💓参加して思うこと
「幸せな人生を」と願うけど
K.I
将来を見据えて最善の子育てが出来れば、私もそうしたいと願うが、はたしてそんなことが出来るのだろうか。
私の母の子育てを思い出すと、彼女はそんなに強い人には見えなかったが、自分が思い描く「幸せな人生」、つまり「食べることに不自由しない高収入、高学歴の人との人生」を我が子に送らせようと、策略を巡らしていたように思う。それは多分、戦中戦後を生き抜く中で、自分自身がひどく苦労したからこそつかみ取った価値観によるものだと思う。
だけど、へそ曲がりな私は、ことごとく母の願いに逆らった。その結果、どうなったか・・・。まだ、その結論は出ていない。
人の人生は山あり谷あり、決して平坦ではない。多分、これは多くの人に共通することだと思う。だから、どこで終わりを迎えるかで、その人の人生に対する周りの評価は変ってくる。絶頂期に終われば、「いい人生だった」と言われるのかもしれない。でも私としては、他人からの評価はどうでもいい。できるだけ、ワクワクする瞬間が多いことを望むだけだ。
人の描く「幸せ」は、人の数だけあるのだと思う。親が「あなたの幸せを願って私は提案してるのよ」なんて言っても、子どもにはピンとこないだろう。ましてや、こんなに激しく変化している時代の数十年先のことなど、正確に読める大人がいるだろうか。
いつの時代も、生きていくのは結構大変。だから、生きていること、生きていこうとしていることに、もっと感謝し、感動したら、心が熱くなり、はじけるような気がする。
私は最近、中村哲さんの映画を観て、覚醒している自分を自覚した。目覚めた気がした。それまでも、何度かステキな人と出会ったり、ステキな唄を聴いたりして覚醒したことはあるが、コロナのようなことが続くと、気力が消えかかる。だから人は何度も山と谷をくりかえす。そして、その度に何かに助けられる。
それは時に、情熱だったり、優しさだったり、美味しさだったりする。そして、自分自身のやる気を観察するとき、それは体調と密接な関係がある。体が先か、心が先かは分からないが、切り離しては考えられない。
母は晩年認知症になって、たまにしか会わない私を、空襲で亡くなった自分の妹と勘違いしたり、「この人いい人よ」と老人ホームの仲間に紹介したりした。認知症も悪いことばかりではない。こだわりを忘れた母に褒められたのだから、私は幸せ者なのかもしれない。
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