57年。4枚目に発表(RCAビクターからの初リリース)したこの曲で、一気にブレイクします。

○I Go Up
1959年Pop 42位。この曲が素晴らしいのですね。見事なロックン・ロール。この当時のPop 42位というチャートポジションには、なぜか“オールデイズ”の名曲が揃っています。59年のニールのこの曲しかり、60年のジョニー・ティロットソンJohnny Tillotsonの「Why Do I Love You So(こんなに愛して)」しかり、61年のジーン・ピットニーGene Pitneyの「Every Breath I Take」しかり。

○Stairway to Heaven(星へのきざはし)
1959年Pop 9位。ニールの“ポップス黄金期”時代のヒット曲は、アップテンポの、つい一緒に歌いだしたくなってしまうような楽しい曲が多いのですが、この「星へのきざはし」と、続く「君こそすべてYou Mean Everything to Me(60年Pop 17位)」は、美しいバラード調の佳曲。

○On Way Ticket to the Blues(恋の片道切符)
以下に示すように、ニール・セダカの米ヒット曲は、日本でも軒並みヒットしているのですが、日本での最大のヒット曲となると、この曲を置いてないでしょう。アメリカでは「おお!キャロル」のB面で、ノンヒット。大半のヒット曲が、ニール本人と幼馴染のハワード・グリーンフィールドとの共作なのに、この曲は珍しく別人の作というのも面白いですね。

○Oh! Carol(おお!キャロル)
1959年Pop 9位。
○Calendar Girl(カレンダー・ガール)
1961年Pop 4位。
○Little Devil(小さな悪魔)
1961年Pop 11位。
○Happy Birthday Sweet Sixteen(素敵な16才)
1961年Pop 6位。
○King of Clowns (悲しきクラウン)
1962年Pop 45位。
時間(真夜中の3時に書いています)もスペースもありません。おそらく、団塊の世代周辺の人々なら、誰でも聞き覚えがあるだろう、ニール・セダカのお馴染みのヒット曲のオンパレード、まとめて紹介しておきます。米ヒット曲が、リアルタイムでそのまま日本でも大ヒットしていたのです。

○Breaking Up is Hard to Do(悲しき慕情)
1962年Pop 1位。日本での知名度は、上記5曲に劣るかも知れません。でも、本国アメリカではこの曲が最大のヒット。62年度の、グラミー賞ロック部門にノミネートされています。76年に、スローバージョンのリメイク版が再び大ヒット(Pop 8位、AC 1位)。他に、黒人ACシンガー、レニー・ウエルチLenny Welchのカバーヒットなどもあります。オリジナルバージョンは、バックに配された、“カマカマ・ダンドゥヴィ・ドゥ・ダン・ダン”というハミングが、もう最高!実は、最初の録音時には、この掛け声は入っていなかったのだとか。何か足りないのでは?と気が付いて、急遽“カマカマ”を加えた、という経緯があったそうです。そういえば、一つ前の「悲しきクラウン」は、当時のニールとしては低いチャートポジション(45位)なのですが、一連の楽しい曲の中では、珍しく“間の手”が入っていないからなのかも知れません。“カマカマ”一声分が、44位分のランクを押し上げた、というわけです。

○The World Through a Tear
1965年Pop 76位。62年のNo.1ヒット「悲しき慕情」のあとも、63年にかけて「可愛いあの娘Next Door to an Angel」(Pop 5位)、「不思議の国のアリスAlice in Wonderland(Pop 17位)、「Let’s Go Steady Again」(Pop 26位)、「The Dreamer」(Pop 47位)、「Bad Girl」(Pop 33位)とヒット曲を放ち続けますが、ビートルズ登場の64年に入って、急速に勢いが衰え、65年にかけて、この曲の他に、Pop 80位台の小ヒット3曲を放った後、ニールの名は、ヒットチャートから完全に消えてしまいます。と言って(他の“狭間の歌手”達の場合もそうですが)、歌そのもののグレードが落ちたわけでは決してありません。時代の要求が、別の方向に向いていただけなのです。この「The World Through a Tear」と全く時を同じくしてチャートインした曲に、Johnny Tillotsonの「Heartaches By the Number」(Pop 35位 AC 4位)、Vic Danaの「Moonlight and Roses」(Pop 51位 AC 5位)、Connie Francisの「Roundabout」(Pop 81位 AC 10位)、
少し前に、Bobby Vintonの「L-O-N-E-L-Y」(Pop 22位 AC 7位)、少し後に、Gene Pitneyの「Princess in Rags」(Pop 37位)といった曲があり、チャートポジションの高低に関わりなく、それぞれの歌手の中で、僕の最も好きな曲なのです。自分のスタイルを守って、なおかつ新しさを取り入れようとする、試行錯誤が、結果として良い作品を生み出すことに繋がっているのでは、と思っているのですが。

