元百条委員会メンバーで元兵庫県姫路市議の竹内議員が自死しました。事件の発端となった渡瀬元西播磨県民局長ともども姫路市民、父親が姫路出身の僕(昨年相次いで亡くなった三世のご両親も姫路市民)としては、心穏やかではありません。
度重なる(立花某らによる)家族への中傷に耐えられなかった由。
僕は立花某という人間(人間とは認めていませんが)、こいつだけは許せません。
そして、自殺者たちを、せせら笑うヤフコメ民(大衆)も。
繰り返し言います。橋下氏の言うように「斎藤知事の見解は間違ってはいない、しかし人の痛みを推し量れないでいる人間は、指導者として失格」だと思います。
正論(エビデンスとかに基づく)が全てではない。科学や文明に対する絶対的信仰(思い上がり)に対する危惧にも繋がります。
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僕が嫌いな人々。
“ローリング・ストーンズ誌的現象”を、闇雲に追従する人々(三世のいう“スペッシャル思考”とも被る)。
“趣味の人助け”マニア。
“人助け”は、本来、受け身であるべきです。助けを求める人を(自己のポリシーとかには関係なく)無条件で受け入れる。
能動的に“助けてやる”“助けたい”は邪道、本当の人助けではありません(それを“人助け”と勘違いしているのでしょうが)。
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タレントの中井氏に関するニュースを見ました。メデイア(ことにフジテレビ)の体質、さもありなん。フジテレビの内情についてはチラリとですが実体験しています。エリート連中が、いかに好き勝手に(ふんぞり返って我々下々を虫けら扱いしつつ)振舞っているか、それはもう想像を絶します。
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TV(SNSなども含めたマスメデイア全体)の劣化は、目を覆うばかりです。
AIについての番組。某AI業界社長が、自分で思考出来るAIロボットを開発、分身として仕事を分担する。吐き気がします。科学への過信、自己陶酔。余りにも幼稚です。
その番組の末尾で、AIによる、こんな自主コメントが放映されていました。
“老人や貧乏人は、健全な社会の構築に無益な、邪悪な存在でしかない、素晴らしい社会の構築には、このような社会悪は抹殺して行かねばならない。”
ジョーク?なんでしょうか、コメンテーターの人達は当惑しながら、番組終了。一種の放送事故かも知れませんが、別に不思議なことではありませんね。
実は(当事者以外、すなわち社会の中軸を担う健全な人々の思考としては)「正論」なわけですから。
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繰り返し言うけれど、
「平和」と「戦争」は、同義語。
「自由」と「平等」は、反対語。
自分たちの平和を望み続ける限り、戦争は無くなりません。
自分たちの自由を主張し続ける限り、平等な世界は実現しません。
民主主義は、強者(自分たち)が権利を守る制度に、ほかなりません
本気で「平和」「自由」な世界を構築したいならば(世界の人々が皆平等な社会を目指すためには)、自らの「平和」「自由」を捨てなくてはならない。
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以下、僕の近況。
ここしばらく、近くの町工場でバイトしていました。毎日8時間、かなりの重労働(木材切断と運搬、ペンキ塗り、看板組み立て)。日当のほとんどは、スマホ利用代金(一昨年、生活保護=手取り2万円前後=受領にはスマホ所持が必須ということで、伝手を頼ってこの工場社長氏から入手、、、現在は手許にありません)に差し引かれて、手取りは一回500円ほどです。それでも1銭もないよりはマシなので、仕方なく続けています。
収入は、PCデポへのバス代(往復760円)で消えてしまいます(往復4時間歩いて通うか究極の選択)。この一週間、ほとんど何も食べていません(ファミレスでWi-Fi利用日は242円のジャーマンポテト1個、PCデポでの作業日は100円パン1個)。餓死してしまう可能性もあります(まあ、ダイエットだと思えばいいですが(;´д`))。
77歳にもなって、なんでこんな重労働(しかも限りなく割の悪い)を課せられなきゃならんのか、と腹立たしくなってきますが、社会に背を向けてきたので、その酬いと捉えて、観念するしかないのでしょうね。