登校拒否・不登校に学ぶ フレンズネットワーク くまもと  【不登校 命を守る 子の反応】  一人で悩まないで!  

不登校から学んで、子どもたちを取り巻く環境を改善しようと1997年に設立した団体です。その活動や想い等をつづります。

先を見据えると 会報ふれんず271号

2022-12-09 21:13:34 | 不登校についての考え

親の会 報告 より

1 先を見据えると 

: 中2の娘が小6の2学期から不登校です。中1の2学期は保健室登校をしていました。その頃はラインとかで友達と繫がっていました。勉強も、学校の時間割に合わせて自分で教科書を開いたりしていました。
  2年生になって、どこを勉強しているのかわからないと言うので、その事を担任の先生に私が伝えました。でも私の伝え方が悪かったようです。先生は娘のことを理解してくださっているし、いろいろ考えてもくださって、「プリントをだしてくれたら、先生たちに見てもらえるよ」と言われましたけど、本人は「ワークブックだけをやろう」と考えていたようで、「プリントをして」と言われたのをダメ出しと受け止めてしまったようです。涙が出ていました。
  娘は回復していると思っていましたけど、涙を見たらまだまだ真っ只中なんだと思いました。
  私は、不登校の「親コミュニティ」にも入っていて、勉強しています。そこで色々聞くなかで、目先のことだけでなく、先を見据えて、子どもがどう生きていけばいいかということを考えていかなければと感じています。
  皆さんの状況を教えてください。

進行: お勉強ができておられるのはすごいですね。今、不登校の子どもさんやご家族の状況をおたずねですか?

: 現実を教えてほしいです。先を見据えると少し視野が広がるかなと思って。学校に行かなくても生きていければと。

進行: 少し年齢層の高い方に聞いてみましょうか。

B : 私の子どもは今39才と41才になりました。上の子は小学5年生の頃から、下は中学の半ば頃から、それぞれ違う形の不登校でした。今は2人ともデザイン関係の仕事をしています。
  最初は七転八倒しました。たぶん子どもも。
  上の子は担任の先生が原因と思っていたけど、学校に魅力を感じられず行けば行くほど命を削られる感じだったようです。その後自分のやりたいことをみつけて、その為に高校に行くと決めたようです。今、生活はボチボチですね。
  下の子は過労気味で、自発的に学校を休みました。
  もう30年くらい前の話です。30年の間には色々ありました。けど、今は生きているだけで丸もうけと思っています。


C : うちは今37才で、小6の時、担任の先生からの体罰で学校に行けなくなりました。中学2年の2学期から完全不登校でした。学校は居心地が悪かった。その頃、学校の目標に「滅私奉公」「粉骨砕身」と掲げているような学校でした。
  26才ぐらいになって、いじめがあったこと、担任からの圧力があったことなどを吐き出すようになりました。
  高校は定時制で、とてもよい4年間でした。いい先生とも巡り会い、人に救われました。熊本地震の後、外に出て働くこともありました。祖母の介護も手伝ってくれました。
  今も、社会にいろいろあると敏感に反応します。私は、いつかもっと動くようになるんだろうなと思っています。盲人の方のサポートもしていて、外出のお手伝いをするときは、財布を預かったりもするようです。

進行: 人に安心して貰えるのは、自分自身の励みになりますね。信用されているということですね。

 


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