≪おまけ≫○Laughter in the Rain(雨に微笑みを)
66年の一月にPop89位にランクされた「The Answer to My Player」から、一曲のチャートヒットもないまま、丸10年経った1975年、突如この「Laughter in the Rain」が、PopとACでNo.1に輝きます。同年末には、もうひとつのNo.1ヒット「Bad Blood」をPopチャートに送り込んだほか、80年代前半にかけて、PopとACのチャートに10数曲を送り込み、ポール・アンカと共に、第2の全盛期を迎えるのです。

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ElvisとBeatlesのはざまで~Johnny Tillotsonの時代(9)-1

2010-09-21 15:18:11 | アメリカン・ポップスearly60’s
★文章が長いので、“狭間のシンガー”24人衆の紹介 ② 『ボビー・ダーリン/ロイ・オービソン』①~③まで、分けて載せます。


“狭間のシンガー”24人衆の紹介 ② 『ボビー・ダーリン/ロイ・オービソン』①


Bobby Darin 55位 
1936.5.14 New York出身
マックザナイフ/初恋の並木道


Roy Orbison 68位 
1936.4.23 Texas出身
オンリーザロンリー/恋のむせび泣き


【共に1936年生まれの、本格派“ティーン・ポップス”歌手】

前回のリッキーとエヴァリー、ちょっと頑張りすぎてしまいました。この後、まだ22人分を書かねばならぬのです。それも、週3回(日曜は不定期)だから、2日に1回近い割合。ハードすぎます。それでなくとも、僕には彼らについての知識は、大して持ちあわせていない。手元にはCDも僅かしか無ければ、書籍などの資料も皆無。You-Tubeは開けないし、、、。うろ覚えの知識に、ネットで可能な限りのデータを収集して、誤魔化し誤魔化し書いていくしかありません。それも、興味のある歌手の場合はともかく、余り良く知らない歌手(正直、全員大好きなのです、でも、こと“歌”そのものに対しては、好みの傾向とそうでない傾向があるので)の場合は、なんとも書きようがない。

というわけで、①日本に帰国後、CDや資料を収集、もっと勉強してから再開する。②予定の順序通りにではなく、ある程度良く知っていて書く材料が揃っている歌手から、順に紹介して行く。③書く材料があろうが無かろうが、ともかく予定の順番に沿って進行。①~③のどれで行くか、考えたのです。結論は③。それも、無責任に進めて行く、という条件付き。よく知らない歌手については、写真の紹介だけでも良いくらいのつもりで、とにかく何でもいいので、思い付いたことを書いて見る。

第2回は、ボビー・ダーリンBobby Darinとロイ・オービソンRoy Orbisonです。第一回目の、リック・ネルソンRickNelsonとエヴァリー・ブラザースThe Everly Burathersに負けない大物です。書きたいことも、書かねばならないことも、山ほどあります。でも、悲しいかな、CDも資料も、手元にほとんどない。相当に、独断と偏見に満ちた内用で進めていきます。

この二人、共通点は数多くあります。同じ1936年生まれ。1956年にレコードデビューし、数年間は不遇だったこと。
ソングライターとしても素晴らしい実績を残していること。心臓の病気で亡くなること。等々。

でも、リアルタイムではなく、現在の、一般的(といっても、オールデイズやアメリカンポップス好きの人達から見た)人気は、対照的だと思う。統計的な分析をしたわけではなく、あくまで“空気”です。誤解を恐れずに言えば、Bobby Darinは、見事に人気が無い(24人中、最下位に近いかも?)。そして、Roy Orbisonの評価は、たぶん24人中のNo.1でしょう。客観的に見れば、リアルタイムでの実績&実力に於いて、評価されるべきところは、5分5分だと思っているのです。音楽、という分野全体からの評価なら、Darinのほうが上かも知れません。何しろ、フランク・シナトラの後継者です。でも、オールデイズ愛好家からの評価は、不当に低い(逆に、唯一「Dream Lover」のみは、過剰とも思えるほどの評価を受けているのですが)。

数年前(2004年)、Bobby Darinの伝記映画「Beyond the See(海の彼方に)~夢見るように歌えば」が封切られました。かなりの話題になったと思うので、ご覧になった方も多いでしょう(実は僕はまだ見ていない、ごめんなさい)。監督・主演のKevin Spaceyが、アテレコではなしに自分でDarinの歌を歌う、という力演だったそうです。運が悪かったのは、Ray Charlesの伝記映画「レイ/Ray」とぶつかってしまったこと。アカデミー賞の様々な部門が、全部「Rey」のほうに行ってしまい、「海の彼方に」は、一つも受賞出来なかった、Kevin Spaceyが、あれだけ熱演しているのだから、一つぐらいは上げてもいいのにと、コラムニストの中野翠さんが嘆いていました。なんだか、現在のDarinの評価に対する不当性を、示しているようにも思うのです。

ちなみに、Bobby Darin本人もアカデミー助演男優賞にノミネートされた(Gregory Peck主演「ニューマンという男」1963年)と言うほどの演技力の持ち主。

彼はRay Charlesに心酔していて(Rayにレスペクトするアルバムもある)、白人版Ray Charlesを目指していたように思われます。その「Ray」が対抗馬となって、受賞を逃がしてしまったわけで、Darinも草葉の陰で苦笑いしていることでしょう。賞と言えば、音楽のほうはグラミー賞ですが、“狭間の歌手24人衆”の中で受賞経験者はBobby Darin(1959年の「Mack the Knife」で「新人賞」と「最優秀楽曲賞」)ただ一人(注:時代が異なるので一応除外したが、Roy Orbisonも、1980年に、Emmylow Harrisとのデュエット曲「That Loving You Feeling Again」、没後の91年に「Oh, Pretty Woman」で受賞)。大体、ノミネート自体の経験者が、ほとんどなく、Some Cookeが度々ノミネートされている以外には、2回ノミネートは、Bobby Darinのほか、Neal SedakaとJohnny Tillotson(大したものだと思います)とBrenda Leeだけではなかったかと記憶しています。Bobby Darinはもう一回、62年の「What'd I Say」で、何とR&B部門にノミネートされている。この曲は、僅か2年前にRay Charles(彼のオリジナル)で大ヒットしたばかり、それを、ほとんどそのままコピーした形なのに、それでいてPop24位まで上昇し、グラミー賞のR&B部門にノミネートされるのですから、実力のほどが窺い知れます。


アメリカンポップスやオールデイズの愛好家に人気がない、といえば、Brenda Leeも、そうかも知れません。性別、年齢、早世長命を別とすれば、この2人、非常に共通点があるように思えます。活躍時期や実績も似ていますが、何よりも歌のティスト(taste)が似てる。そしてキャパシティーの幅が広いのです。

いわゆるポップ・ミュージックは、4つの要素から成っているのではないか、と思うのです(とりあえず「ロック」的要素については別に考えます)。①Pops(誰かが言っていましたが、Popsと語尾に“S”が付けば、現在ではオールデイズに集約される、いわゆる“ティーン・ポップス”などを指し、一方、“S”無しのPopだと、大人の音楽、今語ろうとしている分類で言えば、むしろ次のジャズ的な要素の音楽を指すと)。②ジャズ・ヴォーカル(必ずしも“イコール”ではありませんが、チャートの上では、多くがAdult Contemporaryのカテゴリーに入るようです、大御所はFrank Sinatra)。③R&B。④C&W。

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